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「鬱は甘え」という主張があるじゃないですか。
数年前に物議を醸した意見で、本日久しぶりにそんな主張を目にしました。
「鬱は甘え」という主張を見てわたしが思うのは『そんな簡単に言い切れるものでもないと思うよ』です。
わたしは数年前より "不用意に言い切るもんでもない" と考えています。
これは所感ですが〈言い切り型〉の発言をしている人って、わたしの個人認識としてあまり利口に映らないんですよね。
誰とはいいませんけどね。
ところで〈言い切り型〉の発言、この数年でより増大してないか?と感じています。
そんな〈言い切り型〉の主張や発言を見たとき、やっぱりわたしは「そんな簡単に言い切れるものでもないと思うんだけどなぁ」と感じます。
これは憶測ですが、そんなに簡単に言い切れるというのは「対象のもの・こと」を対して知らないからなんじゃないでしょうか…?
憶測ですが対象のものの【深度】を知らないから、それを "理解した" と思い込んで言い切ったりできるのではないか。と、そんな憶測を考えたりしm....
ッア!!(ク"a!)!!!!
これってダニング=クルーガー効果が関係してるんじゃね?
ダニング=クルーガー効果とは『少ししか知らないものほど知ったつもりになってしまう』という人間の心理効果です(だいぶ意訳はしています)。
つまり始めて少しの趣味に対して「もう全部わかっちゃった」と思っちゃう、あれです。
「鬱は甘え」と主張する方はダニング=クルーガー効果が影響して、そこまで知らないことを言い切って主張しているのではないか…?なんて思ったりします。
憶測ですけどね。ぺこちゃん。
あと生物の特性上、自分と相手や他人は違うため自分が対峙したうつ状態と他の人が対峙しているうつ状態とは必ずしも同じではない。
それこそ事象の深度が違うわけですが、そもそも『鬱は甘え』と主張されている人って「鬱病」と「うつ状態」が違うことはご存知なのか?とも思う。
言い切り型の主張ってのは、はっきりとしているので「何を言いたいのかがわかりやすい」ことによって広告効果が高いと考えています。
しかし〈言い切り型〉の発言や主張をされている方ってのは、どうにも頭が良さそうであったり利口そうには見えないんだよな、、。
『頭が良い』のではなくて『頭が良い風』というような。
これこそわたしの一考えでしかないのですけどね。
「え、それ発言してどんな影響が起きるのか想像できなかったの?」と思うことが多い。
自問して内省する余地はありそうですけどね。
〈言い切り型〉の主張が近年で増えているその理由、恐らくはインターネットやSNS文化による文脈や行間を読む能力が衰退したからだろうな、と考えています。
0か100かの極端な思考になりがちで、"それ" の背景に意識がいかない。
あと『発言者自身が安心したいから』かしら。
「〇〇をするやつは穀潰し!」という考えを固定させたらそれ以上考える必要がなくなりますもんね。
人間はどうやら樂をしたい動物みたいなので『こういった特定の場合は例外です。ちなみにこれこれこの条件が揃った時だけは〜』といった異例などは考えたくないのでしょう。
だから「〇〇をするやつはばか!穀潰し!」と言い切って安心したいのだと考えています。
でも世界ってそんなにデジタル的じゃないと思うんだよな、もっとグラデーションだって。
ちなみに『言い切り型の発言は広告性が高い』と上記しておりますが、その広告性を利用して "意図的に言い切るという立ち回り" もできると考えていますし、実際にそうしている方もいらっしゃるのだと思います。
でも言い切って炎上しても後の火消しが面倒じゃないのか。
ぺーこちゃん。
ありがとうございました( ¨̮ )