頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

鬼滅の刃 刀鍛冶の里編 第一話『誰かの夢』感想・考察

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

ついに、アニメ『鬼滅の刃 刀鍛冶の里編』の放映が開始いたしましたね!

以前、二月三日の節分に先行上映として特別版が劇場公開されていた際に感想をかきました。

改めて観てみて思ったことは、その際に思ったこととあんまり相違しませんが、書きます。

floodinhead.hatenablog.com

 

👇過去の『鬼滅の刃』感想・考察記事👇

floodinhead.hatenablog.com

 

 

終わり

物語が始まって、隠の後藤さんが手鏡を踏みます。

踏んだために鏡は割れたのですが、これは遊郭という場所の(少なくともこの場所は)終わりを示唆しているのかなぁ、と思いました。

 

遊女にとって鏡という存在は身だしなみに必須だったのでしょうし、さながら商売道具であるとすら表現できたでしょう。

そんな手鏡が壊れて使えなくなった=使う必要がなくなった、遊女は解放されたという意味合いかなぁ〜などと思いました(遊郭編のエンディング映像の最後で、帯が天に舞い上がっていたりもしましたしね)。

 

それに『遊郭編』で戰った妓夫太郎さんと堕姫さんのきょうだいが生まれたのも花街ですので、その二人の一生も終えた(これは決してネガティヴな意味ではなく)ということでもあるのかな、と感じました。

 

きっと考えすぎですけどね。

 

 

矛盾しとんで、お兄ちゃん

わたしは鬼舞辻無惨さんに対してアンチの姿勢です。

無限城にて無惨さんが、青い彼岸花を見つけられない上弦の鬼に対して「わたしは貴様らの存在理由がわからなくなってきた」と言いますが、わたしはそれに対して「お前の都合で勝手に人間を鬼にしたやつが、何を『存在理由がわからん』とか言ってんのさ‾\_(ツ)_/‾ 後輩手駒にしてるだけなのに‾\_(ツ)_/‾」と思いました。個人の感想です。

無惨さんとは相容れないなぁ、とつくづく思います。

 

あと、初回鑑賞時の記事でも書きましたが『青い彼岸花が見つかってない時期が長い』のなら、『青い彼岸花が見つかる』ことって変化じゃん。

矛盾じゃん。

 

 

人間の部分

先行上映の時の記事にて、『玉壺さんの二枚舌』というようなことを書きました。

そして、劇場鑑賞特典に載っていたインタビューにて、玉壺さんの声優さんが「玉壺はどこか人間臭い」と話されています。

 

妓夫太郎さんと堕姫さんが討たれたことを、無惨さんが部下に報告する際に「人間の部分を多く残しているものから死んでいく」みたいなことを話しますが、それだと玉壺さんの二枚舌の部分ってすごく人間の部分ですよね。

 

またこの『刀鍛冶の里編』にて、玉壺さんと共に鬼殺隊と相対す鬼となる半天狗さんも非常に臆病な描写がされています(少し聞いたところだと、実はとても狡猾な性格なのだとか)。

 

臆病なのって非常に人間っぽくないですか?

それとも、単純にその人の性格というだけ?

 

鬼みたいな『人間の上位種』なのであれば、もっと泰然としているものじゃないか、と感じます。

ですが、玉壺さんも半天狗さんも、自分よりも上位の存在がいた場所だからそういった要素が出ただけであって、彼らから見て下位の存在である人間を前にしたらば、もっと泰然とされているのかもしれません。

 

上弦の壱である黒死牟さんは非常に泰然とされていましたしね。

 

 

しかし、黒死牟さんのできる上司感というのですか、『従属するものである以上はそれに準じて、その風紀を乱さないようにする』という姿勢には感服いたしますね。

 

 

刀鍛冶の里までと、雑記

初見時、カナヲさんが落としたお花のことを水仙だと思っていたのですが、どうやら水仙ではなかったようです。

でも刀鍛冶の里の長がいる和室には水仙が生けられていました。

 

 

甘露寺蜜璃さんは典型的な三種体壁だなぁ、、と思いながら見ておりました。

 

そんな甘露寺蜜璃さんですが、炭治郎と別れる際に『刀鍛冶の里には秘密の武器があるそうだから、探してみてね』と耳打ちする場面があります。

そのあとに着物の羽織から、腕の色が覗くカットがあります。

 

改めて観てから、このカット割りに氣付いたのですが、このカットって必要?と一瞬思いましたが、それと同時にこういった『一見不要に思えること』こそが、作品のリアリティに繋がるのかなぁ、と感じました。 like a 金土日です。

実際、とても印象にあるシーンですからね。

 

 

炭治郎が木陰から、霞柱の時透無一郎さんを認める場面があります。

その際に無一郎さんのお顔が映りますが、無一郎は他の柱の方々と比べて、より眼差しが朧氣な印象がありますね。

霞柱と銘打たれているだけあるとも思いますが、その過去も辛いものがあるんだろうなぁ。

原画展知識ですが、無一郎さんはお兄様との記憶が重要になってくるそうですね。

 

 

猿轡

鬼は太陽が弱点です。

太陽の光を浴びると、死んでしまうそうです。

 

この『鬼滅の刃』は主人公・竈門炭治郎の妹である禰豆子が鬼になってしまい、その妹を人間に戻すためのお話ですが、ということは、禰豆子も太陽を浴びると死んでしまいます。

ですが、これも原画展知識ですが、どうやら禰豆子が太陽を克服するそうです。

 

その克服理由が、例の『青い彼岸花』なのかは存じません。

 

 

エンディング映像の一番最後で、禰豆子の猿轡が芝の上に落ちている場面が映ります。

これって『禰豆子の太陽克服が刀鍛冶の里編で起こる』ということなんですかね。

 

まぁ娯しみにしていたらわかることです( ¨̮ )

樂しみに待ちましょう( ¨̮ )☆

 

 

今更氣付いたのですが、禰豆子は「ねずこ」と読みますが、これって『寝ず子』ということなんですかね。

 

 

 

 

次回、第二話は『縁壱零式』だそうです。

樂しみですね( ¨̮ )

 

お愉しみにして生きましょう…( `◟ 、)

 

 

ありがとうございました( `◟ 、)