頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

フィクションはフィクションであるからフィクションとして成り立つ

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今日はなんだか精神が不調な感じですね。

 

 

「精神的不調は大体寝不足と寒さが原因」という花言葉

いや〜なんともなんとも。

しかし、理由を知っていれば対処方法を見出せる。

それは十年前は知らなかったことですし勿論腑にも落ちていなかったことです。

 

なので、成長はしている!という浅はかな自己弁護をしながらも、このような浅はかさは世の中では蟻さんがコロニーを作るが如く繰り返し大衆が行なっていること。

というわけで、実態は浅はかであろうとも、駄目亭主を受け入れる昭和世代の女性のような世の中の度量深い浅はかさに感謝をしながら、実は嫌惡する浅はかさに自らの浅はかさを重ね、自らの浅はかさも受容するのである。

それは脳内で蟻さんがコロニーをせっせと作るようであるのかもしれない。

 

空氣の玉を飲み込もうとするが、喉に引っかかっている。そのような感覺。

 

 

フィクションはフィクションであるからフィクションとして成り立つ

『灰かぶり姫』というお話があります。

不遇な少女がひょんなきっかけで引き立てに逢い、幸せに暮らしましたとさ。という内容です。

西洋では『シンデレラ』という名前で知られているそうですね。

 

そしてそのように引き立てに逢って大躍進を遂げることを〈シンデレラストーリー〉と呼ばれていますね。

少し前の話になりますが、ピコ太郎さんが一般的に知られるきっかけとなった出来事も〈シンデレラストーリー〉ですね。

 

さてこの〈シンデレラストーリー〉ですが、我が事や身近では本当に起こりません。

 

体感ですが宝くじで一等当選するのと同じくらい起こりえないことに感じます。

 

 

そのときに思ったのですが、〈シンデレラストーリー〉などの作り話、フィクションの話って似た内容が多い。

それっていうのは、フィクションだからということだろうと感じますが、フィクションのお話というのは現実的にほぼほぼ起こりえないからこそ、フィクションとして成り立つのではないでしょうか。

 

ドラマや映画、小説などのフィクションというのは "現実的にありえない" とされているからこそ、フィクションとして映えるのではないか。

ですので『〈シンデレラストーリー〉なんて望むものじゃない』と思った方が傷ついたりしないということなのではないでしょうか。

 

しかし。

実際に一攫千金を手にしたり、本当にフィクションのような大抜擢・引き立て・大躍進を経験されることもある。

だから我々大衆は望んでしまう。

『〈シンデレラストーリー〉なんて望むものじゃない』という思った方がいいと考える。

堂々巡りも始まる。

 

 

その堂々巡りは脇に置くとして、フィクションのような〈シンデレラストーリー〉を自らに引き寄せる為には、これまでのことをコツコツと積み重ねるしかないのだろうなあと感じます。

『灰かぶり姫』も真面目に家の雑務を行なっていましたからね。

 

なので、コツコツと真面目な活動を続けることが重要。

且つ、いつも通りの行動だけではなく新しい行動も必要になる。

 

動け!

攪拌のない家は朽ちるのが早い!

凡庸とは、それは昔から行われて紡がれてきたことだ!

 

 

動け!

 

 

確率

そういえばじゃんけん遊びにおいて勝ちたいのであれば、完全ばらばらに出す手を変える、考えずに変えていくのが良いらしいです。

 

『手を決めて出す』と、勝つための確率がどんどん下がっていくため、常に三分の一の確率で勝つためにてんでんばらばらで出すのが良いのでしょうか。

 

 

そういえばヤギの問題があります。

モンティホール問題』ですね。

 

あちらも確率の話です。

 

そして《じゃんけんの話》と『モンティホール問題』の二つから抽象的な部分を抽出すると、"確率を変える・上げるために行動する" という共通点が発見することができました。

 

 

つまり、得たいなら、動け。

 

 

動け!

 

 

ジンクスと験担ぎ

日本國では縁起を担ぐのがお好きです。

考え方は色々とありますが、わたし個人はこの感覺が好きです。

 

ところで、縁起を担ぐことや、験担ぎ、ジンクスですが、これってもしかして流動的なんですかね?

『この行動をしたらこうなる(らしい)』や『(特定の結果が欲しいから)この行動をする』との心理で演技を担ぐわけなのだと思っていますが、「以前この行動をしてうまく行ったから繰り返そう」という心理もあると感じます。

 

しかし『「以前この行動をしてうまく行ったから繰り返そう」という心理』で行なったとて、同じ結果がくるとは限りません。

このことによって、多くの験担ぎは迷信として認識されてしまいますが、これってただただ迷信なのではなく、"タイミングではない" というだけなのではないでしょうか。

 

陸上選手が競技場のトラックを走っているけど、自分の近くにいなかったから。

それだけ。

みたいな。

 

なので行動自体は験担ぎとして有効且つ適切だった。

みたいな。

 

 

あとさ、どちらが験担ぎでどちらがジンクスなのかわからないのですが、幸運を自分側に引き寄せる行動と、自分を幸運側に近づける行動とがあるのかも知れません。

 

知りません!

 

 

細く補足

そういえば〈シンデレラストーリー〉の補足なのですが、〈シンデレラストーリー〉が自分や貴様様にもたらされないのは、潜在的・無意識的には停滞を望んでいたり、劇的な変化を恐れているからなのかも知れません。

 

「え〜準備できてないんですけど。困るんすけど」との考えが無意識にあるから、〈シンデレラストーリー〉はもたらされないし、それによって「〈シンデレラストーリー〉なんてどうせないんさ」と『酸っぱい葡萄』的な卑屈を引き起こす。

 

 

わたしはスピリチュアル的な話が好きなのですが、「はい三億円」とぽんと渡された時に "具体的な使い方と内訳" をすぐに答えられる人ほど、それに相当する金額を得る機会が起こりやすいのだそうです。

そのお話を考えると『お金の使い方を想定できていない人ほど、突発的な大金がもたらされた時に最終的にご破算される』というのは然もありなんというか、そう思います。

 

大金の使い方や使い道を知らないままなので、急に羽振りをよくしてしまい、その生活様式を下げることができず、ご破算してしまう。

 

『取らぬ狸の皮算用』などと言いますが、それはそれで重要なことなのでしょうね。

 

 

わたしが大金を得た時は、全体の半額を寄付し、残りの半分で借金を返したりギターを買ったりPCを新調したりします。

あと全國の神社さんにご挨拶しに行ったり山に登ったり、現地の方々とお話をするために酒場に行ったりします。

また世話になった先輩に酒を渡したい。

 

 

帰途はしょんぼりとしながら歩いていたが、自宅で動画などを観ていたらケラケラ笑っていた。

 

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )