本日もご訪問ありがとうございます。
今回はキリスト教の考え方を哲學的解釈で考えちゃおっ回です。
シリージ化するかは不明です。
なかなか長くて雑記な内容なので氣になるものを拾ってください。
はじめに言葉あり
今回はキリスト教の考え方を考えてみましょーねという内容です。
その題材は〈はじめに言葉あり〉という一節です。
以前には「『はじめに言葉ありき』ってプログラム言語なんじゃないか?」と考えてみましたが、それはそれでその見地という觀点ですね('ω')
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ちなみにわたしはこの度キリスト教に改宗したわけではありません。
あくまでも一思考材料の一つとしての新約聖書という次第です。
はじめに言葉あり。ことばは神なり
さて、〈はじめに言葉あり〉という一節ですが、その次に続く言葉をご存知でしょうか。
學のないわたしはこの度初めて識ったのですが、「はじめに言葉あり。言葉は神なり」と続くのだそうです。
はじめに言葉がある。その言葉とは神である。
一聴、一見では何がなんだかわかりません。
確かに発する言葉はその人の看板になります。『類は友を呼ぶ』ということわざのように、同じ言葉を使う人同士は引き合います。
しかし、だからといって "言葉は神 " とはなりにくく感じます。
そんな時に新約聖書に記されている別の有名な一節を思い出してみましょう。
それは〈求めよ、さらば与えられん〉です。
この言葉は「望みを言っちゃいな☆ 求めちゃいな★ 求めちゃえば求めたものが漏れなく与えられちゃうって寸法☆」という意味合いだとわたしは解釈しています。
自己啓発の世界では『望みはより詳細であればよい』と言われているそうです。
実際、社会的に成功する方の特徴として "逆算思考ができるか" がとても重要であるそうです。
わたくしスポーツはてんで甜麺醤興味がございませんが、そんなわたくしでも大谷翔平さんは存じております。
その大谷翔平さんが高校時代に『マンダラチャート』という思考整理方法を行っていたというのは有名なお話ですが、このマンダラチャートこそ上記の【逆算思考】であると感じます。
【逆算思考】とは、叶えたい目標がどうすれば叶えられるのかを明確化する行為であり「目標への筋道を明らかにして、"絵空事のごとき目標" を〈現実味のある目標〉へ変える行為」だと捉えています。
目標を叶えるためには『イロ』が必要で、『イロ』の達成には『ハニホ』が必要で、、、と、道筋が明確化できるのですね。それが逆算思考です。
最近THE FIRST TAKEにご出演なさったことで若年層にも海外勢にも認知された西川貴教さんも、大阪の灰猫さん時代に逆算思考をなさっていた、とむかーしに言及されていました。
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柴崎浩さんのギター好きです。MUSICMANのLUKEをメイン機材に使っているだけあってSteve Lukather氏リスペクトなフレージングも特に好きです。
つまり「目標を明確化する」とは【言葉にする】ということではないか?と考えたりします。
【言葉にする】ことで『何が必要か』を自覺する、"必要なもの" がもたらされて具現化する。
というわけで〈はじめに言葉あり。言葉は神なり〉であり、〈求めよ、さらば与えられん〉であるのではないか?と感じます。
妄想でーす。
「カチッ」
と、わりと現実的に感じる感覺で書いてきましたが、わたしはスピリチュアリズムに傾倒しています。
自己啓発的な意識やら現実的な意識を上記しましたが、ここいらでボワっと(ボワっと)ガチスピおじさん(か、おばさん)登場、という幕にいたします。
わたしは現実ハーフ還暦を少し過ぎたくらいのお年頃なのですが、廿代の時分はま〜あ暗黒でした。
それはそれは辛かったですし、戸惑いの毎日でしたので日々就寝前に涙を流していました。
今では大方けりをつけたので生きるのはかなり樂になりましたが、それでもふと思い出して怒りを感じたりもします。
そういうわけでポハピピンポボピア!スピリチュアルの世界では予祝という価値觀がありまして、それを適用しました。
就寝時、横になった時に「(氏名)が経験したこれまでの辛い経験は終わりました。これからの人生は素晴らしく幸せになります」みたいな内容を発音しました。
すると、不思議なもので右側で「カチッ」とスイッチが切り替わる音が聴こえたような氣がしました。
もちろんそれは実際に鳴っていませんし、"聴こえた氣がする" という程度のものです。
右脳内で聴こえた音であるし、それこそ幻聴や妄想であることもあるし、統合失調症の可能性もあります。
しかしこの話で重要?なのは、脳内で音が鳴ったというよりも、自らの意識を切り替えたということでしょう。
なによりも誰よりも自分を愛せるのは自分だけですもんでね( ¨̮ )
そういえば、今思えば「カチッ」が聴こえたのって前に「許してあげてよ〜」の声が聴こえた時と同じ場所だったような氣がする。
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いよいよ統合失調症の疑いが…。。
正直「管理しやすいようにつけた名前」なんてどうだっていいんですけどね( ¨̮ )
ところで、この章で記したことに言葉特有の仕掛けがあったことにお氣付きでしょうか。
もしこの記事をお読みの方で過去の経験に今も苛まれていて、「辛かった」とお感じなのであれば。
『辛かった』という言葉は、過去形なのですよ( ¨̮ )
もし現在進行形でお辛いのであれば、万物流転。なんだって変わります。
【肩こり】という言葉がなければ〈肩こり〉自体がなかったという話について
わたしは未だに半信半疑なのですが、「肩こりという言葉ができたから、"肩こり" が生まれた」のだそうです。
本当に半信半疑半生半熟なのですが、言靈の価値觀や『言葉にすることによって現実化・具現化する』のであれば、上記のような事象も起こり得るのか〜とみょ〜ちきりんな感情も起こります。
となれば『自らが扱う言葉には細心の注意を以っていなければいけない』ということになります。
いえ、別に好きな言葉を使えばいいし、そうするつもりなのですが、やっぱり言葉は看板ですからね。
また「言葉をつくる」や「特定の言葉を意識に入れる」ことによって(広告の類)、意図した方向へ誘導することもできるんだろうなぁと、これまたみょ〜ちきりんなことも考えたりする。
【背徳感】とかもその施策の一環ではないかと考えていますが、思い過ごしであってほしい。
『新しい言葉で欲望を掻き立てるマスメディア 新しい言葉の裏側に隠されている真理』という次第です。
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MAJIでこれ以上いろんな方が過剰な精神的弥次郎兵衛にならないでほしいんだよ。
ちなみに〈言葉になったから事象が発現した〉とはまさにとてもプログラム言語っぽいですね。
ぷるぱんちょ。
歌詞にすることで口にできるでしょ
わたしは音樂が好きです。
好きを通り越して大好きです。
好きが昂じて、というよりも自家治癒的意味合いで曲を自作したりもしています。
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今は違って呪われていますけれど( ¨̮ )<しゃーないですわな
ところで単純に音樂大好きですので色々なアレンジに対して耳が広がったりします。
しかし最近は歌詞に対して耳が広がることが多くなりました。
わたしが一番好きでルーツミュージックとなっているL'Arc~en~Cielさんの曲で『In the Air』という曲があるのですが、その歌い出しにハッとすることも今年に入ってからありました。
hydeさんの歌詞って今更ながら素晴らしいですねえ。
『NEO UNIVERSE』が特に好きです。
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さて、目下の悩み?なのですが、「あ、こうすればいいんじゃない?」を話すことができないということです。
それは何も話し相手がいないのが理由ではなく(話し相手はいない)、発見を独り占めしたいわけでもありません。
なんだったら元来『世界、より良くしちゃお☆』の精神の方が強いので共有したいのですが、この世界って《その人がその人の力で知ること・発見すること》が最重要じゃないですか。
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ポップスのシンガーさん方々が「世界は素晴らしい」とよく歌っていらっしゃいますが、その理由が明示されてしまっていると〈その人自身にとっての素晴らしさ〉が、"それを知る機会" が永久に失われてしまう可能性があると感じるのですよね。
飛躍しすぎですが、感情や感覺の共有はファシズム的に発展する恐れがある。と差し出がましいながらも、わりと切実に感じている。
ファシズムに行かずとも〈その人自身にとっての素晴らしさ〉や、個々の機会が失われるのは絶対に避けなければいけない。
むかしむかし、それこそ暗闇の時分な自分は「どうして、どうして "世界は美しい" のか、教えてくれよ」と切望していました。
しかし、んなもん。いえ、それこそが手前自身で感覺を勝ち取る必要があるんですよね。
と、いうわけで、『あ、こうすればいいんじゃない?』を共有することができないんです。
そして各々が行う『あ、こうすればいいんじゃない?』こそが世界を攪拌させて流動させるんですよね。
たとえきっと総量は変わりやしませんが、攪拌させて流動させることこそが地球という場所での使命であったり、大いなる意志であったりするのだと、今のわたしは思っているのです。
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途方がねえ〜〜〜〜〜〜と思いますが、絵や登山と同じように「やってりゃあ完成する類のもの」であるので優しい世界ですね( ¨̮ )
あと、その流動を引き起こすための歌詞なのでないか、と思うのです。
わたしもその一人ですが、歌詞を見て救われることもあるし、無自覺であった意識を捕獲することもできますものね。
他にも臆病ちゃんが喉に空氣の球を詰め込んでしまっていて自分の言葉として言うことはできなくても、歌としてなら口に出せることもありますもんね。
もちろんインストゥルメンタルな音樂を否定しているわけでないですが(JAZZ大好き。Charles Mingusさんの『Pithecanthropus Erectus』とか好き〜)、歌詞とは言葉であることは周知のものごとであり、歌詞が色々な方を癒しているということは言葉という神が癒しているということにもなりえるのではないか?と感じます。
不器用でも器用に示唆した内容でも伝わっても伝わらなくてもいいんじゃんね。
生きてりゃあ風は起きるし。
地球の一員ってわけで自分も宇宙だってことで頼もしいすね( ¨̮ )
"世界を変容させる偉人は侮られる" という現象について
ところで社会的成功を収める方や、偉人として解釈される方の多くは侮られたり軽んじられたり莫迦にされたりされがちなのだそうです。
それって、"その人が世界を変容させる力を有している" からなのではないかしら?とつい先日思いました。
そして《世界を変容させる力》が強い人ほど、強く否定される。
白昼の理ですが、人間は怠惰じゃないですか。
怠惰であるから「より良い日を!」などと求めておきながら、いざ良くなる兆しがあれば文句の奔流でその兆しを反故にします。
暗黒時代のわたしがそうだったので激しく実感できますが、被害者や悲劇の主人公としての立場の方が圧倒的に樂であるので、文句を言ってその場に居座り続けたい氣持ちは大変よくわかります。
しかしそれは人間という生物の本能?らしく、人間は変化というのを嫌うらしいのですね。
変化に対してのストレスを感じるくらいであれば、現状の不満の方を受け入れるという心理らしいです。
さて、この変化・変容を起こす人や起こすことができる人を超無意識的、本能的な部分で感じているから、のちに偉人として語り継がれるような方は強く否定されたり侮られたり莫迦にされたりするのではないか?と思ったのです。
もちろんあくまでも仮説であるし妄想です。
だって "未来のことがわかってる" ということになるし( ¨̮ )
ですがこの仮説が正しいとした場合、逆に考えれば〈莫迦にされる〉ということは、同時に《爆発的な成功》を起こせる素量を有していると解釈することもできますね( ¨̮ )
ちなみにわたしは大口を叩くことって大事じゃないかしらと感じています。
大口を叩いていたらそれを面白がってくれて、何かしらの力となってくれる機会を与えてくださる方が出現する可能性が上がりますし( ¨̮ )
望みは口にしましょう。
言葉は自己啓発書ですもんでね〜。
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音樂と思考で世界に出たい!
こんなもん大きければ大きいだけいいですからね〜。
まどかマギカの新作映画を觀ました

『魔法少女まどか☆マギカ』の新作劇場版『ワルプルギスの廻天』を鑑賞しました。
『魔法少女まどか☆マギカ』はわたしが高校生の時分にTVアニメ放映されており、それはそれは毎週お祭り騒ぎであったことを記憶しております。
そんなわたしは当時はギターと音樂に一辺倒でしたので、同じ教室の友人らが盛り上がっているのを見ているという立ち位置にいたのですが、それから十年ほどのち、精神暗黒に向き合う引きこもり期間に作品を見て、見事『コネクト』の仕掛けに頭を撃ち抜かれ「ウッ、、ヴォォ〜〜…!」と泣いたような泣かなかったような。
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そのあとに『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』を觀て、梶浦由記さんの劇伴が良過ぎて初回限定版Blu-rayを購入に至った、という感じです。
そういった次第で今回は公開初日ではないにしても初週鑑賞をいたしました。
ハーフ還暦も生きていると色々な作品や古典にも触れたり日常生活も色々な辛苦を経験したりいたしますので、作品に対しての解像度というか解釈の幅が広がります(先だって公開された『ちいかわ』の映画に対して「東野圭吾作品」や「ドストエフスキーじゃん!」「これはフランス革命!」のように色々な解釈がされていましたし。わたしはドストエフスキーじゃん!と思いました)。
さてはて果たして今回の『ワルプルギスの廻天』も同様でございました。
モチーフ
どうやらこの『魔法少女まどか☆マギカ』はゲーテ氏の著作『ファウスト』を元にされているそうです。
あまりに古典すぎることと難しそうという一般的な恐れにて未読です。
なので "入っていない引き出しは開けられない" のと同じで、『ファウスト』に類した言及は行わず、わたしの引き出しにあることで解釈します。
まず思ったのは【毒親】という問題に対してです。
TVシリーズにて全世界の魔法少女を癒す側に回った鹿目まどかさんでしたが、その神になった鹿目まどかさんを取り戻そうとしたのが暁美ほむらさんでした。
今作にてマルグリートさんが言及したのだったか「当人が進んで背負った苦労を無視して自らの主張を押し付けるのか」と暁美ほむらさんに言い渡す場面があります。
この指摘ってすごく毒親問題に通ずるところがあると感じており、『相手のことを想って』などと嘯いているが、その実自分のことしか考えていない親というのは、確かにいるじゃないですか。
しかもその当人が望んで進んだ成長の機会を、(たとえ無意識であったとしても)自分の欲求で潰そうとする親は確かにいます。
その指摘を受けても暁美ほむらさんは「それでも彼女だけに責任を背負わせるのは忍びない」と返答しておりましたので、「エ…、、エゴだよそれは…」とわたしの中にいる生(き)のアムロ・レイさんが顔を出していました。
もちろん暁美ほむらさんの主張もわからんでもないんですけどね。
しかしそれが『自分に接してくれる相手の消失を恐れて』などであるとすれば、その可能性があれば、やっぱりお話は別です。
他にも〈ワルプルギスの夜〉になったマルグリートさんの願いも非常に毒親問題と関連性があると感じます。
マルグリートさんは見た感じヨーロッパの修道女であり、他の修道女や救済を求める方々のことを想ったことで魔女になり、名塚底根という魔女の図書館を作ります。
《魔女》とは魔法少女の行く先であり、『祈りが呪いに変わった姿』であると認識しています。
マルグリートさんは救済を求める方々に奔走して、自分の名すらも忘れようとしていた時に救済を求める方々のそれまでの名前ではなく、一切的に《魔女》と名付けることで救済しました。
なぜ《魔女》と名付けたかと言えば、救済を求める方々がマルグリートさんに「名前を呼んでください」と求めていたからですね。
名前というのはその人の根本でもございますから、その生きた証として名前を呼んで欲しかったのかしら、と考えたりします。
とはいえ、人間は忘れる生き物ですし、救済をしていたマルグリートさん当人すら自分の名前を忘れそうになっていました(だからこそ鹿目まどかさんに救いを求めていた)。
そういった救済の手段として《魔女》という名前を与えたのではないかしら?と考えるとともに、名前を与えるというのは謂わば "生まれ変わり" をも意味すると思えるので、「これまでの辛い思い出から放たれて、生まれ変わってください」という祈りの想いとして《魔女》という名前を与えたのではないか、と考えています。
しかし、その《魔女》という名前と、マルグリートさん自身の祈りが災厄という呪いに変わってしまったのは、とても辛い皮肉であると思います。
さて、『祈りが呪いに変わる』と毒親とがどう同じなのか、という段ですが、これは「幼少期に何かしらのご事情があって、手がかかる子どもだった思い出が強くあるがために、成長した子どもを直視できない」という事象と大変に近しいのではないか、と感じました。
端的に言えば〈子どもは成長しているのに親は成長できていない〉ということになるのですが、「不自由なく生き抜いてほしい」という親の無垢な願いや祈り(実際に無垢であるとは思う)が、子の成長にしたがって子には重圧となり呪いとなり、子どもを苦しめる。
これこそ『祈りが呪いに変わる』なのではないか、と感じました。
わたしも母親に辛苦を食わされてきましたが、その毒牙から解放されてきている今だからこそできる解釈だよなあと思います。
さて【毒親】という言葉はここ十年くらいに出てきた、謂わば流行り言葉の類だと思いますが、この『魔法少女まどか☆マギカ』はゲーテ氏の著作『ファウスト』を元ネタにしているらしいとは先述しました。
対して『ファウスト』の初出は二百年以上前の作品です。
そんな前から毒親問題ってあったのか?という問いが聞こえてきそうなもんですが、わたしはわりと恒久的な問題だったのではないか?と考えています。
今のように核家族化した社会ではなく、家柄であったり、政略結婚であったり儒教的な "親に従う" という意識が強固だった(と感じる)過去の方がより【毒親】という事象・現象は強かったのではないかな、むしろ恒常化して『普通』になっていたからこそ、問題と認識されなかったのではないか?と感じます。
毒親に対しての私見はまた記事にします。
落語だ!落語を聞こう!
わたしがこの『ワルプルギスの廻天』でなによりも氣の毒なのが、中盤の敵であるセルマ・テレーゼさんです。
あの〜〜〜〜〜〜〜、氣の毒すぎないですか。。。?
わたしは脳みそが幸福を求めているので、フィクション作品の中くらいはハッピーエンドになってほしかったです。
しかしあの虚淵玄さんの脚本ですし、TVシリーズでは巴マミさんを頭から喰い落とす描写をされていた方から考えるとかなりマイルドになったとも言えるか。。。
あと人生ってハッピーエンド一辺倒ではないし、なんでもハッピーエンドというのは、それはそれで御都合主義でもあるよなぁとも考えたりします。
ところでセルマ・テレーゼさんは「正当に評価してくれるから」という理由でキュウべえさんの側につきます。
結果利用されていたのですが、彼女の考え方って『鬼滅の刃』に登場していた獪岳さんと同じだなあとふと思いました。
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最後セルマ・テレーゼさんは「愛されたかった」と嘆きますが、それに対して百江なぎささんが「不完全な姿でいればよかったのにね」みたいな内容を言います。
これは大変不思議なことですが、完璧を求めると求めるほどに敬遠されるというか、愛されるには遠ざかるように思えます(逆に「利用される」には近づく)。
思考する限りでは『完璧を求めると完璧を求められそう』であったり『完璧を求めているが故に〈あそび〉がなくて精神的不安定になりがち』という理由があったりするのでしょうか。
いや、それはあれだ。
完璧を求めている以上、その人がその人自身を受け入れられていないからだ。
不完全や完璧ではなく思えても、それはその時どきにとって完璧な状態であるし、完全体になるためには不完全を経由することが必須思考ですからね。
公開年が違えど同じ題材のキャラクターが登場するということは、〈正解〉を過剰に求められていくであろうこれからの時代では、いかに【不完全な姿】を受容して愛せるかにかかっているのではないでしょうか?
自らの不完全を受け入れられたならば、他人様の不完全も受容できるってもんだし( ¨̮ )
落語だ!落語を聞こう!紺屋高尾!徂徠豆腐!
「びっくり箱の中身がわかってたらおもしろくないじゃ〜ん?」
物語の終盤で暁美ほむらさんが諦めます。
『鹿目まどかさんの選択を尊重せず自分の世界に押し込めようとする』のはやめる、ということであり、鹿目まどかさんに対しての執着を手放すということです。
しかし、これは清々しい類のものではなく、あくまでも諦めの体裁を為しています。
その諦めをみて佐倉杏子さんとかが「貴様だけはその立ち位置じゃだめだろ」と主張します。
『人間だった頃を知っているのは暁美ほむら、貴様だけなのだから、貴様が鹿目まどかへの執着を手放せば、それは鹿目まどかが神という役割だけを与えられた存在になる。だから、貴様は一生鹿目まどかを追い続けろ』という次第です(意訳)。
この言葉を聞いて暁美ほむらさんは最後まで鹿目まどかさんの神化に抗います。
この場面でわたしが思い浮かべたイメージは360度から放射状に引っ張られているが、押しても引いてもびくともしない《対象》です。
この《対象》としての物はなにを思い浮かべても良いのですが、上記を正確に言えば『360度から放射状に引っ張られているからこそ、押しても引いてもびくともしない』ということであり、その真ん中にある《対象》こそが、この世界ではないのかと感じました。
要約すると大変凡庸な表現になって、それが故にわたしの伝えたいことが伝わらない可能性があって恐怖なのですが、相手様を信頼しないと始まらないこともありますので書きます。
わたしはこの『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ ワルプルギスの廻天』を鑑賞して、「苦しいことばかり」と形容される世界も『それぞれ自身の天國と地獄』や、各々が願う『大切な存在が幸せでありますように』という祈りが互いに引っ張り合うことで絶妙なバランスを取っていることで成り立っているということ、だったのか?と思いました。
飛躍しすぎです。
つまり、思うままに生きろや( ¨̮ )、ということです。
あまりに凡庸なまとめすぎる。
そして上記した「なるほど!世界とは斯様だったのか!」という世界への解釈を感じた時に八十八ヶ所巡礼さんの『ウルトラ・ヘヴン』という曲が頭で鳴っていました。
ん?永劫回帰?
自分の一挙手一投足の全てが世界に影響を与えている、となれば、なるほど!これが人生だったのか!ならばもう一度!となるのか?
ちなみに帰路は『日本』を通して聴きました( ¨̮ )v
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ところで前回公開した『緻密なトロッコ』という記事の内容で「一方の隆盛があればもう一方は衰退する。その繰り返しなシーソーが推進力となって、トロッコの如く世界をゴトゴト進めるのではないか」と推論を書きました。
地球は陰陽や潮の満ち引きがございますが、そういった『寄せては返す』があるからこそ地球という場所があるのでしょうか?
知りません。狂人の妄言です( ¨̮ )
ちなみにわたしは鹿目まどかさんが好きです。
彼女が偽善者と言われようが鹿目まどかさんです。
世界が悲しいで溢れるのは辛いでしょうが。
感情は宝であるという解釈もございますけれど。
つまりはお好きに生きて( ¨̮ )
フィボナッチ数列ってそれ、螺旋じゃね?
わたしのブログをよくお読みくださっている方であればご存知かと思いますが、わたしは螺旋に対して並々ならぬ関心を抱いています。
「螺旋ってこの世界の基礎コードなんじゃね?」とすら思っているみょ〜ちきりんな狂い人間です。
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ところで【フィボナッチ数列】というものがあります。
黄金比から曲線が繋がり永遠に続くというものですが、【フィボナッチ数列】って螺旋じゃないですか?
【フィボナッチ数列】は自然界にもあふれていますが、やはり螺旋はこの世界の基礎コードなのではないか。。
そして今回の記事で当ブログの投稿数が六六六回目です。弥勒菩薩です。
わたくしこの度初めて氣付いたのですが、アラビア数字の『6』って渦じゃないですか?つまり螺旋です。
左回転ですので広がっていく螺旋です。
繁榮できれば!
٩( ᐛ )و
2026年の下半期は觀たい映画がたくさん( `◟ 、)
個人的に2026年上半期の映画で最高だったは『マーズ・エクスプレス』くらいだったのですが、下半期は色々と鑑賞したい作品が揃い踏みです( ¨̮ )
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『八つ墓村』
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『ディスクロージャー・デイ』
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disclosureday.jp
『バイオハザード』
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biomovie.jp
『mentor』
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www.mentor-movie.jp
『GROTESQQQUE-グロテスク-』
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『装甲騎兵ボトムズ 灰色の魔女』
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ひとつは横溝作品のいちファンとして、ひとつは都市伝説とか好きな人間として、一つはホラーファンとして、ひとつは『愚か者の身分』での綾野剛さんの演技に惚れて、ひとつは〈センスいいものアンテナ〉が反応して、ひとつは単純に物語が面白そうだから。
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たのしみがいっぱいだ!٩( ᐛ )و
ありがとうございました٩( ᐛ )و