頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

現代語訳版の貧乏暇なし

 

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

登場してから久しくなりますが、『コストパフォーマンス』とか『タイムパフォーマンス』という言葉があるじゃないですか。

「こすぱ」や「たいぱ」と略される、あれです。

『タイムパフォーマンス』の方が比較的最近に登場しましたね。

今回はこの「こすぱ」「たいぱ」についての内容です。

 

 

今回の記事題名が全て

さて。

この記事をわざわざ開いて読んでいるということは『コストパフォーマンス』や『タイムパフォーマンス』というものに対して少なからずの興味があったりされるのではないでしょうか。

 

きっとこの記事をわざわざお読みくださっているということは「こすぱ」や「たいぱ」を大事になさっておられるのでしょう。

 

なので、結論を最初に書きます。

イェー、結論を先に書く。しごでき人間イェ~‪٩( ᐛ )و‬

 

『コストパフォーマンス』や『タイムパフォーマンス』という言葉は、現代語訳版の【貧乏暇なし】なのではないでしょうか。

 

あくまでもわたし個人の価値觀と考えから出た、主觀的かつ "現時点" での結論ですけどね。

 

 

詳細 ~あくまでも個人の主觀~

きっと恐らくきっと、わたし自身の加齢によって意識認識が狭量になったからだとも思うのですが『タイムパフォーマンス』だとか『コストパフォーマンス』という言葉って、しゃらくせえんですよね。

なんだか御託並べてるだけというか(どの口が何を言ってるんだ)。

 

それで本題なのですが、現代人の多くが『コストパフォーマンス』や『タイムパフォーマンス』を求める理由ってのは、少なからずの理由として "生活にゆとりがないから" だと感じています。

『タイムパフォーマンス』という意識が顕著だと感じますが、人間 '現代人' 人間ってどうやら、一日の時間は二十四時間だと思っているみたいじゃないですか。

 

つまりそれは〈時間は一定である〉との認識だということですが(相対性理論》はどこに行ったんだよ)、その「【上限のある有限な時間】を有効的に使おうぜ!」という意識・運動が『タイムパフォーマンス』という表現で為されているのだろうかと考えますが、そもそもとして "時間的余裕がない" から、効率良く時間を運用しようとするじゃないか?と考えたりします。

コストパフォーマンスという言葉も同様で『使えるお金が少ないから利益効率の高い商品を手に入れたい』との考え方だと感じます。

 

ということで "暇(余裕)がないから無理矢理にでも暇を作ろう" の取り組みが『タイムパフォーマンス』や『コストパフォーマンス』という言葉であり、現代語訳した【貧乏暇なし】なんじゃない?と思いましたです。

 

そもそも余裕がある人は「こすぱ」や「たいぱ」を求めようなんて思わないでしょうし(「庶民って『コストパフォーマンス』とか『タイムパフォーマンス』とかってものを大切にするらしいよ、試しにわたしたちもやってみる?」と、娯樂として試してみる程度はあるかもしれません。知りません)。

 

 

そしてこれはわたし個人の所感なのですが、『タイムパフォーマンス』だとか『コストパフォーマンス』という言葉を使っている方々ってどうにも精神的なご余裕があまり無いように感じます。

過剰にそれを求めるがあまりに目が三角になっているような。

余裕を求めてるのに余裕をなくしてどうするんだよ。

 

 

水掛け論

わたし個人の偏見ですが、『タイムパフォーマンス』だとか『コストパフォーマンス』という言葉を好んで用いられる方って過剰に無駄を嫌うきらいがあるように感じます。

 

わたしはわりと無駄を愛している?結構進んで無駄を得たりやったりしようとしているので、ということは真逆の位置にいることになりますが、なんだか【無駄】という言葉には空虚さを感じるんですね。

 

 

そして最近、その空虚さの理由を解明するに至りました。

あのー、【無駄】という言葉って、視点が一方的だと思うんですね。わたし。

 

食事に頓着しない人、食に興味がなく旅行にいっても『チェーン店でいいっすぅ〜』と思っている方からすると、わざわざ地方の名産品を食べる為に旅行する人って意味がわからないと思うんですよね。

「わざわざ何万とかかけて数百円の食事する為に旅行行くのって、無駄だと思うんですよね。なんか意味あるんすか」という意見をぶつけたりするでしょう。

 

でもさ〜〜〜それって個人の感想じゃ〜〜ん。

じゃんか〜〜〜〜。

 

食事に興味がない人にとっては『美味しいご飯』って無駄かもしれないけど、食事が好きな人からしたら全く無駄じゃないんですよ。

こんなの未就學児でも理解できる理論じゃね。しらね。

 

あと食事に興味がない人が興味ある趣味(例として車の改造とか)だとしても、他の人が興味を持っているとは限りませんしね。

 

【無駄】だとかを主張しているとどうなるかというと、水掛け論になると思われます。

「それって、、、、無駄ですよね?」

「無駄って言われても好きなんだから仕方ないじゃん」

「好きって、、、、感情ですよね?感情って無駄じゃないですか?」

「うるせーな、いーだろーが好きなんだから!」

 

無駄だ無駄じゃないの水掛け論です。

生産性がない。全くありません。申し訳ないけど言い切ります。生産性がない。

 

だったらば「(自分は無駄だと思うけど、好きな人がいるということは魅力があるんだろう)自分、食に興味がないんだけど今って何が美味しいの?」と開いた方が良いんじゃないのか?と、わたしは思います。

開いてみたら「お!じゃあ氣になるお店あるから今度行かね?」と話が転がって行くかもしれません。

 

この意識って『せっかくだし』の感覺と近いと思うのですが、こちらの方が殺伐としないし問題発生も少ないと感じるのですよ。

何よりも水掛け論は何も解決しないですしね。双方ともが『自分が正しい』と思っているからです(あと譲るの精神がなければ譲られることもない)。

 

 

とはいえわたし個人が承服できないのは「むだ」と言えちゃう人は〈自分が正しいと信じきっている〉ところと確固とした〈視野の狭さ〉があるように感じるからです。

 

 

ところで

この【無駄】を徹底的にまで排除しようとする潮流を作った人の一人として西村博之さんがいらっしゃいます。

正直これまでは「あまり、どうかしら」と思っておりましたが、つい最近『ピエロやってる?』と思い至ったりもしました。

あるいは悪役って感じでしょうか。

憶測です。

 

西村さんは、今では "求められている姿を演じているだけ" みたいな感じです。

 

 

あと、これもわたしの妄想なのですが、現代ってわたしが思っている以上に人からの受け売りを話しているだけという方が多いみたいです。

知ってはいるけど理解はしていない、ってやつです。

 

たとえ受け売り始まりだとしても自分で考えて腑に落としているのであれば、とても素敵だと思いますが、どうにもそうではないっぽい。

 

西村博之さんって結構色々な方を追求されてる印象なのですが、それって『ちゃんと自分の言葉で喋っているのか?』を試しているからなのかも?と思ったりもしましたが、妄想でーす。

 

 

 

 

まとめ

とりあえず今回のまとめ

・『コストパフォーマンス』とか『タイムパフォーマンス』という言葉は【貧乏暇なし】の現代語訳じゃないかしらね、と思いました。

あと、

・「無駄」という言葉は一方的な視点由来の言葉、水掛け論的な生産性のなさ(それこそ無駄)しか生まないから、『せっかくだし』の考え方でいた方が有益じゃないかしら?と感じます。

 

 

ま、御好きに生きてください( ¨̮ )

わたしも好きに生きます( ¨̮ )

書きたいネタはぽんぽんと出てくるのに時間が足りない( ¨̮ )

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 


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