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觀ました『劇場版 鬼滅の刃 無限城編 第一章』!!

👇これまでの『鬼滅の刃』についてのもの👇
諸般の事情(金がない)により幾分かの時間は開きましたが、
とはいえ『鬼滅の刃』
通常、劇場公開から半年でDVDなどのソフト化となりますが、
流石にお正月映画までは食い込まないと思うし…。
しかし劇場公開後数日とかではないのに、
レイトショーにて觀たことと、
エンドロールで立ち上がって混雑を避けている方々も、
映画館で映画を觀る時って今後公開される注目映画が上映映画と觀
これまでの映画って〈客入り時間の上映予定時刻前十分間〉と〈
上映開始時刻から十五分間ほど館内照明は落ちず、
少し前に「
あるいは『鬼滅の刃』
ですがわたしが感じたのは『
照明が落ちると「お、いよいよか」と身構える、
『鬼滅の刃』はとても多くの想いと情報が込められているので、
「おや?いつもと違うぞ?
鬼は引きこもり
"五感" ではないからこそ
さて本編開始。
ちなみにわたしは原作未読です。
アニメ化からハマり、原画展に行ったくらいの知識です。
なので要所要所のネタバレは踏んでいます。が、この『鬼滅の刃』
とはいえネタバレは全力で避けてはいます。
柱稽古編は産屋敷邸の爆発で終わりましたが、
墓地?を歩く悲鳴嶼行冥さん。
そういえばあそこって産屋敷さんがよく参っていたところですかね
亡くなった鬼殺隊士が眠る場所。
悲鳴嶼行冥さんが産屋敷さんの発言を回想します。
「近々鬼舞辻くるっぽいから囮になって屋敷爆発するわ。
「ちょ待ー!なんでそう思う???」
「勘ついでに」と産屋敷さんは『鬼舞辻無惨は多分、頸斬っても死なへんで。
凡人たるわたしなんてものは「勘かいな」
「他の隊士達はわたしが囮になるのは了承しないはずだから、
ここで "なぜ産屋敷さんは悲鳴嶼行冥さんに計画を話したか" を感じました。
床に伏せる産屋敷さんは病に冒され、
一方、計画を聞く悲鳴嶼行冥さんは生まれつき盲目です。
両者とも視界という情報を塞がれており、〈五感〉
よく『視覺、味覺、嗅覺、触覺、聴覺の〈五感〉
その《第六感》が直感だったりするのですが、それつまり産屋敷さんが感じ取った "勘" です。
しばしば耳にするのは「視覺情報が塞がれると《第六感》が開く」
もちろん『鬼殺隊最強と言われる人物だから打ち明けた』
あと命をかけてまで為そうとしている覺悟は、
しかし悲鳴嶼行冥さんは盲目でありながら、
それこそ《第六感》で行動されているのか、
ところで悲鳴嶼行冥さんに声を当てている声優の杉田智和さんは、
悲鳴嶼行冥さんと真逆、
「声優さんって、す、、凄いなあ」としみじみ感じました。
列車的な舞台装置
場面は変わり無限城で翻弄される隊士達。
「縦横無尽でめちゃくちゃ」
『鬼滅の刃』という作品が日本においての《國民的なもの》
とある方が「無限列車編に比べてしまうと今回の映画は〈
しかし無限城というものが縦横に広がり続ける+
しかも物語序盤の炭治郎さんと冨岡義勇さんとが殺陣周りをする直
この『入ったら出られない』という列車的演出が原作からあったものなのか、映像化するにあたって追加さ
ですが原作からあったものだとしたら、無限城編が少年ジャンプの誌面にて
襲いかかる鬼を討ち、
この時に思ったのですが、
しかし第二の親のような人を亡くし、
みたいな。
あとこれは二回目の鑑賞時に氣付いたのですが、
修行の成果ですかね。
伊之助さんが登場して「修行の成果を出せるぜ!」
可愛い。
鑑賞にお集りの皆様も微笑ましく思われているようで、この時は空氣
『産屋敷さんの死去』という出来事に鬼殺隊士は怒りの感情を覺え
怒りは緊張であるため、
演出の妙です。
働き者の手
無限城に囚われて落下する甘露寺蜜璃さんと伊黒小芭内さん。
両者腕を伸ばして互いを摑もうとします。
「あー上手くいかずに離れ離れになりそー」
この時に【握り合う手と手】が描写されるのですが、この手が『
"手は表情ほどに感情を表現する" と感じるほど、手は豊かに感情を描写することができます。
甘露寺蜜璃さんは女性、伊黒小芭内さんは男性であるので、
甘露寺蜜璃さんが女性の手をされている描写が過去にあったかどう
甘露寺蜜璃さんに襲いかかる鬼を薙ぎ倒し「甘露寺に近づくな。
ちなみに炭治郎さんは建物の縁に手をかけることが出来ず冨岡義勇
今回の内容は対比がよく描写されている。
鬼も病んでる
「縦横上下前後に空間が広がっている」
この〈内向き〉というのは「
また「縦横無尽に空間が広がり続けている」
つまりは外の世界を遮断した自己完結の世界で籠っているというこ
あと鬼って寂しがりや?あと臆病??
つまり、鬼は病んでいるのではないでしょうか。
別に病むことは悪いことでもないですし(
わたしも数年間塞ぎ込んでおりましたし。
ただ鬼の方々はそれが善と、
なんでもそうだと思いますが『過剰さは不安の表れ・裏返し』
病んでるならゆっくりでも付き合ったらいいんじゃね。
暗喩的(むしろ直喩)
無限城内で一際大きい建物が映し出されます。
胡蝶しのぶさんがその建物へ入ると、そこは上弦の弐・
胡蝶しのぶさんは童磨さんの姿を一眼見て、
日輪刀を折られてまで闘った、その相手です。
部屋には水が張られており睡蓮が咲いています。
睡蓮の花言葉は「信仰」
ここで童磨さんの出自が回想されます。
童磨さんは生まれついた容姿により、幼少期から〈万世極樂教〉
ご両親から『特別な子』
実際に童磨さんの家庭のような事例もあるらしいですし。
そんな年端も行かない頃から役割として機能させられていた童磨さ
ところでこの部屋、前述の通り一面に水が張られています。
そんななので「蚊がすごそうだなぁ」
胡蝶しのぶさんは蟲柱であり、繰り出す技も蜂と蜻蛉、
蚊も蟲だけど、
それはそれで思考放棄
童磨さんの回想にて「なぜ神や仏は存在せず、
はい。
言いたいことは分かるのですが、なぜ『神はいない』
ちょっと難解な考え方になりますが〈無い〉
なので『有るわけがない』『絶対に無い』は『存在する』
もちろん、神であったり仏などの存在は目に見えず "所謂神然としたもの" ともわたしは出会ったことがありません。
確かにそういったことから神は概念や觀念といったものと捉えた方
しかし、だからといって「神なんていない」
『神は見たことないんで、存在するかとか分かんないっすね』
なので「神は人間が考えた嘘っぱち」という童磨さんの価値觀は、
また童磨さんは物質面に価値觀が偏り過ぎているように感じます。
仰る通り、人間もとい生命は命が尽きると朽ちます。
色々な生命の力をお借りして土へと還ります。
しかしその土はやがて草木を生やすこともあるでしょうし、水を濾過する機能を有することもあります。
思考する人間、
わたくし、生物の本質とは次への橋渡しだと考えているのですが、
人が死んでもその人とした会話は覺えてたりするものですし、
その継承の形として古典というものがあると思われますし、
あんまり物質面だけ見て「人は死んだら終わり、
あと自身が宗教教祖として活動する以上、
とはいえ童磨さん自身は当人が自称しているとおり頭が良い部分もある人だとは思いました(
不足感、劣等感
童磨さんと相対した胡蝶しのぶさん。
実姉の仇であることを悟り猛攻を繰り出します。
格好良かったですねー。
基本わたしは戰闘に興味がないのですが、
童磨さんを建物の天井へ突き刺す場面は一枚絵としても美しい。
しかし童磨さんの方が上手。
お姉さんの仇撃ちの想いを果たせず、
流石に完結済みの作品ですし原画展に行ってもいるので童磨さんが
それはともかく童磨さん腹立つし非常に氣持ち悪くて不快。
『戰闘においては冷静さを欠いた方が負ける』なんて聞きますが、
胡蝶しのぶさんが自身の背格好に劣等感を抱いていることを目敏く
こういった〈相手の劣等感を刺激する〉という行為は、
相手が氣にしているところを追求し『
しかし『たとえ〈相手の氣にしていること〉に氣付いた』
柱稽古編にて岩柱の悲鳴嶼行冥さんが産屋敷さんのことを「
童磨さんと産屋敷さんは全く相いれぬ真逆の存在に思えますが、
〈相手の氣にしていること〉を追求するか、受け入れるか。
この分岐は自分本位か相手本位かで分かれます。
言わずもがな前者は童磨さんであり、
一方で後者は「別に劣等感を感じることすらも『その人』
ちなみにこの劣等感や不足感を植え付けて利用しているのが、
んでそれを増幅させたのがこれまでの少年ジャンプ作品。
「もう少し背が大きければ」
嘆く氣持ちは確かにわたしも身に覺えがありますが、
どこかのビーグル犬が「配られたカードで勝負するしかない」
まぁその覺悟になるためには嘆くことも必要だったりするのですけ
嘆くのも覺悟を背負うのも、《受け入れる》
ですが『嘆く』
悲劇に見舞われて悲嘆に暮れ、
最後の最後まで味方であるべき自分自身が、
人間ですから嘆く時間は必要不可欠だと考えています。
その時間の長さや深さは人によって違うとも思っていますが(
世界は悲觀的に演出した方が儲かるし、
あと不思議なもので《自分が不足感を覺えたこと》
そりゃあ人生は分岐の連続ですから当然だとも思いますけどね。
とはいえ、これらをお読みいただいて「
うるせーよ!分かるわけねえだろうが!
てめえの人生、
感情ってのは財産だよ。
冨岡義勇さんも「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」
ちなみにわたくしも恥の多い全く愚かな人生を浮樂浮樂と生きてま
データ取りですよ。
ところで数年前に『
その時にもやっぱり「どうして "いない" なんて言い切れるんだろう?」と不思議でなりませんでした。
余命幾許もない状況で宗教的なものに出逢い、
わたしはこのように思いますが、
あんまり言い切るもんじゃないと思います。
言い切るのはその考えに対しての不安感(
あともちろん大前提として詐欺はいけません。
自分が嫌だったことはしない
身体の各所を痛めつけられ、
この時に「悲鳴嶼さんがいてくれたら」と考えていらしたので「
そりゃあ死に瀕した際に助けを求めたくなるのも納得です。
『自分のしあわせは永遠に続くと思っていたけど、
『自分がされて嫌なことは人にはしない、ができない』
胡蝶しのぶさんは強い方だなあ、と感じました。
「自分がされて嫌なことは人にはしない」とは、
ですがどうにもそれができていない人の方が多いというか、
考慮すべきは「昔は『自分がされて嫌なことは人にはしたくない』
記憶とは必要に沿って処分・整理されるもので、
考えすぎの類ではあるでしょうが、
ここまで超根源的な道徳を説いている作品もそうそう無い、
本当に素晴らしいなと思います。
日輪刀の鍔
やっぱり童磨さんは好きになれない。
自分本位で、
なんというか「
つまり『考えているふりをして、その実、
いえ、人間は見知ったものでしか認知・
人には思い込みや《感じたことを正しいと思おうとする心理作用(
しかし童磨さんは腹立たしいですね。
どうしてそうも感情を煽るようなことをいうのだ。
と思いましたが、
資本主義的価値觀ですわ、ホホホ。
目に見えてわかりやすい宗教だけでなくとも、
そういった意味合いでは童磨さんは宗教教祖としては優秀なのかも
鎹鴉さんより胡蝶しのぶさん殉死の報を聞いた炭治郎さんと冨岡義
言葉は発さずとも衝撃と混乱、落胆していることが見て取れます。
この場面で注目したのは炭治郎さんが携えている刀の鍔。
この鍔は『無限列車編』
こちらの鍔、
炎が燃え上がる向きになっている場合はその人自身が心を燃やして
「帯刀して走っていたからでしょ」と考えることもできますが、
ちなみにこの鍔での心理描写は今回の映画で幾度も描写されます。
根っこのない大木は無い
責任を背負う
人は変わって我妻善逸さんの闘い。
鬼の遠隔攻撃によって無限城に落とされた時から落ち着いておりま
落ち着いているっていうか怒りを抑えている感じ?
その理由は兄弟子の獪岳さんが鬼殺隊士から鬼に寝返ったことと、
【柱稽古編】
獪岳さんを前にした善逸さんが「切腹を行う際に介錯を付けずに一人で亡くなった!」
介錯とは切腹を行った人の、主に頸を落とす役割を担っております。
その理由として腹を斬っただけでは容易に絶命ができず、
切腹の際に介錯を付ける理由は「
切腹を行う、という行為と覺悟。
贖罪の意思表明が重要(ただし死ぬ)ということですかね。
こちらを原画展にて見て以来、
いくら仕事として介錯をしていたとて、
人を殺めるという業を他者に背負わせるわけにはいかないという考
利己主義の終焉
善逸さんが激昂をして叫んでも兄弟子の獪岳さんは知らぬ存ぜぬ我
獪岳さんの意見としては以下のようなものでした。
- 善逸さんという落ちこぼれと抱き合わせで雷の呼吸の継承権を授け
たことが氣にくわない。 - 弱者は奪われて然るべき。弱者であったのが全ての理由。
- 自分を正しく評価しなかった人間はどうなろうと、
そんな人間が死んでも知らないし、むしろ当然である。 - 自分が鬼になった理由は自分の能力を正しく評価したからだ。
この意見を聞いていて、特に最後に書きました『
獪岳さんの意見を全て否定するわけではないですし、
実際に赤い大国や青い大国の企業に人材が引き抜かれている事例も
こればっかりは不況が起因していたり政治的な國家運用が理由にあ
が、『〇〇が全ての元凶である』
【原因】と【結果】の間には《過程》が存在しますからね。
江戸と大坂の間には関ヶ原があることは無視できませんでしょ。
〈自分を正しく評価してくれる組織に移る〉
利己主義というのは簡単にいえば『
【利己主義】を身近なものごとで喩えてみましょう。
・自分が作った技術等を同僚などに横取りされ、
横取りしたことを咎めると「
・ゴミが出た。
近くにゴミ箱もないので道に捨てた。
理由は手が汚れるし片手が塞がるから。
・旅行者が歴史的文化のあるものを削ったり落書きをした。
「思い出として欲しかった」
「自分が来たことを誇示・保存したかった」
・転売行為で稼いでいる輩
このような利己主義や自己責任論が平成頃から跋扈しておりました
売れる云々については広告でどうとでも煽動できるとは思っており
ここまでの人氣には時代の潮流、
鬼の価値觀は利己主義で物質的な、ヨーロッパ的なものですが、
資本主義は富を生むけど貧富格差も生む。
その様な思想の加速によって生じる必然的な軋轢を敵役に配置して
大衆の共感が理由なのか、その作品は歴史的な快挙を挙げている。
それらのことから「
ところで獪岳さんの声かっこいいですね。
「いい声してるなぁ〜」と思いました。
攻撃性に隠した劣等感と羨望
獪岳さんは善逸さんに対して非常に強い劣等感を感じておられる様
そしてとても強い羨望も。
獪岳さんは善逸さんのことを落ちこぼれと責めます。
その理由は善逸さんが雷の呼吸の壱ノ型しか使えないから。
善逸さんご自身でも以前にそちらについて言及していたように思い
それこそ劣等感ですね。
しかし善逸さんを『壱ノ型しか使えない落ちこぼれのカス』
ほらほら、そんなに煽らないの…と思います。
獪岳さんが善逸さんに対して強い劣等感を感じている理由、
自分が習得できなかった壱ノ型を習得している存在に強い憧れと劣
⇒イソップ童話の『すっぱい葡萄』と同じ理屈で《
方々で言われますが攻撃性とは臆病の裏返しですから(自戒)(
壱ノ型だけ使えないために劣等感を覺え、
兄弟子に対しての陰口を許せなかった善逸さんは上の位の隊士を殴
よぉく考えよう。基礎は大事だよ。
挙句、獪岳さんは「基礎がなんだ!
これはね、違いますよ。
わたくしごとで恐縮ですが、
それだけの期間取り組んでいれば、
理由は単純に「つまらないから」
「じゃあやめたらいいじゃん」
『食事を一切せずに生きてください』
『一生寝ずに天寿を全うしてください』
などと依頼されても「それはちょっと無理な相談👋」
そんな【生きる理由】たるギターですが、
〈生きるためにしている〉のに《自己否定が加速される》
ですがまぁ理由は判明しているわけじゃないですか。
なので基礎を練習しました。
避けていたことってのはいずれ対峙せざるを得なくなるものみたい
ギターの基礎練習でごく一般的なのはメトロノームを使ったクロマ
練習過程は今回の話では必要ではないので省きますが、
反復に次ぐ反復をすることで技術が身につくわけですが、
目に見えてギターが上手くなりましたし、
樂器は求道だと思っているので死ぬまで勉強となりますが、『
とんちか何かに聞こえてしまいますが、
それを努力と呼称なさる方もいらっしゃいますが、
"好きこそものの上手なれ" なわけですから、
あと別に好きなものでなくとも、
全く異業種の超一流が対談しても話が通じるというのはそれが理由
その境地を至高と呼ぶのか真理と呼ぶのか禅と呼ぶのかは人それぞ
至高の果てまで。
といった自身の経験から獪岳さんの意見は微笑ましく思いました。
基礎を軽視する人は一角の存在にはなれません。
基礎とは根っこです。
根っこのない大木なんてものはないのです。
教育方針と復讐と
あとこの善逸さんと獪岳さんの戰闘は「苦手を無くそう」と「
スペシャリストとゼネラリストなんて呼称されるらしいですが、〈
前者のスペシャリストが善逸さん、
戰後教育では平均教育が推奨されておりますので、
しかし平均教育って全ての要素をできるだけ平均値に近づける教育
納期が決まっているため全てを平均値に持っていく必要があり、
それに対してスペシャリスト。
スペシャリストを別の尺度で解釈すると『
「これやって」との要求に対して「
俯瞰して見ると非常に面倒な存在ですが、
ゼネラリストを納品することが推奨されている社会では落ちこぼれ
一つのことしかできないのですからね。
わたしもこっちです。
ところでこのスペシャリストとゼネラリストの攻防?
陰キャと陽キャとかいう下らない仲間意識の括りがあるじゃないで
すごく狭義で言うと複数人で過ごすのが好きか、
しかしオタクやnerdと呼ばれ揶揄される人にはスペシャリスト
何故だかオタクやnerdと呼ばれる方は陽キャとされる方からの
これって最高にthat's cool!な復讐だと思うんですよね。
にやにやしちゃう類のもの。
漫画家さんだけに留まらず、
ゲーム機器やソフトの類もそうです。
おもろい( ¨̮ )
ここで大事なのは「スペシャリスト=陰キャと言われている人 ではない」ということで、なおかつ「
とはいえ、〈揶揄したりからかって来た人の派閥〉
善逸さんと獪岳さんの闘いは《
「そりゃあ主人公側なんだから善逸さんが勝つでしょう」
ちなみにこれを言ったら本末転倒かもしれませんが、
ゼネラリスト育成教育で合わなかった人は必然スペシャリストにな
人には向き不向きもあります。
適材適所という言葉もあります。
ギターが弾ける人が周りにいなくて、
ある場所では異端でも環境を変えれば一般になるのですよ。
補い合う。
獪岳さんが鬼になった理由の一つに〈雷の呼吸〉
呼吸の継承権は通常一人にだけ与えられるのですかね?
その継承権を善逸さんと獪岳さんと二人に与えた、
自身の臆病と憧れに蓋をする為、
しかし恐らくですが〈壱ノ型だけ使える人〉と〈
獪岳さんには焦りと共に自身の弱さを認めるということを恐れてい
ギターの基礎練習で學びましたが、
育手の桑島さんは『自身の欠点を認め、他者を尊重する。その上で "できること" と "できないこと" を補い合う様になってほしい』
そしてその願いを慮ることも含めて成長。
自身の弱さと向き合わなかった獪岳さんが招いたことなのでしょう
が、愈史郎さんそんなに煽る必要あった?
一つのことを極めた善逸さんが自身の型を編み出したそうですが、
あと自身の攻撃で落下していく善逸さんを見ている時に獪岳さんが
考えろ。
考えろ、考えろマクガイバー
善逸さんの仇撃ちが終わり炭治郎さんの場面へ転換します。
ふと思ったのですが、
負け続きだとどうしても氣が落ち込みますもんね。
ですがこれは〈一本の映画〉
連載時は胡蝶しのぶさんの殉死から善逸さんによる獪岳さん撃破まで何
なので「ふと思ったこと」は考えすぎです。
わざわざ構造物を破壊してまで猗窩座さんの方から出向いて来てくれました(骨が折れなくて助かる)。
煉獄杏寿郎さんの仇を討つため、『あの頃とは違う』
「腕を斬れ。ここで斬れなければ頸なんてきれない!」
そこで冨岡さんも加勢し、すっごい戰闘へ。
鍛錬を重ねて確かに強くなった炭治郎さんですが、
鍛え上げられた攻撃に防戰一方の炭治郎さん。
この時、炭治郎さんは猗窩座さん撃破のために「
前述しましたが、「
何故ならば考えなくていいから。
実際、
AIの発展などがそうですが、"考えを辞める" というのは〈相手(あるいは誰か)の言いなりになる〉
対猗窩座さんとの戰闘で《思考を放棄する》とは、即ち【死ぬ】
炭治郎さんがこの戰闘で命を落とすと煉獄杏寿郎さんの仇も討てな
なんとか劣勢を脱せないか、
自分よりも格上の場所に身を置く
無闇に刀を抜くことも命がけの手合わせをすることも好まないらし
自身が久しぶりに対峙した圧倒的強者の猗窩座さんとの撃ち合いで
そして痣が出現。
猗窩座さんとのすごい格闘を繰り広げますが、
『自分が成長するために、自分よりも格上の環境に身を置く』
実際これはとても成長に繋がります。
だって〈自分が住んでいた世界の当然〉とは領域が違うというか【
自分よりも格上の環境に身を置くことで格上の常識が自分自身の身
あ、そういえば獪岳さんは上弦の壱・
圧倒的強者と相対した時に、ひれ伏すのか立ち向かうのか。
闘氣
「なんで見えてへんとこからの攻撃やのに防がれるんやろか。。てか闘氣ってなんやろ…。。
【遊郭編】の後に蝶屋敷で共に療養した伊之助さんとの会話です。
「なんで死角からの攻撃避けれたん?ばり凄ない自分?」
「せやねん。わて凄いねん。
「ばばあじゃなくてお婆さん!」
〜〜〜〜〜〜〜〜
「そういえば伊之助が似たようなことを話していたぞ…。
伊之助さんが話していた『殺意』や『攻撃意思』を猗窩座さんは【
その【闘氣】
炭治郎さんはその様に推測しました。
あるでしょうね。
一つのものを極めた人は常人の理解から外れていますからね。
あと猗窩座さんは武道の達人じゃないですか。
"道" とは求道なので到達するのはそう易いものではありませんが、
そういう方なので何百何千と想定の戰闘と実戰を繰り返し、鍛錬を行ってい
なので「想定外のこと」
身近なもので喩えると「
鍛錬を続けろ
もうひとつ。
その時に避けることができた理由を考えた炭治郎さんは過去の記憶
それは今は亡き父、炭十郎さん在し日にした会話です。
「お父はんってなんであんなに長く神樂が踊れるの?疲れんの?
「せやな〜、最近は不思議と全然疲れへんねんな。
でもま〜、あれやな。
ちょっと超共感するんですけどー!!!
作者の吾峠さん何か一つのことを極めたことございます????
基本的になんでも反復となりますが、
『さっきまでできなかったことが今回はできた。どうしてだろう?
お神樂さんを踊ることについて、炭十郎さんは続けます。
「なんでも繰り返しや。
この《反復を繰り返すことが重要》
けんけんぱという遊びは親きょうだいが幼い子どもたちに教え伝え
また炭治郎さんと炭十郎さんとが話し合っている時に作成している
作成する姿を見ても分かる通り草鞋は藁を繰り返し編むことで完成
歩く為に用いるものです。
これらから分かることは「繰り返しが重要」と「
無意味と思えることでも、
〈やってる意味のないことが大切〉ということです。
またまたわたくし事で恐縮ですが昨日ギターの練習をしていたので
ギターなどの弦樂器は各弦の太さが異なることで和音を響かせたりするこ
太い方が大きい音が鳴るのですが、ということは『
単純な理科の話です。
どうしてこんなに単純なことに氣付かなかったのでしょう。
十九年目にしてそんな初歩的なことを知りました。
そこに氣付けなかったわたしはヘタクソです。
脳みそが雷に撃たれたかの様な衝撃と共に、
ですので弦によってピッキングする際の強さを変える練習を始めま
すっっっごく難しい。
愉しい!!!!!!!!
それなりにギターを弾いてきた身ですが、
しかしまあプロとして演奏されてる方ならばこの程度は誰でもされ
あとピッキングの際に「指の腹を意識するのか、
『透き通る世界』
炭十郎さんから透き通る世界の聴いたのち。
炭十郎さんが死去する十日前。
山で熊が出るという噂が流れていたそうです(
炭十郎さんが床に着いていたところ、
同じ部屋で寝ていた炭治郎さんを起こし、外へ連れ出しました。
深雪の森を進むと、でっけえ熊がいました。
月の輪熊さんですね(
成人男性の二倍くらいある背丈にすっかり驚いて腰を抜かしてしま
一方のお父さんの炭十郎さんは冷静で「
しかしくまさんはくまさんの言語を持っている為に人間の言葉は通
炭十郎さんに襲いかかりますが、
炭治郎さんは回想します。
「あれは父による最初で最後の看取り稽古だったのではないか」
恥ずかしながらわたしは學がないので看取り稽古という言葉を初め
調べてみたところ〈手取り足取り教えるのではなく、
「
「実際、
透き通る世界の存在を肌身に感じた時、
脳みその中で縦横に移動している光はシナプスだと思うのですが、
これはおそらく映像化によって追加された部分なのではないかと思
ゾーン
少年漫画作品、
わたし戰闘要素にほとんど興味がないので、
ですが今回猗窩座さんの戰闘を見ていて「
主にスポーツの業界でよく耳にしますが〈ゾーン〉
これは一つのものごとを突き詰めた人だけに訪れる境地と言われ『
猗窩座さんは武人として達人の域に到達している方だと感じるので
『氣分が動転しやすい方が【特定の行動】
こんなことを思いつくだなんて思いもよりませんでした。
もしかして《技名を呼称する》
無意識のうちにしている癖はその人を安心させたり、
しかし無意識ではなく意識的に行ったことの方がきっかけという意味では
武人への敬意
「闘氣ってのを察知することで死角からの攻撃も対処してるのか?
猗窩座さんの秘密(秘密?)を推察した炭治郎さん。
「この仮説が正しいんなら闘氣消したら近づけるんじゃね?」
この推察は正しく、
そんな状況に大層驚く冨岡義勇さん。
『そのまま鬼の頸を切れ…!』と願いますが、当の炭治郎さんは「
原作未読勢なので漫画での表現がどの温度感なのか不明ですが〈
そして憶測ついでにもう一つ憶測を披露しますが、
"背後から切り掛かる"
つまり不意打ちに対して、
【無限列車編】
突然背後から宣言をされ、驚き隠せない猗窩座さん。
「ちょ待ー!!なんでワイが氣配悟れんかったん??
この映画内では初めて余裕のない表情をされていました。
「赤子ですらうっすらとあった」と言及していた闘氣、それを無くした炭治郎さんにひどく動揺する猗窩座さん。
全く異質な存在になった炭治郎さんに猗窩座さんは頸を切られました。
しかし負けを認められない猗窩座さん。
すっ飛びそうになる頭を押さえて、頭と頸とを再びくっつけようとします(往生際が惡い)。
その往生際の惡さ(理由は明かされる)に圧倒されるも「好機逃すまじ」と冨岡義勇さんが自身の日輪刀を投擲し、猗窩座さんの行いを阻止します。
これ、わたしゃ二回目の鑑賞で氣付いたのですが、これも対比なのですよ。
冨岡義勇さんの日輪刀は猗窩座さんによって折られています。
物語の前半部分で花柱・胡蝶カナエさんが亡くなった際、傍に置かれていた日輪等は折られていました。
しかも相手にしていた上弦の鬼である童磨さんは討つことができませんでしたが、同じく「柱、日輪刀が折られている、上弦の鬼が相手」という状況で、対猗窩座さんとの戰闘では撃破することができた。
これって柱として、一隊士としても報われるということになるのではないでしょうか。
おそらく胡蝶カナエさんの最後を冨岡義勇さんは存じていないと思いますが、これこそ鬼殺隊が、そして産屋敷さんが永遠だと表現しているものなのではないかと思います。
継承です。
ちなみにこちらの対比は二回目の鑑賞で氣付きました。
「!!〜〜〜!!!!!〜!!!」と驚きすぎてもだもだと悶えていました。
觀念を放した世界
あと個人的に『透き通る世界』というのは《觀念》
猗窩座さんは「闘氣」
これはわたしが勝手に考えているだけですが、"真の肯定" とは拒否も否定も、
『ただ受け入れる』というか。
「存在している」ということは、
という考え方です。
なので猗窩座さんが認識している所の『闘氣』
別の表現をすると《自分の常識を取っ払えたから次の次元に行けた》ということです。
敵は知に潜んでる。
回想
罪を憎んで人を憎まず
冨岡さんによる「炭治郎を倒したくば、この俺を倒してからにしろ!」という発言により『
奉行所で折檻を受ける生前の猗窩座さん。
猗窩座さんの身体には特徴的な模様がありますが、
お奉行さんが「
い、威勢が良いな…。
生前の猗窩座さんが盗みを繰り返す理由、
「藥代が高いんだよ」と口にしていましたが、
折檻から帰宅すると父親の世話周りが始まりますが、
あの様子だと寝床も煎餅布団でしょうし横になるだけでもしんどい
そしてこの描写はヤングケアラーさんのことですよね。
近代以前の日本では病氣がちな親を介護するという描写は色々な作
現代日本でも実際にヤングケアラーさんはいらっしゃるのだと思いますが、巧妙に被されていたりするのでしょうかね(資本主義は『反応のいいもの』だけを取り沙汰しますから)。
生きるために犯罪をするというのはいつの時代もあることでしょう
もちろん犯罪を行うことは褒められた行為ではありません。
しかし生きるためという命題、
ですが〈生きるということ〉を全うするために "あまり褒められた行為ではない
同じ境遇にいない人間が「だとしても犯罪は良くないよ」
『〇〇は良くないから廃止しましょう!』と声高に主張するけど、
そんな猗窩座さんが父親のために行動して帰ってきた時、
しんどい。
父のために行ったことで結果的に父が自死を選ぶ。
父親自身は自分が理由で息子が盗みを働いたり痛めつけられている
息子は「自分の苦労は?これまでの介抱は無駄だったの?」
やりきれないです。
辛いですね。
お父さんのお墓を前にして「
そしてこの言葉は現代社会を生きる多くの方々の感情でもあるでし
これはこれで短絡的な考えなのだろうとは思いますが、
お父さんを亡くした猗窩座さん(狛治さん)は荒れます。
荒れて犯罪を繰り返し、江戸を追われ、流れ者になります。
流れ着いた場所でも悪さを働いていましたが、
今まで負け知らずだった狛治さんを完全に圧倒した慶蔵さんは身寄
そんな狛治さんに対して慶蔵さんは「
めちゃくちゃ心意氣がいい。し、
慶蔵さんが狛治さんを自身の道場に来させたい理由、
慶蔵さんもご自身の伴侶を入水自殺にて亡くされており、
お手玉
素流道場で稽古を付けられながら恋雪さんのお世話もするようになっ
恋雪さんの遊び道具なのか狛治さんがお手玉を使っていましたが、
そして実際に増えていったのですが、
素流道場に来た時はまだ自分のことで手一杯だった、あるいは "自分だけしか信じていない" 状態であったが、
そのような狛治さん自身の内面成長の表現としてもお手玉の数
後にある『お手玉が破れて中の小豆がこぼれている』という描写も、狛治さん自身が壊れたという表現なのだろうなと思います。
ちなみに〈破れたお手玉〉が「素流道場に来てはじめに狛治さんが使っていたもの」かは觀ていません。もしかしたら、藝が細かいかもですね。
なんてことない一言でも
自身の世話で手を煩わせていることで何度も謝罪をする恋雪さんへ
これってよくあることらしいですね。
なので作者の吾峠呼世晴さんは介護経験者なのではないかという意見を
「今夜町で花火が上がるらしいので觀に行かれたらいかがですか。
狛治さんは「そうですね、
人が生きられるかどうかって『生きたい』
多くの健康に恵まれた多くの方は「明日も明後日もそのまた明日も」
端的に言うなら「弱氣になる」と言うことなのですが、
希望が削がれていくと「
ともすれば『自分には生きる資格がない』と思っていた状態の時、
泣きそうです。
ここが良いのは〈恋雪さんが生き続ける前提〉
泣きそうです。
ちなみにこの手法を使って支配したり儲けようとする人も居られる
あ?
ところで恋雪さんの瞳にはお花が咲いています。
花びらが五枚なので「バラ科のお花だ」と思ったのですが、
沢山の種類があります。
鑑賞時にぱっと思いついたのは桜・梅・桃ですが、
どうにも登場人物を我が子のように想っているように感じる作者の
そして劇中でも示唆するような描写はない。
結局何のお花かわからなかったので調べましたところ、
恋雪さんの瞳に咲いたお花は花びらが尖っていたので桜や桃ではあ
ざっと調べたところ花びらが丸いバラ科の植物は、苺・さんざし・
そして各植物の花言葉は以下。
恋雪さんの心情が伝わるようです。
むしろ恋雪さんの心情を表現するために、
確かに人の感情や想いは一つではなく、
ちなみ同じバラ科の桃には「わたしはあなたのとりこ」
そういえば狛治さんが素流道場にやってきてから月日が過ぎた頃、
桔梗の花言葉には「変わらぬ愛」というものがあります。
自らの行いが自らを救った
三年の月日が流れ恋雪さんの体調も良くなった頃に狛治さんは慶蔵
「恋雪もお前のことが好きだと言っている」
狛治さんは罪人の過去があることから自身の未来をうまく想像する
これは狛治さん自身が素流道場や恋雪さんのお世話を献身的に行っ
因果応報です。
そして恋雪さんは狛治さんの発言や行いによって未来を見ることが
その日の夜?
この場面良かったですね。
案の定狛治さんが「今年だめでも来年再来年も花火は上がるから、
花火の一件で恋雪さんと夫婦になる決心と素流道場の相続を決心し
その帰り、
実の父に続いて第二の父と愛する人の死に目にも立ち会えなかった
すぐさま隣の剣道道場へ殴り込みに行きますが、
復讐を終え、
というのが狛治さんが猗窩座さんへと成った事の顛末です。
遣る瀬ねえ。
全く遣る瀬ねえ。
まだ救いかなと思うのは鬼になるきっかけが狛治さんご自身の意思で
そういえば『鬼の社会は西洋主義的だ』と【無限列車編】
「キリスト教の素晴らしさを布教したい!」
いや??
狛治さんにおいては慶蔵さんから道場へ誘われた記憶があり、
そのことから恩義を感じており、
煉獄の炎
父親、第二の父である慶蔵さん、
自身の無念や不甲斐なさのために怒り心頭となり炭治郎さんらに怒
そういえば鬼舞辻無惨さんの出自でもそうでしたが、鬼って他責思考が基礎になってます?
他責思考とはつまり『自分は悪くない!〈どれそれ・誰それ〉のせいで自分はこうなった!』という考え方なのですが、そんな考え方をしていたらそりゃあ辛いよな。
他責・自責思考は極に振れてたら共によくないですが、結局「自分も悪かったが相手も悪い」と落としつけたほうが精神的に健康になります。
しかし先に幽世に言っていた慶蔵さんや恋雪さんの言葉、そして炭治郎さんの拳によっって完膚なきまでに敗北を期していたことを悟った猗窩座さ
自身の不甲斐なさを父親と師範の慶蔵さんに詫び、生前の記憶を取り戻した狛治さんと恋雪さんとが抱き合い、
これは魂を浄化する煉獄の炎でしょうね。
つまり煉獄杏寿郎さんです。
先にあの世へ行った煉獄杏寿郎さんが狛治さんの猗窩座さんたる罪
非常に煉獄さんらしい。
そうなると【無限列車編】
そういえば上弦の禄・
止ん事無き理由で鬼になった、や、
生きてて良かったね
猗窩座さんを撃破した炭治郎さんと冨岡義勇さんは過労で氣絶しそ
物語の主人公が退場するわけにはいかないので、
鎹鴉の皆さまが「冨岡義勇!竈門炭治郎!
あの士気が上がる感じいいですね。
時透無一郎さんが『やってくれると思ってた!』
猗窩座さん敗残の報を受けて、他の鬼も動揺を感じていますが、
八つ当たりしたってしょうがなくないですかね?やっぱり鬼は幼稚なのではないか。
伊之助さんが刀の先で鎹鴉さんを脅していたのには劇場全体が相好を崩していた様に思います。
しかも「一番強いやつまで連れて行け!」
という様に続き物の映画作品として模範的な終わり方だったと思い
莫迦の一つ覺え
本編の一番最後、無限城の一角に籠って治癒している鬼舞辻無惨さんが「今日で鬼狩りは終いや!生まれて来たことを後悔させたる!死んだら無やで!」
そんなわけないだろうに。
『死んだら終わり』
『死んだら生きていた意味がない』
という主張やご意見は一理あるとも思いますし、
しかし今では「全部が全部そうとは限らないだろ」
〈死んだら終わり〉とは意識なりのことかとも思いますが、
また〈死んだら生きていた意味がない〉
炭治郎さんの回想が全てを説明しておりますが、
確かに記憶というものは忘れたりもいたしますが、
「意味がねえ〜、無駄だ〜、無駄無駄ラッシュだ〜」
性格が全く合わない人間からでも學ぶことは実際にあります。
あと、もし昔のわたしのように『
知りません。ご自由に生きてください。
ぺこちゃん。
最後に
「男性の持つ弱さに蓋をしていたのが少年ジャンプ」という仮説
『鬼滅の刃が歴史的に売れたのは圧倒的な母性があったから』という考察を見ました。
実際、この『鬼滅の刃』という作品に触れていると、どうにも作者の吾峠呼世晴さんは登場人物たちを自分の子どものように思っているのではないかと感じます。
そこで向けられているのは母性です。
しかしこれまでの少年漫画は父性が中心になっていたと思います。
〈マッチョイズム〉ですね。
〈マッチョイズム〉思想は確かに鼓舞する性質があるとは思うのですが、それと同時に男性が持っている臆病さや弱さというものに蓋をする作用もあると感じています。
採血時の様子だったり、手術などで「それまで自分自身だったもの」を見れない人は割合として男性の方が多いとも聞きますしね。
昭和、平成の時代は『男がガンガン働いて、女は家に入り家を守る』という価値觀が主流だったようで、性別での【役割】が明確に分けられていたそうです。
育児などが女性の仕事の代表とされていた時代ですが、子どもが生まれても育児に参加しない家庭が多かった時代でもあると思われます。
『産後の恨みは一生』と言われるほど男性は家事や育児には参加しなかったわけですが、それって男性側に意氣地がなかったからではないかと推察しています。
その意氣地無さ、不甲斐なさに蓋をする要素として「過剰な父性の誇示」が必要であり、その【蓋】を増長・機能させていたのが少年ジャンプもとい少年漫画なのではないかと考えます。
別に弱いことが悪いとは思わないのですが、"弱さを自覺すること" を避けていたのがよくなかったのですね。
再三申しますが、弱さを自覺して受け入れないと成長なんてありません。
限界にあったマッチョイズムを打破した母性
資本主義はアメリカという国が代表的であり、マッチョイズムもアメリカ由来の価値觀で、資本主義とマッチョイズムとは非常に親和性が高くあると感じます。
八十年前の戰爭で負けたことにより(先に亡くなられた方々の責任にするつもりは "一切" ありません)、アメリカの思想が是として流入されたのは仕方のないことだとも思いますが、資本主義が限界を迎えているように感じる現代。
資本主義と親和性の高いマッチョイズム=父性も同様に限界が近く、色々な軋轢も生まれていた。
軋轢に喘ぐ人が多く無意識に母性を求めていた人が多かったために、母性の塊で作られているような『鬼滅の刃』が歴史的、世界的に人氣が出た。
ということもあるのではないかしら、という一妄想です。
ぺこちゃん。
一応書いておきますが『男性性・父性・マッチョイズムが惡』と言いたいのではありませんよ。
なんでも極端になるのが良くないのです。
おーわり
以上で『劇場版 鬼滅の刃 無限城編 猗窩座再来』の感想と解釈は終わりです。
とても長い。
これで他所様の感想を見聞きすることができるぞ!
無限城編は全三部作だそうですが、
どんとこい!
ありがとうございました( ¨̮ )
