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わたしは話が下手
わたしは話が下手です。
伝えたいことがあっても正しく伝わらないことが常です。
これは以前に何度も書きましたが、全部が全部わたしの話が下手なことが理由ではないと思います。
話者が話している最中に返答内容を考えるという狼藉を行う者がいるためです。
なので、わたしが話下手なのは事実としても責任の全てがわたしにあるわけでない。
半々くらいだと思っています。
その方が精神衛生的にも良いし。
さて。
わたしの話が下手な理由ですが、全てを話そうとしているからだと考えています。
『要点を掻い摘んで話す』ということをしていなかったんですね。
例えば「安部公房さんの本を読んだら、かくかくしかじかな内容が書かれており、それに感銘を受けた」という出来事があったとしたら、下記のような説明をしていました。
今安部公房って作家さんの小説を読んでいてこんな内容なのだけど、作中のこれこれこういう場面でこのように描写されていて驚き、感銘を受けた。だってそれは自分の引き出しにはない表現だったから〜…。
なげえです。
なーげえですよね。
今読んでいる本でこんな表現がされていた。自分には持ち得ない表現だったのでびっくりした。
要点を掻い摘んで話せば斯様になります。
作者名や話の内容ってのは別に省いてもよいんですよね。
相手から「なんて人の本?」と質問された際に返答をすればいいだけなのです。
さて。
わたしの〈仔細に説明をしたがる病〉についてですが、これが発症した経緯として我が身のことながら「自分自身の話を満足に他者に聞いてもらえなかったから」という背景があると考えております。
『わいの!話を!!聞いてくれ!!!』という欲求や渇望が潜在的にあるため、雑談とかでも「ちなみにわたしはこうこうなのですが〜」という部分を追加してしまうのです(でも考えようによれば、その渇望があるからこのブログが生まれたのだとも言える)。
よく揶揄されるところの「息を吐くように自分語り」をしちゃうということなのですが、こういうのは円滑な会話においていらねーんですね。
『要点を掻い摘んで話す』ことにおいて、真っ先に省くべき部分なのですね。
それが分かっていなかったのです。わたしは。
だからいらない部分を盛り盛りにして話し「結局何が言いたいの?」と言われ、言われずともわたしの意図するところではない方向に話が転がっていく。
まぁ当然っちゃあ当然ですよね。
言うなれば知らんうちに自分のエゴを全開にして話していたということになるわけですが、それに氣付かんと「会話って面倒くせえ」と宣い不満を垂れていたわけです。
未熟なばかりです。お恥ずかしい。
と、ついこの前まで「会話って面倒くせえ」と思っていたわたしですが、最近は会話に対してちょっとばかし意識が変わってきています。
明らかに相手の勝手な思い込み・勘違いで断定し糾弾してきたときは流石に「んもーーーっめんどくせーなー」とは思うでしょうが、なんというのか、会話というものに面白味を感じてくるようになりました。
〈会話に樂しさを感じるようになった〉とも言えるのですが、そうなるとわたしはこれまで会話に樂しさを感じていなかった。むしろ苦痛をすら感じていたということにもなるのかしら、と思うのですが、我ながら驚きました。
あ、ちなみにこのブログについてはあんまり要点だけを書こうと心がけたりとかはしていません。
そもそも当ブログはわたしの自身の脳みそ整理をする目的もありますし、要点だけを伝えるってのは会話や対話を行なっているときだけで良いと思っているからです。
とはいえ、氣が向いたら要点だけを投げつける内容の記事を書いたりもするとは思います。
ところで最近は向こう見ずで自己中心的な人の方が人生は樂しいのだろうな、と思います。
だからといってわたし自身がなろうとは思いませんけれどね。
多くの人間、理解したがり
ところで人間、理解したがりな側面ってあるじゃないですか。
『全く納得はできないけど理解はする』行動としてニュースでの事件報道ってのがあると思われますし、科學がこれだけ世界的に繁茂しているのも【理解したい】という人間の欲求を刺戟しているからだと考えています(【理解したい】の欲求を刺戟しているのは諸宗教もそう)。
この【理解したい】という欲求ですが、「一から十を説明する」ということよりも「要所要所しか説明しない」という方法の方が依存度って高いのではないか?と感じるんですね。
みなさまの周りにも「よくわからん人間」っていらっしゃるのであろうと思われますが、『あいつなんであんなことすんの…?』とはなんだかんだでその方に対して考えてはおりませんでしょうか。
〈よくわからない〉とは《理解する》の対極にあるものです。そのために【理解したい】の氣持ちが生まれるでしょう。それが好意的であってもそうではなくても。
『あいつなんでこういうことをするかな…。わからないな…。』という感情。これってどういうことかというと、自分の時間をその人に対して使っているということになります。
わたし自身性格の合わない人間のことを考えたりもしてきましたが、それって言ってしまえば自分の貴重な命を相手のために使っているということになります。
自らの行動を自覺したとき、わたしは思いました。
「すっげえ無駄じゃん」
そして同時にこうも思いました。
「でも "おいそれと簡単に解明できない人間" を自分で演じたら、それだけ相手様の時間を自分ために使わせることができるってことだよな」
ほら、不思議な人とか私生活が見えない人って何かと話題に上がるらしいじゃないですか。