頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

A=Bみたいなフレーミング

 

やっぱり思うんだけどさ、『〇〇=△△』みたいな設定をできるのが強いんだろうな。

 

そしてその設定が第一人者的なものだとなおさら強い。

 

ほら、ダイヤモンドの希少性だとかです。

 

人間を動かすには印象が重要。

わたしは『自分が考え付くことなんて他の方も思いついていて当然』と思っているのですが、どうやらそうでもないっぽかったりするのでしょうか。

 

 

またもう一つ思うのは、やっぱり一般的な人間様方の意見ってのはあんまり氣にしないでいいんだろうなということです。

 

「一般」と括られる方々ってのは、(これも再三申し上げておりますが)実はご自身ではほとんど考えていない。

 

報道で広告・宣伝されていることの受け売りというか、報道されていることのスピーカー的な役割を担っていることがほとんであると感じるのです。

 

なので時期が過ぎれば考え方が変わるし(時が経つと考えが変わるのは当然ではあるも)、『あの時はこう考えていたけど』を、どうやら覺えていないらしいっぽいです。

覺えていないということはその人自身で考えていないから(その人自身は自らで思考していると思っている)であり、その人の頭で考えていない意見を大真面目に受け入れる必要があるのか?と思うわけなのです。

 

ところでこの考えには『わたしは他の者共と違う』という大変ご立派な選民思想じみたものがあるわけですが、そのようなご立派思考があるからこそ救われる足元というのもあるわけです。

 

賢ぶった頭でっかちが莫迦を見るのは最高の娯樂?

 

 

どうすれば設定を浸透させられるのか。

新しい設定を正しいものだと受け入れさせるか。

 

 

 

ところでドレミファソラシってイタリア語なのですが「ソ」はSolと表記するらしくて、それを見ると「おお、イタリア語だ」と思いますよね。

 

 

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