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- "イメージ"
- "自ら考えているようでいて、考えているように思わされている"
- 耳かき
- 巧いですねー。これは確かに最高傑作だわ
- 読んでてよかった伊坂作品
- やっててよかった公文式。開いててよかった磯丸水産。読んでてよかった伊坂作品
わたしは伊坂幸太郎さんの作品が好きです。
昨年より伊坂さんの作品を発表時期が古いものから読み返しています。
2026年も明け、一月ももう最終日。
昨日公開されました『マーズ・エクスプレス』に大変な興味をそそられながら、2026年の再読伊坂一冊目は『ゴールデンスランバー』です。
こちらの作品は首相暗殺の濡れ衣を着させられた主人公の逃亡劇が主な内容。
着想はJohn F Kennedy大統領の暗殺と、その実行犯と言われているLee Harvey Oswald氏の事件内容の奇妙さを題材としています。
あ、ネタバレはします。
できる限り重要なネタバレはしないようにしますが、します。
原作小説と映画版がございますが、今回は原作小説版をもとにした記事です。
oriko3
お話は、事件のはじまり→事件発生後・視聴者視点→事件から二十年後→事件発生後・当事者たち→事件の三ヶ月後 と展開されます。
第二部にて、事件発生後の視聴者である田中徹さんが語り手として登場するのですが、こちらの田中さんは足の骨折にて病院で入院中です。
入院の退屈なときに首相暗殺の事件が発生し、渡りに船・これ幸いとばかりに報道にかじりつきます。
この田中徹さんですが、事件の発生を告げる中學生の少年から「田中君」と呼ばれていることに内心良くは思っていない描写がされています。
この田中君、もちろん意図的な描写だとは思いますが、非常にお利口な視聴者だなあと思います。
テレビジョンや報道による恣意的とすら思える表現に、見事に引っかかっている。
例で言えば『一瞬の表情の機微、それはほとんど一フレーム程度の偶然を切り取った部分の人相が悪かったりすると「なるほど。これは確かに、実は彼は悪い人間だったのだな」と不用意に信じ込める』というものです。
中學生が話していることと、のちに主人公である青柳雅春さんに対して佐々木一太郎氏が語ることとは同じ内容であるが、その内容・本質ではなく "中學生が話している" という状況だけで「取るに足らない話」として軽んじている。
こちらは所謂『どの口が何言うか』という人間社会の理不尽とも思える現象を表現するためだと思いますが、正直わたしは表面であったり外側、"ころも" の部分だけで判断なさる方は考えが足らないと思っています。
だったら海老天も衣だけ食ってろと思う。
あとは【思いやり予算】というものに対しても、田中くんが『知らなかったので否定する』という描写があります。
また中學生は「怖がらせれば日本という國の國民はたいがいのことに従う」と口にしますが、田中徹さんは『中學生のお前が思うほど物事は簡単でも単純でもない』と聞く耳を持ちません。
しかし、本当にそんなに簡単・単純ではないのでしょうか。
現に数年前の流行病では恐怖を煽られて簡単に國民は従っていたのではないか?と思います。
まあこの批評も『どの口が何言うか』の渦に巻き込まれるのでしょうから、どうぞご自由にお受け取りください。
ところでこの中學生って『マリアビートル』に登場する王子さんだったりするのか?そこのつながりとかはあるのか?とも思います。ま、考えすぎでしょうけど。
"イメージ"
前項にて『中學生が話していることと、のちに主人公である青柳雅春さんに対して佐々木一太郎氏が語ることとは同じ内容』と書きましたが、それは〈人間はイメージに支配され、イメージで動く〉ということです。
中學生の少年は「すでにある言葉には色々なイメージがくっついているから、印象や心象が芳しくないものを行う場合は、抽象的でなんてことない呼び方にする」と語ります。
一つの例として、売春が援助交際になり、パパ活へと呼び方が変遷しているのも、受け手の印象を変えるためでしょうしね。
一方で佐々木一太郎氏は、主人公の青柳雅春さんに以下のようなことを説明します。
「イメージで世の中は動く。味の変わらない料理店が急に繁盛し出すのはイメージが良くなったからだし、もてはやされていた俳優の仕事がなくなるのはイメージが悪くなったからだ」
両者はいずれも《イメージ》についての言及を行なっています。
そして、その《イメージ》は伝え方、表現方法でいくらでも創ることができます。
そして、その "表現方法" それ自体も、
・でっちあげ
・印象操作
・創作
・演出
などというように色々とありますね。
面白いですね、同じ意味合いでも言葉によって浮かぶ感情が違います。
そういえば劇中で登場するフランス料理屋さんのCM映像も《イメージ》の表現方法の一つか。
"自ら考えているようでいて、考えているように思わされている"
第三部は事件から二十年後。
首相暗殺事件の不可解さを追ってジャーナリストが独自に取材、そのレポート記事?が第三部として位置付けられています。
その中で暗殺された金田貞義氏は『日本人は、自ら考えているようでいて、実は考えているように思わされている』と発言していたと記されています。
この部分を読んだとき、わたしは思わず苦笑いを浮かべてしまいました。
それもそのはず、殊勝にもわたしも同じことを考えており、そしてそれは十中八九伊坂幸太郎さんの作品から仕入れた言葉だろうからですね。
つまりわたしも『自ら考えているようでいて、実は考えているように思わされている』の術中にはまっていたというわけです。
全くお笑いですね( ¨̮ )
少しでも良く捉えるとしたら "それだけ伊坂作品が自分の血肉になっている" というわけですが、それはあくまでも印象の良い言葉で演出しただけです。
耳かき
この作品は耳かきがよく出てきます。
普通に耳かきとして使用される時もあれば、ギプスの中に入れて痒い部分を掻くときにも用いられ、たこ焼きを食べる時の楊枝としても使われる描写があります。
わたしが巧いなと感じたのは二つ目の『ギプスの中に入れて痒い部分を掻く』という部分です。
前項の田中徹さんの部の終盤にて描写される部分なのですが、田中君が耳かきを使ってギプスに包まれた足を掻こうとしましたが、テレビの中継に氣を取られ終ぞ足の痒い部分がわからなくなります。
これが巧いと思ったのです。
これってつまりは『大衆が求めているものなんて所詮はそんなもの。別の刺激を少しでも与えたら氣を取られて当初の目的から目をそらすことができる』ということではないでしょうか。
それは『大衆にとっての重要なものはさほど大したことない』ということとも捉えることができますし、『そらし方さえ知っておけば如何様にも操作することが可能』という捉え方もできます。
この考えは田中徹さんの人物造形があったが故に思い至ったこと( ¨̮ )
巧いですねー。これは確かに最高傑作だわ
『ゴールデンスランバー』は六百頁以上ある作品です。
ですが物語はたった二日間の逃亡劇を描いています。
何が起こったかなどにつきましては実際にお読みいただきたいため書きませんが、お話の構成とかをみても巧いことされてるなあ、と感心ばかりでした。
第二部にて田中徹さんが事件の視聴者として機能しますが、そのテレビ番組で流れていることが第四部の逃亡劇内でも流れます。
それによって読者は「あ、あのあたりね」と迷子にならず読み進めることができますし、伏線となっていたりもします。
同じテレビ番組を見ていても、田中徹さんと樋口晴子さんとで心境が違っていたりするのもまた面白い要素です。
また伏線でいうと伊坂幸太郎さんは緻密に伏線を張る作品を書くことで有名ですが、この『ゴールデンスランバー』においても例外ではなく、結構序盤から重要な伏線が張られていたりします。
その伏線を伏線として氣付くのはすでに五回くらい読んでいるからというわけでもあると思いますが、その構成の巧みさや起承転結がはっきりしている部分(第四部、全体の四分の一で【承】、物語のちょうど半分くらいでちゃんと【転】の事象が起こること)、お話の終え方なども加味すると、なるほど確かにこれは伊坂幸太郎さんの最高傑作であるとも思えます。
とはいえやっぱり、わたしは『モダンタイムス』の方が好きではありますが、思っていた以上に國家の謀略などが描写されていた『ゴールデンスランバー』の株がわたしの中で勝手に上がりました。
なにが「ちょっとエンタメ要素が強すぎる」だよ。
エンタメで包んで、わざわざ一級のエンタメとして昇華させてるんじゃねえかよ。
読んでてよかった伊坂作品
さてこちらの『ゴールデンスランバー』ですが、伊坂幸太郎さんが過去に発表された作品のセルフオマージュが多くなされています。
伊坂さんといえば作品の登場人物を別の作品に登場させたりということをよくされます。
『死神の精度』で登場した千葉さんが『魔王』にて登場したり、『ラッシュライフ』で主人公の一人であった黒澤さんが『重力ピエロ』で探偵として仕事を請け負ったりしています。
伊坂幸太郎さんのファンとしては、その関連性だったりカメオ出演的な要素も娯しみの一つなのですが、この『ゴールデンスランバー』も例に洩れずその要素があります。
しかも何作品も。
森田森吾さんが大學時代に言及されていたリョコウバトの話は『オーデュボンの祈り』にて語られていた内容ですし、キルオさんとして登場する男性は『グラスホッパー』の蝉さんのオマージュでしょう。
また同じく『グラスホッパー』に登場する鯨さんが動いた?と憶測を広げられる要素もあります。
再出発のために高いビルで食事を摂るという部分も同じく『グラスホッパー』の鈴木さんと重なります。
他にも【転】の部分で『陽気なギャングが地球を回す 』にて登場したグルーシェニカーを彷彿とさせる描写もありますね。
そして作品内で行き来する大學時代と今との対比は『砂漠』で描かれていた「輝かしい大學時代はもう戻ってこない」という部分を継いでいると思います。
またこの『ゴールデンスランバー』と同時期に執筆されていたらしい『モダンタイムス』との繋がりもあります。
渡辺拓海さんが登場したりと直接の関係があるわけではないのですが、主人公の青柳雅春さんが逃げている時に一瞬登場したアベックです。
わたしが見つけられたのはこれくらいですが、もっと多くちりばめられているでしょうね。
やっててよかった公文式。開いててよかった磯丸水産。読んでてよかった伊坂作品
ところで今回『ゴールデンスランバー』を読んでいて思ったことがあります。
それは「伊坂作品、読んでてよかった〜」です。
伊坂幸太郎さんの作品は〈フィクション〉として描かれていますし、今回の作品も著者本人が「多くの嘘を混ぜている」と言及されています。
もちろんわたしも〈フィクション〉だとは思っていますが、しかし全て総てが、フィクション的で〈フィクション〉として片付けて良いのか?と感じる部分もあることは確かです。
伊坂幸太郎さんの作品は洞察に溢れていると感じますし、"イメージ" の話は本当に『考えすぎ』や『摂るに足らない話』として流していい話なのか?と思います。
伊坂幸太郎という作家さんは「あえてエンタメ性を強くしている』のではないか?と邪推することができます。
世間では伊坂幸太郎さんに対してエンタメ小説の作家という印象が強いと思いますが、果たしてそれだけか?と思うのがいちファンであるわたしの考えです。
しかし、これも〈フィクション〉ですし妄想です( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )

