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わたしのブログを以前よりご覧いただいている方にはお馴染みかもしれませんが、わたしは「やばい」という言葉が好きではありません。
「やばいというのは、野生の梅じゃないのか」とは某黒澤氏が話しておりましたが、わたしはそうは考えません。むしろ『そんな解釈があるのか』と思います。
考えの変化 ~わたしは使わないけど~
わたしが「やばい」という言葉を好まない理由はその曖昧さからです。
「それってさ、やばいよ。うん。やばいと思う」と言われても「八ァ〜、なにがどうやばいんかちゃんと言葉にしろ〜や。日本人の言語力低下!」と面倒臭いおじいさんかおじさんみたいなことを思っていました。
とはいえ、最近色々と考えも変わってきたりもしました。
万物流転。諸行無常。なんでもかんでも変わります。
「マァ使いたいんなら使ったらいんじゃね。わたし自身が使おうとしなければいいだけじゃんね。自分の価値觀を押し付けるのもよくないし」
少しばかり考え方が成長したのか、上記みたいなことを思うようになりました。わっしょい!
そんな殊勝なことを考えていても「現代人はどうやら『やばい』という言葉使わないと表現ができないようだ」などという意地惡な、側から見れば全く面白くない皮肉が浮かんだりします。
未熟ですね。
ある場面でも「やばい」という言葉が用いられていたのですが、そんな時に面白い考えが去来しました。
『やばい』っていろんな状況に当てはまるじゃないですか。
つまりは色々なものが対象となる曖昧な言葉であるわけです。
その "曖昧さ" が使い勝手がいい。
"曖昧さ"があるから色々な状況で用いることができるということですが、そんなことは以前に言及しました。
冒頭に書きました「それってさ、やばいよ。うん。やばいと思う」ですが、これって『やばさ』の《程度》が示されていないじゃないですか。
《程度》が示す表現としても、せいぜい「まじ」や「おに」とかでしょう。
程度の説明を省く、程度を "ぼやかす" と、程度の判断は受け取り手に委ねられることになります。
はっきりとした意図を持って程度をぼやかした場合、「やばい」という言葉一つで色々な作用がもたらされる可能性があります。
深刻に「それ、やばいよ」と言われた場合。
実態は十段階のうちの二 程度であっても『程度がぼやかされていること』と『深刻に言われていること』で受け取り手は十超えて百近く重大なことだと感じる可能性があります(意図的にぼやかされているため、上限が十であるということも受け取り手にはわからない。という技術ですね)。
実際よりも過剰に重大なことだと思い込んだらば、それはもう占めたものですね。おおよその場合で思うままにできるでしょう。
高額な商品を買わせたりもできるでしょう。
面白いですね。
この効果を発見したとき、思わずにんまりしてしまいました。
曖昧さに絡め取られませんよう…。
もちろんそこまで世間様は阿保ではないとは思いますし、そうだと信じたいですが案外世間様って阿保みたいでもあるからなぁ。
「やばい」という言葉の有効性に氣付いてしまったわけで、惡用すれば詐欺とかにも使えるわけですが、お氣をつけくださいね、皆様。
わたしが考えたということは他の人間も考えていることだということです。
『あ!いつぞやに変人がブログで書いてたことだ!』と思うことがあるかもしれません。あって欲しくないけど。
わたしはさっさと解脱をしたいので「やばい」で惡用ができるとしてもしません。ってか依然として「やばい」という言葉は意識的に使わないようにします。実生活上でとっさに出るときはあると思う。
ところで、「やばい」という言葉のその不安定さ?ってわたしが好んでいたところの〈ゆらぎ〉ってところじゃないのか?
わかんねっすね。
知らせる?どうする?どうするどうする??
これをお読みの方がどうかは不明ですが、わたしは都市伝説とか陰謀論とかそこらへんの話が好きです。
「面白いね〜」と、あくまでもエンタメで愉しんでいる "つもり" です。
あくまでも "つもり" ですので、はっきりと染まっていたら「あぁ、だめだこいつ」とでも思ってください。な。
昔の『奇跡体験!アンビリバボー』でオカルト特集回を見たことを記憶しておりますので、十歳くらい時分から好きなのでしょう。
今話題なところとしては七月五日があります。
これってあくまでも陰謀論を好む界隈で盛り上がってるだけだと思っていたのですが、「普通」のニュースとかでも特集されているんですか?MAJIで???
あと二週間とかくらい?ってことで陰謀論界隈ではモリモリ盛り上がっていますが、その特集番組である考え方を見ました。
「世の中は第三次世界大戰になっているのです。『戰爭はドンパチするもの』という価値觀は土の時代的なもので、風の時代は情報戰爭なのです」
ほぇ〜なるほど。そう考えることもできるっすね。
と思って、あることが脳の暗がりにぽわっと灯りました。
『戰爭=ドンパチ』という価値觀のままで留まらせようと意図しているとしたら?
令和の戰爭が情報戰爭だと "仮定" した場合。それが本当だとしたら。
情報は武器であるわけですが、情報の広告し合いが戰爭であるということが大衆認知されていなければ、知らん間に戰爭が繰り広げられていることになりますし、知らん間に終わっている可能性もあります。
いつの間にか我が日本國が侵略されて敗戰している可能性もあるわけです。
ある國からの芸能人が日本のメディアで活躍していて、その人が愛嬌よく好感が持てたら、その人の祖國にも興味が湧いたりすることもあるでしょう。
そういったことも総て情報戰の一環、と、考えることもできます。
あくまでもわたしの憶測ですけどね。
SNS広告
アメリカ國のドナルド・トランプ氏が当選し二度大統領をされていますが、当選できた理由はピーター・ティール氏やイーロン・マスク氏が陣営に居たからだという考えもあります。
どういうことかというと、SNSを使ったということです。
日本でも七月に選挙があります。
わたしが脳みそを侵されているところのYouTubeでもある候補さんの広告が流れています。
手法としてはトランプ氏が2017年くらいに行っていたので、なかなかに日本は広告方法が遅いなと思ったりしますが、さて、その候補さんは当選するのでしょうか。
ちなみにその方は完全無所属なのだそうです。
立候補者のSNS広告は無所属だからこそできたことでもあるのですかね。
広告の基本は、いかに多く目につかせて印象を無意識に潜らせるか、です。
閑話休題。
要は「それを知らせたことで自分が不利になる。それでも伝えるか」ってことですよね
風の時代が情報戰爭なのだとして。
意図的に「戰爭の形が知らされていない」のだとして。
皆様の想像しやすいことで喩えましょう。
皆様は人を管理をする立場にいます。
あることの仕様が変更になりました。
仕様変更は微細なものなので相手に伝えなくても良いです。
伝えるか否かは一人されています。
その場合、あなたは仕様変更を伝えますか?
別の喩えにしますね。
皆様は人を管理をする立場にいます。
あることで仕様が変更になりました。
実施された仕様変更は、ともすればあなたが損を被ります。
立場を追われることになるかもしれません。
その場合、あなたは仕様変更の全てを伝えますか?
あくまでもわたしの勝手な妄想でしかありませんが、後者の喩えみたいなことって往々にして起こっているじゃないかな、と思います。
それこそ昨今取り沙汰されているスキャンダルやゴシップ、告発とかって『知られたら不利になるから噤まれていた内容』が公になったから起こっているんじゃないか?と、"憶測" できたりするわけです。
どの程度を知らせるか、それとももはや知らせないか。
それで支配のしやすさが変わるんですかね。
ほら、税金のことって義務教育に組み込まれていないじゃないですか( ¨̮ )
おまけ♡
五公五民という言葉があるそうです。
學のないわたしは最近初めて知りました。
意味は『石高に対して半分、税として幕府に収めてね♡』ということなのですが、現代日本(令和七年)において國民の負担税率は47.5%です。
さて、五公五民の時のご先祖様たちはどうしたかというと、聞くに有名な一揆を起こしたらしいですね。
今の日本は『負担する税率が収入の半分の状態』で一揆を起こそうとする人間がいくらいるのでしょう。
算数の問題ではなく道徳や倫理の問題なのが面白いところですね。
ちなみに『五公五民』という言葉、教科書からも次第に消えていっているみたいです。
あらした( ¨̮ )
