頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

神「豊かだなぁ(にこにこ)」←これか?

 

 

2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

アラビア数字です。

 

 

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

「2」は確かにアラビア数字です。

或いはモノや対象の数を表明する記号です。

 

「に」

 

 

無知、智の豊かさ有難さを識る

先日(かどうかもあやしい、数週間かひと月ふた月ほど前)、とある文字列を見かけました。

例えるならば『ボタン』

 

「あぁ、"ボタン" ね。なんのボタンだろう。押して、入れたり切ったりするあれ?それとも衣服を留めたりするあれ?あぁ、お花の線もあるのか」

だとかなんだとか思いました。

 

そんな時、ふと脳みそなのか意識なのかに「あ、もしやしたらば、とてもこれは恵まれているぞ。これはとても豊かなことだぞ」との認識が去来いたしました。

 

 

【ボタン】

それを我々は言語として認識しています。

 

【ボタン】を我々が言語として認識している理由は、我々が日本語を介して生活をしているからでしょう。

しかし日本語を知らない御國の方であったり、日本國との接点がない御國の方々が【ボタン】という文字を見たとて、ただの模様にしか見えないと想像します。

日本語を見せたところで「? この模様がなんだ。どうした」との反応が返ってくるだけなのではないでしょうか。

 

豊かなところの一つ目

言語を認識し介しているところ

 

これは豊かさの解釈として大きくあると感じます。

全くなんとも有り難え。

 

 

ですがくれぐれも勘違いはしてほしくないです

『豊かなところ』として言語を介しているところと書きましたが、くれぐれも「言語を介しているから偉く、豊かだ」「言語を解さない種族は遅れていて愚かだ」などの全く莫迦な主張をしているのではない、とはご認識ください。

 

音での言語ではなく、手話が共通の連絡手段となっていた種族もあったらしいと聞きました。

 

そういう事例もありますし、現代の我々が言語を多く介したことによって失った知識や智慧を持っている種族も多くいらっしゃるのでしょう。

 

現代を生きる我々がジャングルに行きただ木々を見ていたとしても、現地の方は「あ、あそこに食料あるじゃん。知らなかったぜ」と発見しているということもあり得るからです。

都市生活に慣れた我々が何の氣無しに触れた木々、それが実は毒を持っている。現地の方々は解毒法を知っている。そんなこともあり得ます。

 

もしかしたら一方的な視点からしか判断できなくなっているというのは《豊か》から対極にあるのかもしれません。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

もしかしたらヒトにかかわらず集団性を持って生活する生物は、自然と特定の言語的な意思疎通方法を開拓し得るのかもしれません。

 

知りませんけれど。

こんなのはあくまでもわたしの憶測です。

わたし言語學者とかじゃないし。

 

 

豊かさ の "に"

豊かさ。

言葉を認識できること。

 

つまり識字ということですが、豊かさの解釈はそれだけにとどまりません。

 

【ボタン】の例を再び用います。

 

 

【ボタン】を音としてきいても「ボタン。どの意味だろう」と思われるはずです。

・衣服

・入力などの切り替え装置

・お花

 

少なくとも上記三つの意味合いが【ボタン】という音には含まれます(正確には分岐?)。

意味合いが固定されるのは字面を見たりだとか文脈によってなのではないでしょうか。

 

「ちょっと聞いて〜、この前いきなりボタンが取れてさ。ほんと困ったの〜」

「(服のボタンかな?)なんのボタン?ジャケットとか?」

「ううん、リモコンのボタン」

「リモコンのボタン?!が取れることってあるの?!!」

 

上記の会話例は文脈によって意味合いが固定されています。

 

 

日本語に限りませんが、言葉の音は色々な意味合いを含んだりしています。

 

 

話は戻ります。

わたしが例に挙げた【ボタン】には〈衣服・切り替え装置・お花〉の三つの意味が含まれます。

 

【ボタン】という文字列を見たときに、それらの意味を想起する。

その想起すること、一つの音が持つ意味を複数知っていること、これは大変な豊かさであり大変に恵まれていることなのではないでしょうか。

 

当たり前すぎて恥ずかしながらこの有り難味に氣が付いておりませんでした。

 

改めて自身を愚かものだと自覺する機会に恵まれたことを嬉しく思います。

 

 

豊かさのみっつめ ~自分を見つめて~

豊かさの "に" にて『一つの音が持つ意味合いを複数知っていること』が豊かさの一つであると解釈しました。

 

そうやって思うと、そもそもの前提が浮かび上がってまいります。

 

再び【ボタン】の例を用います。

《 ボタン という音》には複数の意味合いとして解釈ができるわけですが、そもそもとして複数の意味合いを知れているというその事実があります。

 

その事実と環境があること、つまりは『一つの言葉・音でも様々な意味合いがある』ということを識ることができる環境にある。

す〜〜〜〜〜〜ごく恵まれている。

ほんと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜うに豊かです。

 

有難い。

 

 

それと同時に【flower】と【お花】が同じものを指した言葉ということも我々は有難いことに知っています。

『違う言葉・違う文字列でも同じものを指している』ということを識ることができる環境にある。

 

MA〜〜〜〜〜〜JI恵まれている。

MA〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜JIで有難いことですよ。

 

 

時代というものでもあるとは思いますが、昔『ニューシネマ・パラダイス』という映画を見たときに作中の漁師さん?が識字のテストを受けられていました。

また『ショーシャンクの空』では青年が高校卒業資格?のテストも受けられていました。

 

 

わたしは本が好きなのですが〈本を読める環境〉と〈文字に識れる環境〉の中に自分があるというのは、本当に豊かで恵まれており有難いことなのだと自覺いたしました。

特にこの日本では、そしてわたしが生活してきた環境では "そもそも前提として" あったことなので自覺が遅れました。まったく恥ずかしい限りです。

もしかしたら、いえいえきっとまだまだ自覺が足らないのでしょう。

引き続き精進いたします。

 

 

豊かさとは。現時点での結論的解釈

今回は豊かさについてを言及いたしました。

・識字

・一つの音でも色々な意味があることを知っている

・違う音や文字列でも『同じものを指している』ということを理解できる

・上記の二つを識ることができる環境にある

 

これらを認識し、もう一つの前提に目が向きました。

あるいは上記四つの前提を認識できたからこそ、現れたのか。

 

そのもう一つの前提とは『自分自身がそういった知識などを積極的に触れようとしたこと』です。

つまり面白がれる氣持ちを、あらゆるものに対しての興味を持てていたということこそが、その感受性の強さ?が豊かなことであり恵まれていたのではないでしょうか。

 

正直「識字ができてなんでも知ることができる環境」にあったとしても、自分自身が興味を持つこともなく排他的に生きていたら、それは宝の持ち腐れですらあるとわたしは感じますから。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

 

ということで『豊かさとは何か』の現時点での結論は以下です。

・識字

・一つの音・一つの文字列であっても様々な意味があることを知っている

・違う音や文字列でも『同じものを指している』ということを理解できる

・上記の二つを識ることができる環境にある

・その環境を面白がって享受し、心を躍らせることのできる感性を持っている

 

そういった環境にあること。

自分自身がその環境を享受できることを大変に有難いと深く思います。

 

 

前提を疑うという姿勢は重要ですが、前提を見つめて有難がるのも重要だということを齢ハーフ還暦+二年で知ることができました。

遅ればせながらもそこに氣付けたことを有難く思います。

 

 

あと普通に寝泊まりできる場所があって、死ねる場所もあるというのも有難いこと。

数ヶ月前から食事を口にしたときに「おいしい」よりも先に「有難い」という想いが浮かぶようになりました。

 

 

神「豊かだなぁ(にこにこ)」

わたしは自然が好きです。

自然とは現代人が認識している〈都会の魔界〉以外の "自然" や、都市化の罪滅ぼしから出でた "デザインされた自然" ではなく、生活のそばにある蟻さんや蝶々さん、木々や草花の皆さまなどを指します(とはいえ "デザインされた自然" に利用されている自然の皆様に罪はありません)。

 

せっせこと生活されている蟻さんなんかをお見かけいたしますと、その愛おしさに思わずにっこりとしてしまいます。

 

 

二ヶ月とかそこらくらい前、街中で蟻さんがせっせこと生活なさっている様子をお見かけいたしました。

そのときわたしは「あぁ、豊かだなあ」と、ごく自然に思ったのですが、ふと思いました。

「もしかして、神とされている方々も我々ちっぽけで愚かな人間どもに対して同じ感慨を持っているのかも」

 

我々は神ではありますが、我々の上位にいるらしいそうな神の存在らも下等で下劣な我々民を見て、愚かな日常を送っている様を見て「せっせこ生きてる。かわいいなあ。豊かだな」と思っているのかも思いました。

floodinhead.hatenablog.com

 

わたしはニンゲンが嫌いですがそんなことすら神らは受け入れるのでしょうし、もしかしたらわたしがお見かけして「豊かだな」とにっこりした蟻さんご自身は「ひ〜〜〜〜!暑い〜〜忙し〜〜〜〜!」とお考えなのかもしれませんし、自然現象の雹が落ちてきたことで枝が折れてしまった木々などは「MA〜〜JI痛いんですけどー!ひょ〜!!」と互いに話し合っているかもしれません。

知らね〜けど。

 

 

ちなみにもちろんわたし自身は世のヒトらが認識している《神》という存在に出逢ったことはありません。

もしかしたら知らないうちに出会っている可能性もあるけれど。

 

 

今現在は夏ですが、蝉さんが亡くなられていたりします。

その亡骸がコンクリートの側溝にあったりすると土に還らないので植え込みとか土の上に移動していましたが、"コンクリートの上で亡くなっている" ということも自然なのだとしたら狭量な人間のエゴや意識で移動するのも自然に反するのかもしれない、との心境の変化もありました。

ですが人間などに踏みつけにされて欲しくないので、明らかな動線の上にある場合は差し出がましくも移動させていただきます。

 

 

 

そんな感じの妄想と有難さの発見伝でした( ¨̮ )

ありがとうございました( ¨̮ )