現代人の皆さ〜ん!
集中!続いてますか〜!
本日もご訪問ありがとうございます。
今回は集中力についてのお話です。
現代をお生きになる現代人の皆様諸氏は集中力について以前とお変わりないでしょうか。
わたしは続かなくなってきています!
まんまと!
きっとドーパミン中毒というやつなのでしょう。
わたしがドーパミン中毒になっているくらいです。
世の中の現代人の皆さま方も例に漏らさず多くがドーパミン中毒となっていることでしょう。
由々しき事態だと思っています。
かなり由々しき事態です。
これは早急な対策が必要になりますよ。
ドーパミンとは脳みそに影響される快樂物質でございます。
『ドーパミン』という言葉、今でこそ認知度が上がりましたが「言葉が纏っている雰囲氣はなんとなく分かるけど正確な意味はわからんちゃん」と思われている方も案外と多いのではないでしょうか。
そんな我々は日本人ですので、ドーパミンを〈刺激〉という日本語に言い換えましょう。
この現代社会は脳に対しての刺激がとても多く供給過多、もとい飽和状態にあるでしょう。
特に日本は資本主義ですので、より刺激的な方が注目されて売り上げが伸びます。
ということで提供をする側は「どうやったらもっと目につくだろう」「どうやったらもっと消費者の時間を勝ち取れるだろう」と切磋琢磨、自由競爭を行います。
その結果 "脳に対しての刺激" が多くなって溢れるのですね。
小説家である西加奈子さんが話されていたのですが『現代は刺激が多すぎるから、意識して何もしない状況などを作った方がいい』のだそうです(ろうそくの火を眺めたりするのが良いらしい)。
そんな現代人の集中力が低下傾向にある理由。
それはショート動画の登場が原因だと言われているそうです。
だいたい一分〜三分程度の動画ですが、あれですね。
先日公共的な交通機関を利用させていただいた時にたまたま目に入ってたのですが、他の乗客の方々は皆一様にショート動画をご覧になっておりました。
わたしは意識的に本を読みたい人間なので、歩いていない限り移動中はもっぱら本を読んでいるのですが「猫も杓子もすまとほんでショート動画だなあ」とのんびり戰慄いたしました。
とはいえ、わたしも見ます。
なんたってドーパミン中毒になっているっぽいですからね。
すまとほんに入れているSNSのアプリケーションはYouTubeのみなのでショート動画の類はYouTubeShotsのみの視聴ですが、そんなの関係ないですからね。
自宅に居る時は本当になんとなくYouTubeShotsを再生していたりします。
この度その状況に対して本格的に『まずい』と感じました。
そしたらばあのアプリケーションって、おすすめ欄にショート動画を表示しない設定ができるのですね。
早速表示しないように設定いたしました。
これで「本当に氣になる方は検索する必要がある」という手間が追加されることとなりました!(フォローしたら早い話。でもそこまででもない)
なかなか快適です。
しかし昨日、上記の設定が勝手に解除されておりました(なんで?)
AIの判断なのか人為的なものなのか不明ですが、即刻設定をしなおしました。
ところでYouTubeって知らないうちに知らないチャンネル様が登録されていたりしませんか?
この間は顔出ししないで活動されているアイドル的なチャンネル様と釣りのチャンネル様が勝手に登録されておりました。
(そのチャンネル様が、ではなく)不快だったので氣付き次第登録を解除したのですが、もしかしたらYouTubeの運営側が作為的にしているのかもしれませんね。
チャンネルを運営している方が【広告費】を払い、YouTubeの運営側が登録しているアカウントに対して一斉にチャンネル登録を行う。
考えたくはないですが、あり得るお話ですね(「3.5以上評価付けたかったらお金払って」と食べログの運営会社が店舗に要求していたという話もあったくらいですし)。
この世の中って思っている以上に嘘というか《演出》に塗れているっぽいですし。
最近「賑やかし」の重要性に氣付きました。サクラとも呼称されるやつですね。
話はショート動画に戻りますが、本当に目的もなくだらだらとショート動画を見ていたなと思います。
目ぼしいものを見つけるまでせっせと指を動かして、さぞ滑稽だったと思います。
好きで見ていたのはお肉屋さんがお肉を捌くものです。
なんだか無心になれるというか、ほどんと何も考えずに見れる感じが良かったのですね(「そんなところに筋があるんだ」とかはたまに思う)。
同じ現代人であられるあなた様も「なんか無心で見ちゃうんだよな」って動画とかあるのではないでしょうか?
そんな滑稽な時間を過ごしている時に(動画を製作されている方々は滑稽ではない)、わたし思ったのです。
「これ瞑想じゃね??」
『なんだか無心で見ちゃう』というのは "心が落ち着く" だとかの理由があるのかと推察いたしますが、それが答えなんじゃない?
〈都市型の情報〉で忙殺されて日々を暮らす、無自覺のうちに恐らくドーパミン依存となっている(させられている)我々現代人。
もしかしたら、実は脳みそは悲鳴をあげていたりするんじゃないですかね。
だから『なんだか無心で見ちゃう』を本能的に求めてしまう。
そして実際に行なっている行為は瞑想と似ている。
瞑想とはいわば「何もしない、をする」みたいな感じなのですが(意訳)、お肉を切るだけの動画をぼーっと眺めるというのは瞑想的側面もあるのではないかしらねえと思いました。
しかし現代人。
【瞑想】と聞くと「なんだか宗教っぽい」と自動思考的に思われる方が多いのだろうと感じます。
確かにその一側面はありますが、それは瞑想という行為そのものではなく『瞑想という行為を用いた側』の印象なのです。
このような認識のさせかたも〈都市型の情報〉だよなと思います。
自分自身の望みを行なっているつもりが、実は自分で自分をいじめていたなんて、悲しい悲しいですよ。
もしかして、欲求ってそんなに重要ではない?
ちなみに今回の記事は「とりあえずこの時間までは目移りせず、時計も確認せずに文章を書こう」と心に決めて書いていました。
今七分だからとりあえず十五分まで、とりあえず三十分まで、とりあえず四十五分まで。
こんな感じで書いていたのですが、やっぱり氣が散ってしまったりはあります。
そこはぐっと我慢して、と行なっていたのですが、繰り返すことであることに氣付きました。
案外「その瞬間」が過ぎたら欲求ってどうでもよくなる。
喉元過ぎれば熱さを忘れるというか、『怒りは六、七秒で落ち着く』というアンガーマネジメントと似ているのでしょうか。
本当に強い欲求は忘れず、大したことのない欲求の場合はその期が過ぎればどうでも良くなる。
ただ忘れているだけという可能性もありますけどね。
たゞ、わたしには「口さみしくてコンビニエンスストアに行くけど、目ぼしいものないなあと物色していたら口さみしさも過ぎ去って、何も買わずお店を後にする」ということが往々にしてあるので、やっぱり欲求についての氣付きは正しい部分が多いのかもしれません。
今回の経験にて『なんでもすぐ行うことのできる現代だからこそ、あえてしないという選択が重要で、今後さらに重要になってくるのだろう』ということを感じました。
欲求の取捨選択だったり『敢えて一旦見逃す』というのは必要な技能になっていくのじゃないかな、今後の人生的に。
まず全部するなんてほぼ不可能だろうしなあ。
これって丁寧な暮らしってやつになるのかしら?
わたしは辛うじて未だに読書も好きですし、ギターも好きです。
ドーパミン中毒にはなっていると思いますが、そこに氣付けたり読書やギターを嗜むだけの集中力がまだあることに嬉しさを感じます。
低下した集中力が回復するのかどうかは存じませんが、そうなればいいなと思います。
ありがとうございました( ¨̮ )