頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

見上げてごらん

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回は監視カメラ回です。

 

 

単純接触効果の影響か?

あるビルディングにて、わたしは休憩をしておりました。

 

建物の玄関部分。

見上げると違和感を覺えました。

 

「あれ、監視カメラないのか?」

 

眼前には壁、頭上はのっぺりとした天井が伸びています。

 

無いカメラ。

 

実はカメラがあるが目視はできないだけかも知れない。

とすれば想起するのは〈テレスクリーン〉です。

 

何度となく引用している『一九八四年』に登場している、あれ、です。

 

透かして視るように目の前にある壁を、見つめます。

 

 

苦笑。

 

これまでもそうでしたが監視カメラに対しては危機感を考えていたわたし。

いざ監視カメラがない状況を目の前にしたらば不安感を覺えたのです。

まったく自分勝手なものです。

苦笑しかありません。

 

そりゃあ「我が身が事件に巻き込まれたこと」を考えれば、浅ましい自己弁護の觀点からしても監視カメラがないことに不安を覺えるのは当然だとは思いますが、やっぱり苦笑はします。

 

この認識変化も単純接触効果の妙なのですかね。

 

 

ちなみにカメラは入り口自動ドアの真上にありました。

そりゃあそうです。おそらくは今の時代監視カメラのない建物なんて "ありえない" というほどでしょう。

いずれビルディングを新築する際の監視カメラ設置が法律により義務化していくことでしょうね。

 

 

見上げてごらん

わたしは都市で生活をしております。

都市生活を行う場合、自家用車を所有するよりも公共の交通機関を用いた方が生活しやすいという状況があります。

そもそもわたしは運転免許を持っていないので長距離の移動を必要とする際には公共の交通機関に頼るしかないのですが、そんな公共の交通機関の一つである電車というものに乗っていた時のこと。

 

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floodinhead.hatenablog.com

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都市の交通機関は電子モニターが設置されております。

 

いえ、これは嘘です。

というのも我が故郷の伊予國にある電車も電子モニターが装備されていたからです。

「あんな辺鄙な土地に…」と大層驚いたことを鮮明に覺えております。

 

 

この電子モニターは主に次の停車駅を表示したり路線上の停車予定駅を表示したり、時には広告映像が流れていたりします。

 

そんな電子モニターに表示された次の停車駅を確認しようと見上げたとき、違和感と共にあるものが目に入りました。

 

電子モニターの隣に埋め込まれるかたちで監視カメラが設置されていたのですね。

 

正直、とてもぞっといたしました。

 

 

電車というものは特定の場所に行くために乗ります。

そのため降車駅の確認は必須となります。

降車駅の確認をするためには、電子モニターを確認する必要があり、そのためには見上げる必要がある。

見上げることで監視カメラには個人個人の顔が撮影される。

 

周到です。

その周到さに技巧を感じると共に、思わず感心も覺えました。

そしてしっかりとした恐怖の存在も感じました。

 

現代はほとんどの人間が携帯電話と睨めっこをしております。

つまり下を向いている(読書をしてようがそう)。

 

ですがそんな人間たちも頭上を見上げる時があります。

それが停車駅を確認する時なのですね。

 

 

動物としての習性

電子モニター。

それは映像を再生する機械です。

 

映像は動きます。

動いてなんぼの機械であります。

 

デジタルサイネージという電子広告の形もありますが、電車内の電子モニターは静止画の広告であっても数秒で切り替わります。

 

 

人間は動物じゃないですか。

動物は危機回避の兼ね合いから動くものに対して敏感です。

 

映像は動きます。

紛うことなく動物である人間は動く特性を有する映像に自然と視線が吸い寄せられます。

すると自然に顔をあげますね。

そうすれば顔が監視カメラにばっちり、映る。

 

そして各々が所有している端末にはインカメラが標準装備されている。

 

見上げてもカメラ、手元もカメラ。

公共物に整備されたカメラだけでは個々人の特定は不可能だと思いますが、個々人が所有している端末が仕入れた情報を用いれば特定が可能になるのです。

 

もはや逃げ場はないですね!\(´-`)/!

 

 

エレベーターとテレスクリーン

見上げるといえば、わたしはエレベーターを思い出したりします。

 

満員のelevator、箱の中にいる人間は頭上を見上げます。

パーソナルスペースなんてない鉄箱の中、頭上にある空間が誰のものでもないということに救いを見出して、ということが理由らしいです。

 

はたして天井がテレスクリーンだったらば、これもまた顔面がカメラに収められるということです。

 

逃げ場なんてないね!\(´-`)/!

 

 

ところでelevatorのカメラって大抵扉を背にしたときに正面斜め上にあるじゃないですか。

つまり乗って定位置に収まった時には背を向ける形になりますよね。

 

これってなんでなんでしょうね。

 

elevatorの頭上は救いの空間だからそこすらも監視されている意識になると息苦しいということなんですかね。

乗り込むときにわかればいいのか。

どうなんでしょうね。

 

 

\(´-`)/

 

 

言葉と印象

ところで今回わたしはカメラのことを意識して「監視カメラ」と表現しました。

しかし多くの場合『監視カメラ』という呼称ではなく【防犯カメラ】として表現されております(安心カメラと表現される場合もあるよう)。

 

言葉の妙というものは偉大です。

【監視】と表現されると緊張感が高くなるというか、自然とこちらは身構えてしまいます。

 

一方【防犯】と表現されるとどうでしょう。

「犯罪を防止する」という意味合いのある言葉が用いられているため無意識のうちに安心感を覺えるのではないでしょうか。

 

このように言葉を上手に用いれば、人間の意識を操作することなんてどうとでもできます。

 

なんとなくですが、いずれは【監視カメラ】という表現は不適切であるという流れにもなっていきそうだなと思いました。

もうそうなりゃ言論統制言葉狩りディストピアだʅ( ˘⊝˘ )ʃ

 

 

ありがとうございましたʅ( ˘⊝˘ )ʃ