頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

美意識の違いの問題

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

先日電車に乗っていましたら、ある女性が乗ってきました。

 

その女性はヨレたりしてない綺麗なお洋服をお召しでいらっしゃり、ぱっきりと"決まった"綺麗なご格好をされておりました。

 

ですが、その容姿にどこか違和感を感じます。

 

どこだろうと思って考えたらば、綺麗なジャケットのポケットに、ペットボトルがねじ込まれていたのです。

 

そのちぐはぐさ、着る服は綺麗に"決めている"のに、ペットボトルでポケットが大きく膨らんでいることに、わたしは違和感を感じたのでした。

 

確か、おそらくですが、ペットボトルのラベルも傷んで切れ切れに広がっていたようにも思います。

 

鞄に入れればよいのに…。。と思いましたが、そのレディが身につけておられる鞄はポシェットタイプのもの(綺麗で汚れていない感じ)。

 

大きい鞄を使えばよいのに…。。。と思いましたが、不便でも好きなもの・自分の氣分が上向きになるものを使いたいと思うのが人の心の常です。

 

わたしとしては『ペットボトル in poket』で大きくポケットが膨らんでいると、ご格好ばっちり"決めて"いても、いえ、ばっちり"決めているから"こそ、その『petbottle in pokeト』が目立って見えてしまうんです。

 

全くうるせぇ部外者でございますね。

 

うるせぇ〜〜〜〜!!!!!!と思ってください。いや、強制はしません。人の心は自由です。

 

大体が、その人それぞれが持っている美意識の違いが起因している問題なのでしょうしね。

 

わたしは服などでも、かなり草臥れるまで使う人間なのですが(好意的に言えばものを大事にする、逆の言い方をすれば引き際を見分けられないにんげん)、毎月消費活動をして不要になったものは売って経済を循環させる主義の方もいらっしゃいます(わざわざそこまで考えてはいらっしゃらないのでしょうけれど)。

 

事実、そういった後者のような方がいるからこそ、現代の資本主義の消費社会は回っているのです。

 

それが善いことかどうかはさて置くとして。

 

 

うるせぇ他人がうるせぇことを感じたことで、その人固有の美意識の問題なんだな。と思ったというお話でした。

 

わたし自身も好きな服を着ていて、他人や親からやいのやいの言われたら「うるせぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と思いますからね。

 

もう結局はこれですね、どうぞ好きなように生きて( ¨̮ )

 

ありがとうございました。