頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

氣の毒に…

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

先日労働先にいる〈年を食っただけの人間〉についてのお話を書きました。

floodinhead.hatenablog.com

 

今回はその〈年を食っただけの人間〉についての続報です(しょうもない人間の続報とか書きたくないんだよな…)。

 

ことはある日。

『その日は雨が降るのか』が話題として登場しておりました。

 

「なんか雨降りそうな天氣してる」「空氣も湿ってた」「でも天氣予報は晴れとなっている」などなどと場にいる数人で話し合っておりました。

 

そんな時、件の〈年を食っただけの人間〉が口を開きました。

「やっぱり自分が勝ち続けちゃうかあ 笑」

 

 

『うわぁ。』

思わず心にしてしまいました。

一応最低限の社会性を持ち合わせているつもりではありますので、流石に表情には出しませんでしたが心の中では目一杯顔を顰めて眩しがっていたことでしょう。

 

今思い出しても大変に氣持ちが悪いなと思います。一周回って笑い話ですらあります。

 

 

そもそも何に対して勝負をしているのだろう。

その日、わたしが出勤した時点では雨なんて降りそうな氣配は微塵もなく、「今朝天氣予報を見たら今日雨降るってあったんだけど、本当に降るのだろうか?傘持ってきたのが無駄になったら嫌だな」と話しかけられました。

天氣予報あるあるシリージで参考にするサイトによって予報内容が相違するというものがありますが、わたし自身がその日の朝に天氣予報を見た際は降雨するという予報はありませんでした。

 

そして数時間経過し、上記しました「やっぱり自分が勝ち続けちゃうかあ 笑」になります。

 

指摘箇所は色々あります。

1. 何に対しての勝ち負けなのだろう。

誰と闘ってんの?

 

2. まず天氣予報を見て判断したのであれば、勝負の土俵にすら立ててなくね?

天氣予報と真逆の行動をして自分の判断が合っていたのであれば勝ち負けの基準で判断してもよいのかもしれないけど、専門家に従ってるだけなのだからむしろ負けじゃね?

 

3. 勝ち負けを過剰に意識している時点で負けてね?

ずっと負けてきたという意識や負い目みたいなものがあるから、基礎の価値觀が勝ち負けなのではないか。もし勝者という立場があるのなら、それは勝ち負けの価値基準に縛られていない人なのではないか?

 

 

そして当記事の最初に貼っております記事にて『《自分は正しい》と信じて疑わない人は「これまで何も言われてこなかったから、自分の価値觀は正しいのだ」と思っているのかも?』という憶測を述べました。

あくまでも "もしかして" の範囲ですが、相手を言い負かしたりすること(所謂【論破】という行い)も『勝ち続ける』に計上されていたりするんですかね。

実際には「話しても無駄」だと判断されて、大人な対応をとられて相手にされていないだけ、なのに。

 

そして「 "見限られている" から意見すらされない」だけなのに。

 

 

き、氣の毒だなぁ…。。と思います。

氣の毒に思うと同時に、わたし自身もその方のことを相手にしていないので自浄作用よろしく「みなさま同じなんだなぁ」と感じます。

 

 

 

ちなみに〈年を食っただけの人間〉が口にした「やっぱり自分が勝ち続けちゃうかあ 笑」の発言を聞いた際、以前にも似た体験をしたことを思い出しました。

「ん?前も同じような人間いたな?」と思ったのです。

 

それは「神はいないって科学が証明しちゃってるからなあ 笑」と発言した、これまた〈年を食っただけの人間〉でした。

その人間も、尊敬なんてとてもできない、立場が自分の価値だと思い込んで威張りくさっている、そんな性格をしていました。

『うわぁ。』と眩しく顔を顰めてしまう対象の人間ですね(おまけにパワーハラスメント)。

 

 

これまで〈年を食っただけの人間〉や、そのような人間になりそうな生態を持つ方の各種と接する機会が幾度かあったのですが、なんというかそういう〈年を食っただけの人間〉ってなぜか『勝ち誇ろうとする』傾向があるように感じます(またここでも勝ち負けの価値觀が登場している)。

違った表現をするならば上下関係を明確にしようとする、という感じとでも言えるでしょうか。

 

‾\_(ツ)_/‾

 

ちなみに「神はいないって科学が証明しちゃってるからなあ 笑」の発言があったため『 "科學で説明されてること" を信じるってことは、科學が宗教になっちゃってんじゃん』という意見が生まれました。

ですが必ずしも神=宗教ではないので、論点は合致していません。

 

 

さて、先日の記事で件の〈年を食っただけの人間〉は齢五十四歳だということを自ら明かしていらっしゃいました。

そして上記しましたもう一人の〈年を食っただけの人間〉も、同じ世代だったと記憶しております。

 

世間一般で言われている括りを用いると、両者は《就職氷河期世代》というやつ(1970年~1983年生まれ)なのですが、これを考慮して考えると "勝ち負けに囚われているのも仕方ない" のかなと思います。

 

就職氷河期》とは文字通り就職が満足にいかなかった時代なのだそうです。

そんな時代では「就職ができた/できなかった」は、勝ち・負けと捉えても、そのような表現を当てはめられても仕方がなかったのかと思ったりします。

き、、氣の毒に……。。。

 

 

当記事二人目の〈年を食っただけの人間〉は、以前「少年ジャンプだけは譲れない」という内容の発言をしていたのですが、この《就職氷河期世代》はジャンプ黄金期(ざっくり1983年~1996年らしいです)と呼ばれる期間に思春期を過ごしています。

 

わたしは少年ジャンプのアンチをしておりますが、少年ジャンプという雑誌は読者からの人氣投票が全てらしく、作品として人氣でなければ打ち切られるというまさに真っ直ぐ真っ青な資本主義的価値基準で運用されているそうなのですね。

 

そんな読者投票ですが票を得るために効果的なことがあるそうで、それが何かっていうと『勝利を描くこと』らしいのです。


www.youtube.com

 

わたしが少年ジャンプアンチをしている理由は『努力とかそこらの当然のことを美化しているというぬるさ』などなど色々とあるのですが、すーぐに勝ち負けで解決しようとする短絡的で幼稚な判断基準に辟易とする、というのも理由としてあります。

そんな幼稚な価値觀がぱっと花開いた時代に多感な時期を過ごしたことや、《就職氷河期》という時代の惡夢に翻弄させられた結果、物事の判断基準が勝ち負けの価値觀となってしまったのかもと推察します。

 

とはいえ人生勝ち負けだけじゃねえだろ、ってのは生きてりゃあ氣付くもんだと思うんだけどな。これはわたしが《就職氷河期世代》ではないからってだけではないと思いますが皆様いかがでしょうか。

 

 

でも少年ジャンプが弱氣な方を慰めているのって、『フルメタル・ジャケット』がベトナム戰爭に従軍したアメリカ兵への慰労しているというのと似ている部分があるのかもしれない。

 

 

 

わたしにできるのは、「勝ち負けにこだわっている方」や「《自分は正しい》と信じて疑わない人」「年を食っただけの人間」に対して、決して相手にせず「さいなら…」と立ち去ることだけです。

これだけ同じような生態を持ったにんげんと相対するということは、わたしも同じ傾向を持っているということの証明だと思いますので、反面教師にして同じ穴の狢とならないように自律・精進するしかありません。

 

氣をつけます。

 

 

ちなみに雨は22時以降になってから降り出したくらいな感じでした。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )