本日もご訪問ありがとうございます。
登ってきました鳥取大山!٩( ᐛ )و

去る昨日は六月二十四日。
つまりわたしの誕生日٩( ᐛ )و
Jeff Beck氏と同じ誕生日だなんて同じギタリストととして恐悦至極ですわ٩( ᐛ )و
2026年頭に急遽決めました鳥取県は大山にお誕生日当日登頂いたしました( ¨̮ )
大層くたびれました( ¨̮ )
昨年出雲大社さんにご挨拶へ伺った時に「でっかい山だな〜」とお見かけし、それから今に至ります。
石見銀山に登った時にも思いましたが、山陰地方かなり好きです。
floodinhead.hatenablog.com
6/23
登山当日に鳥取入りは流石に強行策すぎるため、宿を取って前乗りです。
山の中にある宿なのですが、ミステリ好きとしては浮き浮きするものがあります( ¨̮ )
宿にて受け付けを済ませて寝る部屋を確認したら、いの一番に最上階にあるラウンジへ。

Japanese Style Restroom

日本酒があるとか最高ですね…。
十八時でラウンジ営業昼の部が終了であったため、近くの神社さんへご挨拶。
往復一時間のお散歩でしたが山という地形により良い運動となりました( ¨̮ )

良い場所でした( ᐛ )

一人旅最高ゥ!
食事を済ませてラウンジ営業夜の部へ。
携帯電話も本も持たずでしたので一人酒を飲みながら沈思黙考でした。
いやあわたしも三十三歳です。
将来に不安があるかと聞かれたら、いまいちよくわからんとしか答えられない。
貴様はどうするつもりだ、何をするのだ、とよくある悩みじみたものを肴にホワイトラムのロックを「口に合わねえな」と思いながら舌で転がしていました。
音樂の呪いはまだ解けない。
やりたい。
しかしやりたいこととやれることはどうやら違うらしい。
音樂は "やれること" とは違う?
しかし曲は作っている。
──大山とりのお煎餅おいしい。
曲を作っているだけでは "やれること" ではない?
そういえば今日父さんの命日じゃん。
──あ、のどぐろチップスもおいしい。
誕生日まであと数時間という時、ラウンジ内はセカンドライフの男女たちで賑わっている中でわたしは酒の力を借りて微憂鬱に浸っていました。
憂鬱と生きた人といえばわたしにとって太宰治さんとファン・ゴッホ氏なのですが(特にゴッホ氏はあいつどうしても人ごととは思えない)、今みたいに現実逃避の手段がなかった時代に生きていたことには本当に尊敬を感じます。
あとわたしはスピリチュアルに傾倒しておりますが(壺や高級布団などは買っても売ってもいない)、最近「スピリチュアルに傾倒した人は辛いことがあった人だからかわいそうだと思っている」というご意見を拝見しました。
まぁ自分のことを思い返しても確かにそれはその通りではあるけれど、わたしとしては『他人様をかわいそうと思うことで悦に入る器用さ』を持ち合わせていなくて、本当に良かったと心底から思います。
というより『〈自分が許容できない価値觀〉をスピリチュアルと形容している』だけな氣がする。それが一番樂だから。
逞しい全能性と素晴らしい見識をお持ちでいらっしゃる。
程度によりますが他責感情が逞しいのも考えものだと感じますし。
昔のわたしのように自責一辺倒もそれはそれで芸がないというか精神が崩壊するだけ(した)なので、とどのつまりは適当で良い塩梅、侘び寂びなどの調整が重要ってことでしょうね( ¨̮ )
まぁわたしも『おいたわしや…』という氣持ちから書いた記事があるので人のこと言えませんけど( ¨̮ )
しかしラウンジ夜の部で思ったことがあります。
やりたいことがあり、それを行えている時点で、そのやりたいことはやるべきことであった。
やりたいことを肯定して、実行したのは他でもない自分である。
世界から肯定されてるからできる、ということです。
その上で以前に言及いたしました『この世界は感情を感じるためにある説』を持ってまいりますが、一旦ある方のお話を引用させていただきます。
floodinhead.hatenablog.com
仮定として五百萬圓としますが、その金額がほしいと神社さんで願ったところ、願った額面が実際にもたらされた。
しかし親の死亡保険で得たお金であったため愕然としてしまった。
芸人の島田秀平さんがファンの方から伺ったお話だそうですが、人の氣持ちとかわからねーのか!と思ってしまいそうですが神なんですから人の氣持ちなんてわかるわけねーだろ。
もちろん創作話だという可能性はありますが、なんでも創作だと切り捨てていては生活がくさくさとしてしまい、挙句は虚無虚無しちゃうのでロマンを優先します。
まずわたしが思うのは『氣持ちや感情というものを感じたいために神が人になっているのではないか?』という仮説です。
その上で人の氣持ちがわからないといえばサイコパスやソシオパスと形容される方々を想起しますが、あれらの方々が優先しているのは自分の氣持ちや感情です。
一方で神的な存在が優先しているのは〈我々(その人自身)の願い〉です。
となれば、何かをしたいと思ってできている時点で神の加護を与っているのではないか?と思ったりしますが、実際のところはどうなんでしょう。
知りません。
しかしそのようなことを考えているとしみじみと感じます。
人生というのは一番のエンタメだわ。
だってわたしが苦しんだ経験も自分の選択だし、その選択で経験した辛苦が今の自分を救ってるんだし。
面白いけど自作自演みたいなもんじゃねーか!
あとラウンジでセカンドライフな男女様方を見ていましたが、最初は談笑していても次第に携帯電話を眺めて個々の世界に収まって行かれました。
結局いくつになっても自分が生きやすい方法を取るんじゃん。
じゃあ別に今生きやすい生き方で好きに生きたんでいいんじゃん。
もし問題だったり不具合・不味いことがあれば何かしらの抵抗が生じるだろうし。
故意に悪戯に他者を傷つけたり、侵したりしなければ、好きに生きちゃっていいじゃーん。
あと「自分が怒っているのって、結論、自分自身が未熟だからってだけじゃない?」とも思いました。
わたしは現在大きく括って接客業を行なっています。
わたし個人としては店員さん等々には敬語で接するのが常識であり礼儀と考えておりますが、案外その礼儀を弁えていない方がいる。
初めのうちは内心「このやろう…!」と思ったりしていましたが、視点を変えてみればその人なりの友好表現だったのかもしれません。
やはりわたしは未熟者。
しかしこの度少しだけ成長できたのかもしれません。
知りません。
そんな考えをラウンジで沈思黙考し、大浴場へ。
ざぶりと湯船に浸かれば心の口から漏れ出るは「幸せだ〜」という声。
以前までなら『こんなことで幸せだと思っていてはいけない』などとすぐさま思考が感情を上書きしようとしていましたが、いいじゃん。幸せって思ったんだからそれはそのまま幸せで。
そして思いました。
幸せとは『何か特定のものがあること』というよりも『幸せという感情を感じられること』それこそである。
お風呂だいすきというお話でした。
6/24
寝坊する夢を見ました。
寝起きで「そうか〜、誕生日か。三十三になったのか」とぼんやり思いました。
こんなに感慨がない誕生日も久しぶりです。
あ、ケーキ食べなきゃ。
朝食ビュッフェ〜(و ᐛ )و"

第二陣はラタトゥイユにきのこのソテーとソーセージに卵焼きでした。
割と好きなものばかりを取ったつもりでしたが健康に氣を遣っている方のお膳みたいになっていました。
ところでわたしはビュッフェ形式の食事は合わないようです。
普段からよく噛んで時間をかけ食べるように心がけた結果、遅飯食いになったわたくし。
時間制限があると食事を愉しめない。
美味しいと思うものは特にゆっくりと味わいたいのに満足に味わえない。
自分と合わない…( ´¨̮ )
回転率が重要なラーメン屋さんも苦手です。
美味しく味わうというお食事所への最大の敬意が伝わらない山嵐のジレンマ…│ ´¨̮ ) ´¨̮ ) ´¨̮ )
レストランにいた赤ちゃんがラブリーでした( ¨̮ )
食事を終え、いざ登山!
まずは神社さんへご挨拶〜と思ったら知らないうちに行者コースで登山をしていました('ω')

登頂٩( ᐛ )و



٩( ᐛ )و
道中はとにかく過酷だったので寫眞などを撮影する余裕がなかったのですね。
あと山という場所ですから、注意散漫になっていては実際的な身の危険に見舞われる場合もありますから。
登山の道中は八十八ヶ所巡礼さんの『ウルトラ・ヘヴン』とthe band apartさんの『ピルグリム』を歌いながらでした( ¨̮ )
なんだか最近『ウルトラ・ヘヴン』がやたらと好きなんですよね。
原体験も含めて『エイトビイトな人々』がやっぱり好きですが、僭越ながらアルバムとして完成度が高いと感じるのは『日本』なんですよね。
永劫回帰アルバムだからなのかしら。
しかし森林というものは本当に良いものですね( ¨̮ )

→ ウルトラ・ヘヴン
登山開始は頂上まで3.0km。
登り始めの1kmまでは体力も有り有りでしたし勾配も比較的ゆるやかだったのですぐでした。
「えっ?もう1km登ったの?案外楽勝?」などと思い上がったことを考えていたりもしましたが、すぐさま「そのように侮っては痛い目を見るのは目に見えている。氣を引き締めよう」と思って登山を再開。
案の定痛い目を見ました(物理でも)。
途中で山麓を一望したのですが、さすがに雄大すぎて声が出ちゃいました。

SUGOI
この時期の大山登山は行者コースと夏山登山コースがあるそうです。
わたしは図らずも行きが行者コースだったので帰りは夏山登山コースにしたのですが、思えば上記の山麓は帰りには見えなかったので、結果的に行きで行者コースを登ってよかったなとも思います。
西日本最高峰の石鎚山を有する伊予出身であるわたし、とはいえたかが出身というだけで本懐はギターと読書と思考を趣味とするインドア思念体です。
石鎚山があるからといって登山をするわけではない、『JAPAN AS NO.1』といったところで手前自身がNo.1なわけではない、ということでわたしは登山靴などの用品は三十三の歳にして初めて購入しました。
つまり登山の仕方はただの素人。
めっちゃしんどい。
登りも過酷でありながら下りも過酷。
別に侮っているつもりはありませんでしたが、もっと情報収拾などしておけばよかったかもしれません。
とりあえず30Lのザックは買っておいてよかった。水は2L必須。
登山の何が過酷って、登るわけじゃないですか。
その登山道が丸太とかで階段状になっているわけですが、その段差一つ一つが高かったりすると足で踏ん張って体を持ち上げることになるので、普段使わない筋肉が使役されて大変くたびれるのです。
しかも段差の大きさなどの理由からどちらか一方の足で踏ん張って登ることになれば、これはもう太ももがたくましくなってしまいます。
かなりへとへとのヘトになったにも関わらず0.3kmしか進んでおらず両目が目玉のおやじになっちゃったりしました。
とはいえまあ帰宅して思い返した結果、とてもよい経験だったと感じます。
他の山も登りたいと思っておりますし。
登山時はすれ違う人と挨拶を交わすのが礼儀作法ですが、対人不安がある方ほど登山はよい対処法かもしれません。土の匂いも感じられるし。
あと登山靴は必須ですね。
途中足場が岩ばかりになっている箇所もあり、まずスニーカーでは足を痛めると思います。

下山時の過酷さについてですが、まず登山時は重力に逆らって登るわけじゃないですか。
それに対して下山時は重力に準ずる形となります。
そのためぽいぽいと降りれそうになるため、危ない。そして急勾配。
急勾配を降りるって思っている以上に恐怖を覺えますよ。
そしてもう一つは登山時は注意力もスタミナも有り有りとありますが、下山時はどうしても疲れていますし注意力も薄れてしまいます。
それによって大きめの石が見えておらず滑ってしまう。などもありました。単純に怖かったです。
あと重力に準ずる形で下山するし、注意力も切れてきているし、ぽいぽいと降りれそうになることから、脚そのものに対しての負荷がとてもかかる。
頂上付近では自分を鼓舞するためにも「こわーい、とってもこわいわ〜」などと少し冗談にしていましたが、三合目から下は疲労によって膝が腹を抱えていたのでブルブルと落ち着きがないし自制する体力も少なくなっていたので「こわいこわいこわいMAJIで」と余裕がなくなっていました( ´¨̮ )
とはいえ下山時の娯しみ方は自分なりに見出せたように思います。
下山時の足運びはパズルゲームです( ¨̮ )
あと重心を低くしないといけない。ドムかジオみたいにどっしりしていないといけない。
あと登山したら下山は必須。
しかし来る時に一度目にしているため、ある程度の対策を練ることはできる。
そういうことで「うまいことできているな〜」なんて思っていましたらハッとしました。
今回登山に呼ばれた理由ってそういうこと?
『たとえ繰り返しがあっても対策を講ずることができる』ということ、それも身を以て感じるために大山登山があった?
「Pow!!!」と叫んで手を叩きました。まさにこれだ。
粋なことしますね、でも登山はしんどいっす。
もし自分の繰り返しでなくても、同じ轍を他の方が踏む可能性がある。
そうなった時のために、我は我の生き様を見せるだけである。ということでもあるのでしょうかね。
他人様の人生はその他人様自身が許可を出さなければ立ち入ることができませんから。
なので、言うなれば〈背中で語る〉という姿勢で道を示すのが最善なのでしょう。
わざわざ呼び止めてお説教を垂れる必要はない。それは結局自らのエゴに他人様を巻き込んでいるということでしょうからね。
もしかしたら、背中で語ることができないからお説教を垂れようとする( = 自分の価値を示そうとする)のかもしれませんが、このような毒は不用意に吐きちらすものではない。
ところで頂上では三十分ほど瞑想をしたのですが、虻さんにブンブンされながらでも瞑想をすると氣分爽快、意識ははっきりとするものですね。
もしかしたら瞑想をしたから上記の思考が去来したのかもしれないし。
知らないけど。
というわけで登山口まで下山して、大山登山は終了です。
カフェーにてカレーをいただきましたが、とても美味しかったです。
ピザの黒いものはきくらげなのですが、なかなか新鮮でよかった。木須肉食べたい。

「美味しい」と思えるのは本当にほとほと幸せなことだと感じます。
米子駅では昔から世話になっているベーシストの先輩と友人へのお土産を買って帰宅。
帰宅後はO2さんの『神田リバサイ』を聴いて憂鬱になりました。
6/22
鳥取前乗りの前日、辛いお勤めを終えたのち自宅でキャベツを千切りにしておりました。
その時ふと「これまでお金がなかったのは多くのお金を得た時、その有り難みを最大限感じるためか」と思いました(『〈美味しい〉を感じられなかった経験があるからこそ美味しいと思えることが何より有難い』というのと似ていますね)。
蛇口から一滴の零が落ちたような感覺であり、つまりこれは直感ですが、"直感" ということは当たっています。
ということはこれから大金がもたらされるということでしょうか。
しかしこの推測は思考由来のものですので正しいかどうかは不明です( ´¨̮ )
あとよく社会不適合者とかって言いますじゃないですか。
わたしも大概不適合者です。
ダメ人間と形容した方が収まりは良いです。
そんなダメ人間でも接してくださる方々には大変な感謝を日々感じていると共に、思うことがあります。
社会不適合だと認識している割に三十三まで生きてんじゃん。
そもそも二十二で死のうと思って直前で怖氣付いた人間が、まったくしぶといなあ( ¨̮ )
そこで思ったのです。
「いやそもそも社会という觀念や常識、美醜の価値觀とかも時代によって変わるのに、それをひっくるめたように "不適合" と判断しちゃうのは早急じゃない??」
そんなにして〈不適合を当てはめようとする〉のは、それはもう "自分自身の価値を低く見積もりたがっている" ようにしか思えないぞ?
どうだ?わたし自身はどう思うのか。
そういえば朝食時に食したナッツとトマトジュースが塩味のついたものでして、わたしが普段から好んで食するものは無加塩のものですので「しぇっぺけ〜、そりゃあ高血圧にもなりますわ」と思いました。
しかし登山で信じられないくらい汗をかいたことで、熱中症予防としての加塩味だったのかもと登山中に考えました。
やはり脳内だけで知ったつもりになるのは良くありませんですね( ´¨̮ )
空で始まったらつまらないことばっかりですもんね│´¨̮ ) ´¨̮ ) ´¨̮ ) ´¨̮ ) ´¨̮ ) ´¨̮ )
素敵お誕生日週間はもうちょっとだけ続くんじゃ( ¨̮ )
そんなお誕生日周りでした。
お誕生日の帰宅後に『地元最高!』という作品について入り口だけ情報を仕入れました。
その上で思うのは、これまでと今回の内容でも書いているわたしの考えというのは、結局のところ大層に恵まれた環境・立場での意見だなあと思うことです。
ということで、浅野いにおさんの『おやすみプンプン』や押見修造さんの作品、『タコピーの原罪』などで描かれている『ままならない人生』を生きてきた方々にとっては、わたしの発言というのは所詮【現実を知らない人間の戯言】に思われてしまうのかもな、と感じます。
と は い え 。
わたしがこれまで生きてきた人生は、何よりもわたしの人生である。それは嘘とかじゃなく無味乾燥な事実。
そして、どうせ "そうとしてしか生きられなかった" のだろうと思う。
言っちゃえばないものねだりをしても得ることはできない。
てめえの選択で勝ち得た人生だ、賞賛してやれや。
わたしも含めて世の人間たちが他者と比較をして一喜一憂したり鼓舞したりするのは、きっとそれをすることで溜飲を下げたりと樂をできるからではないか?と思ったりします。
その上で思ったのは『比較の先にある「だとしても、これが自分です」という結晶・尿路結石』が最も重要で、その尿路結石を勝ち得るために我々は〈比較〉といった生のほうれん草を食べているのかもしれません。
三十三ぽっちになった若造の考えですので真実とは程遠いかもしれません。
そういったところからわたしは「だとしても、これが自分」を表明している八十八ヶ所巡礼さんが好きなのだろうと思います。
ということで六月二十六日、明日のでかねこ公演が愉しみです。
実に五ヶ月ぶりの八十八ヶ所巡礼さんです( ¨̮ )
愉しみ〜٩( ᐛ )و
ところで取り寄せしているAngine de Poitrineさんの盤が一向に店舗へ届かない。
誕生日クーポンが使えないじゃない。
貧乏性!٩( ᐛ )و
みなさまもお好きに良い人生を( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )