頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

該当するときは毅然と対応しないといけない。

 

本日もご訪問ありがとうございます。

今回は少しばかり社会的な内容です。

 

 

実力行使は惡か

『何があっても暴力は駄目だよね』という意見があります。

その意見に対して『話しても理解できない相手には実力行使。拳を用いて話をつけるしかない』という反対意見もあります。

 

当記事をお読みいただいている皆様はいかがお考えでしょうか。

 

『暴力は何があっても駄目』

『話しても聞き分けられない相手にはそれ相応の武力を行使しても致し方ない』

 

これはきっとどちらかが正しいということはないのだろうと感じます。

どちらもある意味合いでは正しく、また間違ってもいる。

 

短絡的に「こっちが正しくてこっちは間違ってる!」と思考を固定し樂をすることも、もちろん可能です。

というより世のほとんどはそうでしょう。わたし自身そのきらいを自覺していたりしますし(でもさぁ、白黒ぱっきり分けられるわけないじゃん。グラデーションじゃん、なんにしたってさ)。

 

 

「狡いな」と思われますでしょうか。

しかし実際そうだと思われます。『適宜』や『状況に応じて』ってやつです。便利な言葉ですね。

じゃあその〈状況〉とはなんなのか。

 

 

事例たち

先に挙げた『暴力に対しての〈絶対的否定〉と〈適宜許容〉』の一例として、オスカー賞でのウィル・スミス氏の一件を挙げましょう。

上記は壇上でのコメディアンさんがウィル・スミス氏のパートナーをジョークのネタに用いて発言した結果、氏より平手打ちをお見舞いされたという内容です。

この一件でも『暴力に対しての〈絶対的否定〉と〈適宜許容〉』の議論が起こりました。

 

 

またもうひとつ、例を挙げましょう。

現在の日本國は多くの旅行者が海を超えて訪れています。

そんな旅行者の皆様の多くは分別と節度を弁えた方ですが、訪れる分母が大きくなるとどうしても横暴や蛮行を行う方や「自分勝手な行動を行っても問題ない」と勘違いをされる知恵深さの足りない方が散見されるようになります。

 

「もう一度核爆弾を落としてやるぞ」と息巻いた方や、レンタカーを破壊した方、強引に婦女との性的関係を迫った方もいたそうです。

そのほかにも明らかに利用時の常識が欠如している、現代の赤い國を代表する國の旅行者も多くいたらしいです(目の前で見たわけではないので、あくまでも "らしい" という立場で話します)。

 

郷に行っては郷に従え、という言葉がありますが、そういった方々の國には同じ意味合いの言葉はないのでしょうか。

 

 

さて上に挙げました二つの例ですが、わたし個人の意見としては『話しても理解されないなら実力行使もやむなし』だと考えています。

あくまでも話し合いなどの友好的な方法で解決しなかった場合、です。

 

 

非暴力非服従が成立する状況としない状況

「暴力」という言葉を聞くと思い出す言葉があります。

『非暴力非服従』です。

 

どちらかといえば主義や姿勢と表現した方が近いですね。

マハトマ・ガンディー氏が上記を表明、実行してインドの独立を勝ち取りました。

 

 

『非暴力非服従』とは「暴力でやり返しはしないけど、だからといって暴力に服従するつもりはない」という姿勢です。

 

昔からヨーロッパ諸國は他の國を植民地化するしか脳がないのかと思うくらいのこともあります。

インディアも例に漏れずイギリス領として支配されていた過去がありますが、第二次世界大戰後に多くの國が独立を勝ち取る流れを受けて、インディアも独立を望みました。

しかし、いざ独立に臨むも歴史的慾深國家のイギリスはそれを認めません。

それもそうです。ある種「國力を失う」のと近いはずですからね。

 

「独立したいな」のインドに対し「だめーっ」と突っぱねたインギリス。

慇懃無礼だったんですかね。

無礼な男たち、ということでブレーメンなのか。

インディアの民をほくそ笑んでいたとしたら、無礼なつらということで無礼面だったかも知れません。

 

もしかしたら『飼い犬に手を噛まれた」とでも思ったかも知れません。三角貿易でうまい汁をちゅうちゅうと吸ってもいたでしょうしね。憶測です。

 

 

閑話休題

 

 

インディア独立、またそれに準じた "支配下から脱却" をする場合、暴力は適切なのでしょうか。

また "暴力は必要となる" のでしょうか。

 

この場合、必ずしも必要ではないでしょう。

実際、マハトマ・ガンディー氏が暴力を用いず独立を成し遂げていますからね。

 

とすると〈暴力が必要になってしまう状況〉が生じている必要があります。

 

 

非暴力非服従でインディアが独立できた理由

インディアの独立にて、暴力が発動されず達成されたその理由。

わたしは《インディアがホームタウンだったから》というのが理由だと考えています。

 

 

インディアを統治していた過去があるとはいえ、包まず言ってしまえばンギィリスさんはインディアにとって侵略者です。

本拠地はヨーロッパにある島國であるので、非暴力不服従の姿勢を長い期間貫けば、ンギィンギィ兵を兵糧攻めにすることができるのですね。

 

マハトマ軍勢にとってインディアはホームタウンですから食糧を収穫できるわけですし。

 

 

では迷惑蛮行を行う海外からの一部の旅行者に対して、我々日本人は日本がホームタウンです。

じゃあ『非暴力』を貫けるのか、といえば難しい場合もあるでしょう。

それは「相手が旅行者である」というところが起因しています。

 

相手は〈旅行者〉です。

ということは本國があり、一定期間が満ちるとその本國に返っていくことになります。

本國に返ってしまったら見つけるのはかなり困難となるでしょう。

 

特に実害が生じている場合、被害を受けた側は泣き寝入りをするしかないという結末になりえます。

そういった理由から『状況によっては実力(暴力)行使もやむなし』という結論に至りました。

 

完全非合意での婦女暴行、器物の損壊などの実害が生じていても、下手人が日本から出てしまえば逃げ仰ることが可能です。

実際に沖縄ではアメリカ兵が強姦してもアメリカ本國に帰ればお咎めなし、という事例が多く発生しているらしいです。

 

特に日本人を見下している方も一定数はいらっしゃるでしょうしね。

 

 

またウィル・スミス氏の事例については『威厳』と『威嚇』を示すための行動という側面が強いと感じます。

「"ここで無礼を認めると、後々もっと面倒な輩を相手にする可能性が出てくる" ことを封じるため」の対策として講じた、ということです。

 

面倒な方々って、つけあがってきますからね。

そんな方に対して『舐めんじゃねえぞ』の意思表示です。

テールランプ七回の点滅ですね。

 

また配偶者の面目を護るためという側面もあるでしょう。

これもまた『舐めんじゃねえぞ』の意思表示とも似ていますが、少し趣が違います。

 

 

不当な侮辱行為に対して、最も効果的な対策が〈平手打ちだった〉ということでしょう。

もし侮辱行為に対しての反応が『胸ぐらを摑む』だったとしたら、それは確実に平手打ちよりも抗議の時間が長くなりますし、当事者以外からはある種『スマートでない』と見える可能性もありますからね。

ウィル・スミス氏がそこまで考えていたかはわたしには分かるわけがないのですけれど。

 

 

これらのことから、『暴力はよくない。が、場合によっては実力行使もやむなし・実力行使が最適解となる、という状況』も起こり得るということになります。

ここまで書きましたが、まず何よりも『話し合いで解決しよう』とする意識は必要&重要です。

 

しかし、話し合いでも理解する脳みそを相手が有していない場合や実害を受けそうになっている・受けている場合は、別です。

 

 

あくまでも、暴力を肯定しているわけではありません。

 

www.youtube.com

 

 

団体芸?

《暴力》と聞けば、どうしても物質的肉体的な印象を受け、それに準じた行いを想起します。

 

しかし、《暴力》は何も肉体を用いたものだけではないですよね。

 

昔から言葉の暴力という言葉がある通り人間が発する言葉にはさまざまな力が宿っており、励ましにもなれば鋭い刃物や強烈な鈍器、重篤且つ長期間蝕む猛毒となることも往々としてあります。

 

 

そしてこの数年で言葉の暴力性が過剰に発露した事例があります。

 

それは、ずばり、誹謗中傷です。

 

 

現世現代はインターネットがもはやインフラと化しています。

そんな世界で我々は生きております。

以前(これまたインターネットで)見たところでは「阿保にまでインターネットが浸透した世界」が、今のこの世代らしいです。

 

そしてSNS利用もほとんど教養かのようにサイレンス強要されている感のある現代です。

 

そんな『あほにまでインターネットが浸透した國民総SNS利用時代』では、個人・企業関係なく〈炎上〉という現象が発生した際に槍玉に挙げられ、大バッシングで総叩きが生じる様がのべつ幕なし繰り広げられています(ダイバーシティだのと謳い宣う時代なら総叩きも【多様性】で無罪放免なのですかね)。

それはまるで《予め決定されていた炎上》が演じられているようです。

 

ある方はSNSでの誹謗中傷に心を病み自死を選んだと報道がされておりました。

上記の通り、現代は國民総SNS利用時代です。

また同時に「阿保にまでインターネットが浸透した世界」が今の世代ですが、そのインターネットがインフラ化した世界であるからこそ、現実世界でなんとも上手くいかず悶々とした人の鬱憤のはけ口として誹謗中傷が生じるのだろうと考えます(間違っても生じるなそんなもの)。

 

 

さてはて、誹謗中傷という言葉を聞くとわたしはある方が思い浮かびます。

スマイリーキクチさんとASKAさんです。

前者のスマイリーキクチさんは個人的にインターネットで初めて誹謗中傷を受けた方だと認識しております(実際はしらない)。

 

後者のASKAさんは複数回の逮捕歴がありますが、ある時、ASKAさんは「ある組織に見張られている」というような内容の発言をされておりました。

その当時のニュース、ワイドショーなどでは『真偽不明の妄言』というようにASKAさんの発言が取り扱われておりました。

 

その当時はわたしは何も思わなかったのですが(というよりも何がなんだかわかっていなかった)、今になってふと思うことがあります。

 

ASKAさんの発言は実は真実を話していたし、ASKAさん・スマイリーキクチさんの誹謗中傷はある団体が関係していたのではないか?って。

 

 

そう思う理由

現代。

スマートフォンが普及した時代。

スマートフォンはインターネットと常時好きな時に繋がることができます。

 

考え直してみましょう。

スマイリーキクチさんの一件は1998年から始まったそうです。

この時代、携帯電話はありましたが今でいうガラパゴスフォンの世代ですのでインターネットが標準搭載はされていなかったと思います(imodeやezwebはあったけど、莫大なお金が必要)。

 

ASKAさんの件は2014年くらい?みたいですが、現代のように一般の一般大衆にまでスマートフォンが普及しインターネットと身近になったのは以降の2015年より後じゃないか?と思います。

それまでにもスマートフォンはありましたが、今のように『なんでもできる万能インターネット板』という認識は薄かったと思います。

 

正直、今と同程度の意識になったのってYouTubeの広告で「好きなことで生きていく」と宣伝された2017年以降だと記憶しています。

いや、でも2015年時点で電車の車内風景を見て「携帯電話に脳みそを乗っ取られているやつらばかりだな」と感じたことを覺えているので、かなり不確かな部分は確かにあると思う。

 

でも(表層化したのが2016年以降だとしても)、スマイリーキクチさんの時期に果たして大衆が自発的に芸能人を叩いたのか?

わたしにはどうにもそう思えないのです。

つまり、その誹謗中傷の裏には団体がいたのではないのか?という、憶測です。

 

政教分離の世界で政治団体の資金元に宗教団体がついている時代ですからね。

そういった御一行様に目をつけられちゃったら、わたしのブログなんで一発でおじゃんでしょうね。

 

 

と・は・い・え。

ASKAさんについてはどうやら本当に藥物を服用されていたので、本当に幻覺なのかもしれません。

 

実際のことなんてしらねーよ。

 

他人様のことだ。他人様のことをわたしが知るかよ。

 

 

 

今回は社会的なお話でした。

暴力は可能な限り抑えましょうね♡

誹謗中傷はしないでね♡

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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