本日もご訪問ありがとうございます。
今回の内容は寝かして醸造していたものです。
題名の通り政治的な部分へ触れる内容となりますので、攻撃的にはなります。
とはいえ特定の政党に対しての苦言などではございませんのでご安心ください。
政教分離
日本には政教分離の価値觀・標語があります。
〈政教分離〉とは簡単にいえば『政治と宗教とは切り離しましょうね』という考え方です。
まあできてない政党はございますが、今回はその政党さんは関係がありません。
さて、話は変わって2019年の初夏頃のことだったと思います。
そのころは衆議院だったか参議院だったかの選挙があり、政治家さんが街頭演説をしていらっしゃいました。
街頭演説をする政治家さんの周りには支持者の方々が集まります。
樹液に集まる虫さん、街灯に群がる虫さんと同じですね。
その頃くらいからわたしも政治に興味を持ち出したこともあり「何を考えて言葉を口にされているのだろう」と、足を止めて政治家さんの発言を聞いていました。
寄る辺ない者たちの寄り合い場所
政治家さんの街頭演説には支援者が付き物。
そして政治家さんの街頭演説には支援者の野次が付き物だと考えています。
その時も政治家さんの発言に呼応するように「そうだそうだ!」と聴衆の野次が聞こえてきました。
野次の発音された方向を見ると三、四十代の男性がいらっしゃったのですが、なんとも、、、純粋に『そうだ』と思っている様子を感じなかったのです。
これはもちろんわたしの憶測ですが『政治家さんの発言と同じ想いを持っている』というよりも『同じコミュニティに所属できたことの嬉しさ』を、わたしはその男性に対して感じました。
つまりひずみのようなものを感じて居心地が良くなかったのですが、この時にわたしはその男性の背後に寄る辺なさを感じたのですね。
人間社会って対人関係と対話の混ざりが重要になるじゃないですか。わたしはそう思っています。
わたし自身、対人関係を築くのが苦手なだけあって本当に重要だよなあと思います。
そういった対人関係の身近なコロニー(家族や会社・學校)に所属できなかった方々がどこに向かうかといえば、宗教的側面の強い共同体だと考えています。
どうにも完全なるコロニーの阻害者では人間は生きていけないのではないかと思っています。
運悪く身近なコロニーに所属できなかった寄る辺ない方々は、宗教的側面の強い共同体に向かうのではないか?と感じています。
そういった共同体にとって門を叩いた人を選り好みすることは団体維持に反しますし、コロニーの存続に大きな影響を与えるでしょうから、共同体は受け入れる。
そして、同じ体質を有していると感じるのが、政治組織です。
こちらも支持者を募らないと存続の危機に関わりますから、選り好みなんてしていられません。
ということで、宗教と政治は大変に親和性が高い。というよりも元々宗教が政治になったのだろうかなとすら思います。
両者とも『コロニーに所属できなかった、寄る辺のない者たちの受け皿』として機能する場所であるのだと感じており、それが故に両者は親和性が高い。
むしろ親和性が高すぎるから、宗教と政治を同じにしてしまうと暴走してしまう。だから標語や釘を刺す意味合いとして〈政教分離〉を掲げているのではないか、と思った次第です。
口だけじゃね、とは思います。
思っている以上に "思い込もうと" している…?
さて、話は少し戻り。
「そうだそうだ!」と口にする男性を目にして感じた違和感がありましたが、その違和感の正体は『心の底から同意しているように見えなかった』からかもしれません。
人間は言葉を用いて対話などを行いますが、自分自身に暗示をかけるために言葉を用いることもございます。
『その場で野次を発言していた男性には純粋に「そうだ!」と思っている様子を感じなかった』と前述しましたが、わたし的には『やっと見つけた寄り合い場所から追放されないためのパフォーマンス』として「そうだ!」と野次を口にされていたような感覺も覺えました。
『 "自分がそう思っている" と思い込もうとするため』の「そうだ!」という野次だった、というわけです。
究極は「お好きに生きて( ¨̮ )」の範疇ですのでわたしが伺い知る範囲ではないのですが、追放されないために意に反した行動をするって、そういった関係性って病的じゃない…?と思います。
つまりそれって主従関係ですから。
が、案外そういった病的な部分はそのコロニーにも生じているのかもしれません。
わたしは知りません。
こういったことを考えてしまうので、わたしはどのコロニーにも属すことができないのですね( ¨̮ )
わたしはギターが弾けたら別にいいや( ¨̮ )
お好きに生きて( ¨̮ )
わたしはわたしを生きます( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )