本日もご訪問ありがとうございます。
今回はちょっと触れにくい題材です。
ですが書きます。書きたいので。
- 言葉に覺えた違和感
- 差別と区別は同じ意味
- 実体験をひとつ。
- 公平と平等と。それと似ている?
- 知らないために勘違いが起きる? し、"知らないこと" によって知っていることを思い出す?
- 意識と行為
- おしまいに ~じゃんぴょんうさちゃん~
言葉に覺えた違和感
「差別じゃなくて区別だ」という意見・主張があります。
わたしには弟がいるのですが以前この意見を口にしておりました。
他人様がどのようなご主張をされていても勝手ですが、わたしはこの「差別ではなくて区別」という主張には違和感を覺えます。
今回の記事は『差別と区別の線引き』という題名ですが、結論として 《差別と区別とはほとんど同じ》だとわたしは考えています。
正確に表現すれば〈捉える場所と尺度の違い〉があるだけです。
差別と区別は同じ意味
差別と区別との違いを区分するため、それぞれの言葉の意味を考えてみましょう。
そして岩波書店の國語辞典で意味を調べてみました。
【区別】
それぞれの特性を元に分ける行為。
また特性の違いを認めて区分すること。
〜〜〜〜
それとこれとの間に認める違い。また、それをこれと違うもの(種類)として扱うこと
【差別】
それぞれ・個々人の特性を元に分ける行為。
また特性の違いから不当な扱いを行うこと、受けること。
〜〜〜〜
1. 差をつけてつけて扱うこと。わけへだて
2. 区別すること。けじめ。
他社製品と自社製品との違いを明確化したり区別する言葉として「差別化」という言葉もあります。
ですがこれは『〜化』というようになっており、若干言葉が持つ意味合いが変わってくると思うので参考にはしません。
実体験をひとつ。
このように明文化すると違いが顕著になります。
「差別と区別とはやっぱり違うじゃないか」とのご意見が聞こえてきそうですね。
ここでわたしの経験談を書かせていただきます。
わたしはアトピー性皮膚炎という皮膚疾患を持っています。
その昔、某黄色いM看板のファストフード店へ求人応募をしたことがありますが、そこではアトピー性皮膚炎を理由に不合格となりました。
「あなたがお客さんとして利用した時、店員が皮膚疾患を持っているとどう思いますか?」と採用担当者より述べられた記憶があります。
また別の場所ではアトピー性皮膚炎を理由に雇用解消となったこともありました。
「あなたのアトピーでお客さんからクレームが来たのでクビにします。感染るかもしれないので」
要約するとそのような理由です。
理性的に考えれば当然でもあります。
巨大資本の企業が従業員一人のために不利益を被ることはできません。リスクが大きすぎます。
たった一人のために大多数の信用を失う、ひいてはその結果に多くの従業員を削減しないといけなくなると損害が莫大・甚大となってしまいます。
理性的に考えれば当然ですね。
"理性的に" 考えれば。
しかし、理性だけでないのが人間というもの。
当然「感情」もあります。
企業側に立って理性的な考え方をすれば「アトピー性皮膚炎の人間を雇用しない」というのは【区別】になります。
しかし『 "アトピーを理由にして" 雇用の機会が与えられなかった』というのは〈不当な待遇〉であると捉えることができます。
〈不当な待遇〉を受けたということはそれは【差別】であろうとも考えられます。
今もまだ「その待遇、不当だろ」とわたし自身が思っている以上、多くの感情も混ざっておりますが〈不当な待遇を受けた〉=【差別】という捉え方は理性的、もとい公平な解釈であるかと思いますがいかがでしょうか。
このような経験から 《差別と区別とはほとんど同じ》だと考えています。
つまり「一方が区別だと捉えていても、また別の一方では差別だと捉えられることもある」ということです。
あ。
わたしは以上の経験を差別だと捉えていますが、もちろん雇用する側がわたしに求めている能力がないと判断した可能性は大いにあります。
わたしの能力はわたしの責任ですが、問題なのは『アトピー性皮膚炎を理由にしたこと』です。
公平と平等と。それと似ている?
公平と平等との違いを表した画像があります。
その画像は身長が違う複数人に『同じ高さの踏み台を与える場合』と『その人に合わせた高さの踏み台を与える場合』とが描かれています。
後者は複数人の全員が同じ目線の高さになります。
こちらでいうと、前者が〈平等〉で後者が〈公平〉です。
【差別】の話題を出す場合、どうしても人種問題がひっついてきます。
先人の皆様が褒められた行いをしていなかったからですね。
バスの例を出しましょう。
その地域にはハ民族とニ民族がおり、8:2 の割合でハ民族が多く暮らしておりました。
ハ民族がその土地で暮らしているところにニ民族が移り住み、今となっています。
その土地では地域バスが走っており、バスには各民族の専用椅子があります。
バスの座席は全部で20席あり、内5席はどちらの民族でも自由に座ることができる。
残りの15席のうち12席はハ民族専用、残りの3席がニ民族の専用席です。
はたしてこれは差別でしょうか。
難しい問題です。
なぜならば15×0.8=12ですので、民族同士の割合である 8:2 を基準にして分けられた席数だからです。
このようなことから平等であると判断もできます。
"ニ民族専用席だけ座面にクッションがなく板張り" とかであれば、不当な待遇と判断できるので差別たりえると思います。
たりらり。
ちなみにそんな専用席とか無くして全部自由席にすることが《公正》ってやつです。
知らないために勘違いが起きる? し、"知らないこと" によって知っていることを思い出す?
差別と聞けば黒人の方への差別が想起されます。
この差別に関してはヨーロッパ人が有色人種を奴隷使役していたという歴史があるからでしょう。
「奴隷を我々と同じ待遇にするのはおかしい。氣に食わない。いけすかない」と思って不当な待遇をしているのか、とか考えますが実際はどうかはわかりません。
なんたってわたしはその文化圏で育っておりませんし。
なら言及するなよ、というご意見をいただきそうですが、ごもっともです。
ある芸人さんが「日本人は差別をしてるんじゃなくて、黒人を知らないんだ」と評しておられましたが、それはあると思います。
「別に差別をしてるわけではなく、相手の失礼にならないように距離をとっている」というやつです。
もちろん差別をしている人もいらっしゃるとも思います。
あとその動画を見返して思ったのですが、黒人の方については『日本以外の國で差別された経験があるがために日本での経験も差別かと思ってしまう』というのもあるのかもしれません。
日本人は知らないものに対しては遠巻きから様子を伺う人が多いと感じます。
もちろん「知らないもの!知りたい!!」というような開けた方もいますが、多数派が黒人さんという〈知らない対象〉の様子を伺う、その様子が、受け手の経験から差別と判断される。ということもあったりするのではないでしょうか。
再三言いますが日本人でも差別主義者はいらっしゃると思いますよ。
人種差別ね〜。
昔白人と黒人の未就學児が再会して抱き合った動画を見たことがありますが、人種差別系については過去の記録が引き起こしてるんじゃないかと思うんですよね。
上の動画は未就學児なので人種差別の歴史も知らないと思うんですよ。
日本でも部落差別というものがありますが、それも記録があるから差別的感情が引き起こされるんじゃないのかって思います。
でも「知らなかった」や「不勉強」で差別の地雷を踏んでしまうこともあることも往々にしてあるみたいだしなぁ。
もちろん短絡的な考えではあると思いますが、その側面はやっぱりあるんじゃないのかとは感じます。
かといってキング牧師やマルコムX氏であったりと人種差別の問題に立ち向かった偉大な先人がいらっしゃることや、その運動や功績を無碍にしてはいけないとも思う。
もしかしたら「わてのことなんて忘れてもろてええのんで、黒人差別もとい人種差別なんて無くしてくれ。むしろわてのこと忘れることで人種差別が無くなるんなら積極的に忘れてくれ」と『魔法少女まどか☆マギカ』のまどかさんみたいな考えなのかもしれない。
知りません。妄想です。
うわ〜、、嫌な仮説思い浮かんだ。
差別感情が人間の持っている根源的な娯樂感情だったりする?
いやーまさかだと思いたい。
うっせえ、そういった感情を理性でどうにかするのが人間なんだろ?
いつも「動物と違って理性があるのが人間です」だなんて言って得意になってるもんな?
意識と行為
ちなみにわたしは〈差別意識〉と〈差別表現〉とは別のものだと考えております。
もちろん両者とも控えた方が良いものですが、正直なところ前者の〈差別意識〉というものは別に持ってもいい、というか持ってしまうのは仕方がないんじゃない?と考えてしまうのですね。
その理由というのも、誰でも差別的感情は無意識でも持っていると考えているからです。
もちろんわたしも差別的感情を持っていると思いますし、もっと無自覺なものもあるでしょう。
自分が持っている〈差別意識〉から行為として〈差別表現〉を出さなければ、最悪はいいんじゃないかと思います(「差別主義者」の多くはその発言からそう判断されると思いますが、《差別的発言》も〈差別表現〉です。あくまでも〈差別意識〉とは「自分の中だけで考えること」です)。
もちろん "意識から行動が起こる" ので「意識して意識しない」という意識・心がけは必要ですけどね。
なおなお、偏見と差別とは違いますが偏見から差別が引き起こされることはあります。
アトピーが感染るという偏見で解雇されたのが好例ですね。
あとは偏見から差別が発露されるのだとしたら、無意識的に考えている偏見、つまり常識を今一度自覺した方が良いのかも。
捉え方によりますが「いじめ」という事象とも近いのかも。
違うのは受け手の捉え方でしょうか。
【差別】は明確な理由(人種や身体的特徴、生活的・文化的背景など)から不当な待遇を受けること。
『いじめ』は流動的な理由(コミュニティの輪を乱す、「なんか〇〇だから」など)で不当な待遇を受けること。
『いじめ』については "受け手がいじめだと感じたら" という基準が強いと個人的に感じるのですが、【差別】についてはたとえ受け手が「差別だ!」と主張しても、あまり該当しないと感じます(わたしの認識が狭いのもあると思う)。
言語や文化が違う國へ旅行し「自國の常識が通用しない!これは差別だ!」と主張する方がいてもほとんどが取り合わないのと一緒です。
郷に入っては郷に従え、です。
おしまいに ~じゃんぴょんうさちゃん~
ということで今回は【差別】と【区別】には違いなんてほぼなくて、捉える側の尺度次第だぜ。言ったもん勝ちかもね。という内容でした。
なお今回の内容はあくまでもわたし個人の一意見ですので「いやぁ〜それは違うんじゃないかなぁ〜」と感じられることもあるだろうと思います。
別にいいです。
そもそも「差別と区別は違う」という意見を口にするのも誰かからの受け売りだと思いますし、弟の場合もそうなのだろうと考えています。
ここまで偉そうに書いてきたわたし自身も、碌に差別と区別の違いも分からず人様の受け売りで『差別と区別は違う』と口にしていましたし。
人は賢ぶりたい生き物だし賢いと思われたい生き物なのでしょうしね。
しーらね。
じゃんぴょんうさちゃん。
お好きに生きてください( ¨̮ )
Jumping うさちゃん。
『差別と区別はどう違うんですか?』とAIさんに聞いてみたり、今回書いた内容をAIに読ませてその感想を聞くのとか面白いかも。
ご自由に( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )
「差別感情が娯樂になる」ということは差別感情をエンターテイメントとして煽っている存在がいるのか?そんな邪惡な存在が本当にいるのか?と訝しんだのですが、なんてことはない。
対立をしている方が管理しやすいんだな。
