本日もご訪問ありがとうございます。
先日八十八ヶ所巡礼さんの新譜について長ったらしい感想を書きました。
他所様の褌をお借りしているわけですので威張れるもんでもないですが(威張るつもりもない)、こちらの感想につきましてたくさんの方にお読みいただいているようで大変光榮でございます。
他所様の褌を借りている立場とはいえ、あれだけ書いたら半分自分の言葉じゃないのかなどと思い上がった感情もあったりしますが、書くきっかけは八十八ヶ所巡礼さんにあるのでやはりわたしは力をお借りした身です。
たくさんの方の目に留まったとのことで、感想をいただくこともあり大変嬉しかったのですが、この快感が承認欲求由来なのだなと思うと調子付くのは危険だなと感じます。
そんな感想にて「仰る」という言葉を使われている方がいらっしゃいました。
その文字を見た時、反射的に「 "仰る" だなんて畏れ多い。わたしのようなものが…」と思ったのですが、その直後に「そのような言葉を使われたということは、少なくともその資格がわたしにあるからなのではないか?」と感じました。
と同時に「最初に脊髄反射的に思ったことは、"仰る" という言葉を使った方の想いを無下にもするのではないか」と思いました。大袈裟ですが、そうです。
つまり『相手からの評価を拒否するのは失礼である』し『差し出されている正当な評価を受け取らないのは自分自身に対しても失礼である』ということです。
仏陀さんが言ったらしい言葉でこんなのがあります。
──惡意は受け取らなければ惡意を出した人に戻る。
もし誰かから惡意を向けられたとしても、惡意を惡意と受け取らず氣にしなければ、その惡意は元の人間に戻る、という考え方で、よく宅配便などで喩えがされることが多いですね。
この考え方ってのは決して惡意だけではなく、善意についてもあてはまるんじゃないかと思うのです。
正当な評価として賞賛されているのに、それを「そんなそんな…」と謙遜しているのは自分を蔑ろにしているのと同じではないのかという考え方です。
また向けられた善意を菓子折りだとすると、せっかく時間とお金を使って購入した菓子折りを「そんな!!受け取れないです!!!」と受け取らなければ、菓子折りを用意した人の労力は無駄になるわけです。
端的に言うならば《失礼》になるのですね。
そのような《失礼》を働かないため、ともすれば相手のお顔に泥を塗らないために、せっかくご用意いただいた善意は受け取っておいた方がいい。
善意と書くよりも菓子折りと表現した方がかなりしっくりとくる。
なんだこれはやっぱり物だからなのか。
惡意は受け取る必要はないけど、善意は受け取った方がよいということです。
こう書くと、なんだかすごく身勝手なように感じますね。
惡意を向けられた場合は、取り合わず反応しない。
善意を向けられた時は有り難く受け取って、感謝の意と嬉しい氣持ちを表現したほうがいい。
善意が向けられることは決して当然のことではなく、有り "難い" ことですからね。
とはいえ素直に善意を受け取れない時もあると思います。
相手がすげー自己満足的だとか、自分自身がそれに対して苦手意識持ってるだとか。
そんな時は変に無理する必要はないかな、と思いますが、それはわたし自身の精神性がまだまだ幼いからでもあるのでしょう。
長々と「書いてる意味のないこと」を書きましたが、自分が書いたものや作ったものへの反応がくるのはとても嬉しいということです。
氣が向いたらコメントとかもください。
しかしあれなのかも?
店員さんに認知されるの苦手、認知されたくないとかの意識もあるのかもな。
わたしもある〜その感情。
ところで八十八ヶ所巡礼さんのNew Album『八+九』は五月二日に発売でした。
しかしあまりに書きたいことが多すぎて、感想記事は一週間後の十日(土曜日・仏滅)に投稿となりました。
内容についての詰め作業とかもあったので実際に九日くらいまで調整していたのですが、それは裏を返せば九日中の記事投稿も可能だったということです。
それをしなかったのは、まぁ仏滅の日八時八分に投稿をしたいというファン根性+一般的に土日の方が纏まった時間が取れるから読みやすいんじゃね。という考えからだったのですが、どうにも違うっぽい?ようです。
感想記事を投稿した土曜日はアクセス数が伸びましたが、翌日の日曜日はそこまででした。
そして投稿して二日後の月曜日ですが、日曜日よりも多くアクセスをいただいておりました(ありがとうございます)。
アクセス解析の項目は一ヶ月分の「アクセス数/日」と、直近二日間の一時間ごとのアクセス数が確認できます。
以前より認識しておりますが、当ブログは通勤時間と夜寝るまでの時間でアクセスが集中する傾向があるようです(ありがとうございます)。
考えてもみればそりゃあそうだし、他の方のコンテンツについてもアクセスの割合ってのは似たものだと思うのですが、たとえ休日だったとしても見たいと思っていただける内容を書かないといけないのだなと感じました。
もちろん通勤時間や夜寝るまでにアクセスしていただいている方々には感謝・沙羅魔都・好・嵐、申し上げる次第でございますが、ここから一歩先に行くためには休日も見たいと思っていただけるような内容を書かねばならぬ。
わたしでいうところの読書とギターのように、場所が関係するしないも理由だとは思いますけれどね。
やっぱり労働に向かう道中ではギターは弾くことができませんので、道中は読書に勤しんでいるわけですし。
ですがそこに慢心していてはいけないのです。
ゆんるりもがきながら面白いと思うものを書いていきまーす。
当ブログでは以前より「のべつまくなし携帯電話ばっかり触ってんじゃねえぞ!」と書いております。
上記しましたように通勤時間にアクセス数が増えていることを意識にいれたからってことではないのですが、なんというかここ数日『他所様の一挙手一投足を氣にしてらんねえな』と思っております。
表現が難しいのですが、「自分の人生を生きるにおいて他所様を氣にしてる暇ってなくね…?」と感じたのです。
他所様に目くじらを立てるような、そんな悠長な時間ねえぞ。自分の人生を生きないと時間なくなるぞ。って感覺です。
むずいっすね。
精進します。
さて、最後に目下の願望を書いてこの記事を終わりにいたします。
いい加減報われたい!金が欲しい!!金を寄越せ!!!清潔で健全なお金だ!!!!くれーーー!!!!!
みなさまこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
「なんか面白くなくなったな」と思われた際はご遠慮なく距離をお取りいただいて、どうぞご自身の人生を充実してください。
よい人生が送れることを応援しております( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )
金〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!