本日もご訪問ありがとうございます。
たびたび書いておりますが、わたしの二十代は病み病みメンタルヘルスの記憶です。
セルフ精神的自傷を繰り返していたということですが、まあ暇だったってことでしょう。
自己嫌悪ウォウWoヲウとさめざめ涙ちょちょぎれていたことも数回ではありません。
以前の記事でも記したのですが、他所様の問題を背負い込もうともしていました。
『自分以外が体験する必要がある』からこそ他人様にもたらされているにもかかわらず、その他人様の問題をさも自分のことのように感じ入っていたのです。
ともすれば "優しい" と認識していただける部分ですが、誠にご立派なことですね。
さてこの感覺も今では鳴りを潜めています。
その理由は『他所様の問題に首を突っ込もうとするなんて、なんて品がないこと』と目が醒めたからなのですが、現在半周還暦と半歩の年齢になって、おめおめと "なぜそんな行いをしていたのか" に視線が向きました。
その理由とは、簡単に言えば〈エネルギーが有り余っていた〉からだろうと思います。
三十路の辻を過ぎた程度もまぁ若い時分と形容されましょうが、今よりも若かった二十代の自分は若かったなぁと思います。当然。
そして、現代の若い時分の子どもたちが病んだりする理由とは、以前のようなエネルギーの発露方法がなかったり、知らなかったりするからではないでしょうか、とこう思うのです。
産業革命以前は農作業が基本であったため肉体労働があり、エネルギーの発散もできたのでしょうが、昨今はやれ効率的だやれだどうのだと、大層うるさくていらっしゃいます。
つまりエネルギーの発露がない。
つまりエネルギーの停滞が発生する。
若者が感じるメンタルヘルスの要因の一つにエネルギーの停滞があると、現時点のわたしは考えているのですが、何もそれだけではないよな。とも考えています。
汁物椀と、お茶碗は大体同じ大きさですが、では、お茶碗と寸胴鍋とではどちらの方が多く容量を担えるでしょうか。
当然ですが後者の寸胴鍋の方が多く容量を担うことができます。
個人の許容量は年を食うごとに大きくなるものだとは思いますが、個人個人で初期装備の容器も違いがあるのではないか?と考えています。
個人が持っている容器の大きさが大きいと、その中の液体をかき混ぜるにも力が必要になりますし、上澄みだけを混ぜても下の方は混ざりません。
つまり深層部分が淀んでしまう。
そのため、深い憂鬱を感じてしまうのではないか?と考えています。
これが世に言う "器" というものではないのか。
ということは。
深い憂鬱を感じている方ほど、実は器が多く許容できる量も多い。
なので、氣を病んでしまえる方は優しく、人様を受け止める度量もあるということですね。
大変素晴らしいことだと思います。
なので自分は素晴らしい!と思えば、少しでも落ち込んだ氣分が軽くなれればわたしは嬉しいです。
「とは言っても苦しいんだよ〜」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
それは、それで、いい。
だって感情は宝だからです。
ちなみにわたしはマリアナ海溝です。
マリアナ海溝を初期装備しちゃってるので、上澄みだけ混ぜても深層は当然混ざりません。
そりゃあ病むわね。
ちなみにわたしはここのメンタルヘルシー関係はけりをつけたので、今は基本的に感情が凪の水平線です。
凪だと混ざらないじゃないかって?
わたしは各所で愛を小分けパウチにして提供しているので無問題です。
不思議なもので愛は他者に注ぐと次々と湧いてきます。
逆に、自分の愛を自分だけに独占しようとすれば、すぐさま枯れます。
上澄みにある純度の高い愛を他者に提供すると、新しい愛が湧いてくる。
湧いてくるから、循環して深層から混ざる。
素晴らしい循環す٩( ᐛ )و
ただ、わたしは特殊な訓練を積むしかなかったために来ちゃった考えです。
まだまだ他者に与えるだけの愛が余ってないと思われる方は、どうぞ最大限までご自身を大切になさってください。
なによりもあなた様ご自身が大切ですから。
わたしはわたしが一番大事 ✌︎('ω')✌︎
ありがとうございました ✌︎('ω')✌︎
そういえば憂鬱な時には土を触ると回復に良いらしいです ( ¨̮ )
土がないと自分は存在できていないですからね( `◟ 、)
先祖供養です( `◟ 、)