頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

頼もしいじゃん。ある意味どう生きたって肯定されるんだぜ

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

 

 

わたしは普段『神』だの『死』だのを言及した記事を書いています。

書いている当人は全く意識しておりませんですが、もしかしたら「宗教くさいなあ」と思われる方もいらっしゃるかも知れません。

 

わたくし当人としては〈哲學〉的な意識で考えているからです。

 

そんなわたしですが、〈哲學〉と正面から相対して物事を考えたことはありませんでした。

 

と、いうことで、今回の内容は「めっちゃ哲學的なことを書いてみよう」の回です。

 

記事の主題は《なぜ生きるのか》と《なぜ生きないといけないのか》です。

 

先日書いた記事で触れていた内容ですね。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

ちなみにこの記事は当ブログで初めての有料記事です。

 

えぇ、そうでしょう。

どこのお馬さんの面の皮も分からない人間の、もしかしたら人間ではないかも知れない思念体の、齢ハーフ還暦超えた程度の若造の考えなどにお金を使うべきではないというお考え。

 

わたしのブログは『あくまでも暇つぶしで消費するものであるから、わざわざ大事なお金を払ってまで読むものではない』という認識の方もいらっしゃるでしょうし、むしろそんな方の方が多いのではないかと感じます。

実際、わたし自身にも同じような姿勢で娯しんでいる娯樂がありますしね。

 

なので、結論だけは書きます。

というよりも《なぜ生きるのか》に対しての答え・結論ではなく、結論の先にある『ならばどのように生きたらいいのか』を書くだけに留めます。

 

しかし結論だけ知っても意味はないです。

〈その結論に至るまでに思考した過程〉の部分が重要ですからね。

『人生は要約できない』と表現されていたのと同じですね。

 

結論だけを受け売りで他人に話したとて『受け売りの話しかできない薄っぺらい人間』と受け取られるだけですしね。

 

さてその【結論】の先、つまり『どのように生きたらいいのか』ですが、それは「ただ思うままに生きたらいい。悩んで、もがいていれば尚良い」です。

いかがでしょうか。

上記を見てご自身なりの考えで結論を導き出すのも良いかも知れませんね。

 

 

「 『思うままに生きろ』ってことは犯罪も許容するのか」というご意見をいただきそうですが、それについては条件付きで『はい・Yes』と返答します。

犯罪については〈そうするしかなかった場合〉や〈行為自体を悔いている〉状況などの場合でのみ、許容するという姿勢です。

 

嬉々として犯罪行為を行なっていたり、人様を騙くらかした内容をさも武勇伝の如く話しているような輩は駄目です。

しかし、そういった輩も結局は反面教師という形で肯定されるのですけどね。

 

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〈ポケット書評シリーズ・特別編〉四次元ポケット書評 モダンタイムス - 伊坂幸太郎

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回は何故か本当にシリーズ化していた〈ポケット書評シリーズ〉の特別編です。

 

題材となる書物は、わたしがファンをしている伊坂幸太郎さんの『モダンタイムス』です。

 

何回ネタにしているんだ。流石に好きすぎるだろ。

などと自意識が過剰になりそうです‪( ´¨̮ )‬

 

 

とはいえ何度も記事のネタにしているのでお話部分にはあまり触れないことでしょう。

では何を書くかをいえば『今回再読してなにをどう感じたか』という部分。

 

つまりほとんど通常回です‪٩( ᐛ )و

 

 

 

上巻‬

案内板を提示すれば、それを有り難たがって進む。

案内板が恣意的であれば尚良し。

 

 

起承 > 転結

物語はシステムエンジニアの渡辺拓海さんが拷問をされそうになっている場面から始まります。

なぜ拷問をされそうになっているのかは実際にお読みいただきたいので言及いたしませんが、その拷問に端を発してか職場の迷惑な先輩が失踪したり主人公自身が物騒な出来事に巻き込まれたりという破茶滅茶珍道中です。道中ではない。

 

ちなみに今回再読したのは『伊坂幸太郎作品発表順に読み返しシリーズ』が理由です。

floodinhead.hatenablog.com

 

今回再読して感じたこと?意外だったこと?は上巻の方が面白かったことです。

一般的に上下巻があれば上巻は起承転結の起と承ですが、その部分が非常に興味深かったというわけですね。

何度も読み返してきた作品であり、これまでなら下巻の方がエンターテイメントとして面白いと感じていましたが、上巻の面白みが下巻を凌駕したのはわたしの考え方が変わったからでしょうか。知りません。

 

わたしは伊坂幸太郎さんのソフトハードファンを行なっておりますが、改めて思ったのは「伊坂さん!あんた本当にエンタメに昇華させるの上手ねぇ〜!」です。

 

 

政治家は仕事を作るのが仕事

作中にて主人公が「政治家は仕事を作るのが仕事だ」と発言いたします。

その発言に直感を受け『複雑化した社会は人口が増えたからではないか?』という仮説を考えました。

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物事はさして変わっていないものの、その物事に関わる人数だけ増えてしまっているため部品としての複雑化が進んでしまった、ということです。

 

作中でも言及されていますが國家は生きながらえるために國民の機嫌を取らねばなりません。

國家にとって國力でもある國民は、謂わば "お客様" でもあるからです。

客足が遠のけば商売ができないのと同じで、國家が存続し続けるためには國民がその國に止まり続ける必要がある。

「國民が國民として居続けてもらうため」に仕事を用意しないといけない、ということの次第です。

 

そのため、システムを切り替えたり仕組み自体を新しいものに挿げ替えたりすることで、新しい利潤や雇用が発生する。

正直もう完成しているものでも、そうやって新サービスや仕組みの複雑化を行うことで國家が存続できるのであれば國家は嬉々としてシステムを更新するでしょう。

 

我々生物は食事を行いますが、それは生き長らえるためです。

生き長らえるために食事を行い、体内の細胞を切り替えて循環させている。

 

別の角度で考えれば、國家も肉体と概念ではなんら変わらないのかもしれません。

 

あなた様の細胞が突然「もうこの肉体うんざりです。別の肉体に亡命します」と集団ストライキを起こされたらたまったものじゃないでしょう?

 

 

繋がった

以前わたしは「広告は花だね」という内容の記事を書きました。

floodinhead.hatenablog.com

 

『広告は目立つように作られている。その結果お金が発生しそのお金は今後の資金になるわけですが、それってお花が目立つ色をしているから受粉され実になって種となる。種は未来で芽吹いたり。。というのと似ていますね。ほとんどおんなじだ』という内容なのですが、広告・広告業者も謂わば國家が生き長らえるための細胞の一つなのではないか?と感じます。

 

過去の思考が未来という今につながりました。

さすがわたしの思考。

 

 

やっぱりか

作中にてとある企業の求人方法が紹介されていました。

 

『自然対数の底eの値の中の最初の連続する10桁の数字.com』

 

というのがその求人広告です。

有名なのでご存知の方も多くいらっしゃることでしょう。

 

floodinhead.hatenablog.com

 

ところでこの『モダンタイムス』という作品は〈検索〉を題材としています。

その作品で上記した求人の広告方法が言及されている。

 

そこでわたくしは「っぴーん」ときました。

わたくしの超高性能思考こんぴうーたが演算を行なったのです。

 

それはほとんど演算というよりも、過去に演算したことの組み合わせでしかありませんでしたが。

 

《ひみつ》として触れ回っているものが世の中に公開されているふしぎ。

 

この『モダンタイムス』という作品。

 

すこし考えて直感を用いたら自ずと答えは思いつきます。

 

想像力を働かせてごらん、絶対。

 

 

下巻

最近の、ともすれば "丸くなった" とも言われかねないハートフル伊坂ではなく物騒直球な作品、それが『モダンタイムス』です。

殺し屋シリーズの『777』が文庫化しましたが、天道虫の七海がどのような物騒を披露してくれるのでしょうか。

 

『グラスホッパー』といい『マリアビートル』といい『AX』といい、〈殺し屋シリーズ〉は傑作揃いですので非常にたのしみです( ¨̮ )

スズメバチって出るのかしら ( ¨̮ )

 

 

 

考えろ。

物語の終盤で主人公らはシステムというものの、あまりのシステマチックさに対し途方に暮れます。

そのあと、五反田正臣さん、主人公の妻・佳代子さんは『できること』を行います。

 

また井坂好太郎は「小説で世界は変えられない」と絶望しながらも【個人】に対して小説を書こうとしました。

 

これらは『たとえちっぽけなことでも目の前にあることは行えばいいじゃない』ということで、安藤潤也氏が言及していた「スカートがめくれていたらベルトでに直してあげたい」「困ってる人がいれば、助けてあげればいいじゃない」という価値觀に共通します。

 

この作品は『魔王』と同じ時間軸にある作品ですが、その『魔王』の主人公であった安藤が「でたらめでもいいから、自分の考えを信じて、対決していけば、そうすりゃ、世界が変わる」と言及していた内容に通ずるとも思います。

 

また「全体を作っているのは一個人」でもあるのですから、大きな全体ではなく【個人】に焦点を当てて行動することで、結果的に全体が変わるということも往々にしてあり得るのではないか?と思います。

 

音樂でもマスに向けて作られているものがあるじゃないですか。

ポップ・ミュージックというものですが、その中でもより大衆に向けて数學的に計算ずくで調整された音樂。

これはわたしの趣味ですが、最初からマスに向けて作られたものって薄いと感じるのですよね。

そりゃあ一般に受ける必要がありますので「みんなが好きな味付け」にしないといけないのは当然なのですが、内容が薄くないか?とは思います。

まあこんなものはわたしの趣味であり、所詮わたしがマス側の思念体ではないということの証明なだけなのですけど。

 

その上で?やっぱり『自分で選択した』と思わせることが重要なのだなあと思う。

 

 

 

『モダンタイムス』は『魔王』の時間軸にある作品だとは前述しました。

そしてこの作品は《システム》に対して言及している作品でもあります。

 

そういったことから、この度再読して「安藤が作品のシステム側になり『考えろ』と語りかけているみたいだなあ」と、わたしは思いました。

 

 

 

これにて今回の〈ポケット書評シリーズ・特別編〉四次元ポケット書評 モダンタイムス - 伊坂幸太郎 は終わりですが、所詮はわたしが考えたことや直感であり事実とは無根ですし、人生は要約できないのと同じで小説はその人自身が読まないと意味がありませんので、是非とも読んでみてください( ¨̮ )

 

 

さあ、勇氣はあるか! まだ見ぬ君にいつか会える日を楽しみにしてる!

 

 

終わりに ~ 『モダンタイムス』を觀て~

この作品は『モダンタイムス』というお名前ですが、元ネタに超有名な作品があります。

そうですチャールズ・チャップリン氏の映画作品です。

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昔の映画ということもありお恥ずかしながら鑑賞したことがございませんでした。

 

今回『モダンタイムス』を読んだということと、酔った勢いで間違って登録してしまったAmazon Primeが今月で満了となるので、この機会にと思って昨日鑑賞しました。

 

作品の感想ですが、コメディの様相はしていましたがほとんど悲劇、ほとんどホラーでした。

「そうはならんやろ」なローストダックの場面や、穴あきチーズの場面などは普通に面白かったですが、割と終始苦笑いでした( ´¨̮ )

 

 

自動化にて。

機械化したことで主人公は精神を壊します。

 

鐡工所で働いていた主人公ですが、休憩中や仕事終わりも業務の動作を行なっていたのはともすれば滑稽ですが、わたしにはとてもじゃないですが笑えませんでした。

わたしも個人時間中に業務のことを考えてしまっていたりするからです。

したくない業務のことを個人的な自由時間でも考えているなんて地獄じゃあないか。

 

わたしは音樂と曲作りと世の中の仕組みめいたものに思考を巡らせたいのだ。

それが職になっていたら自由時間に考えるのでもいいが、したくない業務なのだからいやなのだ。

ハムちゃんなのだ。

じゃんぴょんウサさんずなのだ。

 

 

鐡工所へ自動食事機の営業が来まして、主人公が実験台にさせられます。

その機械は、つまり手を使わなくても食事ができる画期的な機械!ということなのですが、主人公が実験台になっている様子を見ていてそれはもう恐怖でした。

自動化するってことは、それって裏を返すと自分自身が自動化に合わせる必要があるということになるからです。

つまり、自由になったつもりであるが、その実は自由を奪われているということだと感じたからです。

 

ホラーじゃねえか!

 

 

潤滑油

わたしは現在村田沙耶香さんの『地球星人』という小説を読んでいます。

 

「やってくれたなあ村田沙耶香!!!」という氣持ちであり、おそらく〈ポケット書評シリーズ〉になると思いますが、その作中にて主人公が『部品』になれることを夢?みます。

 

その部分を見て『銀河鉄道999』の最終回を思い出しました。

「旅の執着点は部品になること。主人公はその結末に絶望する」というのが作品の結末なのですが、それを思い出しました。

 

 

よく言いますよね、社会の歯車って。社会の歯車になりたくないって。

 

そんな時、わたしはすご〜〜〜〜〜〜〜く厭なことを思ってしまいました。

 

もしかしたら『歯車』ですらないのかもしれません。

 

《歯車》になれたらいいね、という感じです。

 

 

 

《歯車》とは比喩としての表現ですがもちろん。

「《歯車》になれたらいいね」とは現代社会の落伍者側から解釈した願いではありません。

 

そもそも、「社会の歯車」ってのは大衆ではなく企業や組織ではないか?

その企業や組織に従事する我々大衆は「社会の歯車」ですらなく《歯車》を円滑に動かすための潤滑油でしかないのではないか?

 

チャールズ・チャップリン氏の『モダンタイムス』でも「機械の中に主人公が入り込む」という超有名な場面がありますが、この度初めて映画を見たら、主人公は歯車になったりはしませんでした。

"歯車の間を進んで、歯車を整備する場面" として、それがあったのです。

 

歯車ですらない。

 

大衆たる我々は社会の歯車ではなく、潤滑油程度でしかないのかもしれません。

救い?なのは〈部品〉ではあることと、潤滑油がないと歯車が正常に作動しない恐れがある、ということでしょうか。

 

 

本当に厭〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜なことを思いついちゃったものです( ´¨̮ )

 

 

 

ありがとうございました( ´・◡・`)

 

せっかく角川のプランに入会したのだから『独裁者』も觀ないとな( ´・◡・`)

この時勢だしな( ´・◡・`)

 

我・GA・ガイア理論

 

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

山ってあるじゃないですか。

わたしもつい先日登りました。

floodinhead.hatenablog.com

 

八十八ヶ所巡礼というバンドさんがいらっしゃるじゃないですか。

わたしもつい先日LIVEに詣でました。

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昨日八十八ヶ所巡礼さんの音源の演奏動画を見ていたのですが、そのお部屋がなんとも八十八ヶ所巡礼さんを好みそうな人のお部屋でして。

文庫本等々の書物が多くある、という意味合いなのですが、八十八ヶ所巡礼さんの音樂を好む方々って文化的なものに対しての感心や好奇心が強い方々だと個人的に思っています。

 

かく言うわたしも例に漏れません。

わたしが好きな文化物は主に書籍ですが、思えば書籍から得た知識って大小様々わたしの価値觀になっているわけじゃないですか。

もちろん自分の好奇心で集めたものに傷ついたり狂いそうになったこともあります(もう狂ってるかも)。

肉体を持った思念体ですもの‪( ¨̮ )‬

 

そういった大小ですが、仔細様々がわたしの価値觀になってわたしを形作っています。

食べたものでも、わたしは作られています。

 

もちろんその中には、うまい、まずい、苦い、辛い、つらい、やんごとない、やるせな〜いなど様々ございます。

 

過去が自分を作っています。

 

 

その上で思ったことですが、山も様々があって形作られています。

 

あら?

わたしと一緒じゃない?

 

山もわたしも清濁を経た上で形作られています。

 

つまり、わたしは山。

 

自然‪٩( ᐛ )و‬

 

 

‪٩( ᐛ )و‬ 自然‪ ٩( ᐛ )و‬

 

 

とんと忘れていましたが、わたしも自然なのであればこれは大事にしなければいけません。

なんたってアニミズムを行動規範にしておりますから‪( ¨̮ )‬

 

 

先日の記事にて『人生はエンタメだ』というなんとも使い回された比喩をしてしまいました。

しかし、というよりも、《エンタメにする氣概》こそが大事というか『エンタメにする氣概こそがエンタメ』なのではない?と思いました。

それこそ「おもしろいこともなき世をおもしろく」ってやつです‪( ¨̮ )‬

 

金がなく、クレジット決済で毎月前借りして暮らしているのならば現金決済の有り難みを感じるため、と考え、おいしいと感じられないのならおいしいとの感情を有り難がれるための布石と判断する。

 

都合の良い解釈だなあと思いますが、自らが健康に暮らすためには適度な都合の良い解釈は必要です。

もちろん他所様を痛めつけてしまうのならば考えないといけませんし、もしかしたら辛苦な状況も今後の布石として面白がろうとするのは並大抵の胆力ではまかりきれないのかもしれませんけれど。

 

 

閑話休題。

 

自分も山であり自然、という考え方を持った際に思ったことはガイア理論です。

 

【ガイア理論】とは「地球も一つの生命体だよね」という考え方ですが(生命体の細胞が我々動植物という旨)、つまりそれはフラクタルということです。

フラクタルとは簡単に言えばブロッコリーやロマネスコ。

伝わりにくいかもしれない表現をすれば、百を構成している一の中にも百が構成されておりその百の中の一にも百が…という感じの考え方です。

 

わたしは真理とかにはもう興味がなく考えることに興味があるので【ガイア理論】が "正しいか否か" なんてのは至極どうでも良いです。

『 "正しいか否か" を求める心』というのはとどのつまり〈樂をしたいだけ〉の意識だと解釈しているからですね。

樂をしたがると、いずれ足元を掬われると思っております。

まあそこらへんも平衡感覺次第なのでしょうけれどね。

 

そういった【ガイア理論】を狭量で矮小な脳みそに入れて考えてみれば『自分は自然』『俺はガンダムだ』と思うと共に『自然は自分』『ガンダムだも俺』と思うこともできます。

 

そう思えば、見ず知らずの方も自分の化身、生き別れた細胞の一つと考えられ、愛し尊重することはできませんか?

できませんか。。

 

まぁ物事には順序というものがありますもんね…。

 

 

とはいえ。

この度わたしは《自分は自然であり自然も自分》ということに考え至りました。

つぅことは神も仏も全てわたしということで、『一は全、全は一』ということです。

わたしもあなた様もわたし様であなた神仏イェー‪٩( ᐛ )و

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これから暑なっさかりなまつになりますので、どうぞお身体にお氣をつけください‪( ¨̮ )‬

片割れより愛を込めて‪( ¨̮ )‬

 

ありがとうございました‪( ¨̮ )‬

 

【八十八ヶ所巡礼】仏滅ナイト!!【日本万歳!!】

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

行ってきました!

八十八ヶ所巡礼さん!‪( ¨̮ )‬

この万歳ohenro3にどことなくスッテンコロリンネコチャンを感じる

 

『日本万歳!!』です‪( ¨̮ )‬

素敵お誕生日週間の最終日は八十八ヶ所巡礼さんのLIVE‪٩( ᐛ )و‬

 

👇これまでの八十八ヶ所巡礼さんについての👇

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開演

この日は十九時開演予定でオンタイムにて開演でした。

 

Katzuya ShimizuさんのSteve Vai登場かとも一瞬思いましたが、通常登場。

 

Kenzooooooooooさんはグレーのストレートジーンズっぽいニッカポッカに白色と黒色のベルトで登場。

のちに氣付きましたが金ネックレスではなく銀ネックレスを複数本つけておられました。

 

お次はKatzuya Shimizuさん。

お衣装は発表になった武道館公演の宣材写真のもの。

 

 

あまりにかっこよくて「あまりにかっこよい」と思いました。

 

マーガレット廣井さんは『脳の王国』のPV黒ジャージで髪の毛がめちゃくちゃ伸びておりました。

 

 

仏滅トリシュナー

ギターソロ始まりにて『仏滅トリシュナー』がスタート。

「仏滅の夜に神出鬼没に現れ、報われない曲を救済する仏滅ナイト。今日は怒りの曲で攻撃的に行く」というわけで【シークレット仏滅ナイト】もスタート!

 

緑色の照明だったと記憶しておりますが曲の怪しさが増していたと感じます。

 

ギターソロ?の部分がグルーヴ爆発という感じでぶち上がりました。

また今まで氣付けなかったのですが、ラストサビ終わりでKatzuya Shimizuさんがイントロのフレーズを演奏されます。

その時にマーガレット廣井さんはコードをスライドで演奏されますが、あれってユニゾン的な編曲だったのだなと今になって思いました。

 

ラストサビ終わりでギターとベースがユニゾンし、そのあとにワーミーで音程が上がるギターとユニゾンするような形でベースフレーズも音程が上がるって次第です。


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銀河の恥…

「踊れ〜!」

『銀河の恥』でマーガレット廣井さんから「踊れ」なんて聞くなんて思ってもみませんでしたが、そういえばこの曲って四つ打ちでしたね。 

 

16ビートの曲ですがKenzoooooooooさんのハット捌きがキレキレでした。

 

それとKenzoooooooooさんのドラミングについて前から思っていたのですが、Kenzoooooooooさんって結構腕全体で叩くプレイスタイルじゃないですか。

ドラムには大きく分けて脱力派と筋肉派の二代派閥があるそうですが(脱力派で一番に思い浮かぶのは凛として時雨のピエール中野さん)、手首のスナップなどもなく(使っていないように見える)腕全体で叩いているKenzoooooooooさんのプレイスタイルって原体験にあるX JAPANのYOSHIKIさんの影響が強くあるのかなと感じました。

あとMetallicaのLars Ulrich氏の影響もあるのかも。Metallicaさんの音樂に影響を受けたって言及されていませんでしたっけ?

 

イントロのギターフレーズが曲間にも演奏されますが(「銀河の恥…」の部分)、その時のディレイ具合などからのもたり具合が曲と合っていましたし、ピロピロ部分の照明もよかった!( `◟ 、)

 

 

9.17

この日一番かっこよかったです!!!!!!!!

ベストアクト!!!!!!!!!!

 

全員下向いてるし、演奏もキレキレだし、最初期の曲でもあることから、わたしが知らない『昔の八十八ヶ所巡礼さん』を垣間見たような感慨がありました。

お互いがお互いに負けないように切磋琢磨しているヒリつきのようなものを感じたのですね。

もし八十八ヶ所巡礼さんが昔の曲を演奏することで『昔の空氣を出せる』のだとしたら昔を知らない人間ほどライヴハウスに足繁く通った方が良いのか?と思いましたし、昔の姿を觀るということは巡礼じみてもいるのかもと思いましたが、きっと上手いことを言いたいというくだらない色氣が御託を並べているだけでしょう。

 

一番の終わり?でギターだけになる部分がありますが、あそこの音もピッキングのタイトさやクランチサウンド・コンプレッション感がある音・ショートディレイなどで極上な調べであり、そこに合流してくるマーガレット廣井さんのベースとKenzoooooooooさんのドラムも仕上がっていて全身が高級な耳でした。

 

マーガレット廣井さんのベースソロ部分にてギターとドラムで演奏される「ンジャッ!、、ンジャッ!」の決め部分がどうしてどうにも素晴らしいものでした。

 

わたし的には『9.17』ってこれまで特に好きな曲という位置付けではなかったのですが、今回の演奏を聴いて好きな曲の仲間入りをしました٩( ᐛ )و

 

 

◎百鬼園◎

Kenzoooooooooさんがスネアを鳴らした、そして怒りの曲を演奏すると言及されていたため『鬼畜』を演奏するのだろうと思いましたが『百鬼園』でした( ¨̮ )

 

『八+九』のお披露目ツアーもあったので久しぶりですね( ¨̮ )

 

 

曲は日々進化して行くもの。

どうしてもわたしが『◎百鬼園◎』に対して覺えているのは「3Dメガネで飛び出る八八」とになってしまいますが(あと野音の時にベースファズが極惡だったこと)、『◎百鬼園◎』も曲始まりとサビでテンポが変わったりと以前よりも緩急の差が大きくなっているようにも思います。

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照明に関しては一瞬ですが赤と白と青がございましたのでKRAFTWERKさんの『Tour De France』を想起いたしました。 

 

 

慧光

中音域が芳醇なイントロのクリーントーンギターで開始。

音源ではちょっとクランチっぽい音の印象ですが(もしかしたらわたしはクランチの基準が一般的ではないのかもしれません。高音域帯強目の音像はクランチっぽく聴こえる)、この日は昼下がりの橙色が混ざったような日光すら感じる音像でした。

 

イントロを芳醇なクリーンで始めるアプローチは以前にも『虚夢虚夢』でも行っていらっしゃいましたね。

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そしてこの『慧光』で覺えているのはO-Eastでのダブルハンドタッピングです。

大層驚きましたもの。

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この日は前から五列目程度であったこととKatzuya Shimizuさんをばっちり視界に収めることができるので、しっかりとそのプレイを目に焼き付けました。

 

 

しかし、

 

泣いちゃいましたね〜。

最近雨ばっかりだからなのか、わたしの精神がちょっぽし不調だからか、歌い出しの歌詞で幼児ような表情をしてしまいました。

この日はマーガレット廣井さんの真正面に居たため、演奏の邪魔をしてしまっていなかったか心配です。

 

最初この曲を聴いた時は『厭世者が世界とお別れしようとする』ような印象を受けましたが、今聴くと「いかれた世でもどうかご無事で」の部分は曲の主人公は『生活していくことを受け入れ、その上で激励として口にしていたのかも』と思いました。

 

しかし、こんなものはわたしの憶測です。

その上でですが発表された曲は変わらずも、感じ方は変わった。それはつまり受け取り手のわたし自身が変わったからであろうと思います。

 

変わるからなんだ。変わったからなんだ。とも思いますが、変わればものの見方も変わるので結果変わるのはよくなっていたりもするのかもしれません。

あと時間が解決するしかないものというのも、確かにあるのかもしれない。昔の経験が今に活きるということも実際にあるし、なれば今の憂鬱も是とできるのかも。

 

 

ところで2022年に鶯谷のダンスホール新世紀で行われた【大・仏滅ナイト!!】の『脳がとろける街888』でも個人的な事情により泣いて、その時もマーガレット廣井さんの正面位置にいたんだよなあ。

なんだかきまずいなあ。

 

なんて勝手にファンが思っているだけである。

 

 

極樂いづこ

フリージャズでした。

 

音源よりもスネアの音色等が静か目であり、Katzuya Shimizuさんの演奏も即興性の高いものであったように思います。

一回目のギターソロがワウを用いた音色で演奏面でもKatzuya Shimizuさんっぽくない特定のギタリストをオマージュしたようなものだったと感じます。

 

曲最後の「ここはどこですか、あるいは幻か」から「ここはどこですか」の間にある決めでギターにディレイがかけられており、そのディレイが消えるまで次のセクションに展開しないのもよかった。

 

 

この曲は悩ましい現世に対しての曲であると思っております。

歌詞はマーガレット廣井さんによるものですが、こういった内容を書いているということは心当たりのある生活をされていたのだということの証明だと感じますが、今現在の煩悶もかくあるべきというか、煩悶も抱えてそれを出せばその他の方も癒されたりもするのだなと感じました。

あまりうまくまとまりませんが、個人の煩悶も外に出してしまえば同種として癒しにもなり得る、ということです。

 

ということで最近誕生日を迎えてなんだか憂鬱になっているわたしもわたしであり、その憂鬱でも外に出せば、時間を経て共鳴する存在が現れるのかもしれない。

もちろん希望論であるものの、そういった希望の恩恵や証明が八十八ヶ所巡礼さんなのだとしたらば蟹、煩悶と煩悶の憂鬱も愛でられるのかもしれない。

 

極樂はいづこと考えようが地獄も天國も表裏ということで、悩みがあるならそれもまた自然。

なによりも煩悶を感じても発露しなければ排泄器官が塞がれているのと同じで肉体は不調を来す。

 

音源感想にて「『○△□』は精神的プログレ」と評しましたが(精神的プログレってなんだよ)、精神を進歩させるために煩悶があるのだろうと考えれば、精神のプログレッシブのためにこれまでの生活があるのだと思えば、自らは物好きだなあと苦笑もしますが受け入れられもするはずです。

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マーガレット廣井さんや世の音樂家・芸術家のように煩悶を作品で昇華させる一定数の方々がいるからこそ、悩みを見せるのは恥ずべきことではないと思えるようにも思います。

などどいう感想。

 

 

新曲

「悪い人間を撲滅することを考えてたら新曲できた」ということで新曲披露。

 

スラップベースがイントロ、ギターはワーミーを使って縦横無尽に動くという編曲でした。

 

ワーミーを使ったギターだったりファンキーなベースフレーズなどでRage Against The Machineさんを彷彿とし、歌唱やドラムフレーズからTHE BACK HORNさんっぽいなと思いました。

 

 

金土日のメンバー紹介

「ライヴハウス初めてな貴様らいる?」という話から前列にいたカップル貴様らさん(のちにお友達と判明)をいじるマーガレット廣井さん。

 

「これからこのおじさんが貴様らのためだけにドラムを叩きます」

 

Katzuya Shimizuさんの紹介口上は失念してしまいましたが、はじめての貴様らさんに対して歯ギターを披露されていました(別タイミングでアンジェロラッシュ大盛りも披露)

 

人生で初めて行ったライヴハウスは八幡浜SMOKY DRAGONだけど東京で初めて行ったのはLUSHという場所で、そこの店長さんから「語尾あげる歌い方もっとやってったらいいよ」と言われて今の歌い方になったそうです。

ということでヴォーカルソロもありました( ¨̮ )

 

 

雑記

・惡闇霧島

ギターソロ前のユニゾンでベースのピッキングタッチがとても脱力?小さいもの?だと感じたのですが、一夜明けて今思えばおそらくコンプレッサーなど使っていないはずの音の粒がとても揃っていたよなと感じて空恐ろしくなっています。

さすが。。

この曲はギターソロが長いのでKatzuya Shimizuさんが客席に飛び込みますが(よく考えたら理由と結果の説明になっていない)、ステージに戻る時は背面ギターで蟹歩きをされていたように見えました。

 

 

・泥春

PVのイメージもあってか、森林の霧モクモクって印象でした。

わたくし最近鳥取に行ったのですが、モクモク霧の印象が山陰っぽかった。

 

Kenzoooooooooさんのダブルのキックとベースとの混ざりが好きでした。

 

 

・脳騒曲

ラストサビ前の「脳が騒がしい」の部分を貴様らの皆様と掛け合っていましたが(「金土日よりか〜んた〜ん」)、八月の武道館で演奏したいのかなぁ?予行演習かしら?と思いました‪( ¨̮ )‬

 

 

・不狂音

いまさらですけどイントロってYesさんの『Heart Of The Sunrise』っぽいですよね。

 

一回目のギターソロにて、前半のギターソロに対してベースが音を当てていたのですが、ああいうのってベース主体でアプローチするのかギター主体でアプローチするのか、どちらなんだろうか。

後半ではギターがタッピングになるためベースはコードをアルペジオで弾きますが、1ギターバンド編曲の勉強になりました( ¨̮ )

 

マーガレット廣井さんが赤い照明で逆光で影になる部分があって、とてもかっこよかったです。 

 

 

・日本

曲終わり前でスティックが折れたのか落としたのか「何も持ってない!」と我々に右手のひらを見せてKenzoooooooooさんが素手でシンバルを叩いていました。

 

KenzoooooooooさんのプレイにSimon Phillips氏を感じる瞬間がありました。

 

 

ベースコントロールノブにガムテープが貼られており、マーガレット廣井さんがジャパニーズパンクに影響を受けた片鱗を垣間見ました。

 

Katzuya Shimizuさんが十重二十重のヘッド裏にピックケースみたいなものを貼り付けていました。

 

 

MC雑記

マーガレット廣井さんのお父様はくしゃみの音が大きい。

マーガレット廣井さんは突然の大きな音でびっくりするのが本当に嫌とのこと。

Katzuya Shimizuさんもあくびの音が大きいと言及されていましたが、途中でくしゃみとあくびを間違えていらしたのでどちらが大きいのだろう。

 

ちなみにマーガレット廣井さん曰く「くしゃみは産まれながらのくせとかもあるから矯正とかできない」と知り合いから耳にしたそうです。

 

わたしは「くしゃみは横隔膜が関係しているから、老化によって横隔膜の筋力が弱まって声が大きくなる」と伺いました( ¨̮ )

 

 

Kenzoooooooooさんはライヴハウスに呑みに行くのが好き。

高円寺UFO倶楽部の店長さんに「マガちゃんはいつでも来ていいよ。タダで呑ませてあげる」と言われてしまった手前、なかなか行きにくくなった。一文無しです、で行くのも違うじゃん。とのこと。

 

 

「アンコールは無給。サービス残業だけど手は抜かない」とマーガレット廣井さんはおっしゃっていましたが、以前までは「無給だから手を抜いて演奏する」と話していたあのマーガレット廣井さんが…( `◟ 、)

 

 

素敵お誕生日週間の終わり

終演後タコタコ

 

これにて個人的五ヶ月ぶりの八十八ヶ所巡礼さんは終わりです。

そしてお誕生日週間が終わっちまいました。

雨も降っていたりするので憂鬱です。

 

次は武道館!

その前にムックさん・COCKROACHさん・THE BACK HORNさんの3マンもあります。

茨城バンドたのしみですね( ¨̮ )

 

武道館も愉しみです( ¨̮ )

もろもろ生きてくしかないですね〜。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

いいんだよ、どう生きたって。どうせ肯定されてるんだから

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

登ってきました鳥取大山!‪٩( ᐛ )و



去る昨日は六月二十四日。

つまりわたしの誕生日‪٩( ᐛ )و‬

Jeff Beck氏と同じ誕生日だなんて同じギタリストととして恐悦至極ですわ‪٩( ᐛ )و‬

 

2026年頭に急遽決めました鳥取県は大山にお誕生日当日登頂いたしました‪( ¨̮ )‬

 

大層くたびれました‪( ¨̮ )‬

 

 

昨年出雲大社さんにご挨拶へ伺った時に「でっかい山だな〜」とお見かけし、それから今に至ります。

石見銀山に登った時にも思いましたが、山陰地方かなり好きです。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

 

 

6/23

登山当日に鳥取入りは流石に強行策すぎるため、宿を取って前乗りです。

 

山の中にある宿なのですが、ミステリ好きとしては浮き浮きするものがあります‪( ¨̮ )‬

 

宿にて受け付けを済ませて寝る部屋を確認したら、いの一番に最上階にあるラウンジへ。

Japanese Style Restroom

日本酒があるとか最高ですね…。

 

十八時でラウンジ営業昼の部が終了であったため、近くの神社さんへご挨拶。

往復一時間のお散歩でしたが山という地形により良い運動となりました‪( ¨̮ )‬

良い場所でした( ᐛ )

一人旅最高ゥ!

食事を済ませてラウンジ営業夜の部へ。

携帯電話も本も持たずでしたので一人酒を飲みながら沈思黙考でした。

 

いやあわたしも三十三歳です。

将来に不安があるかと聞かれたら、いまいちよくわからんとしか答えられない。

貴様はどうするつもりだ、何をするのだ、とよくある悩みじみたものを肴にホワイトラムのロックを「口に合わねえな」と思いながら舌で転がしていました。

 

 

音樂の呪いはまだ解けない。

やりたい。

しかしやりたいこととやれることはどうやら違うらしい。

音樂は "やれること" とは違う?

しかし曲は作っている。

──大山とりのお煎餅おいしい。

曲を作っているだけでは "やれること" ではない?

そういえば今日父さんの命日じゃん。

──あ、のどぐろチップスもおいしい。

 

 

誕生日まであと数時間という時、ラウンジ内はセカンドライフの男女たちで賑わっている中でわたしは酒の力を借りて微憂鬱に浸っていました。

憂鬱と生きた人といえばわたしにとって太宰治さんとファン・ゴッホ氏なのですが(特にゴッホ氏はあいつどうしても人ごととは思えない)、今みたいに現実逃避の手段がなかった時代に生きていたことには本当に尊敬を感じます。

 

 

あとわたしはスピリチュアルに傾倒しておりますが(壺や高級布団などは買っても売ってもいない)、最近「スピリチュアルに傾倒した人は辛いことがあった人だからかわいそうだと思っている」というご意見を拝見しました。

まぁ自分のことを思い返しても確かにそれはその通りではあるけれど、わたしとしては『他人様をかわいそうと思うことで悦に入る器用さ』を持ち合わせていなくて、本当に良かったと心底から思います。

 

というより『〈自分が許容できない価値觀〉をスピリチュアルと形容している』だけな氣がする。それが一番樂だから。

逞しい全能性と素晴らしい見識をお持ちでいらっしゃる。

 

程度によりますが他責感情が逞しいのも考えものだと感じますし。

昔のわたしのように自責一辺倒もそれはそれで芸がないというか精神が崩壊するだけ(した)なので、とどのつまりは適当で良い塩梅、侘び寂びなどの調整が重要ってことでしょうね‪( ¨̮ )‬

 

まぁわたしも『おいたわしや…』という氣持ちから書いた記事があるので人のこと言えませんけど‪( ¨̮ )‬

 

 

 

しかしラウンジ夜の部で思ったことがあります。

やりたいことがあり、それを行えている時点で、そのやりたいことはやるべきことであった。

やりたいことを肯定して、実行したのは他でもない自分である。

世界から肯定されてるからできる、ということです。

 

その上で以前に言及いたしました『この世界は感情を感じるためにある説』を持ってまいりますが、一旦ある方のお話を引用させていただきます。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

仮定として五百萬圓としますが、その金額がほしいと神社さんで願ったところ、願った額面が実際にもたらされた。

しかし親の死亡保険で得たお金であったため愕然としてしまった。

 

 

芸人の島田秀平さんがファンの方から伺ったお話だそうですが、人の氣持ちとかわからねーのか!と思ってしまいそうですが神なんですから人の氣持ちなんてわかるわけねーだろ。

もちろん創作話だという可能性はありますが、なんでも創作だと切り捨てていては生活がくさくさとしてしまい、挙句は虚無虚無しちゃうのでロマンを優先します。

 

まずわたしが思うのは『氣持ちや感情というものを感じたいために神が人になっているのではないか?』という仮説です。

その上で人の氣持ちがわからないといえばサイコパスやソシオパスと形容される方々を想起しますが、あれらの方々が優先しているのは自分の氣持ちや感情です。

一方で神的な存在が優先しているのは〈我々(その人自身)の願い〉です。

 

となれば、何かをしたいと思ってできている時点で神の加護を与っているのではないか?と思ったりしますが、実際のところはどうなんでしょう。

知りません。

 

 

しかしそのようなことを考えているとしみじみと感じます。

人生というのは一番のエンタメだわ。

だってわたしが苦しんだ経験も自分の選択だし、その選択で経験した辛苦が今の自分を救ってるんだし。

面白いけど自作自演みたいなもんじゃねーか!

 

 

あとラウンジでセカンドライフな男女様方を見ていましたが、最初は談笑していても次第に携帯電話を眺めて個々の世界に収まって行かれました。

 

結局いくつになっても自分が生きやすい方法を取るんじゃん。

じゃあ別に今生きやすい生き方で好きに生きたんでいいんじゃん。

もし問題だったり不具合・不味いことがあれば何かしらの抵抗が生じるだろうし。

 

故意に悪戯に他者を傷つけたり、侵したりしなければ、好きに生きちゃっていいじゃーん。

 

 

あと「自分が怒っているのって、結論、自分自身が未熟だからってだけじゃない?」とも思いました。

わたしは現在大きく括って接客業を行なっています。

わたし個人としては店員さん等々には敬語で接するのが常識であり礼儀と考えておりますが、案外その礼儀を弁えていない方がいる。

初めのうちは内心「このやろう…!」と思ったりしていましたが、視点を変えてみればその人なりの友好表現だったのかもしれません。

 

やはりわたしは未熟者。

しかしこの度少しだけ成長できたのかもしれません。

知りません。

 

 

 

そんな考えをラウンジで沈思黙考し、大浴場へ。

ざぶりと湯船に浸かれば心の口から漏れ出るは「幸せだ〜」という声。

以前までなら『こんなことで幸せだと思っていてはいけない』などとすぐさま思考が感情を上書きしようとしていましたが、いいじゃん。幸せって思ったんだからそれはそのまま幸せで。

 

そして思いました。

幸せとは『何か特定のものがあること』というよりも『幸せという感情を感じられること』それこそである。

 

お風呂だいすきというお話でした。

 

 

6/24

寝坊する夢を見ました。

寝起きで「そうか〜、誕生日か。三十三になったのか」とぼんやり思いました。

こんなに感慨がない誕生日も久しぶりです。

あ、ケーキ食べなきゃ。

 

 

朝食ビュッフェ〜‪‪(و ᐛ )و‬"

第二陣はラタトゥイユにきのこのソテーとソーセージに卵焼きでした。

割と好きなものばかりを取ったつもりでしたが健康に氣を遣っている方のお膳みたいになっていました。

 

ところでわたしはビュッフェ形式の食事は合わないようです。

普段からよく噛んで時間をかけ食べるように心がけた結果、遅飯食いになったわたくし。

 

時間制限があると食事を愉しめない。

美味しいと思うものは特にゆっくりと味わいたいのに満足に味わえない。

自分と合わない…‪( ´¨̮ )‬

回転率が重要なラーメン屋さんも苦手です。

美味しく味わうというお食事所への最大の敬意が伝わらない山嵐のジレンマ…‪│ ´¨̮ )‬‪ ´¨̮ )‬‪ ´¨̮ )‬

 

レストランにいた赤ちゃんがラブリーでした‪( ¨̮ )‬

 

 

 

食事を終え、いざ登山!

まずは神社さんへご挨拶〜と思ったら知らないうちに行者コースで登山をしていました('ω')

 

 

登頂‪٩( ᐛ )و

٩( ᐛ )و

道中はとにかく過酷だったので寫眞などを撮影する余裕がなかったのですね。

あと山という場所ですから、注意散漫になっていては実際的な身の危険に見舞われる場合もありますから。

登山の道中は八十八ヶ所巡礼さんの『ウルトラ・ヘヴン』とthe band apartさんの『ピルグリム』を歌いながらでした( ¨̮ )

なんだか最近『ウルトラ・ヘヴン』がやたらと好きなんですよね。

 

原体験も含めて『エイトビイトな人々』がやっぱり好きですが、僭越ながらアルバムとして完成度が高いと感じるのは『日本』なんですよね。

永劫回帰アルバムだからなのかしら。

 

 

しかし森林というものは本当に良いものですね( ¨̮ )

→ ウルトラ・ヘヴン

登山開始は頂上まで3.0km。

登り始めの1kmまでは体力も有り有りでしたし勾配も比較的ゆるやかだったのですぐでした。

「えっ?もう1km登ったの?案外楽勝?」などと思い上がったことを考えていたりもしましたが、すぐさま「そのように侮っては痛い目を見るのは目に見えている。氣を引き締めよう」と思って登山を再開。

案の定痛い目を見ました(物理でも)。

 

途中で山麓を一望したのですが、さすがに雄大すぎて声が出ちゃいました。

SUGOI

 

この時期の大山登山は行者コースと夏山登山コースがあるそうです。
わたしは図らずも行きが行者コースだったので帰りは夏山登山コースにしたのですが、思えば上記の山麓は帰りには見えなかったので、結果的に行きで行者コースを登ってよかったなとも思います。

 

西日本最高峰の石鎚山を有する伊予出身であるわたし、とはいえたかが出身というだけで本懐はギターと読書と思考を趣味とするインドア思念体です。

石鎚山があるからといって登山をするわけではない、『JAPAN AS NO.1』といったところで手前自身がNo.1なわけではない、ということでわたしは登山靴などの用品は三十三の歳にして初めて購入しました。

 

つまり登山の仕方はただの素人。

めっちゃしんどい。

 

登りも過酷でありながら下りも過酷。

別に侮っているつもりはありませんでしたが、もっと情報収拾などしておけばよかったかもしれません。

とりあえず30Lのザックは買っておいてよかった。水は2L必須。

 

登山の何が過酷って、登るわけじゃないですか。

その登山道が丸太とかで階段状になっているわけですが、その段差一つ一つが高かったりすると足で踏ん張って体を持ち上げることになるので、普段使わない筋肉が使役されて大変くたびれるのです。

しかも段差の大きさなどの理由からどちらか一方の足で踏ん張って登ることになれば、これはもう太ももがたくましくなってしまいます。

かなりへとへとのヘトになったにも関わらず0.3kmしか進んでおらず両目が目玉のおやじになっちゃったりしました。

 

とはいえまあ帰宅して思い返した結果、とてもよい経験だったと感じます。

他の山も登りたいと思っておりますし。

登山時はすれ違う人と挨拶を交わすのが礼儀作法ですが、対人不安がある方ほど登山はよい対処法かもしれません。土の匂いも感じられるし。

 

 

あと登山靴は必須ですね。

途中足場が岩ばかりになっている箇所もあり、まずスニーカーでは足を痛めると思います。

 

下山時の過酷さについてですが、まず登山時は重力に逆らって登るわけじゃないですか。

それに対して下山時は重力に準ずる形となります。

そのためぽいぽいと降りれそうになるため、危ない。そして急勾配。

急勾配を降りるって思っている以上に恐怖を覺えますよ。

 

そしてもう一つは登山時は注意力もスタミナも有り有りとありますが、下山時はどうしても疲れていますし注意力も薄れてしまいます。

それによって大きめの石が見えておらず滑ってしまう。などもありました。単純に怖かったです。

あと重力に準ずる形で下山するし、注意力も切れてきているし、ぽいぽいと降りれそうになることから、脚そのものに対しての負荷がとてもかかる。

頂上付近では自分を鼓舞するためにも「こわーい、とってもこわいわ〜」などと少し冗談にしていましたが、三合目から下は疲労によって膝が腹を抱えていたのでブルブルと落ち着きがないし自制する体力も少なくなっていたので「こわいこわいこわいMAJIで」と余裕がなくなっていました‪( ´¨̮ )‬

 

 

とはいえ下山時の娯しみ方は自分なりに見出せたように思います。

下山時の足運びはパズルゲームです( ¨̮ )

あと重心を低くしないといけない。ドムかジオみたいにどっしりしていないといけない。

 

あと登山したら下山は必須。

しかし来る時に一度目にしているため、ある程度の対策を練ることはできる。

そういうことで「うまいことできているな〜」なんて思っていましたらハッとしました。

 

今回登山に呼ばれた理由ってそういうこと?

『たとえ繰り返しがあっても対策を講ずることができる』ということ、それも身を以て感じるために大山登山があった?

 

「Pow!!!」と叫んで手を叩きました。まさにこれだ。

粋なことしますね、でも登山はしんどいっす。

 

もし自分の繰り返しでなくても、同じ轍を他の方が踏む可能性がある。

そうなった時のために、我は我の生き様を見せるだけである。ということでもあるのでしょうかね。

 

他人様の人生はその他人様自身が許可を出さなければ立ち入ることができませんから。

なので、言うなれば〈背中で語る〉という姿勢で道を示すのが最善なのでしょう。

わざわざ呼び止めてお説教を垂れる必要はない。それは結局自らのエゴに他人様を巻き込んでいるということでしょうからね。

もしかしたら、背中で語ることができないからお説教を垂れようとする( = 自分の価値を示そうとする)のかもしれませんが、このような毒は不用意に吐きちらすものではない。

 

ところで頂上では三十分ほど瞑想をしたのですが、虻さんにブンブンされながらでも瞑想をすると氣分爽快、意識ははっきりとするものですね。

もしかしたら瞑想をしたから上記の思考が去来したのかもしれないし。

 

知らないけど。

 

 

というわけで登山口まで下山して、大山登山は終了です。

カフェーにてカレーをいただきましたが、とても美味しかったです。

ピザの黒いものはきくらげなのですが、なかなか新鮮でよかった。木須肉食べたい。

「美味しい」と思えるのは本当にほとほと幸せなことだと感じます。

 

 

米子駅では昔から世話になっているベーシストの先輩と友人へのお土産を買って帰宅。

帰宅後はO2さんの『神田リバサイ』を聴いて憂鬱になりました。

 

 

6/22

鳥取前乗りの前日、辛いお勤めを終えたのち自宅でキャベツを千切りにしておりました。

その時ふと「これまでお金がなかったのは多くのお金を得た時、その有り難みを最大限感じるためか」と思いました(『〈美味しい〉を感じられなかった経験があるからこそ美味しいと思えることが何より有難い』というのと似ていますね)。

蛇口から一滴の零が落ちたような感覺であり、つまりこれは直感ですが、"直感" ということは当たっています。

ということはこれから大金がもたらされるということでしょうか。

 

しかしこの推測は思考由来のものですので正しいかどうかは不明です‪( ´¨̮ )‬

 

 

あとよく社会不適合者とかって言いますじゃないですか。

わたしも大概不適合者です。

ダメ人間と形容した方が収まりは良いです。

 

そんなダメ人間でも接してくださる方々には大変な感謝を日々感じていると共に、思うことがあります。

 

社会不適合だと認識している割に三十三まで生きてんじゃん。

そもそも二十二で死のうと思って直前で怖氣付いた人間が、まったくしぶといなあ( ¨̮ )

 

そこで思ったのです。

「いやそもそも社会という觀念や常識、美醜の価値觀とかも時代によって変わるのに、それをひっくるめたように "不適合" と判断しちゃうのは早急じゃない??」

 

そんなにして〈不適合を当てはめようとする〉のは、それはもう "自分自身の価値を低く見積もりたがっている" ようにしか思えないぞ?

どうだ?わたし自身はどう思うのか。

 

 

 

そういえば朝食時に食したナッツとトマトジュースが塩味のついたものでして、わたしが普段から好んで食するものは無加塩のものですので「しぇっぺけ〜、そりゃあ高血圧にもなりますわ」と思いました。

しかし登山で信じられないくらい汗をかいたことで、熱中症予防としての加塩味だったのかもと登山中に考えました。

やはり脳内だけで知ったつもりになるのは良くありませんですね‪( ´¨̮ )‬

空で始まったらつまらないことばっかりですもんね│´¨̮ ) ´¨̮ ) ´¨̮ ) ´¨̮ ) ´¨̮ ) ´¨̮ )

 

 

素敵お誕生日週間はもうちょっとだけ続くんじゃ‪( ¨̮ )‬

そんなお誕生日周りでした。

 

お誕生日の帰宅後に『地元最高!』という作品について入り口だけ情報を仕入れました。

その上で思うのは、これまでと今回の内容でも書いているわたしの考えというのは、結局のところ大層に恵まれた環境・立場での意見だなあと思うことです。

ということで、浅野いにおさんの『おやすみプンプン』や押見修造さんの作品、『タコピーの原罪』などで描かれている『ままならない人生』を生きてきた方々にとっては、わたしの発言というのは所詮【現実を知らない人間の戯言】に思われてしまうのかもな、と感じます。

 

 

と は い え 。

わたしがこれまで生きてきた人生は、何よりもわたしの人生である。それは嘘とかじゃなく無味乾燥な事実。

そして、どうせ "そうとしてしか生きられなかった" のだろうと思う。

 

言っちゃえばないものねだりをしても得ることはできない。

てめえの選択で勝ち得た人生だ、賞賛してやれや。

 

わたしも含めて世の人間たちが他者と比較をして一喜一憂したり鼓舞したりするのは、きっとそれをすることで溜飲を下げたりと樂をできるからではないか?と思ったりします。

 

その上で思ったのは『比較の先にある「だとしても、これが自分です」という結晶・尿路結石』が最も重要で、その尿路結石を勝ち得るために我々は〈比較〉といった生のほうれん草を食べているのかもしれません。

 

三十三ぽっちになった若造の考えですので真実とは程遠いかもしれません。

 

 

そういったところからわたしは「だとしても、これが自分」を表明している八十八ヶ所巡礼さんが好きなのだろうと思います。

 

ということで六月二十六日、明日のでかねこ公演が愉しみです。

実に五ヶ月ぶりの八十八ヶ所巡礼さんです( ¨̮ )

 

愉しみ〜٩( ᐛ )و

 

 

 

ところで取り寄せしているAngine de Poitrineさんの盤が一向に店舗へ届かない。

誕生日クーポンが使えないじゃない。

 

貧乏性!٩( ᐛ )و

 

 

 

みなさまもお好きに良い人生を( ¨̮ )

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

さすがに考えすぎだろ(苦笑)

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

本日!誕生日!三十三歳です!

きっと鳥取県の大山に登山した帰りでしょう!

 

ということで予約投稿!

全く誕生日らしくない記事です!

しかしそういった記事がわたしらしいとも思うので御誂え向きでしょうか!

 

知りません!

 

٩( ᐛ )و

 

 

 

情報は全て金になるのですよ。

 

<この記事は全て空想・妄想です>

 

織り込み済み北京

先日労働先にて。

ある企業の公式ホームページを見ていました。

 

そこで思ったのです。

「え?薄すぎじゃない????」

 

 

商品シリーズ内で『空氣』の名を冠したもののようです。

 

それにしても薄くない???

こんなに薄かったらすぐひしゃげちゃわないですか???

 

と、思った時に。

あれ?と思いましたのです。

 

もしや "それ" も織り込み済みですか?

 

 

触らぬ神に祟りなし(ご機嫌伺い)

考えたくない。しかし考えてしまう。

考えろ考えろマクガイバー。

 

会社の利潤を考えれば、ひしゃげても良いですものね。

だって修理費や買い替えも進みますもんね。

ねーっ。

 

十年とか前の話になってしまいますが、一定期間が経過するとシステム的に不調が起きやすくなるように設計されているとも目にしたことがあります。

いまとなればあの情報も真偽不明だよなぁなんて思いますけれど。

 

しかし。

たとえ上記した憶測が正しかったとしても消費者は黙っちゃいないでしょう。

 

消費者とは受け取るだけのいきもの。

鳥類の雛のように口を開け「得る」ことだけを求める割に侮られていると分かれば烈火の如く怒り出す。

それが消費者という生き物。

たくましいですね‪( ¨̮ )‬

 

この人間社会は消費者意識で生きている人間が圧倒的に多数ですので(たとえ無意識だとしても)、もし "ひしゃげ前提でのデザイン説が正しかった" としても企業様は認めることはないだろうと、わたしは思います。

なぜならば消費者は権利ばかりを主張するという習性を有している、且つ喚いて面倒だからです。

 

ほら、触らぬ神に祟りなしというじゃないですか‪( ¨̮ )‬

やはり昔からある言葉は真理を有しているように感じますね‪( ¨̮ )‬

 

言わずとも、当然のお話ですが、生産者の方が立場は上ですし、もっと言ってしまえば生産の場を与える立場の方が上です。

従業員<雇用主<地主<資本家

 

しかしそんなことを言ってしまえば、そもそもは地球が一番上位です‪( ¨̮ )‬

イェー資本主義‪٩( ᐛ )و‬

 

 

それを考えると(考えずともわかることであるけど)、立場的に一番弱いのは消費者という構図になります。

しかし、あまりにそれを露骨に出してしまうと、如何に愚かな消費者でもさすがに氣付かれてしまう。

消費者様という生きものは、自尊心だけは逞しくていらっしゃるためです。

 

企業が消費者を侮った結果、不買運動をされたら企業も商売上がったりですから(トランプゲームの大富豪 / 大貧民においての革命のような変化は避けたい)、消費者特有の自尊心を損なわせないため、そして搾取の籠(加護)の中に居続けてもらうため、〈搾取される側〉をあくまでも無意識で自ら選んでいただくために、神様という言葉でご機嫌伺いをしているのではないか、と思いますが、これはあくまでも憶測であり妄想です。

 

さすがに考えすぎ(苦笑)

 

 

データ取り

薄い筐体がひしゃげ前提であるという妄想が正しいと仮定した場合。

果たして故障や破損前提のみなのか?と思いました。

悲しいかなわたしも現状消費者でありますから、悲しい哉「消費者を侮りすぎだろう(苦笑)」と思ってしまったのですね。お恥ずかしい限りです。

 

ということで別な理由を考えました。

さすがに全世界的な企業様ですからひしゃげ前提だけで施策を実行するとは思えない。危険な橋渡りすぎる。

 

それで考えましたら、ある推測が脳みそに赤い彗星。

 

「……データ取り?」

 

携帯電話。

それはもはや生活必需品。もはやインフラレベルの物体Xです。

数年前からショルダーバッグよろしく携帯電話を肩掛け紐で携えるようになり、よりその物体が身近になりました。

携帯電話はポケットに入れるのがほとんど主流ですが、もしかして『何キログラムの負荷がかかれば筐体がひしゃげるか』のデータを取ってたりしますか?

 

人間が身につける衣服を上下に分けた下側、ズボンだったりパンツだったりと呼称される衣服のお尻ポケットに携帯電話を収納したまま、八兵衛うっかりちゃんで座っちゃりちゃんしちゃってひしゃげっちゃりちゃんの場合のKgデータ取りですか?

もしかして。

 

 

 

 

 

 

いやぁ〜(笑)

 

ないでしょ(笑)

 

そもそも体重なんてユーザーデータとして入力する項目もないし(ないし)(わら)

 

 

確かに。

わたしもそう思いました。

そんな時ある端末が脳みそに青い巨星。

 

「あッ、時計…」

 

わたしの生活圏に必要ではなさすぎて記憶から消えていましたが、すまっと魚っ知も商品展開している世界的企業様です。

〈便利〉を出汁に端末同士を繋げるシステムも作っています。

 

そして数年前の宣伝映像で「魚っちがあれば健康管理もしてくれる!突然の病氣もこれでおれっち安心!」と広告していました。

 

そういうこと?

しかし憶測は憶測、あくまでも妄想でしかありません。

しかも憶測に対して指摘できる穴もあります。

 

「仮にそうだったとして(笑)ベルト部分はおしゃれの領域じゃん(じゃんか)(笑)ベルトの長さ調整で体格を判断しているとしても機械ではないでしょ?(笑)(わら)(藁)」

 

たしかに。

その指摘は考えました。というよりもすぐさま反対意見として思い浮かびました。

 

その上で思ったことですが、だからこその血圧測定やヘルスケアの要素なのではないか。

 

あと手首の皮下脂肪の量でおおよその体重くらいならわかるんじゃない?

知らんけど。

 

こんなものはあくまでも憶測、妄想なのでチラシの裏に書いた公衆お花摘み場所落書き侏儒の祈り編程度の三文文だと思ってください。

わたしも一消費者であり、その立場から考えたことをべらべらと無言で打ち込んでいるだけです。

 

と、魚っ知の推測を見て、その他の仮説に対してでも耳にする意見が聞こえて来そうです。

そちらへの回答ですが、何も『○○.○キロの人間といった個人の詳細なデータ』が欲しいのではないと思います。むしろ欲しがっているのは "おおよそ" のデータである。

理由は《データがありさえすれば次に繋げられるから》です。

 

以前に書きました映画『愚か者の身分』でも登場人物が乱暴されましたが治験に対しての言及されていました。

floodinhead.hatenablog.com

 

また遠藤周作さんの『海と毒薬』でも捕虜兵が医療実験の被験体となっていましたが、あれも謂わばデータ取りです(非人道的な実験はアメリカ軍もナチスも中華もされていたので日本軍だけ糾弾するのはお門違い。また過去の非人道的な実験があった結果として昨今の医療があるので、現代医療の恩寵を預かっている以上は短絡的に「よくない!」と言及するのもお門違いです)。

 

このように、データがあるのとないのとでは今後の動向自体がそもそもとして変わる。

万全を期すために膨大な "おおよそ" のデータを収集している、それが今。

 

データを収集する理由、それは未来の顧客満足度のため。

神様でございますお客様のためでございますぅ( ◠‿◠ )

 

ところで "お客様という立場に固執する方" ってのは『お客様という立場じゃないと個人として尊重されなかったから』などの経緯があったりするのだろうか、などと考えたりする。

 

 

とはいえそんな妄想はどうでもよくて、今のわたしはわかめが食べてえ。

お刺身に添えられてる冷えたわかめ。

お刺身ははまちがお好き。

 

 

《他の説》

○客寄せパンダ説

○他の商品も並べてあるため相対的に薄く見えるという錯覺

 

 

 

信用 (苦笑)

わたしは貧困層です。

貧困層ですが不幸感はありません。

それはまったく何よりですが、貧困層には変わりません。

 

貧困層ということですのでわたしはクレジットカードを用いています。

クレカを用いて決済音が鳴る。

 

盲点?そして考えたくなかったところですが、クレジットカードってとどのつまり「毎月借金してその借金を毎月返済してる」ということじゃないですか。

 

ということは毎月数万萬円、個人差で数十萬や数百萬円を借り入れて返済しているわけになりますが、そのたびにクレジット会社様から信用を勝ち得ているということになり、そちらの信用が情報になる次第です。

 

ですが、つい最近氣付きました。

信用されてない状態から出発かよ…。

 

(苦笑)

 

世知辛い世の中だぜ…(遣る瀬無く固ゆで卵な表情)。

 

 

キャッチ a&n&d リリース(横流し)

インターネットを遊泳していると色々な誘惑があります。

 

そんな誘惑のなかで「アンケートに回答いただくと抽選で物がもらえる!」という触れ込みの広告があったりします。

大抵そのような広告で言及されている物は魅力的なものですので愚かなわれわれ消費者はホイホイと釣り針に引っかかります。

 

〜〜〜

ちなみに『抽選で』と注釈されている場合、まず十中八九物は用意されていないことでしょう。

抽選と謳っていれば欲深き消費者は自発的にアンケートを答えるからです。

〜〜〜

 

情報さえあれば演出なんてどうとでもできますからね。

しかも今の時代、運営側・内部の人間が「抽選!当たった!」とでも発言さえしていれば信憑性は担保されてしまいますし。

 

ま、そんなことはどうでもよいのです。

わたしがあまりに捻くれており不信的すぎるのも含めてどうでもよいです。

 

 

さてはて、上記のような演出が実際問題あるのかないのか別にしても、ちゃんと会社が存在していて、且つ返礼物が用意されている場合というのももちろんあるでしょう。

その場合は経費から購入されているのがほとんどだと思いますが、アンケートの運用会社がちゃんとしていない場合はどうでしょうか。

 

物はある(或いは届いた)、しかし経費から購入したわけではない。

となれば請求元はどこか見ず知らずの消費者でしょう。

 

見ず知らずの消費者が不注意でかかってしまった釣り針で一本釣り。

つまりフィッシング被害の類ですが、そういった情報がアンケート回答の返礼物購入に使われていたりするのではないか?と考えた次第です。

 

わたしはそのような組織の内部情報とか知らないのであくまでも憶測ですが、消費者個人としてはただアンケート回答を行ったつもりですが、ひょっとしたら知らないうちに犯罪へ加担してしまっているのかもしれません。

 

ま、これも憶測であり妄想ですので「さすがに考えすぎだろ(苦笑)」でしょう。

とはいえ巻き込まれた形だとしても「自分が犯罪に加担してしまうか否か」の分かれ道になると考慮すれば、こればっかりは考えすぎくらいがちょうどいいのではないかとも感じます。

 

 

ちなみに結果的に詐欺を行っていても、アンケートを運用している会社の従業員さんは犯罪の意識はないかもしれません。

あくまでも仕事として行なっているだけであろうからです。

 

またアンケートは同意の上で行われ回答されておりますし、個人情報も他の機関から連携・提供されたものでしょうからね。その中にフィッシング被害で抜き取られた情報も含まれていたり。

フィッシングの類は巧妙に似せているそうですので悪質だとは思いますが、不注意が招いたこととしか言いようがない。

 

世知辛い世の中ですが我が身を守るという意味でも、信用しきらない意識は大事なのでしょう。

 

 

損と得

わたしは貧困層です。

あんまり自らこんなことを言うべきではないのでしょうが、事実だから仕方がない。

 

クレジットカードを用いたり、貧困層向けの娯樂(SNSなど)に勤しんだりしていますので、自然と似たような種族のにんげんたちに向けたサービスの広告などを目にします。

 

その広告などや上記したアンケートの件などを目にしているとあることを感じました。

 

損したくないとか得を得たいとか樂したいとか、そんなような色氣を出した結果として割を食っているだけではないか…?

言い方を変えたらば『身から出た錆』『因果応報』『自業自得』「迷惑メール多すぎて確認できないとか知ったこっちゃない」です。流石に言い過ぎタラバ蟹。

 

しかしわたしにはどうしてもそう思えてしまう。

わたしは生来の面倒くさがりのためアンケートには答えることなく、「損しちゃっても人生。次への糧!」とすら思っている酔狂者、「無駄を省いて効率化や樂って、無駄に思えることこそが重要なのに」と考えている天邪鬼。

そんな思念体ですからこれまでにフィッシング被害等の轍は踏んだことがありません(ものぐさ起因の別の轍は踏んでいます)。

 

「まあ違う世界のお話なんだろう」程度に解釈していますが、さもありなんとも思う。

 

思えばわたしは〈損して得とれ〉の精神で生活してきたように思…うなどと考えようとしましたが単純に捻くれていたので "右に倣え" をしたくなかっただけですね。

 

あとわたしは貧困層のくせに精神だけは高貴ぶっていますから、自分の美意識に反するものに従わなかっただけでもあります(『ジョジョの奇妙な冒険 第七部 Steel Ball Run』で描かれるディエゴ・ブランドー氏のお母さん的な精神だーいすき)。

 

 

ところでこの間あるクレジットカードのCM映像を目にしました。

そのクレジットカードさんは誰でも作れることを売りにされていましたが、どうやらこの度『紛失時、電話不要で利用を停止できる』という新機能が追加されたそうです。

 

へえ。確かに電話が苦手な方もいらっしゃるし、面倒でもありますもんね。

 

──クレジットカードが見つかれば、利用者が任意で利用再開できる!

 

 

ちょっと待て怖すぎないか。

もし自分の鞄等からクレジットカードが見つかったのだとしても、紛失期間にカード番号が控えられてから鞄に戻された可能性は捨てきれない。

その状態でクレジットカードとしての利用を再開した場合のことなど、考えたくもありません。

 

やはりクレジットカード紛失の場合はカード再発行を行った方が良いと思う。

思ったと共に、厭〜な考えが只今脳裏に真紅の稲妻。

クレジット利用しないと生活できない等のご事情がある…?だから再発行なんて待ってられない…?

 

厭〜な。

こんなことを旅先で考えたくない(苦笑)

 

わたしはいんたねっとで利用停止・再開を操作できるというのは非常に危機感であったり恐怖を感じましたが、これを「めっちゃいいじゃん!便利!」と解釈なさる層も恐らくいらっしゃるのだろうと思います。

 

そして「あぁ、過ごす世界が違うのだな…」と感じていくのです…。。

素晴らしきにんげん社会…。。。

 

そしてもう一つ思ってしまったことがございます。

CM等々で広告される商品は、消費者たる我々が全面に利益を得ることなんてないのでしょう、ということです。

 

考えれば至極当然ですが生産者や企業は "利益が出るため" 商品を売るのです。

利益がないのに商品を売ることなんてありません。

 

インターネット回線の切り替え営業も、企業側に利益があるため訪問してまで営業をするのです(あと新入社員さんの教育)。

何も『必ず確実に消費者が損をする』とは言いませんが、少なからず消費者は損をするのでしょう。

少なくとも、生産者はわざわざ進んで損をするはずがないとは思います。

 

居酒屋さんの呼び込みでも、店先で呼び込みをしている分にはまだ分かりますが、わざわざ呼び込み役を雇用してまで、というのは、軽ぼったくりであったり器が異常に大きいなどのからくりがあるのだろうと思います。

呼び込みを付けている酒場ではおくすり盛られて諸々の情報が抜かれちゃう被害が確認されているらしいですし。

 

というわけで『広告や宣伝されているものを受け入れる時は、それなりに割を食うかもしれない覺悟が必要である』というお話でした。

 

びば疑う心。

自分でも少し病的と思う。

 

 

島國

今回はなかなか氣分が重くなる内容でしたので、最後に心が温かくなりそうなことを書きます。

 

己で娯樂を見出すことができない方々がこぞって愉しむものにスポーツというものがあるじゃないですか。

 

あれ、わたしは本当にまったく興味がありませんが、あれら競技の國際交流試合で『日本を挑発した相手國の競技者が試合上で打ちのめされてスッキリ』という使い古された戰闘意欲の昇華方法がありますが、あゝいった競技で挑発をする國というのは大抵決まっています。

具体的な國名は言及しませんが、基本的に大陸の國です。

 

大陸國って(というよりも我が日本國が特殊なんですけど)他國と隣接している分、常に侵略の危機と隣り合わせなのだと思います(そもそもヨーロッパなんて侵略が歴史みたいなもんですし)。

となれば、牽制として威嚇だったり挑発をする必要はどうしても生じる。

つまりあの挑発は文化的・環境的な背景が由来している可能性もあるのですから、そんなに目を三角にしないでくださいよ。

そうやって配慮できるのが日本國民の良いところじゃないですか。

 

あとスポーツなんてSHOWですから。

何をSHOWに対して熱くなっているんだ。

 

とはいえ自國を侮られるのは一切氣分が良くない。

 

愛國心はあるか。

 

愛國心とはなんだ。

 

あなた様の愛國心は。

 

 

情報は武器です。しかし、

さすがに考えすぎな記事でしたね、今回は。

そして再三申しますが、あくまでも憶測であり妄想なので本氣にしないでくださいね‪( ¨̮ )‬

 

<世迷言>

これまでに考えて記事にしてきたことを考慮しても、やはり情報は武器だと感じます。

 

《情報》があればいくらでも煽動ができてしまうし、嘘から出た誠、あるをない・ないをある、きれいをきたない・きたないをきれいにすることも可能です(きれいはきたない・きたないはきれいにもできる)。

 

その意味で情報を操れる立場は強いのですが、忘れてはいけないのは農家さんや漁業などの第一次産業を行なっている方々がいなければ我々は何もできないということです。

そしてそれは、裏を返せば情報を操れる立場でも第一次産業で作物を作る方々がいなければ生活できないということです。

つまり、第一次産業はとても強いということです。

 

わたしも第一次産業に従事されている方々がいらっしゃるおかげで生きていられるわけですからね。

 

ということは?第一次産業に従事している方が情報を得て操れる立場になったらば、大変強力だということでしょう。

<世迷言//>

 

ま、顔も形も氏名も出てこない本当の上流階級は第一次産業すら手中なんでしょうけど。

 

 

長いですねー。

いつにも増して長い。

今回の記事は登山前日の道中と宿で書いたのですが、何文字になってるのだろう。

ここまで読んでくださった方はありがとうございました‪( ¨̮ )‬

 

じゃあわたしは誕生日を満喫しまーす‪( ¨̮ )‬

 

ありがとうございました‪( ¨̮ )‬

 

 

<この記事は全て空想・妄想です//>

 

 

煩悶しろ

 

煩悶をしてください。

 

渦中はどうしようもなくしんどくて辛いですが、いずれはあなた様のだけの真理がもたらされます。

 

わたしは先ほど、『幸せと感じられること、その感情それ自体が幸せなのだ』と思いました。

 

人生というものは、どうやら最高のエンタメらしいです。