本日もご訪問ありがとうございます。
昨今の労働ではAIさんの導入が顕著になっているようです。
単純作業やネタ出しなどで重宝されるみたいですね。
むしろ効率などの問題や他社競爭の面から鑑みると、現代ではAIさんを活用しないと会社自体が衰退していったりするのでしょう。
人間は怠惰な生き物。
人間とは樂ができるのならいくらでも樂をしようとする怠けた生物ですが、これからもAI活用は幅を利かしていくのでしょう。
何故ならば人間は不便を嫌うからですね。
AIさんの利用で樂を覺えた人間は、以前のように脳みそをこねくって考えるということをしなくなるでしょう。
その理由としては『便利なAIさんが全部やってくれるから』です。
自分がするのは面倒。
不便を感じる。
なのでAIさんにさせちゃおう!
という思考ですね。
しかしわたしは思います。
「自分で考えるのが愉しいんだけどなぁ」
確かに考えるという行為は脳みそを使うし疲れます。
でもそれが愉しいんじゃん、
自分であーだこーだ考えて「これか?いや違うかこうか??」と思考の粘土をこねこね捏ねるのが愉しいと感じるんですよね。
そういった行動をしていたら『〈ぼんやり抱えていた謎〉も突如弾ける』という経験が起こりますしね。
先日「これからの世の中において考えることは娯樂になる、って本当かよ?」ということを言及しました。
でも『「自分で考えるのが愉しいんじゃん!」と思っている、というその時点』で、『《あえてそれをするのが愉しい》と捉えている時点』で十二分にめちゃくちゃ娯樂じゃんって思いました。
そうか、わたしは【趣味:思考】だったのか。
考えろ考えろマクガイバー。
当ブログがその権化みたいなものですが、わたしは考察大好きな考察魔だったようですね。
Close To The Edge
~Yesさんのアルバム『Close To The Edge』は邦題が『危機』ですが、どうしてなんでしょうね。
最近『Relayer』を購入したのですが、持ってるアルバムだけでYesさんの音源についての感想記事とか書いてみてもいいかな、とか思っております。
実現するかは不明。
とりあえずいえるのは『Time And A Word』は結構好きで『Fragile』はやっぱり凄まじいということです。
~
今回はAIさん回です。
いんたねっとぶらうざで検索をしていても、検索結果の一番上にAI回答が掲示されています。
このAI回答ですが、検索した結果該当した色々なサイトの要約として引用されているみたいですね。
わたしは頭が硬いのでAI回答が登場した際は警戒しておりました。
最近は検索結果の要約ということで幾分かは警戒心が解けました(単純接触効果?)が、なるべく "検索結果のサイト" を実際に開いて見るようにしています。
その理由はAIの回答はAIの恣意が含まれている可能性もあるからです。
『AIは嘘をつく』という報告や『Google Mapが騙してくる』という事象、「名前に "Intelligence" という単語が入っているなら欺く知性もあるだろう」という陳腐な推論も由来していたりします。
人間は怠惰なので怠惰を貪れるものは貪ろうとします。
ということは検索結果のAI回答に対しても人間は「え、便利じゃん」と思って信用するでしょう。人間は不便を嫌いますのでね。
その信用した内容に恣意的な誤りや意図的な言い換えがあった場合はどうするのか、という疑問や危機感がわたしにはあるのです。
ほとんどの人間は『いんたねっとの内容は信じるに値する』と無意識的に思っているように思いますし。
あと、いんたねっとの検索は〈その人個人が行う〉ので、わざわざ自分の時間使ってまで調べた情報が嘘だったとか思うのが嫌だから信じようとするのかもしれませんね。
さすがに最近の方は「いんたねっとの情報だからといっても全て信じられるものではない」という意識はできていると思いますけれどね。
人間を支配したり制御するには不便感を煽って便利を提示したらよいのでしょうか。
その煽りと提示が同一人物だと怪しまれるので、分担がされていたりもするのでしょうか。
わかりませんね。
最近のわたくし
さて最後にわたしのことを一つ。
わたしはYouTubeに毒されています。
話し相手がいないため基本的にYouTubeを流しっぱなしにしているのです。
その際は携帯電話で再生をしているのですが、何か氣になる事象があったときブラウザアプリ飛ばずYouTubeのアプリ上で検索して悪魔のYouTube Shortsで知りたいことの動画がないかを調べています。
ブラウザアプリに移動しない理由は再生中の動画を途切れさせたくないから。
悪魔のYouTube Shortsで済ましたい理由は、ショート動画ならば今視聴している動画gすぐ再開されるからです。通常の動画だと広告をまた見ないといけませんし、それまで見ていた動画も開き直す必要がありますからね。
最悪です。
わたしも面倒・不便嫌い病に罹っております。
MAJIでこれは由々しき問題です。
本を読むだけの集中力がまだ残ってるというだけでも救いではありますが、そこに慢心していてはいけない。
慢心は停滞しか生まない。
現代人という大きな括りではなく、わたし個人の問題として意識する必要がありますね。
あぁ怖い。
「わからないことはなんでも検索している」ということは、『本当は何も知らない』ってことなんじゃないのか。
まあこの世で知っていることなんてなんもねえわな。
みんな『知っているという勘違いをしているだけ』だろうな。
無知は自覺が必要である。
傲らず精進します。
ありがとうございました( ¨̮ )

