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わたしは言葉という手段に対して興味深い感情を覺えています。
今回はそんな言葉についての内容、ひさびさの言語回です。
端を発したとっかかり
映画などの映像や絵などの視覺表現において、電子錠が解錠された時って『unlock(ed)』と表現されるじゃないですか。
十年とかそこら前までは『Open』だったので、『unlock』と表現された時には「Openじゃねえんだ」と思ったりもしたものです。
果たしてこの『unlock』について、長らく何も思わなかったのですが、つい先日引っかかりを覺えました。
「なんでOpenとちゃうんやろなぁ。そういえば」
正しい状態
『unlock』は、閉めるという単語の【Lock】に、打ち消しを意味する[un]がくっついた単語です。
ですので【un-Lock】ということになりますね。
『一九八四年』の作中にて用いられていた〈ニュースピーク〉で多用されていました、あの[un]です。
一方【open】は「開く」を意味する英単語です。
なぜ開錠時の表現がOpenではないのでしょうか。
その理由としてわたしは『鍵というもの』の役割が関係しているのではないか、と考えています。
【鍵】とは一般的に何かを閉める用途で用います(扉など)。
つまり元々想定されている使い方が《閉める》なのですね。
ということは鍵というものにおける正常な(本来行うべき)作用とは「閉めること」となります。
『鍵が開いている状態』というのは「正常な状態ではない」から、【open】ではなく[un]がくっついた【unlock】が使われるのではないか、との仮説を考えました。
ということは【unlock】は『鍵が開いている』ではなく『施錠されていない』ということになりますね。
その証拠?に、開錠という言葉はあっても閉錠という言葉はありません。
これも『鍵・錠は閉めるもの』という通念と意識があるからでしょう。そう思います。
un-goodではなくbadがある理由
先に引用いたしました『一九八四年』における〈ニュースピーク〉では、現行の言葉たちよりも単語数が削られております。
その多くは[un]を用いたものであり、例としてはgoodの対義語がbadではなくun-goodと書き換えられていたりします。
goodとbadは日本語では「良い」「悪い」と訳されますが、ではなぜ "un-Goodではない" のでしょうか。
これについてわたしは『〈良い〉も〈悪い〉も "正しい状態として存在しえる" から・存在して然るべきだから』だと考えております。
悪いという言葉は例として『体調が悪い』などの場合に使用されたりします。
体調は良い状態が好ましいため、『体調が悪い』と表現する場合には【un -Good】の方が適切じゃね?とも思われますが、〈悪い〉という状況がないと《良い状態》は存在しえません。
つまり『 "良い" を成立させるためには "悪い" が必要不可欠』であるということになるのです。
ややこしいですよね。
また、機械の挙動が芳しくなく、内部部品の不良が原因であった。
そうすると〈内部部品が悪い〉ということとなりますが、この場合 "悪い" が存在するからこそ "良い" へ繋がるということです。
つまり〈悪い〉は肯定されており、左記状況は『あるべき状態』となる。そのため【bad】は必要になる。
『 "un-Good" ではなく "bad" と表現する理由』を斯様に推察いたします。
つーかそもそも対義語が違うんじゃね。
解錠をした時に【un-Lock】と表示されます。
最初に「Openじゃないのか?」と疑問を持った次第ですが、そもそもとして対義語が違うのではないか?と思いました。
【Open】の対義語は【Close】です。
正しい状態ⅱ
[un]は正しくない状態の時に用いるのではないか?と推察をいたしましたが、[un]が頭にくっつく言葉は他にもあります。
【un-Happy】や【un-Lucky】、【un-Fair】など々等
それぞれ[un]が付いていない元の単語は「幸福」「幸運」「公平」という意味です。
・[un]は正しくない状態の時に用いるのではないか?・
という仮説を推察しましたが、その仮説を以って考えたらば「幸福」「幸運」「公平」があるべき状態であるということになりますね(「不幸」を意味する言葉に【misérable】という単語がありますが、これはフランス語なのでノーカウントです)。
なんて素敵なことでしょうか。
正直上記の・[un]は正しくない状態の時に用いるのではないか?・なる仮説を否定する単語なんて膨大にあるはずなのでご自由にお探しください。
正直なところ[un]が頭にくっつく言葉が多すぎて例に挙げるのが面倒になったのですね。
品がいい
ところでこの[un]について、ある発見?をしました。
『品が良い』という形容があるじゃないですか。
大抵は人に対して用いる表現ですが、『品が良い人』って[un]を用いて発言をしている場合が多いのではないか。そう思いました。
美味しいと不味い、綺麗と汚い、賢いと愚か、など。
これら単語の共通点は、後者の方が発せられた時の印象が強いです。
表現を変えたならば「多少なりとも衝撃がある言葉」です。
一つ目の例 〈美味しい〉と〈不味い〉
わたしがhigh school years oldなティーンエイジア、つまり まだまだ幼いなりに『自分は立派に大人だ、子ども扱いするな』と強がったりする年頃 の時分のことです。
事あるごと、口にものが入るたびに「不味い」と口にする學友がおったそうな。
その言葉をあまりに耳にするので嫌になったわたしは、ある決意をします。
「〈不味い〉って言葉、なるべく使わないようにしよう」
そもそも、〈不味い〉って言葉は汎用性が高い上に樂ができるんですよ。
『どうして不味いと感じたのか』を表さなくても意味が通っちゃうでしょ。
しかも料理を作った人への改善点や案を示さないし。
『食材に火が通っていない』
『味付けが濃すぎる』
『この料理に何それの風味は必要ないから今度作るときは省いてみたらいかが?』
などの説明をせず、相手を傷つけるだけなんですよね。〈不味い〉という言葉は、ね。
しかも現代では状況が芳しくない場合でも用いる言葉じゃないですか。
「不味いことになったな…」って。
閑話休題。
食べたものが自分の好みではなかった場合、つまりは〈美味しい〉の逆であった場合には〈不味い〉の他にどのような表現がございますでしょうか。
そうですね、《美味しくない》です。
あら?この表現って〈美味しい〉に[un]がくっついているのではないでしょうか。
[un]がくっつくことでお上品になる例、他にもみていきましょう。
(しかし本当に品が良い方は『口に合わない』という言葉を使う)
他にも例を挙げました〈綺麗〉と〈汚い〉、〈賢い〉と〈愚か〉についても同様に[un]をつけることができます。
《綺麗じゃない》
《賢くない》
これらの言葉はどことなく品の良さを感じませんでしょうか。
逆に《汚くない》、《愚かじゃない》は表現としてあまり用いませんし、表現するとしても "何かへの反応・返答" として発せられると思われます(「別に汚くないでしょ」「それは愚かじゃないよ」)。
ちょっと調べたところによると、ですが【un-Fool】や【un-Stupid】という言葉はないっぽいです。
これも〈愚か〉という状態は正しい状態ではないからではないでしょうか。
しかし『愚かであること』は必要です。
"知ったつもりにならず、愚か者としている姿勢" は重要である。ということです。
ならば〈愚か〉は正しい状態ではないか?と思ったり思われたりされるかも知れませんが、 "知ったつもりにならず、愚か者としている姿勢" はもはや賢い姿勢・心持ちです。
一応念のために書いておきますが、同意を求める時に使う「〜じゃない?」という表現ではありませんよ。
やはり[un]がくっついた言葉は〈汚い〉や〈愚か〉と比べて品が良い表現だと思えます。
とはいえそれは比べている対象が対象だからという理由もあるでしょう。
ところが面白いのは、〈良い〉と〈悪い〉についてはどちらも[un]をつけた表現があります。
〈悪い〉については上に述べた通りですが、〈良い〉も〈悪い〉も肯定され有る正しい状態であるからなのでしょう。
また《きたないはきれい》でもあります。
まあこれは觀点する尺度が違いますね。
無闇矢鱈に[un]を使って簡略化するのは思考の放棄となり得るので多用は厳禁ですが(簡略化をするとその分思考の幅が狭まるので思考自体が浅くなる)、印象という莫迦らしいものが支配し横たわっている人間社会に於いては[un]がくっついた言葉を使った方が得でしょう。
積極的に使っていきたいものですね。
わたし自身なるべくなら攻撃性の高い言葉を用いたくないという思惑もあります(使わないわけではない)。
裂ける
先日とあるコンビニエンスストアにてパン系の商品に「裂ける」という言葉が用いられている様子を見つけました。
『裂ける』という言葉、わたしは別に印象が良いものだとは認識していなかったので若干の困惑と興味深さを感じました。
『裂ける』は繊維状のものが繊維の様相を呈しながら分裂する場合に形容されるものだと認識しています。
例としては「肉が裂ける」です。
この『裂ける』ですが恐らくこれって某さけるチーズがかなり売れたからなのでしょうか。
だから『裂ける』という言葉に対しての敷居が下がった。
とはいえ、別にわざわざ商品名に用いる言葉でもないと思うけれど。
そんなお話し。
ありがとうございました( ¨̮ )

