頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

【固定記事】いとをかしき言葉のお話

 

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

 

 

 

言葉はその人自身

皆さんは言霊という考え方をご存知でしょうか。

 

言霊とは、古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。

発した言葉通りの結果を表す力があるとされた。

 

 

という意味合いらしいです。

 

いろいろ個人で感じ方に違いはあると思いますが、わたし個人は言霊は存在すると思っています。

友人や上司に言われた言葉で傷つくという現象も、言われた言葉がずっと残っていて胸につっかえるという現象も、言霊が存在しないと起こらないと思うのです。

 

またその言葉は、思考を使わないと発せられることはありません。

 

 

言霊の話とはすこし離れますが、全ての物事や現実は、思考の後に生まれると考えています。

戦国時代に「電話を使えば、遠くにいる親類と会話することができる」と話したところで、だれも相手にしないでしょう。

下手をすれば「邪教を布教しようとしている!」と言われて打ち首に処せられる危険さえあります。

 

憶測の域を出ませんが電話を作ろうと考えた人も、「離れた人と話せるわけがないでしょうに」と外野から笑われていたのではないでしょうか。

しかし今では当たり前となっています。

成功者の特徴として他者から"笑われた経験がある"というのは、ひとつの指標になるのではないでしょうか。

 

 

言霊

言霊の話に戻ります。

すこし眉唾な話に聞こえると思いますので、話半分にでも聞いていてください。

 

日本語にはとても大きな力が含まれているらしいです。わたしはまだ不勉強なので、ちゃんと説明はできませんが、カタカムナ文明や、カタカムナ文字の48音と現代日本で用いられている48字の一致などです。

カタカムナでは「ひふみよい」や「むなやこと」とかと言ったりするんですが、「いち、に、さん」と今では読んでいる「12345678910」も、むかしは「ひふみよいむなやこと」と読んでいたらしいです。「ひい、ふう、みい」ですね。

 

またあまり知られていませんが、第二次大戦で負けた後にGHQが日本を占領統治しましたが、そのGHQが日本の漢字を無くそうと画策しました。

「漢字というものは複雑にすぎる。あんなに難しいなら識字率も低いだろうし、それが原因で思想も偏る。結果戦争に繋がるだろうから漢字なんて廃止してしまえ」というロジックだったみたいです。

その後全国で一斉に識字率調査を行なった結果、全体の97%くらいが日本語を読み書きできたそうです。

 

漢字廃止計画は頓挫しましたが、神風特攻を生み出した民族を恐れていたGHQですから、どうしても日本の国力を下げたいために漢字の書き換えを行います。

氣を気にしたり、國を国にしたり、學を学にしたり、靈を霊にしたり。

理由等はこちらの動画様で話されていますので、ご覧になってみてください。

youtu.be

 

 

この前太宰治さんの短編を読んでいたら『慾』という字が出てきました。読みは「よく」

意味は欲望の「よく」と一緒ですが、現在の日本では『欲』が一般的です。

これもGHQの言語統制・言語統治でしょう。心が消えていますね。

 

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https://www.shinchosha.co.jp/book/100606/

 

中學時分は夏目漱石さんの旧字体で刊行された時の文庫とかの文學を読んでばかりいた為、旧字体にも馴染みがあったので特段無理なく受け入れることができました。

ですが、生まれてからも成長してからも目で考えていた人には意識を書き換えるのは苦労なさるでしょうね。

ヒトは考える場所が「心・頭・目」の三つあるとわたしは思っているのですが、その話も機会があればまたお伝えいたしますね。

 

 

同じ意味の漢字でも効果が違う?

なにが言いたいかというと、思い浮かべている漢字次第でも言葉の意味が変わるんじゃないかということです。

GHQの統治前は教科の名称が「國史」だったけれど、現在の學校教育下では、「歴史」になっています(こうの史代さん原作の、映画『この世界の片隅に』でも國史と描写されています)。これは「自國の歴史ではないように刷り込ませる為」であったりするらしいです。

 

 

わたしが非常に氣分良く思わない言葉があります。

「雰囲気」を「ふいんき」を発音している人が多すぎる。正しくは「ふんいき」です。

また、漢字ごとに考えてみると、雰は氣配・囲はとりまく・氣はエネルギー。

つまりその人の纏っているエネルギーという意味合いになります。つまりオーラと同義でしょうね。

それを正しく言わずに「ふいんき」と発音するというのは、その人自身のオーラ(エネルギー)を反故にすることなのではないかと感じます。

 

なにかで、「新しく納めた國や土地は、まず最初に言語を書き換えるのが大前提の常套手段」と聴いたことがあります。

漢字は亡くせなかったけど、言靈的な意味から無効にしてから75年くらいですか。

現代日本でも着々と言語の書き換えの刷り込みが行われていますよね。台所をキッチンと言ったり、鶏肉をチキンと言ったり、まな板をカッティングボードと言ったり。

言語の統制話は華氏451度にも通じますね。

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https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/11955.html

 

このお話は、前回に書いた一九八四年の話とも繋がりますね( ¨̮ )

 

floodinhead.hatenablog.com

 

 

文字通り流れて行く言葉と、昔からある言葉

あと個人的に流行り言葉にも不満を感じるんですが、これは若い世代についていけないだけでしょう。

でもその時代だけのスラングみたいなのばかりの文章は、パッと見ただけでも非常に頭が悪く見えてしまうのだなという発見があったので有難い経験だったと思います😉

 

またそれにより逆に思うのは、「昔からある言葉の力」です。

最近の流行り言葉だと「エモい」とかなのでしょうか。あと比較例として「鬼」や「神」もありますよね。

12,3年前に爆発的に流行った「KY」という略語も今ではめっきり聞きません。

ここからわたしは「言語って結構残酷に、かつ容易に淘汰されるんじゃないか?」と思いました。

 

わたしはギターを嗜んでおり、今年で14年目くらいになります。

高校生の時分には「とにかく早く上達するコツ」を求めていたのですが、上達するには「今現在でできることを日々積み重ねるのが一番手っ取り早いと氣づきました(今現在できることを日々積み重ねていると、「これをこうしたらどうだろうか?」という閃きが生まれます)。それを理解したのがつい半年前とかです。

これって「急がば回れ」ということではないでしょうか。

 

他には「人のふり見て我がふり直せ」を実感したお話もあるのですが、非常に印象的かつ"いとをかし"な出来事で、いざ書くとなるときっと長くなるので、また今度個別の記事にしたいと思います。

端的にいうと『他者を通して自分を見ている』です。

 

floodinhead.hatenablog.com

 

 

上記した昔からある言葉は、わたしが認識しているだけでも、祖母祖父の代からは存在していて、淘汰をされていません。

一時的な言葉が10年そこらで淘汰されるているのに対して、90年近くも生き残って、語り継がれていると言うのは、その言葉自体の言靈的な力が働いていたり、ヒトがヒトの世を生きるにおいて、ある種の真理を含んでいたり真理に触れていたりするためではないでしょうか?

 

 

ちなみにわたしが「エモい」という言葉が嫌いなのは、「自身の語彙の貧弱さを改善する氣もなくその貧弱さに胡坐をかいている姿勢が見えるから」です。簡単に言えば向上心がないということでしょうか。

「精神的に向上心のない奴はばかだ」

 

もういっこちなみに、「語彙力」という言葉が幅を利かせていますが、「語彙」は英語でボキャブラリーです。ボキャブラリーは豊富や貧弱と言われるように『量』です。

その量が能力というのはおかしな話なので、「語彙力」という言葉は根本から破綻しており、「語彙力」という言葉をそのまま使う方は、語彙も國語的な言語能力も貧弱だと、わたしは思います🌝

 

 

「無い物ねだり」という言葉があります。

『ないものを欲しがること・無理なことを望むこと』という認識が一般的で、わたしもその意味合いだけだと思っていたのですが、『自ら無い状態や不足感を望む』ことでもあるのではないか?と思いました。

不足感や、理想像などの目標が常にある方が頑張れて充実を感じられるから。

不自由な方が自由にできる』みたいな話ですね。

フレーミングの癖をつけていると、ちょくちょくこういった閃きがおりてくるから楽しいです😚

 

 

『無いものねだり』の話を描きたいだけだったのに、他のずっと思ってたことを書いたら3500字以上も書いちゃってたわ😘

 

 

ありがとうございました\(´-`)/

直感と先入観は違う。

 

はい‪( ¨̮ )‬

 

タイトルの通りです( ˊᵕˋ )

 

 

皆さま本日もご訪問ありがとうございます。

 

『直感と先入観は違う』とのタイトルで、言いたいことそれで終わりなのですが、そう思った理由を認めますね。

 

 

この間「存在は認めていたけど入ったことの無かったスーパー」に入りました。

読者の皆々様方も、そんなお店の一つや二つ身に覺えがあるのではないでしょうか。

 

さて、わたしがそのスーパーを知っていながらも、なぜ入ったことがなかったか、なのですが、その理由はまぁ有体に言えば『侮っていたから』に他なりません。

 

なんというか、その店構えを初めて見た時の第一印象が、どこか萎れているように思ったために、存在を認めてから少なくとも5年以上は入店をしていなかったわけです。

 

そんな年月をかけて入っていなかったお店へ、なぜ入ったかと言えば、それは純粋な好奇心でしかありません。

 

 

お店に入ってみて初めて知ったのですが、そのスーパーは二つの店舗が向かい合うように建っているために、入り口が道から見えず店内も確認できないのですね。

 

そういった理由から上記ののような第一印象ができたのかな、とも思います。

 

 

品揃えもなかなか良く、店内もなかなか広かったため「いやぁ先入観で物事を決めつけてかかるのは、全く良くないよなぁ」なんて調子の良いことを思っていました。

 

考えてもみれば、少なくとも5年以上営業し続けているお店なのですから、しっかりしてるに決まっているのです。

一消費者が何を『しっかりしている』だと偉そうなことを言っているのだ。

 

 

さて、この記事のタイトルにもしております『直感と先入観は違う』なのですが、明確にどういったところが違うのでしょうか。

 

『直感と、先入観の違い』は、そこに〈思考〉が発生しているかどうか、なのではないかと思います。

 

 

『直感』とはインスピレーションです。

インスピレーションは「降りる」と形容されるように人間の思考が介在しない領域を指すものなのだと思います。

 

それに対して『先入観』は思考が介在した状態で出力されるものなのではないでしょうか。

たとえ直感から由来した考えを基にしていても、その考えに少しでも思考が混ざれば不純な『先入観』へ変化するのだと感じます。

 

白色の絵の具に、爪楊枝の先程度の赤色や青色の絵の具を入れたとしても、その色は「純粋な白色ではなくなる」のと似た感じでしょう。

 

 

直感が透明清廉な岩清水だとすれば、先入観は不浄な工業排水です。

それくらい思考というものは少量でも汚れるものである、とすら思っている節がわたしにはあります。

 

 

それでは「直感は当てにならない」と信じていらっしゃる方々はどういうことになるでしょうか。

『直感を一切信じていらっしゃらない方』は一定数います。

 

それはカレーライスや唐揚げでも好まない人がいることや、『世の中には何をやっても自分のことを好いてくれる人もいれば、何をやっても自分を嫌う人間も一定数いる。その他は時と場合によって好と嫌が変わる』という法則からも伺い知ることができるようにです。

 

そういえば『何をやっても好いてくれる人もいれば嫌う人もいて、その他は日和見主義である』というのは、腸内細菌の理想的状態と同じみたいですね。

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腸内細菌は自分でコントロールが可能ですが、人間関係に対しては完全にコントロールできないので、やっぱり考え方次第ということなのでしょうか。

あれ、でもこれは思考を頼っていることになるよな。

 

 

閑話休題

 

 

『直感を一切信じていない一定数の方』がどうして『直感を一切信じていない』のか、ですが、個人的に思考を信用しきって思考に依存しているから、なのだと思っています。

 

思考を信用して思考にばかり頼って生活していると、それだけ直感の精度は落ちます。

 

以前にも書いたように「直感を蔑ろにしていれば、直感からは見向きもされなくなる」のです。

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あれ?思考だった。

 

そんな直感の精度が落ちている状態で、付け焼き刃みたいに直感を頼っても、そりゃあその直感が的を得ているわけがないですよね。

 

直感も洗練が必要なのです。

 

 

精度が落ちている直感を氣まぐれで頼って、それが当たっていないから、自棄になって『直感は当てにならない』と嘯いているだけなのだろう、と、わたしは感じています。

 

そりゃあわたしの推理ですし、推理も思考なので信用なんてできないのですけどね‪( ¨̮ )‬

 

 

初めて入ったスーパーの店内を周りながら、「やっぱり思考は至高なんかじゃねえよな」なんて思っておりました。

 

 

 

とはいえ、わたしがいつも書いている内容もなかなかの思考を動員しているわけなので、今回の内容はなかなかどっちらけな感じは否めないわけなのですけれど( ˘ω˘ )

 

「あくまでもわたしは、直感で降りてきたものを、思考というアンプで増幅しているに過ぎない」と、醜い弁明を残しておきます。

 

 

そういえばミステリの女王であるアガサ・クリスティーさんが、著書の『アクロイド殺し』において「直感というものは、それまでの知識や生活などの集積で生み出されたものである」みたいなことを書かれていたのですが、完全な直感派であるわたしとしても、全くその通りであると感じます。

 

つまり、直感というものは思考の先にあるのである、と言うことも可能ですね‪( ¨̮ )‬

 

上記のことが正しいかどうかは別として、思考にばかり頼って考えてばかりだと、全く脳みそがしんどく疲れるので、思考もほどほど、直感ちょっと優位で生活していくのが吉ですね。

 

少なくともわたしは\(´-`)/

 

 

 

ありがとうございました\(´-`)/


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嫉妬?

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

本日はデリケートな話題ですので、デリケートな方はお控えください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい。

 

 

 

白という色。

 

日本では白色を好む人が多いです。

 

しかし、西洋では白色を好まない人が多いそうです。

 

これは車の色をにおいての話だったと記憶しています。

西洋では『白色は無色』と認識され、銀色が人氣なのだそう。

 

日本は白色の車体をした車を好む、と見ました。

 

これは十数年前に見聞きした情報なので、今では違うかもしれないですし、見聞きした情報元もおそらくはテレビですので、まったく信用できないとも思うのですが、そう記憶しています。

 

 

さて、この『白という色は、無色』という認識。

これって他の面でもベースの価値観になっているのではないでしょうか。

 

 

人種問題です。

 

 

白人種はもともと西洋、ヨーロッパで生活していました。

 

しかし、アメリカ大陸と名付けた土地を見つけ、そこに居た原住民を虐殺しました。

ネイティヴ・アメリカンという存在ですが、そういった彼ら彼女らは褐色の肌をしていたと言います。

 

そんなネイティヴ・アメリカンである彼ら彼女らを、西洋から来た方々は惨殺し『漂白』したわけです。

 

そして、いまではアメリカという國は『白人の國』みたいな存在として振舞っております。

 

 

さて、人種問題といえば公民権運動などが代表されますが、「白人と黒人の対立構造」が、やっぱり印象的ですよね。

 

この黒人の方にしろ、我々日本人を含んだアジア人は『有色人種』と形容されます。

 

 

"有る"色。

 

"有る"の反対は、"無い"です(有るは無いでもあるけど、今回のお話には関係ない)。

 

『白色は無色』と認識される。

 

無色は嫌われ、人氣がない。

 

あら。

 

 

人種問題は、白人の方による差別思想や優生思想が端を発している場合が往往にしてありますが、その理由って『生まれながらに色を持っていることへの嫉妬』なのではないでしょうか。

 

生まれながらに色を持っているものに対して、嫉妬しているし、それと同時に恐れている。

 

だからこそ弾圧したりしているのではないでしょうか。

 

それに、自己・自身に不足感を抱えているからこそ「美白」だのと言ってキャンペーンをし、我々日本人へ白人種への憧れを焚きつけたのではないでしょうか。

言ってしまえば、承認欲求のような。

 

そう考えると、白人至上主義というのも、幼稚な子たちの強がり?と捉えることもできます。

まぁ簡単なところは『"相手を下げることで自分が上に立っていると思いたい"というマウンティング』かなにかでしょう。

 

 

 

わたしは都市伝説だとかそういったお話が好きなのですが、そっちの界隈では「地球の適正人口は十億人」なのだと、そういう言説が話題になっています。

 

この十億人という数なのですが、聞いたところによりますと(あくまでもわたし自身が調べたわけではないので、信用しないでください)、ヨーロッパ・ロシアの人口とアメリカ大陸の人口を合わせたら十億人だそうです。

 

あら。白人の方々が主要な國々だ。

まぁフランスやイギリスにも黒人の方はいらっしゃいますけどもね。

 

 

こんなトチ狂ったお話は、薄ら笑いを浮かべながら読んでいただけたらよいと思いますよ( ¨̮ )

 

しかし、もし『白人という種は、色がない』という認識を本当に持って生活していたのだとすれば、確かに根源的な不足感や欠乏感を抱えて生きていたんだろうな、とも思い、それはそれで氣の毒だな、とは思います。

 

無条件の自己受容ができるようになれたらいいなぁ。

 

 

 

ちなみに、わたし個人の意見としては人間なんて地球において癌細胞で害しかもたらさないので、さっさと滅んでしまえば良いと思います( ¨̮ )

人間に適正人数なんてない( ¨̮ )

少なけりゃ少ないほど良いのよ( ¨̮ )

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回のお話は『脂』についてです。

 

 

脂の乗ったお魚はまったく美味しいですよね。

 

脂の乗った鯖の塩焼きなんて本当に美味しいですし、その幸福を感じたら、改めて生の感謝すら覺えます。

 

これからの季節なら秋刀魚ですかね。

 

アメリカ産牛肉が赤身戰略を取っているために、日本産の牛肉は霜と呼ばれる脂のたっぷり含まれた肉質の戰略になっています。

 

脂は人氣ですね( ¨̮ )

 

 

脂。

 

 

脂は脳を幸福へ連れて行ってくれるのでしょうか。

 

少なくとも多くの人間は脂が好きなのだろうと感じます。

 

脂の乗ったものと、そうではないものなら、多くの方は脂の乗った方を選択するのではないでしょうか。

 

 

脂。

 

 

2022年現在、わたしは都会で生活していますが、体感的に田舎にいた時よりも、都会の方が一見して太っていると認識できる方が多いなと思います。

 

 

脂肪。

 

 

肥満と判断される方は、その脂肪を維持するために多くのものを食べねばなりません。

 

色々な理由で太っておられるのでしょうが、脂肪を維持するために多くの消費を行う必要がございます。

『脂肪を維持するために行った消費』により、『その消費を行うための消費』も発生します。

 

肥満という体系を維持した結果に、病に罹ったり、病院へ通院する場合も発生したりします。

 

 

脂。

 

 

人間である我々が食する生物の脂を有り難がるのと同じで、我々人間が脂肪を蓄え維持することによって「有難い恩恵」を得る、大きなシステム?とかもあるのでしょうね( ¨̮ )

 

 

( ¨̮ )♪

 

 

余談ですが、生物というのは油にしても脂を作り出せるというのは、本当に不思議だなと思います。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

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相互胡蝶の夢

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今日は変なことを言います。

 

いつも言っていますが、より変なことだと思います。

 

 

わたしは中學生くらいの頃から『夢で観たことが現実で体験する』という経験を何度もしてきました。

 

「あれ?なんかこの景色、というか、感情とか、前にも体験したことがあるぞ?」と思って記憶を辿ると、寝ている時に見た夢からの既視感だ!と氣付くわけですが、その感覺も十数年来のものなので、もはや今では「またかよ」と思います。

 

そのデジャヴ?予知夢?が起きだしたころは意味も不明に落ち込んでいたのに不思議なものですねˊᵕˋ )

 

これも『人は慣れる生き物』ということなのでしょうね。

 

ね?変なことを言っているでしょう?

 

こんなこと現実ではなかなか言えません。

言ったところで、とち狂ってると思われるだけですからね。

とはいえ、現実の延長上にあるインターネットで言ったとて同じです。

「はぁ〜意味わからんー」と思われるのが落ちでしょう。良いˊᵕˋ )

 

 

もっと意味不明なことを言いますが、その予知夢を現実(と既定している時間軸)で経験した時に、感情までも夢と同じで、また「なんだ、既視感がある。あぁ、夢で観た場面か」ととも思います。

「夢の中でも、『あぁ、夢で観た場面か』と思う」のです。

 

これはつまり、夢の中でも夢で観た場面を観ている、ということになります。

頭がこんがらがって来ますね。

 

 

『この世は胡蝶の夢である』という言説があります。

これは、『自分が生きていると思っている"この世"は、実は蝶やらの見ている夢なのかも知れないよ?』という意味合いです。

 

わたしが現実と認識している世界で起こった出来事や感情に既視感があり、それは夢で観た場面である。

その夢の中でも『あぁ、これは夢で観た場面だ』と認識している。

 

 

これは『相互的胡蝶の夢』なのではないでしょうか?

 

どっちが、どれが現実なのか、とかの話ではなく、どれも現実であり虚構・夢である。ということです。

 

 

変でしょう‪( ¨̮ )‬

 

変で良いのですˊᵕˋ )

 

全く同じものなんてありません( ˘ω˘ )

 

 

 

ありがとうございました‪( ¨̮ )‬

「いやぁ〜〜、そんな(笑) まさか、、ねえ??」だといいなぁ、というお話

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

ちょっとした買い物をしていました。

 

最近ではキャッシュレス決済なんてものも一般化してきましたし、それ専用のセルフレジなんてものも増えてきました。

 

わたしは現金派なので有人レジに並んでおり、「まぁヤクザの方は絶対現金決済なんだよな。だから現金はなくなんないよねー」と思っていました。

 

なんでも『どこそこで使った』などのログが残らないために、ヤクザの方や反社会的な方々は現金しか使わないそうです。

『現金は足がつかない』ってやつですね。

 

なので、電子マネーもカードも利用をしないのだそう。

 

そういった意味から『現金は無くならない』と考えているのですが、その会計待ちの列に並んでいるときに思いました。

 

「現金にまでトラッキング機能がついたら、それはもう恐ろしいことになるよな」

 

「いや〜、まさかな」と思ったのですが、あるじゃないですか。2024年に。新紙幣発行が。

あれの裏にはタンス預金を引き出すため、なんても言われておりますが、もし、現金に電源を必要としないトラッキング機能が組み込まれていたら?

 

 

いやぁ、ぞっとしましたよ。

 

むしろぞっとしないわけがないですよね。

 

仮にトラッキング機能がついていたとして、その紙幣と個人を紐づけられないじゃんとも思うのですが、それはもう実は知らないうちに整備されているとか?

 

慈善的に大衆に行われた行為によって?

 

 

 

 

 

あ、携帯電話だわ。

 

 

わからないけどね( ¨̮ )

 

まぁ「酔狂なフィクションを観すぎた享楽な人間の妄想」と思ってくださいな( ¨̮ )

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ありがとうございました( ¨̮ )

【八十八ヶ所巡礼】混沌の大鍋で煮込まれる貴様ら【八=八祭】

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

行ってきました『八=八祭』!!!

 

どーん!

 

 

前回の八八ライヴ

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開演 ~肉体への感謝~

オンタイムで開演。

いつものSEが流れます。

 

そういえば一番最初に八十八ヶ所巡礼というバンドを見たのは、2021年8月28日の『幻魔大祭0828』だったな、なんて思い出しました。

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フロアの頭上にあるミラーボールから反射した白光が、きらきらと空間を染めます。

 

わたしは基本的に「肉体ってのは全く邪魔でしかねえな」と思っているのですが、この時ばかりは『あぁ、肉体があってよかった』と心の底から思いました。

顕在化した感情ではなかったけど、『産んでくれてありがとう、お母さん』とすら思っていたのではないか、と思います。

 

あ、わたし個人の不要な感慨ですが『肉体ってMAJIで邪魔だよな』と思っていても、VRとかいう電脳の世界に身を置くなんて、全く莫迦らしくって以ての外です。

 

「あぁ〜まったく肉体ってのは邪魔だよな〜〜〜」と煩悶しながら生きるもんですものね。人生なんてね( ¨̮ )

阿保な人間、阿保な肉体と共に踊ってこそ人生。

 

意味のない人生に意味のない意味づけを。

 

好きな人や尊敬している人を目に認めて、「はぁ〜〜生きていてよかった〜〜〜〜」と思うくらいでもいいんだよ。

新宿のゴールデン街の酒場に赴きたい。

 

 

神@熱

マーガレット廣井さんがお一人だけ登場し、ソロワンマンスタート。

 

フェイザー?のかけられたベースサウンドの霞感というのでしょうか、その音のたゆとう感じと、歌のストレートな音像とが幻惑的な混ざりを生み出し、なんというか、天啓のように天から歌と音が降ってきているような感覺が生まれました。

 

この時に上記した『好きな人や尊敬している人を目に認めて、「はぁ〜〜生きていてよかった〜〜〜〜」と思うくらいでもいいんだよ』と思った次第です。

 

 

この『神@熱』は、

正気な僕らが莫迦にされていく

わかっているかと

陽気な奴らが法螺を吹いている

無情な気分

と歌っていますが、『八=八祭』の公演を終えて振り返ると、この曲が一曲目で演奏されたというのは、ある意味その日のライヴのテーマとか方向性を指し示していたのではないか、と思います。

 

一人きり・弾き語りでの演奏、マーガレット廣井さんの作詞、ということから鑑みて、マーガレット廣井さんの本心というか、『ピュアマーガレット廣井』たる部分なのではないかと思いました。

 

そうなると、新宿LOFTで公演した際に一曲目であった『脳ハ寝テナイ』と『ウルトラヘヴン』も、マーガレット廣井さんの『ピュアマーガレット廣井』である本懐が濃く表された曲なのではないかと思います。

 

酔狂な思い過ごし☆彡

 

 

凍狂

『神@熱』が終わり、「マーガレット廣井のソロワンマンライヴへようこそ、貴様ら。もう少しだけお付き合いください」という挨拶からの「全然夜にならないね」と『凍狂』がスタート。

 

原曲はなんというか『切り詰めて張り詰めた感』というか『精神的な緊張感』を感じるのですが、弾き語りだと『使用感のある柔らかいタオル』みたいな寄り添ってくれる感覺がございました。

 

原曲のバンド演奏の方は『髑髏の街の街路を、疲弊した限り限りの体で、なんとか歩く』みたいな感じですが、今回弾き語りは『しっとりとした形のない焦燥感とか諦観を感じながら、四畳半でぽっつりぽっつりと歌う』みたいな感じとも思います。

これって果たして、読んでくださっている方と共有できるのかしら。

 

曲中でギター、ドラムのお二方も合流し、(たしか)『狂が溶けてく』後からオールイン。

 

にっっっっっっっこりしたことを覺えていますが、あまりに至高だと記憶に残らないものですね( ¨̮ )

とにかく愉しかったんです( ¨̮ )

 

 

JOVE JOVE

イントロが流れてもうテン上げの極上天丼。

なんてこの曲はこうも湧く湧くして浮き浮きするのでしょう。

 

ラストサビ前に「どうするどうする」とマーガレット廣井さんに問われるセクションがありますが、その最後に「どうするどうするどうするどないする?!大阪!」と問われて、そりゃあ、、

 

 

MC

「我々は8月8日に『八×八祭』、8月18日に『八+八祭』を東京でやっていたんだけど、そこでは8月8日、8月18日のそれぞれの日に発売された曲たちを演奏したんだよ。

でもそこでは演奏できなかった曲たちがある。

『0088』ってアルバムなんだけど、もろもろが滞って8月8日にも8月18日にも発売できなかった。

そんな経緯から色々と曰く付きな作品になっていて、『盛り上がりに欠ける』とか。

そんなアルバムの曲を中心に演奏するから、もしかしたらすごいライヴになるかもしれないけど、愉しんでください(最後はニュアンス。実際に言ってたかは曖昧です)」とのお話から、次の曲がスタート。

 

 

茫漠冥途草〜漆・黒・の・と・き・め・き

覺えてないんだよなぁ…。。かっこよかったことしか…。。。

それとぼ〜〜〜んやりと「これは混沌だ…。。カオスなんだ…。。。」とかを思ったのも覺えています。

 

しかし『漆・黒・の・と・き・め・き』のサビで盛り上がりを見せなかった?のは「あれ?」と思った記憶があります。

 

わたしはといえば全身がでっかい耳になっていました。

 

ぜんぜん全然じゃねえじゃねえか。

 

 

宇宙の末端☆彡

踊念仏〜〜〜〜!!!!!!!!!!!

この曲はもしかしたら『0088』の中で一番好きなんじゃないかと思います。

 

この曲を真っ暗闇で聴きながらノリノリになると、もうぶっ飛びな踊念仏になるんですよ、最高なんですよ、愉しいんですよ。

 

なんでも『難攻不落の気分次第』でありますしね〜〜〜〜😌😌😌❤️

 

 

OH! SOJI!

この曲くらいからぼんやりと思っていたのですが、『0088』は混沌がテーマになってる(なっちゃった?)のではないか、と思います。

バンド仲間と切磋琢磨している様が【さながらJAZZ】と感じた『SYG88』

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そこから、成長するにあたって経験する煩悶などを【精神的プログレ】として落とし込んだ『○△□』

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今回の公演で核になった『0088』はそんな【精神的プログレ】を超えた先にできた作品です。

まだまだ混乱や混沌の最中にある状態で生まれた作品であるから、なんとも難解というか、ある意味では"解りにくい"作品であり曲たちが多いのではないか、と思いました。

 

が、果たして『仏滅トリシュナー』や『霊界ヌ〜ボ〜♨︎』や『PALAMA・JIPANG』が解りやすい曲か?と問われると、「???????…、、、、、、、わからん、、。。。。」となります。

すっかり中毒になっておりますもので…。。。。

 

でも、少なくとも4/4拍子がベースになっていて、間奏だけが変拍子になっていたので、『苦苦★念仏』のように全編通して7/8拍子のような変拍子ではありませんでした。

ということは、これまでの曲はわかりやすい曲だったのでしょうか。。。。。。。

 

 

とはいえ、『0088』以前と以後で明らかに違う部分はあり、以前はアルバムテーマみたいなもの(「何をやりたいか」みたいなもの??)が聴き手にも解りやすかった(はずです)し、以後は曲自体が非常に聴きやすいというか、いわゆる『キャッチーになった』印象があります。

 

これは『0088』という煩悶期があったからじゃねえの?と一ファンは思います。

 

わからないけどね。

 

 

この日の『OH! SOJI!』は、なんだかリズム隊のユニゾンがすごくぱっちりと綺麗に合っていたように感じます。

バスドラムとベースの発音がキレ良く合っている感じ。

 

あと余談ですが、この曲では『お掃除ROBOT』という言葉が登場しますが、これっていわゆるルンバ的な彼らではなくで、清掃員をされている方々のことを指しているのではないかな、と思いました。

 

 

鬼畜

この曲は『恨み』の曲だと思うのですが、演奏する日によってその表情を変えます。

 

今回はドラムの音に特段のリヴァーヴがかかっておりませんでした、そのため非常にシャープな感情を感じ、都度都度その想いに刺されているようでした。

 

そのあとにKatzuya Shimizuさんのロングトーンなギターが入りますが、なぜか非常にぞっとしました。なんというか情念を強く感じてしまって。

 

 

歌い出し前にギターのアルペジオがあります。

今回のアレンジでは一小節ごとに広がるように増長されていくフィードバックが加えられており(「…ふぁ〜〜ん、…ふぁあ〜〜ん」というように、一小節ごとにまた0から始まるフィードバック)、それが『怨みを反芻している様』に思えてしまって、「やだぁ〜〜〜実際に体験したくねえ〜〜〜〜」とか思っていました。

ちゃんと曲を聴け。

 

しかも、二回目のアルペジオは一小節ごとにかかるフィードバックではなく、はじめからかけられているリヴァーヴだったもので、「やだよ〜〜〜〜怨みと共に生きること決心してんじゃんか〜〜〜〜〜」とか思って、より恐怖してました。曲を聴け。

 

 

そういえばこの『鬼畜』という曲は非常に70年代な曲ですが、ギターのサウンドも'70ライクなファズサウンドですね。

 

ギターの歪みはファズ→オーバードライブ→ディストーション→「色々あっていいよね」な今、と遷移しているのですが、聴いている限りKatzuya Shimizuさんはディストーションはご使用されていないように思います。

ファズかオーバードライブですよね。

 

ディストーションは80年代的なメタルとかのジャンルが多用しているのですが(LAメタルとかメタリカとか)、ルーツミュージックがそこではなくて70年代プログレッシブロックにあるからなのかもしれませんね。

 

人間椅子の和嶋慎治さんが影響を受けたKing Crimsonなんて、めちゃくちゃにファズサウンドですものね。

 

 

百鬼園

この曲は「ダダダダッ!」や「ジャージャージャージャッ!」などのキメが肝になる曲です。

その決めに合わせて照明がビカビカしたり色が変わったり、色々としていたのですが、赤色と緑色が同時にライティングされるところがあったんですね。

 

【その照明に照らされる姿】があまりに『3Dメガネで飛び出すあれ』とそっくりでしたので、「わぁ〜〜〜!!!!3Dメガネで飛び出す八八だ〜〜〜〜〜!!!!!」とかアホなことを思っておりました。

 

演奏はマーガレット廣井さんがAメロのクロマチック(半音ずつ遷移する奏法)フレーズ?を涼しい顔で弾いているのを見て恐ろしくなりました。

クロマチックの運指って難しいし、テンポ結構早いでしょ。難しいはずですよ。

 

 

苦苦★念仏

PVも公開されている曲なので、貴様らの皆様は「来たー!!」となるのかな?と思っていたのですが、そこまで?なっていませんでしたね。

そりゃ混沌なアルバムの中で一番わかりやすい曲()がPVになって公開されたとて、収録されている母体のアルバムが混沌なんだから混沌なのも簡単なことかも( ¨̮ )

前編7/8拍子ですもんね。

 

わたしはといえば、やっぱりAメロのベースラインの異常さにおったまげておりました。

 

 

惡闇霧島

この曲は原曲からギターソロがえれぇなげえわけですが、この『0088』が(マーガレット廣井さん曰く)『盛り上がりに欠ける』と言われる所以?はそこなのではないかと思いました。

 

つまり、わかりやすいギターソロがない!

 

 

ギター弾きとして思うことですが、ギターはうわもののメロディー樂器なので、最悪なくてもなんとかなります。

ドラムとベースと歌の構成でも、曲として成立します。

 

ですが、こんなにギターが何十年も残っているのかというと、それは大きな要素として、やっぱり『華やかで目立つ』ということがあるのではないかと思うのです。

 

この『0088』は、それまでの作品と同様にKatzuya Shimizuさんが超絶プレイを行なっておりますが、『幽楽町線』のように解りやすく"Katzuya Shimizuする曲"は無いように思います。

 

そういった、観客から見たときの『わかりやすさ』がないもんだから『0088』は盛り上がりに欠けると話していたのではないか?と思いました。

 

曲はもちろんかっこいいの極みなんですけどね。

 

 

M.O.8終わりのMC

詳細な内容は覺えておりませんが、話していたことの箇条書きです。

・「ここまでの演奏中ずっともやもやしていた。いつもは賢三が最初に登場するんだけど、でも今日は最初は一人での演奏だからなにも準備をせずに出てきた。いつも髪を結んでいるゴムを樂屋に置いてきてしまったから、ずっと髪が気になっていた」

・「鼻水がずっと出ていて拭きたくて、かっちゃんのギター拭くやつで鼻かもうかと、何度も思った」

・「『0088』の曲をやっている時に貴様らが案山子みたいになっていると思っていた」

・「一体感なんていらないんだ。そもそも人間なんだから、一体になんてなれるわけがないだろ」

・「ここにいる貴様らはRUSH BALLには行っていないんでしょ?まぁいるかもしれないけど、昔サマソニ(かなりうろ覺え)に出たとき、嬉しくって持ち時間を大幅にオーバーしたらそれ以来一切呼ばれなくなった!フェスって時間めっちゃ大事らしいんだよ」

・「我々は…いや、わたし一人だけかもしれないけど、むかしからモヤモヤしている。政治家に対しての不安や、教育、いろんなことに対しての不満やモヤモヤから、この、盛り上がりに欠ける、全部のアルバムの中でももっともセールスの少ない『0088』というアルバムが生まれた。そんなモヤモヤしていたわたしを成長させてくれたのも、ひとえに貴様らがいてくれたおかげだ。ありがとう」

・「そんな貴様らが存在しているのも、親がいたからだ。親がいないとかそういう事情のある貴様らもいるだろうが、貴様らが今ここにいるということは親がいたからだ。これは絶対だ」

 

ここからいつもの『ロックンロール!!!!』に行くのですが、この日はなんかマーガレット廣井さんが笑っちゃってやり直していました。

もしかして魔族の方がやりやすかったりします?

 

 

そういえば『M.O.8』の「先生!超うざい!」という歌い出しが、そこがなんかクリアに聴こえました。

 

 

アンコール

いつもの『金土日』のドラムBGMでのお話。

 

自然と手拍子をする貴様らに対して「一体になんてならなくても良い!一緒に悲しみましょうとか、一緒に喜びましょうなんて強制するのは、學校や宗教じみていて嫌だ!でも一体感も悪くない?ならちょっとだけ一体感を愉しもう」と話していた氣がします。

 

いつものメンバー紹介は、もうマーガレット廣井さんしか覺えていません。

ベースワウを踏んだ途端に「ぷーーーーー」というようなノイズ?が発生し、軽く戸惑うマーガレット廣井氏。

「今日はそういう日だ!」と観念し、そのままベースソロを始めるマーガレット廣井さん。

 

その音がfuzz factoryとかの発信系ファズみたいな音になっていて、面白愉しかったですよ、マーガレット廣井さん( ¨̮ )

 

 

「このドラムが聴こえていたらやる曲は決まっているのだけど、今日は悔いを残したくないから、別の曲をやろうと思う。さようなら」との宣言から、ジャーン!かき回し。。

 

 

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

 

ぶっ、、、、

 

仏狂だ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!あぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

もう両拳を天に挙げますよ。そりゃあ。

 

しかもマーガレット廣井さんは一回目の「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」が終わると、含みを持たせて『ほら、貴様ら。これが聴きたかったんだろう?』とでも言うようにこちらの様子を伺うものだから、貴様らの皆様は思わず雄叫びですよ。思わずわたしも雄叫びちゃいましたよ。

 

そりゃあ「うぉおおおおおおおおおおおお!!!!」ってなるでしょうに。

 

 

あの瞬間は予定調和とかではない、本当の『一体感』だったと思います。

 

最高。

記憶がない。

浮き浮きしていただけの記憶だけ。

 

 

まとめ

結果、『エイトビイトな人々』は聴けませんでした。

ですが『仏狂』も聴けたこともあって、全然しょんぼりもせず、むしろ「聴けなかった!生きるぞ!」とすら思いました。

 

いや、死ぬ氣なんて毛頭ないですが、『ライヴで聴きたい曲があるから聴くまで死なねえ』と思えるのは倖せなことだなと思います。

 

聴いたら聴いたで『ライヴで聴きたい曲を聴けたから生きていられる!寿命まで生きるぞ!!』となるんでしょうけどね( ¨̮ )

 

人生なんて難攻不落の氣分次第であるから、あるからこそ、好きな感慨で生きれるんですよね〜〜〜〜( ¨̮ )

 

 

あとこうやって当日の整理をしていて思ったのですが、『0088』ってプログレ感強すぎたりするんじゃないですかね?

ほら、基本的に4/4拍子の曲が多いじゃないですか。

それで4/4拍子に慣れすぎているから。

変拍子って容易にはノれないじゃないですか。

貴様らの皆様が案山子みたいになっていたのって、そんなところなのじゃないかしら?

 

 

あ、余談ですが、Katzuya Shimizuさんのギタープレイを見ていたら、わたしにもタッピングとかできるんじゃねえかと思いました。

これは単純接触効果が大いに関係していると思いますが、いとも簡単にやってこなし、『やれるんじゃないか』と思わせることができるってのはすごいですよ。本当に。

わたしが実際にできるかはわからん。

 

 

8/29はマーガレット廣井さんがお誕生日とのことで、なんとか滑り込みでレポを出せて安心しました( ¨̮ )

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまらん感傷と願い〜別に見なくて良いです〜

 

 

 

 

 

八十八ヶ所巡礼を好きな人には、切に自身で自身を救ってほしいなぁと思います。

切に切に『自身は自身で救えるし、自身は自身しか救えない』のだと思い出してほしいと思います。

 

他者でしか救えないと思っていたら、搾取されてしまいますから。

それは多分マーガレット廣井さんが一番悲しむことだろうと思うのです。

 

そんな、クソ感傷。

子宮

 

お久しぶりです( ¨̮ )

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

 

 

また言ってる

いつも言っておりますが、わたしは携帯電話に支配されている人が好きではありません。

 

日々生活していると、携帯電話と睨めっこして、それを支配とも氣づかず、支配されている人のその多さに驚くばかりです。

 

そんな携帯電話に支配されている方々は、基本的に視野が狭いというか、周囲が観えていない人がほとんどです。

 

具体的にいうなら、電車の車内で立っているのに、降車しようとする人に対して体を動かしたり動線を開けたりもせず、直立したまま携帯電話にかかりきり、みたいな様です。

しらんぷりなのか、無視なのか、そもそも降車する人が視界に入ってすらいないのか、それはわたしが彼ら彼女らではないのでわかりませんが、なんにしろ動こうとする氣配なんて、まぁありません。

 

わたしはそんな視野の狭さに辟易としているので、『支配と氣づかず支配されている彼ら彼女ら』のことを、はっきりと不快な存在だと思っています。

 

 

満員電車に乗った際の感慨じたこと

少し前にいつも乗っている時間よりも早い時間の電車に乗りました。

その便?は、いつも乗っている便の乗客数よりも、明らかに乗っている方が多かったのですが、やはりその車内でも携帯電話に支配されている人ばかりでした。

 

しかし、いつもより乗車率の高い電車に乗って、いつもとは違う感慨がありました。

 

その時の車内は、まぁ「満員電車」と形容できる程度の乗車率だったのですが、満員電車ってものに『パーソナルスペース』なんてプライバシーはないわけです。

各個人が持っていると言われている、『他者に侵されたくない範囲』がパーソナルスペースです。これは説明が下手な氣がする。意図的と言っておこう。その実はわたしの力量不足です。

 

パーソナルスペースなんてプライバシーが確保できない満員電車の車内で、唯一のプライバシーであり、ある意味での現実逃避が携帯電話とにらめっこをすることなんだな。と、思ったのです。

 

昨今の現代人は疲弊をしきっているわけですから、自己の最終防衛線的な意味合いを持つ携帯電話と睨めっこをしたら、そりゃあ、他人になんて思いやりが向くわけもないよなあ、と感じた次第です。

 

まぁ、それも含めて、全く愚かであるとは、どうしても思ってしまうのですけどね。

 

 

子宮

そんな最終防衛線である携帯電話は、『自分の見たいもの』しか見ないようにできますし、『自分が見たくないもの』は徹底的に排除できるようになっています(これは「インターネット全てに対して」でもあるんですけどね)。

 

つまり、『その人個人にとっての、完全な安全圏』を作れるわけですよね。

 

そして、人の、もとい生物の『一番根源的な安全圏』というのは、お母さんの胎内。

 

つまり『子宮』です。

 

 

現代人は、携帯電話・インターネットを用いて、擬似的な子宮を創造し、胎内回帰や幼児退行をしているのです。

胎内回帰をしているのだから、そりゃあ周りのことなんて見えていなくて当然です。

 

1歳児とかの赤ちゃんが「いえいえ、わたしには恐れ多いです。どうぞ、お先に」なんて言いません。

赤ちゃんは自分の感情に素直な存在です。

それが良いんですけどね( ¨̮ )

 

いかに幼児退行していると言ったところで、成人したいい大人が周囲が見えていなかったり、胎内回帰するのはどうなのさ。とは、やっぱり思います。

 

 

とはいえ、下記の動画にてお母さんの顔を伺ってバウンサーを弟に譲る姿が伺えるように、これくらいの時期から社会性が身についてくるのだろうとも思います。

www.youtube.com

 

正直なところ、子どもとされている存在の方が、現代で大人などと呼称されている方々などよりもよっぽどまともだと思います。

 

 

とはいえ、わたしはその人の人生を生きているわけではないし、わたしはその人自身でもないので、その人が愚かであったとてどうしようもないんですけどね( ¨̮ )

その人自身は無知かもしれませんが、無知を承知で安易な娯樂に頼ったのでしょうからね( ¨̮ )

 

他者を『愚か』や『無知』と形容して批判しているわたしも、また『愚か』で『無知』であり、その愚かさが故にここまで書いてきたようなことを思いついたのでしょうし( ¨̮ )

 

お好きなようにお生きになったら良いと思います( ¨̮ )

 

 

 

 

さて!本日2022年8月28日は、八十八ヶ所巡礼さんの『八=八祭』です!

樂しみにしていた!最近『Toto』にはまっていたけど!

『エイトビイトな人々』は聴けるのかしら!!!聴きたい!!!!!