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特段昔でもないちょっと前、悪魔のYouTube Shotにてある動画を目にしました。
その内容は外國人の方が「日本人ってどうしてそんなに相手が発した言葉の意図を汲み取れるの?」という疑問?や驚きを口にするというものでした。
【具体例】
カレーライスを複数人で作っています。
複数人で一つのことをするときは自然、役割分担が行われますが、カレー担当者が「玉ねぎお願い」と手が空いている人に頼みます。
頼まれた方は玉ねぎの茶色い皮を剥いて可食部を適当な大きさに切ります。
【具体例終わり】
この「玉ねぎお願い」というお願いが非日本語話者達には難易度の高いお願いなのだそうです。
非日本語話者の意見としては以下のようなものです。
・【玉ねぎ】という食材を〈どうする〉のかがわからない
・玉ねぎを切るにしてもどのように切ればいいのかわからない。くし切り?微塵切り?
我々日本語話者としては「玉ねぎお願い」と言われたら『皮を剥く』か『切る』かの二択だろうと思うはずです。
そしてそれは手が加えられていない状態に限定され、すでに茶色い皮が剥かれていたらば選択肢は『切る』の一択となるでしょう。
そもそも切り方なんてその場で聞きゃええのです。
「適当に切ったんでええんか?」
指示を仰いだ際、特定の切り方のこだわりがあれば都度で指定があるでしょうからね。
言語外コミュニケーションが凄まじいよ!というのが非日本語話者のご意見でした。
この玉ねぎ問答を見ていてわたしは思います。
「あゝ、國境とかが関係しているのかな」
日本は島國です。
島國ということは國境が陸続きではありません。
逆を言えば四方が他國に囲まれた國家も存在します。
Europaなんてほとんどがそうですね。
四方が國境に囲まれているということは、どういうことか、っていえば、侵略の機会が多いということです。
っていうことは移民の流入も頻繁にありえるということにもなります。
この〈移民流入〉と「玉ねぎ問答」は繋がっていると思うのですね。
他國からの移民がある。
→國が違うということは文化の違いがある。
→文化の相違は認識の違いでもある。
→自分個人の価値觀だけでは諍いが生じる恐れがある。
→戰爭
そんなような流れです。
戰爭まで行かずとも、自分の感覺だけでは諍いが発生し得るというのは往往にしてありえます。
正直日本人の間でも自己中心的な人間は嫌われますしね。
可能な限りあらかじめ問題点を潰すという意味合いとして玉ねぎ問答のようなことになっているのではないか?と、わたし個人は考えます。
ではなぜ日本人は言語化していない部分を察する力があるのか、と考えれば、それも島國であるからなのか?とも思います。
日本のような島國では他國への亡命とかは難易度が高いですからね。
あとあとついたった今考えたのは、言語の存在です。
他國と陸続きでつながっている場合であれば、國によって言語が違う場合が多いでしょう。
言語が違うということは、似た言葉であっても言葉の差異や雰囲氣、差し示すものが若干変わってくる可能性が生じます。
そのような『言語から生まれる仕方のない齟齬』を極力減らすために玉ねぎ問答が生じるのかなと考えます。
ここ日本では方言というものはあっても、大体の意味合いは共有できているはずですからね。
しーらね。
ありがとうございました( ¨̮ )