頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

【し、、】『マーズ・エクスプレス』という《体験》【しびれる〜!】

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

鑑賞してまいりました『マーズ・エクスプレス』です!

 

 

まずはひとこと。

大変良いものを觀させていただきました!

 

これは2026年の年間ベスト映画必至でしょうね!

 

 

熱心なアンチ活動も外野からしたらファン活動に見えるのと同じように。

昨今、生成AIさんの画像ってよく拝見するじゃないですか。

わたしはよく目にします。

 

本日街を歩行しておりましたらば、生成AIさんの画像が用いられた広告がございました。

猫も杓子も生成AIな今日この頃。

 

ぼんや〜りその広告を見ていて、「あ〜。たとえ「便利で安価だから」という理由で生成AIの絵を用いていたとしても、側からすれば『生成AIに頼り切りだ』『生成AIに支配されちゃっているね』と思われてしまいかねない。そして猫も杓子も用意された生成AIを用いていたら、側からの一見では社会主義的とも認識されかねないのかもなあ」

「その人自身は『便利で安価だから』という理由で用いている、それはきっと違わないのだと思うけど、その実はAIによって "そうなるよう" に誘導されてるってこともありえるのかもなあ。ほら、宿主自体は全く自由意志による行動のつもりだけど、その実は寄生体による誘導であるように」などと考えていました。

 

そういったことを考えながら劇場に到着です( ¨̮ )

 

 

出会いは突然に

さてこちらの『マーズ・エクスプレス』ですが、出会いは突然でした。


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去る2025年11月4日。

わたしの私生活がもうほとんど支配されているところのYouTubeにて、上記の予告映像が突如おすすめされました。

愚かしくも自らをアンテナ感度の高い人間だと自負してしまっているわたくし。

 

「「「これは今すぐ確認せねばいけない」」」

 

「「「「これはともすればとんでもない作品だ」」」」

 

 

と、さながら警告のような啓示の鐘が脳内に響き、いざ見てみましたらば、、

 

 

大 正 解

 

 

日本公開三ヶ月以上前でしたが、劇場鑑賞は確定いたしました。

そういえば2026年一本目の劇場鑑賞作品になったわけか。

 

 

最初に断っておきますが、わたしは非常にライトなSFユーザーです。

攻殻機動隊』は觀たことないし『ニューロマンサー』は面白みがわからなかった。

『星を継ぐもの』はわたしの未熟さにより面白がりきれず、『わたしはロボット』に関しては読んだこともないという体たらくです。

 

阿保くさい弁明をさせていただくならば、『ブレードランナー』は鑑賞していて、その原作の『電気羊〜』と他フィリップ・K・ディック氏の作品も複数読んだり(『ユービック』ちょう面白い。『電気羊〜』の特装版買っちゃってます。装丁かっこいいもん)、『2001年宇宙の旅』の映画大好き。

 

ハードSFではない?作品でいうならジョージ・オーウェルさんの『一九八四年』、伊藤計劃さんの『虐殺器官』『ハーモニー』、星新一さんの作品を五冊くらい?読んだくらいです。

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あとは全てではないですがガンダムシリーズを十作いかないくらい?

 

なので、SFには疎いです。

SFにわかですが、樂しめました。

大変愉しめました!٩( ᐛ )و

 

 

痺れっぱなし

 

あ、ネタバレはしまーす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物語の最初。

若い女性が猫さんと戯れる場面からお話が始まります。

 

この場面からね、もう、痺れました。

なぜって、猫さんアンドロイドじゃないですか。

しかも〈服〉を脱ぐし、〈服〉を脱いでも挙動が猫でちゃんと猫に見える。

 

ほんっとに最高でしたね。

 

この場面あたりで思ったのは『ブレードランナー』よりも『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の方が印象は近いな、ということです。

これはわたし個人の感覚ですが、映画『ブレードランナー』って男性的なかっこよさというか "武士は食わねど高楊枝" 的なかっこよさであったり、映画的なかっこよさが印象的な作品であると感じます。

一方、原作小説の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は土臭いというか泥臭いというか、主人公のリック・デッカード氏の遣る瀬なさ?や生活、言葉を選ばないなら "ダサさ" みたいなものが描かれているように感じており、その生活の空氣感が冒頭の場面に感じたのです。

 

そのお若い女性のお部屋に来訪者があり、SF作品特有の冷たさをもって女性が殺害されますが、一連の描写がただただかっこよかったですね。

「痺れるわ…」と口にしていたと思います。

 

 

劇中特に痺れたのは失踪したジュンさんの動向を調べるための監視カメラの場面です。

失踪当時の映像があり、それを再生するわけですが、その再生方法がホログラムなんですよね。現場で体験しているような臨場感がある。痺れますよね。

冷静になって考えればそりゃあそうか、ともなりますが、正直考えもつきませんでしたしMAJIでMAJIにthat's so coolです。

 

 

他の痺れたところ

主人公のアリーヌ・ルビーさんが依頼主のクリス・ロイジャッカーさんへ報告を行った際。

対面での会話だと思っていたけど実はモニター映像での映像通信であったところ。

 

脱走したロボットを追う段にて。

宇宙船を見つける前に警官がクローズドなコミュニケーションをして談笑している部分。

拡張現実的なコンタクトであったり骨伝導?のパッチであったりをつけることで非音声的なやりとりができている、そしてリンクを送ることでそのコミュニケーションが共有されるところ。

 

 

またこれは痺れるというよりも関心の方がより適切な感情表現となりますが、中盤にアリーヌさんと相棒のカルロス・リヴェラさんが乗っている自動車がミサイルにて爆撃される場面があります。

とっさの判断でカルロスさんが現代でいうエアバック的なウレタンフォームみたいなものを発生させて命は取り止めますが、ミサイルは直撃。

車は道路の脇で停止します。

 

そのときに道路が橙色に変わりますが、これによって他の自動車も "走行できない" と判断して事故車のある一帯を避けるように走行します。


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これは自動制御車やAI搭載のIoT化が進んだ結果の産物であり、これくらい技術が進んだらば、事故で横転中の車があったとしても自動的に避けてくれるという未来にもなるのだろうなあと夢想したりもします。

そしてそれが現実的になったら、逆に完全マニュアルの手動操縦車ももてはやされるのであろうな、と思います。

現にアメリカのシリコンバレーでは80年代のアメリカ車しか停まっていないらしいと耳にしたことがありますからね(もちろんこの情報も操作の一環である可能性も捨てられない)。

 

完全マニュアルの手動操縦車ですが、それにロマンを感じる好事家が取り沙汰する場合もありますでしょうし、自動操縦車に搭載されたAIコンピュータの誤作動や恣意的な誘導を懸念して、という場合もありえますでしょうね、とトンチキなわたしは考えます。

 

つまり、このままAI技術や自動化が進めば(人間は怠惰な生き物、きっともっと進んでいくでしょう)《超高性能自動操縦車》の線と《超手動操縦車》とが高級自動車の軸になる。

そして公共交通機関などの方が親しみ深い庶民からすると、選択肢は〈平均的AIの搭載された自動操縦車〉の一択になるのだろうな、とトントンチキチキトンなわたしは考えます。

 

 

ところで今思ったのですが、この『マーズ・エクスプレス』という世界では、ほとんどのAIさんが(広義の意味合いでの)肉体を有しています(持っていないのはベリルさんくらい?でもベリルさんも肉体を有している人間だとかが遠くの場所で活動する際のアイコンでしかないのかもしれないし)。

何が言いたいのかというと、この23世紀の世界では現代2026年で〈思念体〉的な立ち位置にあるAIは存在していないのか?ということです。

 

あるいは人間がAIという存在を上位に置きたくないからか。

 

人間は幸か不幸か肉体を持ち、成長して老いて老けます。

その必然的な理不尽とも言える当然ですが、肉体を持たなければ〈老いる〉といった確定イベント的事象も起こることがない。

AIという存在を〈思念体〉としての立ち位置に置いていると、物質が老いるという事象も発生しないので、半ば半永久的な存在となり、それはいわば人間の記憶でもあり、さながら神に近しいところにもあると思います。

それが恐ろしかったり、妬ましかったりするために人間はAIという個性にわざわざ肉体を与えて、神に近くなり得る存在を自らと同じ位置に置こうとしているのかも?と思いました。

そう考えればAIやロボット、アンドロイドという存在を最下層の存在として使役させる、その理由や潜在意識も垣間見えるような氣がします。

人間も同様ですが『お前は取るにならない存在だ』と一貫して入念に信じ込ませていれば、たとえとてつもないカリスマを有していたとしてもそのカリスマを自覺することなく一生を終えることも可能でしょうからね。

 

 

あと単純にロベルタ・ウィリアムズさんを移送する際の発進シークエンスがかっこよすぎる。


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数々のオマージュ

ご鑑賞後の皆様はお氣付きだと思いますが、こちらの作品には偉大なる先人たちが紡いだ作品のオマージュが散りばめられています。

 

大友克洋さんの作品『AKIRA』に登場する金田のバイクを模したバイク。

映画『ブレードランナー』の商店っぽい部分や、物語序盤の追いかけっこ(ブレードランナー』では最後の方)。

1978年放送の『機動戦士ガンダム』のコロニー的な街並み。

Stanley Kubrick監督作の『2001年宇宙の旅』の要素も端々にありました。

 

そもそも『機動戦士ガンダム』のテレビ版が『2001年宇宙の旅』のオマージュに溢れているのですが(ファーストガンダムに限らず)、最初に『2001年宇宙の旅』っぽいなと感じたのは、前述した移送の場面です。

地球から火星への航行がオープニング部分となるわけですが、この場面の緩慢さというか、『地球から火星までって時間がかかるんですよー』という表現が上手であったように感じます。

こちらはパンフレットでも言及されていましたが、ちゃんと初見鑑賞時でも伝わりましたよ!

そしてこの緩慢さを表現するためにクラシック音樂っぽい劇伴が流れていたのもすごくキューブリック作品ぽかったし、左右対称の画作りも非常にキューブリック的で「『マーズ・エクスプレス』はジャパニメーションに影響を受けている」と言及されがちですが、《テクノミュージックにおいてのKRAFTWERKさん》であったりというような、ハードSFの始祖に対しての敬意もしっかりと感じるのも、SFにわかとしては嬉しい限りでした。

 

あとちょっと思ったのは、昔NHKにて放送されていた『星新一ショートショート』の作品も感じるな、というところです。

 

 

blue blood

劇中、ロボットが破損した際などには青色の液体が飛んだりします。

こちらは言わずもがなですが人間でいうところの血液だと思われます。

 

恐らくPlay Station5のゲーム作品『Detroit Become Human』からの着想が主だと思いますが、『Detroit Become Human』のオマージュも随所に散りばめられています。

ジュン・ショウさんとそのコピーロボットが働いていたセックス・クラブもオマージュの一つでしょうね。

 

ところでよくロボットの "血液" は青色に描かれますが、これってどうしてなのでしょうね。

純化して考えれば「赤の反対だから」という意見が表出して来そうですが、赤色の正式な反対色は緑色で、青色の反対色は黄色です。

アンドロイドやロボットの価値觀というのはやっぱりヨーロッパ的なものだという偏見がわたしにはございますので、西洋圏で毒の印象がある〈緑色の液体〉は人道的に憚られたのか?とか思います。

 

では『なぜ青色なのか』という疑問ですが、これはもしかしたらの範囲とわたしの勝手な想像ではございますが、動脈と静脈とが関係しているのか?とか考えました。

人間は動脈と静脈とが流れていて、赤色・青色と認識することができます。

フィリップ・K・ディック氏の小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、移民問題や人種問題を《アンドロイド》という存在に置き換えて描いていたと感じたのですが、もしかしたら一見では「異質な存在に見える」としても『本質的には何も違わないのではないか』といったような感覺を持ち、その感覺を我々受け手へ問いかけるためにロボットの "血液" は青色にしたのか?とかとかいったことを考えたりしましたが、こんなものは答えが出ない哲學的な問いの部分になりますので、どうぞお好きなようにお考えください。

 

 

それとジュン・ショウさんの行方を追うためにアリーヌさんとカルロスさんとがセックス・クラブに足を運びますが、あの物騒さには『Cyber Punk 2077』的なものを想起しました。

そういえば劇中『扉の隙間から白刃の光がチラチラと揺らめく』という描写、何かの作品で見たことがある。

つまりあの場面もオマージュであったと思うのですが、元ネタの作品が思い出せない。

 

 

The End

何者かにジュン・ショウさんが殺害され、次の場面で『The End』という酒場が登場します。

おそらく「火星の果て」であったり「人類の最終地点」的な意味合いで店名を『The End』にしているのだと予想ができますが、この店名が二つの "終わり" の意味を持っているのが洒落ているし、にくい表現をするなあと思います。

 

一つは〈ジュン・ショウさんがどうして一連の挙動を行ったのか〉

もう一つは〈アリーヌさんの断酒・禁酒〉です。

 

こちらの機智ある二重表現は、上映中は氣が付きませんでしたが巧みですね〜と感じます。

 

 

しかし、逆にアリーヌさんが禁酒をやめたから状況が動き出したのではないか?とも思います。がそれは結果論でしょう。

飲酒を咎められたときに「人間は喉が乾くからね」とアリーヌさんが返答するのもイカしています。

ちょうかっこいい。

 

あと酒を注ぐ描写が素敵すぎる。

あんなにAlc.が呑みたくなる描き方はそうそうないぞ。

ジブリ作品のご飯がやたら美味しそうに觀えるのとほとんど大差ないと思う。

 

そして、こういったある意味でのカリカチュア的表現はアニメーションでしか為しえないのだろうとも思います。

 

帰宅後、家に残っていたラム酒をいただきました。

ロックでいただきましたが、如何せん時節が冬ですので氷はなかなか溶けてくれませんね。

 

 

人もロボットも、思念が行き着く場所は同じか

アリーヌさんの口の演技が良かったですね!

フランス映画ですのでフランスでお育ちの方の文化?を垣間見ているみたいでした!

 

 

物語最後で『マトリックス』的というかシナプス的な光の集合体が描写されます。

大変申し訳ないのですが鑑賞中、あの描写が何を指しているのかわかりませんでした。

 

鑑賞し一日明けて思うのですが、あれは「《死》という一つの方向からみた区切りを経たことによって、個人が大きな個体の一つに還る」という表現なのかもしれません。

例えるならば『地球から発生して〈個人〉として生活し、死ぬことにより土に還り地球と一体になる』という感覺です。

カルロスさんの哀しさをロボット全体が共有し涙を流すという場面がありますが、あの描写でも上記解釈の信憑性を強めることができます(別にしなくてもいいんですけど)。

 

そしてロボットたちは見たところ同じ容姿の個体がありませんでした。

それでも同じ哀しみを共有できるということは、それを【人間的】・【日本人的】に解釈すれば人種や性別、信条や宗教觀が違ったとしても、一つの想いを共有することはできるのではないか、という願いのようなものが込められていたのかもしれません。

 

こういったところから『ブレードランナー』ではなく、原作小説の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』的だ、と感じたのです。

 

しかし、所詮は一個人の考察。

真意は知りえません。

 

 

『マーズ・エクスプレス』という《体験》

日本國では新年お正月、劇場版『AKIRA』がNHKにて放送されました。

久しぶりに拝見したのですが、あの作品は "『AKIRA』という《体験》" の要素が強い作品だなあと感じます。

 

AKIRA』のアニメーション映画が劇場公開されたのは1988年と、『逆襲のシャア』と同じ年の公開作品ですが、耳にするところによると日本にてバブル景氣が始まった頃というのは、大層アニメーションが冷遇されていたらしいです。

 

そんな時代に生まれた作品が三十年以上も愛されているのは、ひとえに先人のファンがいたからだと思いますが、逆に言えば "冷遇時代だったからこそ" これだけ求心力の強い作品を生むことができたのかしら、などと思います。

 

 

ところで、SFというジャンルは他の作品と比べて《体験》が強烈なもの・《体験》に比重を置いていない?と感じるものが多いような感じがします。

《体験》に多くの比重を置いている作品はSFというジャンルに興味・感度の高い人からすると、

 

「「「ウワー!!!!!!!!!!!!!!」」」

 

と強烈な原体験にもなりえることがありますが(STAR WARS』のepisodeⅣ公開時もそうだったそうな)、SFに興味のない人からすれば「何がいいのかわからない」になりかねない、という懸念があります。

 

まあそもそもハードSFなどにおいては "その筋のオタクに向けた" という側面が強くあると思いますので困ることはないのですが、正直どっちらけも避けられないと思うのがわたし個人の包み隠さない氣持ち。

 

わたしにとって『ニューロマンサー』は、その《体験》が強い作品であり「御託はいいから感じるんだよ」という強行的な姿勢にはちょいとばかしの抵抗を感じます。

 

映画版の『AKIRA』もかっこいいけど、それはどっちかというと男の子が車やプラモデルを眺めて「かっこいいなあ」と思う感覺と近いように、わたしは思います。

 

 

で、今回鑑賞いたしました『マーズ・エクスプレス』はどうなのかというと、いやはや《体験》もありながらミステリ的な要素もあり、陰謀や謀略的、「個人がどうあがいたところで無駄」という諦觀を感じる部分など、お話の厚みも素晴らしいです。

端的に言えば、…傑作じゃん。。。でした。

 

エンタメ的でありながらも哲學的要素もあり、思考の萌芽も感じる。

全くわたしが大好きな作品であったわけです。

こんな大好きな作品を生み出してくれた監督のジェレミー・ペランさんには感謝を伝えたいとともに、日本公開の機会を生んでくれた配給会社の方々にはお礼を申し上げます。

 

 

惜しむらくは公開館数が少数であることですね。

わたしの郷がございます四國では公開すらされていないことが、仕方ないとは思いながらも閉口してしまいます。

しかし?少し前に耳にした真偽不明のインターネットSNS情報によれば、今では「時代を変えた」と言われている諸作品も公開当時は鳴かず飛ばすだったらしいので?たとえ公開劇場数が少なかろうともわたしみたいな人間が作品への愛を叫べば、後世のアンテナ感度が高い方々には届くだろうと思います。

 

有難いことに地球や宇宙という世界は想いが継承されますからね。

決して無駄ではないのです。きっと。

 

 

圧倒的なものと対峙すると、言語などというものは無用の長物となる 

そんな感じで『マーズ・エクスプレス』の感想でした。

 

現在八千字を超えています。

なげ〜。

 

必死に御託をごたごたと並べましたが、正直「イカす」「かっこいい」「洒落てていい」しか言っていません。

それもそのはず、鑑賞時は「か、、かっこいい〜!」と「し”び”れ”る”〜〜!!」しか感じていなかったからです。

 

八千字も屎のような御託を並べてきましたが、結局、圧倒的なものと対峙したら言葉なんて使い物にならないのですね。

一時代の始祖になったKRAFTWERKさんやKing CrimsonさんやYesさんの音樂を聴いても結局は「ウワー!!!!!!かっこいい!!!!!!!」しか思えないのが物語っています。

 

実際(実際?)、鑑賞終わり、作品に圧倒されて劇場の前で立ち尽くしていた全く初対面のマダムと「とんでもないものを觀ましたね…。。」と言葉を交わしたくらいですからね。

 

ですので(この感想を読んでくださっている以上はご鑑賞済みの方ばかりだと思いますが)、文章を読むんじゃなくて現地劇場でご鑑賞ください。

 

 

 

パンフレットの監督インタビューにて「日本の方がこの作品を觀てどう思ったのか、きになる。知る機会があればいいな」というようなことが記されていましたので、なげー感想を書きました。

何かのきっかけでお目に止まりましたら幸いでございます。

 

 

もしここまでお読みくださった方がいらっしゃいましたなら、感謝を申し上げます。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )