頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

頼もしいじゃん。ある意味どう生きたって肯定されるんだぜ

 

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わたしは普段『神』だの『死』だのを言及した記事を書いています。

書いている当人は全く意識しておりませんですが、もしかしたら「宗教くさいなあ」と思われる方もいらっしゃるかも知れません。

 

わたくし当人としては〈哲學〉的な意識で考えているからです。

 

そんなわたしですが、〈哲學〉と正面から相対して物事を考えたことはありませんでした。

 

と、いうことで、今回の内容は「めっちゃ哲學的なことを書いてみよう」の回です。

 

記事の主題は《なぜ生きるのか》と《なぜ生きないといけないのか》です。

 

先日書いた記事で触れていた内容ですね。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

ちなみにこの記事は当ブログで初めての有料記事です。

 

えぇ、そうでしょう。

どこのお馬さんの面の皮も分からない人間の、もしかしたら人間ではないかも知れない思念体の、齢ハーフ還暦超えた程度の若造の考えなどにお金を使うべきではないというお考え。

 

わたしのブログは『あくまでも暇つぶしで消費するものであるから、わざわざ大事なお金を払ってまで読むものではない』という認識の方もいらっしゃるでしょうし、むしろそんな方の方が多いのではないかと感じます。

実際、わたし自身にも同じような姿勢で娯しんでいる娯樂がありますしね。

 

なので、結論だけは書きます。

というよりも《なぜ生きるのか》に対しての答え・結論ではなく、結論の先にある『ならばどのように生きたらいいのか』を書くだけに留めます。

 

しかし結論だけ知っても意味はないです。

〈その結論に至るまでに思考した過程〉の部分が重要ですからね。

『人生は要約できない』と表現されていたのと同じですね。

 

結論だけを受け売りで他人に話したとて『受け売りの話しかできない薄っぺらい人間』と受け取られるだけですしね。

 

さてその【結論】の先、つまり『どのように生きたらいいのか』ですが、それは「ただ思うままに生きたらいい。悩んで、もがいていれば尚良い」です。

いかがでしょうか。

上記を見てご自身なりの考えで結論を導き出すのも良いかも知れませんね。

 

 

「 『思うままに生きろ』ってことは犯罪も許容するのか」というご意見をいただきそうですが、それについては条件付きで『はい・Yes』と返答します。

犯罪については〈そうするしかなかった場合〉や〈行為自体を悔いている〉状況などの場合でのみ、許容するという姿勢です。

 

嬉々として犯罪行為を行なっていたり、人様を騙くらかした内容をさも武勇伝の如く話しているような輩は駄目です。

しかし、そういった輩も結局は反面教師という形で肯定されるのですけどね。

 

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位置について!用意!

 

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ポーズとマインドと表情( ´・◡・`)

名は体を表す。

 

言葉は思考を司る。

 

それと同時に、姿勢は価値觀を一時的なりとも変える要素があると感じています。

 

一般的に陰氣さや自信のなさ、卑屈さを感じる猫背ですが、それはひとえに「猫背であるから」という理由が強くあると感じます。

では猫背の方が姿勢良く胸を張って立っていたらば、果たして氣分は上向きになるのか?と考えれば、必ずではないにしても効果はご実感いただけるのではないかと感じます。

 

というのも、わたしも胸を張って歩いたりしていたら、いつのまにか堂々とした氣持ちで過ごしていたからですね。

 

ここから考えられるは『姿勢とは現実創造のとっかかりになるのではないか』ということです。

姿勢が変わるだけで氣持ちや感情面が変化するのであれば、やってみない手はないでしょう。

 

 

また『ポーズをとる』という方法もあります。

別の言い方をすると "演じる" という次第です。

ある人物や人格の、特徴的、象徴的な姿勢を真似した時、その考え方というか、精神的な部分がダウンロードされている感覺を憶えるのはわたしだけでしょうか。

というよりも当然。何故ならば「その人を演じている」からです。

 

〈演じる〉となれば、自分のエゴイスティックな部分が残っているといけません。完璧とは程遠くなります。

もちろん自分を保ちながらも演じることはできるでしょうけれど、演技となれば滅私でないと完璧に演じることはできません。

 

つまりモノマネをすることで、いろんな人の価値觀であったり精神性の部分を自分に取り込んじゃおう!というわけです。

 

矢沢永吉さんの考え方?に「僕はいいと思うけど、YAZAWAはどう思うかな」というのがありますが、これもいわばYAZAWAという人格を演じているということになるでしょう。

 

 

演技になるのか?と思いますが、衣服の趣味を変えたり、髪型を変えたりするのもポーズの変化になるのではないかとかも感じます。

わたしは今年2026年の夏に人生初金髪にしたのですが、明らかに話しかけられるようになった?というか周りの雰囲氣が変わったと思いますしね。

変化をしないと縁起はないということなのでしょうか。しりません。

ちなみにわたしは作り物みたいな天然パーマですので、金髪にしたら絵で描かれる天使みたいになりました。

 

自分の違う側面を演じるというのか、演技と縁起は同じ音ですし、目標にする人の姿勢を演じるのは手っ取り早い自己改革なのではないでしょうか。

 

あと演技で表情も変わってくるので、まあ表情を先にするか姿勢を先に変えるかは、お任せです。

 

( ´・◡・`)

 

 


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準備ができている人

2026年もこの季節がやってきました。

そう。RAPSTARの季節です。

 

わたしは音樂というものに並々ならぬ愛情を感じていまして、主にRock musicやJazz musicなどバンドサウンドなミュージックが好きですが、言葉のグルーヴミュージックであるHIP HOP musicやRapも好きです。

 

まあ端的に言えば音樂好きならRAPSTAR 2026もcheck it outでしょ!ってな感慨です。

 

現在、ROOT STAGEという、参加者のバックボーンを知る段階の一回目が終わったところ。

今回はその回で思ったことです。

 

北海道からDumbpersonさんが登場、新曲を披露され、それはまあバンド畑の人間からしてもawesome Dazai!な曲でした。

 

そのDumbpersonさんの審査評でKMさんが「審査する側、プロデュースする側としては準備ができている人を先に使う」と仰っていたのですが、そりゃあそうだよな、と思いながらも個人的に刺さっていました。

 

Dumnpersonさんはこれまでに千曲以上は作曲をされたらしく、KMさんと同じく審査員のC.O.S.A.さんも「千曲も書いている地肩があるから、リリックも余裕で書いているのだろうと思う」と評されていました。

 

準備ができている人から使う。

その通りだよな、当然だと思います。

仕事にしても「常に場当たり的で慌てている人」よりも、「想定できる限りの対策をして、準備万端でいつでも動ける余裕のある人」に任せたいのが人情です。

 

となれば、準備が必須となるのですが、その準備とは上記した演技でもあるのではないか?と考えたりします。

模倣と反復の集大成であるこの世界、と言ってしまうと大きくなりすぎている感がありますが、どう言っても完全なオリジナルで生きていけないのが人間世界であるようです。

そいうより、オリジナルってのは色々な模倣をして自分なりにミキシングしたものをオリジナルと呼んでいるのでしょうし。

 

わたしが好きなL'Arc~en~CielさんはThe CureさんやThe Smithさんなどの影響がなければ今の音樂性ではなかったはずですし、八十八ヶ所巡礼さんはKing Crimsonさんなどのプログレッシブ・ロックやB-DASHさんなどの音樂がなければできていないわけです。

 

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色々な演技をして縁起となり、縁起が準備につながっている。

準備を継続することは成功に必須であるとともに、お天道さんは準備ができていない人には〈情〉として次を与えなかったりするのか?などと考えたりもします。

溶接技師の資格を持っていない人に溶接の仕事を与えないのと同じです。準備ができていなければ、いくら待っていようが縁なんてこない。

 

そのためには準備をすることが必要不可欠なのですが、《準備》という面で見れば今までの行動は準備が足りていなかったなと痛感します。

ウ〜〜グュエッ。

 

ま、だからといって嘆いたりはしません。

今「準備不足」と感じることであっても未来的になれば特異点的必須事項であったなんてことに氣付くかもしれないのだし。あと今までの経験がなければ今『準備不足』を自覺することができなかったのでしょうし。

万事必須です。

 

そうだったとしても準備は必須事項であり、準備が必須・必要不可欠であると氣づいちゃった以上は怠けるわけにいかなくなりました。

伊集院さんが立川談志さんに言われた「程度の良い言い訳を見つけたな。本当は君は落語をやめたかったけど決心がつかなかった。その理由ときっかけに "談志の落語" を使ったんだよ」の話と同じです。

 

いや、わたしは音樂をやめたいわけではないんですけど。

 

 

あ、あれだ。

女優さんがスキンケア方法を聞かれて「普通ですよ」や「何もしていないです」と返答するのと同じだ。

準備や諸々の前提・基準が他の人と違うんだ。ある人の基礎準備が十であるに対して、別のある人が百の基礎準備をしていたら【普通】の基準が違うのは当然だ。

 

やることが多くなるなあ、多分。でも人間は慣れる生き物ですので、その特性を用いて慣れればいいだけの話ですね。

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ところで同世代というわけで審査員のLEXさんがDumnpersonさんに警戒心むき出しでしたね。

またDumnpersonさんが曲の中で「ファイナルステージで金目の物全部かっさらう」と歌っていたのに対し、LEXさんが「ファイナルには金目のものをつけていくので」と対抗?をされていましたが、あの発言と警戒心だけで証明していますよね。

自分の立場が危うくなりそうな存在には当然の反応です。

 

 

 

Filix王さんとwood pure luvheartさんに、一度心を壊した方の目の光を見ちゃって心配です。

別に『一度心を壊した方の目の光』を "暗い、忌避するもの" だなんて思っていないのですが(わたしも経験済みですし)、やっぱり自分の精神と觀念的肉体を何で響かせるかだよなと思います。

 

みんな生きてたらいいのよ。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 


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「R」

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

 

「R」

今回は発音回。

発音回?初めての回です。

 

日本人は「R」の発音が苦手、とよく言われるじゃないですか。

アルファベットで「r」は【ら行】を現す子音です。

しかし日本人は「r」の発音が苦手、とな。

 

そして英語表現として【ら行】を現す子音には「L」があります。

 

超新塾のアイクぬわらさん曰く「日本語の【ら行】はLの発音ですね」らしいです。

詳しく言えば『Lは舌先を上顎につける』ということは、『Rを発音する時には舌先をつけない』ということになります。


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この「R」の発音ですが、注目して聴いてみれば( "聴く" なのに注目とはこれいかに)「R」が含まれている英単語って「R」の発音で表現されています。

 

Danger Crue Recordなんて「R」が乱立していますが、日本語的に発音したらば『デンジャー』 しかしアメリカンネイティヴからの発音を耳にすれば『ディンジョァー』と聴こえます(イタリアンサーファー)。

 

日本語は子音と母音が一緒になっている言語ですが、英語では子音と母音が分かれている?言語です。

「R」の発音に耳を傾ければ(!)、それは確かに「R」の発音が鳴っています。それはつぶさに目を向ければ確かに死と生と暮らしがあるように。

 

であれば、子音の発音を勉強すれば英語の発音もパズル的に樂しんで触れられるのではないか?また、日本語の単語を子音的に捉えて発声することで、歌唱表現も一段階上へと上がるのではないか、と感じました。

おそらくヒップホップ的でありRapperの方々が考えていらっしゃる部分だったりするのでしょう。

そして多分桑田佳祐さんが『愛の言霊』で挑戦されたことでしょう。でもどっちかというとmotown的な音樂を日本の歌謡曲へアプローチした印象の方が強いように感じます。

 

ところでこの曲はクラシックになりますね。


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ちなみにtheも「ザ」より「ダ」の方が近い音してる感じありますよね。

あくまでもアメリカ英語的かつ、「ザとダの中間、ダ寄り」という感覺ですけどね。

 

 

納得していない

先日曲を出しました。

『鱗翅目』という曲です。


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めっちゃいい曲。なのに、どうしてこんなにまで聴かれていないんですか??

おかしくない?こんなにいい曲なのに??

 

それが現実、ということなんでしょうが、まっっっっっっっっっったく納得していません。

何故ならば『いい曲』であり、この曲は『特定の誰か救う曲』でもあるからです。

 

なーーーーーーーーーーんでこんなに聴かれていない。

 

けど。

やりようはなんとなく知れたし、納得は一切できていない(腹が立っている)ので、火がついちゃいました。一皮向けちゃいました。

燃え尽きます。その灰から何度でも生まれなおします。

 

ギターソロ特にいいです!

 

 

ドラマに浸るか /演じるか

耳にするところによると、『アンパンマン』の作者である、あのやなせたかしさんも六十歳を迎えるまで社会的な成功はなかったそうです。

 

成功者は成功するまでやめなかったから成功している。それはもう狂氣でしょうが、狂氣がなかったらできるものもできるわけがないですね。

 

では、やなせたかしさんは今回のわたしのような十何度か経験した『自負のあるものが箸にも棒にもかからない』という経験されていないのか?となれば、そんなことはありえないでしょう。

ほとんどの成功者は『自負のあるものが箸にも棒にもかからない』なんて何十回、何百回、何千回、何万回と経験なさっているからでしょう。そこを不屈の狂氣で「は?まだいくっしょ。しょしょしょこっからも全速力っしょ」と進む、言うなればそんな阿保こそが成功に近づくんじゃないんですか。知りません。わたしはそうだと思っています。

 

そんでもってですね。

一般的な物語として、平坦なだけのお話ってのは注目を浴びますか?ってな氣持ちです。

今読んでいる『モンテ・クリスト伯』も主人公が十四年も投獄されたからこそ、復讐劇に面白味が生じるんでしょうに。

 

つまり、この『自負のあるものが箸にも棒にもかからない』という事象は、ただの演出じゃない?

あと「物語を物語と氣付かず悲嘆に浸る」のと、「物語の演出と氣付いて悲嘆を演じる」のとでは、全く居場所が違いますよね。

大袈裟な表現をしますが《次元が違う》というやつです。

 

三次元と言われている我々は、一次元や二次元の平面と同じ三次元は認識できるが、四次元以上は認識できない。

 

 

昔わたしも思っていた『良いものを作っていたらいつか日の目を見る』は芸術家の願いであり祈りであり、それでいて慢心であろう。

成功には運と商才と詳細な準備が必須。

 

ゴッホは好き(めちゃくちゃ同種を感じる)だけど、結局死後に妹の奥様がすごく多くの営業をかけて今日があるらしいし。

エジソン氏もピカッソ氏もビジネススキルがあった(使った)から、大成功して今日まで名前が続いている。名前が語り継がれるということは、不老不死です。

わたしは不老不死は興味ないけど、成功のためにはビジネス的な商才は必須。

 

『良いものを作っていたらいつか日の目を見る』は芸術家の願いであり祈りであり、それでいて慢心であろうけど、いいものは作りづづけないといけない。

上等。そんなのいつもやってることです。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

体響

まず震えるは自分のからだです。

発言しても、何かを見ても。

まず震えるのは自分自身のからだから、なのです。

 

自分がどうやって震えるか。自分をどうやって響かせるか。

自分を響かせた時、どうやれば世界を響かせられるのか。

 

であれば、大きな声で!!

 

 

鱗翅目

youtu.be

 

もう終わりにしよう

しがらみばかりの世を

苦しみだらけの世界と

糸を切り

宙に浮かぶ

 

何もない

きっと

満たされる世界へ

遥か広がった

無垢の世界へ

遠く 近い

あなたと逢えますように

 

風

みたび突き刺す

空

傷を恐れて

雨

行く宛てなき旅路は

觀たがった色だった

 

誰でもない

ひとり

愛おしい世界で

痛み抱きしめて流した涙

落ちた花は未来で

開いて

満たして

 

聞こえた言葉は

わたしの妄想で

確かな痛みは

傷を泉へ

 

何もない

きっと

満たされる世界へ

遥か広がった

不滅の世界へ

遠く 近い

あなたが逢えますように

どうか

 

 

具体は抽象 抽象は具体

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

 

具体は抽象 抽象は具体

数ヶ月前、我がパワースポットである本屋さんである書籍を見かけました。

 

昨今では筋力トレーニングが流行されておりますので、このような題材の書籍が発売されるのも摂理かと感じます。

 

わたしは筋肉には興味がないので「へぽ〜〜〜」と、「まあそうりゃあそうでしょうね」と、思いました。

だって骨だけでは生活できませんからね。

 

砂だけでは生命は育まれず、生命の死が朽ちることで土になったりして生命が萌芽いたしますのでね。

 

書籍名で主張なさっていることは至極当然です。

 

そんなことより、わたしが氣になったことはその表現です。

 

 

書籍名である『筋肉が全て』という文章は、筋肉と筋力トレーニングに心酔し神格化されているきらいのある方に向けての表現だと感じます。

その表現に対してわたしは「そりゃあ筋肉がないと生活できやしないので間違ってないよな」と思いました。

そう考えたとき、その思考の矢印は自分に向きます。自然と。自然が産んだ水晶の群集。

 

具体に対して、別の具体を思い浮かべたな?

その時に思ったのです。

 

──────具体って抽象に含まれていると思っていたけど、実は『具体が同時に複数ある状態』の別名が抽象なんじゃない?

 

これまではいんたねっとサイトのカテゴリ、パンくずリストのように具体と抽象とを捉えていました。

具体は抽象に内包されている。柴犬という具体の抽象度を上げていけば、犬や生物という觀念へ行く、というように。

しかし、その捉え方は本当に正しいのか?と感じたのです。

 

いえ、正しいか否かではなく、わたしにとって精確な捉え方ではないと感じたのです。

 

 

一つの具体という見方に対して、複数の捉え方をできるという状況自体が《抽象》なのではないか?と思ったのです。

先ほどの柴犬の例を挙げれば、柴犬という具体を觀測しているとき、同時に犬という具体も、哺乳類という具体も、地球の動物という具体の捉え方もできるという次第。

 

前述の繰り返しですが、これまでは具体とは "抽象という袋の中に入っているもの" だと考えていましたが、実は「一つの具体が存在している」と同時に「別の具体が、複数の具体が存在している」状態が《抽象》である、という現時点での捉え方。

 

ちなみに『具体と抽象トレーニング』は未読です。

 

 

つまり、本記事の題名である『具体は抽象 抽象は具体』ということです。

『マクベス』です。

 

 

ちなみにわたしはこっちを購入しました。

 

 

マネタイズが御上手で

わたしはうまく利益に繋げている方に対して京都人やイギリス人のような皮肉的感情を覺えます。

それは全く嫉妬からきているのでしょう。

 

そもそもビジネスマン的思考がない、根っからの藝術家的精神者ですので致し方ないとも言えますが、そんなものは言い訳です。自分ができていないことをできている器用な方へ嫉妬を感じている、そんなわたし。

 

別にそんなわたしも今のわたしですので万事快調なのですが、最近脳みその門扉がぱっかりと開いた感があります。

 

あるコンビニえんすすトアさんのキャンペーン的広告にて、とても要約すれば「チルドお惣菜を買おう!」みたいな内容のものを拝見いたしました。

 

そこで思ったのは「プラごみが多くなるよなあ」でした。

その時に思ったのは、コンビニえんすすトアさん会社さんの役員さんがプラスチック容器の生産加工を行なっている会社やプラごみの処理工場を経営していたり、株を保有していたら、本業でも副業でも儲けることができるよなあ。という要素でした。

 

いつぞやに書いたドリブルの内容です。

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そしてそのように複数の会社を保有したりするのって節税方法であったりするのかしら?といち市井の個人は思いました。法人税の方が安いと耳にしたこともあるし。

つまりマネタイズがうまいと思っていたのは節税のためであるという、あくまでも憶測。調べてもない。

 

YouTubeで活動されている方でも様々な企画をされていたりしますが、それも税金対策、節税方法なのかもしれません。

 

知りません。

 

 

わたしは全くビジネスマン的視点はありませんが、推察は得意ですので、この度憶測ではあるものの方法を得たとなれば、可能性も得たとなるのかも?

 

しーりません。

 

 

次元移動

先日の記事で少し書きましたが、七次元は物理法則自体が違う世界があるらしく、この地球世界は螺旋が物理法則なんじゃない?と割と本氣で考えている狂った者です。

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最近次元というものに興味が強くなり、簡単に次元の違いを調べてみました。

 

そんな中、今回記事の主題である『一つのものにも複数の具体が含まれている』というのはパラレルワールド的というか、様々な選択肢や結果があるというのは非常に六次元的であると考えられます。

わたしがファンをしている伊坂幸太郎さんの『魔王』にて描かれていた、安藤さんが目にして涙した老人もそれであり、この生活で我々が目にして選択している事象の一つ一つも六次元へのとっかかりがあるのではないか?と思ったりします。

 

だって、この世界は自分が何を見て何を選択するか以外にないでしょう。

 

 

みかん。

みかんの房をさ、薄皮もって開いたら果汁の詰まった粒が露出されるでしょ。あれって水晶のクラスターみたいに見えませんか。

 

この世界は三次元だと一般的に言われていますが、実は多次元への抜け道や行き来への通行証が巧妙に隠されているのではないでしょうか。

しかし、隠せば探そうとするのが人情というもの。であるが故、実は秘密は隠されてなどいない。

 

みかん。

房を開いたら水晶みたいにも見える、ならば自分の内に潜るしかないんじゃないでしょうか。

自分のニューロンへ。

 

 

左方向へ緩め、右方向へ締め直せば、それは世界を作り替えたとも言える?それであれば自分自身が固執している考えの原則や、觀念。思考の澱という物理法則を変えたとも捉えることができるのではないか?

 

瞬間移動!ローグライクな生まれ直し!成功!

 

 

敵は血に潜んでる?

 

 

シルバニアファミリーの老人世代。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

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ディスクロージャー・デイを鑑賞しまして、

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

以前にスティーブン・スピルバーグ監督最新作の『ディスクロージャー・デイ』を觀てきました。

タイミングが無かったので公開初日に。

 

鑑賞後感想な回ですが、〈ポケット映画評シリーズ〉と記事題名にございませんので、映画評ではなく「鑑賞してどう感じたか」の回です。

 

 

 

イェー、めっちゃスピルバーグ

まず、わ↑い↓は大変樂しんで鑑賞いたしました。

 

カメラワークなどなどの演出がスピルバーグ要素増し増しにて、半ば胃もたれしそうにすらなりました。

そんななかで毒にも藥にもならない感想を申しますが、きっと4DXが樂しい作品であるでしょう‪( ¨̮ )‬

『レディ・プレイヤー1』のようなアクション盛り盛りな活劇でもありますし、逃亡劇でもあるからですね‪( ¨̮ )‬

 

そんなわけでSF娯樂作品としては大変樂しめるものであると感じます‪‪(و ᐛ )و‬"

 

 

空想と予告と、どちらなのか

スピルバーグさんの監督作品で最も好きなのは『レディ・プレイヤー1』です。

 

上記作品は八十年代の音樂含めた文化や今日まで続くアニメーションや漫画、ゲーム、映画などの文化が盛り盛りなので、音樂好きの身からしてもブチ上がり必須作品です(映画の冒頭には『ボヘミアン・ラプソディー』と同じ高揚と拳を握りました)。

 

Princeさんの『I Wanna Be Your Lover』もこの作品で知りましたし、収録されているアルバムも良いです( ¨̮ )


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The Buglesさんへやa-haさんへの言及なんて浮き浮きしないでいられますかっての。

そしてこの曲が流れた時は大爆笑でしたね。なんでその曲なんだってね。


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あと劇中の映画場面は本当に最高でした。

 

 

ところでこの『レディ・プレイヤー1』という作品はVR世界を題材にしています。

わたしは基本的にゲームはしないので全く疎いのですが、つい先日、VRランナーなるもの存在なるものを知りました。


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「レディ・プレイヤー1じゃん!」と思いました、もちろん。

わたしは都市伝説などのお話が好きなのですが、都市伝説の世界では『映画とはその國の技術力の宣伝材料』としても機能しているのだそうです。

もちろん真意は不明です。だって一鑑賞者だし。

 

ところで我々一般のために使われている技術は軍のお古という話もあります。

現代のAIにしても、最新のものは社内機密であり、一つ下のグレードを「最新!」として公表しているということです。

本当にあるのか?とも思えますが、"ビジネス" を考えた時に手の内を全て明かす訳がありません。そんなことをしてしまえば競合他社に塩を送ることになりかねませんものね。

 

となれば、『レディ・プレイヤー1』で描かれていたデバイス、上記したVRランナーも映画の公開時には完成していたのではないでしょうか。

映画は2018年の劇場公開ですので、制作時となれば2015,6年頃になるでしょう。となれば、十年近く前からVRランナーは試作段階にあった。

 

そこで記事の題名です。

 

空想なのか予告なのか。

 

大衆は映画作品を見て「これはフィクションだ」と判断します。

確かに、お話は空想の物語かもしれませんが、そこで語られている哲學や表現されている技術も含めてフィクションであると、果たして言い切れるのでしょうか。

少なくともCGを含めたVFXの技術は現実でしょう。だって表現できているんだから。

 

そこで立ち返ってみましょう。

予告なのか空想なのか。

おそらく(これは単純接触効果の結果もありますが)、映画というものが未来技術への予告であるということは真実だと思います。真実だと思っておいた方がうろたえなくて済むし。

 

流石に全てが予告ではないとは思いますが、では空想の類とは何なのか。

それはかなり作家性の強い小説や漫画など、〈原作〉と位置付けられるものが空想に近いと感じます。

 

しかし一口に【空想】と言ったところで、全てがフィクションなのか?となれば、そういうわけでもないと感じています。

 

わたしも音樂を作成しているだけあって文化や藝術に対しての造詣は並々ならぬ愛があると感じています。


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創作をしているとあるのですが、あまりにも天啓としか思えない〈ひらめき〉が去来することがあります。

創作をしている方ならご理解いただけると思いますが、創作時はとてつもなく集中していて、脳みそ内部が真空になっているような感覺になったりします。

この真空状態の脳がパラボラアンテナのようになり、宇宙意識としか言いようのないものを受信するのではないか。

大友克洋さんの『AKIRA』や荒木飛呂彦さんの『ジョジョの奇妙な冒険』で未来が予言されていたと話題になったりもしましたが、宇宙意識をダウンロードする脳状態の時に、未来を〈ひらめき〉として、そもそもひらめきとすらも自覺しない感覺で受け取っているということはありえます。

となれば本当に全てが空想なのか?と思えます。完全な空想であることもあるとは思います。

 

信じなくてもいいです。

 

 

空想なのか天啓なのか預言なのか、それは受け取り手と受け取り手が表現したものを見た側がどれだけ拓けた精神性でいるのか、ということなのでしょうかね。

 

 

望み通りにならなければ怒り狂い

さて、『ディスクロージャー・デイ』の話に戻りまして。

どうやら耳にしたところによると賛否両論なのだそうです。

 

文句を言いたいだけの人間というのも消費者には多くいらっしゃるみたいですので、わたしには心底どうでもよく関係はないのですが、否定的な意見をお持ちな方はどんな感想なのでしょうか。

よくある映画の批判的意見は「自分が見たかったのはこれではない!」というものです。

 

他人様から出てきたものという時点で全てがすべて思い通りになる訳がないのに。

自分が望んだものが与えられないと、途端に怒り狂うというのは非常に幼稚だな、とわたし個人は感じます。

 

見たいものがあるのなら自分で見ればいいじゃん。

これは何も「文句を言うならあなたが作ってみろよ」というのではなく「氣に入らないのならご自身で満足なさるものをお創りになればいいのに。そうすれば不足も充足してハッピーでしょ?」という感情です。

他人様が創ったものを受け取っている時点で、多少は自分の趣味ではない可能性・考慮はしないといけないと、わたしは考えます。

 

お金を支払っているからといって、なんでも主張していいわけではないですよ。

あまりに卑しく、お客様感情が逞しくお育ちでいらっしゃる。

客は神ではないですから。

 

これは絶対に言わなくていいことですが、「お客様は神様です」と言われて氣分をよくされているのであれば、それは『客でないと相手にされない人である』ということなのでしょう。

知りません。どうぞお好きに生きて。

 


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毒にも藥にもならない月並みな感想

そんなこんなで『ディスクロージャー・デイ』の感想ですが、おおよそのUAP映像や未確認生物の映像は作ったものだと思います。

あまりに綺麗すぎるし。しかし実際の映像を元にして今の画質で作ったものだとも思います。

あと人間にとって無害なものでも、地球の外から来た生命体にとっては猛毒になりえるよなあと思いました。

単純に痲酔は量次第では人間にとっても毒だろうし。

 

あと前半に出てくるFBIの男性と、主人公・マーガレットの役者さんは、御三方とも宇宙人とのハーフでしょうね。

 

あとあと、映画『ダヴィンチ・コード』でも言及されていましたが、女性はよくも悪くも受動的であり、それにより器になるのだろうなと感じました。

神社さんの千木にも表されている通り男性性は突破的な尖ったものです。

なのでこれからの目まぐるしく変容していく世界では、男性性的な突き進める・強行突破的な価値觀では立ち行かなくなるのではないか?と感じます。

 

そういった次第で『ディスクロージャー・デイ』の最終的な感想ですす。

すご〜〜〜〜〜く月並みで、「なんだそれ」というふつう〜〜〜な感想になりますが、何に対しても面白がる精神性と感情的余裕が必須になるのだろうと感じました。

『あぁ!そういうアプローチにしたの!』や『正直自分はあまり受け付けられないけど、その表現したかったのね!』、『い〜〜〜〜じゃん!』など、如何に拓いた精神・オープンマインドでいられるか、相手を個として需要できるかにかかっているのだろうかと思います。

ちなみにここでの需要は「あなたを認める」とかの意味ではなく、「そこに居たいの?なら居りゃいいじゃん」という意味です。

 

『レディ・プレイヤー1』でも感じたのですが、最近のスティーブン・スピルバーグさんは「で、あなたはこれを見てどう思った?どう感じた?」を重要視しているように思います。

つまり《個人の考え》です。

 

《個人の考え》があることで様々な可能性が萌芽しますので、【答え】じみたものを『ディスクロージャー・デイ』では表現しなかったのではないか?と思います。

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なので、言わずともわかるお話ではありますが、これからも独自の考えや、独自ではなくとも〈自らの頭で考えられる〉ことがより重要視されるのでしょう。

それに台頭するはAIという存在です。

人間はどんどんと、本当の意味合いでの「自分の脳みそで考える」ということを放棄していくでしょうが、どうやって生きるかはその人自身の自由ですね。

 

余談ですがよく『AIに仕事が奪われる』と言われます。

そんなことはあり得ない、というか、技術職や手に職の類、伝統工芸は廃れることはないと、少し考えりゃあわかるので、金沢などに行って眼鏡職人に師事するのも良いのではないか?と考えたりします。

ま、お好きに生きて。

 

 

あとあとあと、悪役がノアというお名前ですが、ノアの箱舟の話は『我々が地球にやってきたときの話』なのだろうな〜と思いました。

また変な話をしているなぁ、とでも思っていただければ。

 

 

ヤァ、魔法使いな諸君

話は変わりまして、わたしは言葉に強い興味があります。

わたしは以前「発した言葉で相手を貶めたり呪いをかけたり、呪いから解放したりできるということは、我々は潜在的に魔法使いなんじゃない?」ということを書きました。

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ここからはそれの続編です。

 

 

情けは人のためならず(の別解)

わたしは言葉に強い興味があります。

その上で、昔から用いられる言葉には一種の真理めいたものが潜んでいると考えています。

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酔狂ですね‪( ¨̮ )‬

 

 

そんな酔狂な思考の、今回は『情けは人の為ならず』について。

 

「ありがとうございます」という言葉があります。

こちらの言葉は自分以外の他者へ向けて発する言葉だと一般的に認識されています。

 

「ありがとうございます」

この言葉を発する際に向けている対象は自分ではない、と思えますが、発しているのは自分自身。

これは揺るぎようのない事実です。

そして、「ありがとうございます」を発言した際、何よりも一番に響くのは、何よりも自分自身の肉体です。

 

これはつい先日書いた「『天上天下唯我独尊』と『今を大切にする』とは同じなのでは?」に接続されるお話に思えますね。

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また一説には『脳は自分と他者とを認識できない』と言われています。

となれば、脳みそは表層的には相手に対して「ありがとうございます」と言っているようであり、無意識・深層下では自分自身に対して言っていることにもなります。

 

ではここで『情けは人の為ならず』に戻りまして。

この言葉は「情けというものは巡り巡って自らに還って来ますので、未来の自分のためも思って困っている他所様には情けをかけましょう」という意味合いです。つまり因果応報です。

『情けは人の為ならず』を意訳しますと「相手のためが自分のためになっていた」ですが、これは上記いたしました『他者に対して言っていたありがとうは、実は何よりも自分に対して言っていた』ということにも解釈はできないか?とわたしは感じます。

 

それを床についた時に思いまして、自分のためにもなるのであれば「ありがとうございます」は積極的に口にした方が良いのだな、と思いましたね。

何よりも自分を正しく大切にするために。

使う言葉で全くの未来や過去である他者様からの見え方も変わりますからね。

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と同時に、今の労働なんてやってられなくね?と焦りを感じました。

小市民で生きるにはちょっと今の世界は狭すぎる。

 

 

 

とはいえ、物理の宗教に精神支配されている残滓な現代と現状。

物理的な実証が出ないこの話は、 "疑似科學" のように変なこととして認識されるでしょう。

 

変なことの総合デパートかよ!

 

 

どうぞご自身の命、お好きに生きて( ¨̮ )

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

 

 

富豪は正しく他力本願

追記です。

先日惡魔のYouTube Shortにて、『年収五億円で仙台のタワーマンションに住んでいる』という内容のものを目にしました。

 

詳しい内容は書く意味がない(し覺えていない。かつ以下の話の本筋に関係ない)ので省きますが、その中で「年収五億円もあると、誰も人を信用できない」と言及されていたのですが、それを見て『むしろ人を信じて頼らないと富豪になれないのでは…』と反射的に思いました。

 

白状します。最後まで感じる前に自分のことじゃんと思って愕然としました。

人間不信なわたしですが、世の富豪や成功者と認識される方々は「他者を信頼して専門分野は専門家に任せている」からこそ、富豪になっているのではないか。

 

富豪は正しく他力本願である。

 

ぎゃっ!!!

 

〈ポケット映画評シリーズ〉『バイオハザード』【塊魂】

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

觀てきました新作映画の『バイオハザード』‪( ¨̮ )‬!

 

以前にも『バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』の感想を書きましたし、ゲームシリーズのファンということもありますので、この度も感想を書きます‪٩( ᐛ )و

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そして〈ポケット書評シリージ〉に倣って(?)〈ポケット映画評シリージ〉も発足です!‪‪٩( ᐛ )و‬‪٩( ᐛ )و

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総評!

バイオハザードはゲームシリーズも世界的に人氣でございます。

一方で「実写映画は別物」と言われることも多々ありました。

 

そんななか今作ですが、わたし個人的な感想としては「別物ではあるが樂しめた」というものです。

というより、そもそも似せる心つもりがなかったんじゃないか?とすら思います。

 

なぜかというと映画『JOKER』にて言及されていた「自分の撮りたい七十年代ニューシネマ作品を撮るために、アメリカンコミックのネームバリューを用いた」というお話を想起したためです。

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つまりは今作の『バイオハザード』は、全世界的に人氣の『BIOHAZARD / RESIDENT EVIL』の世界觀を用いた、別物。という感覺を鑑賞し憶えました。

もっと正確に言えば『監督が表現したいものが一番バイオハザードの世界觀と近しかった』という感じでしょうかね。

 

なのでゲームシリーズの人氣キャラクターは一切出ていません(ハンクすら)。

 

またゲームシリーズとの別物感が強調されていると感じたのは、並行世界感を覺えたためでもあります。

今作のウイルスや変異後の姿はゲームシリーズでは見たことのない、烏賊じみた触手でしたしね。

パラレルワールドのバイオハザードなら仕方ないか〜(ニッコリ。ニッコリk)という感慨ですが、監督側もこんなにファンの多い作品の映画を撮るとなった時、本家に寄せたところで勝ち目がないことは明白ですので、「好きな作品を撮らせてもらいまっせ」と舵を切ったのは当然と言えば当然ですね。

 

ところで七次元って物理法則が違うらしいですが、この世界の物理法則って螺旋じゃねすかね?

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とはいえバイオハザードのファン心はわかっているというか、画の質感や画力?は非常にゲーム作品と雰囲氣が似ていましたので、監督自身もゲームのファンなのか、あるいはとても研究して造詣が深く解像度も高くなっていらっしゃるのだろうかと思います。

 

 

ちなみに基本的に爆笑していました。

 

 

発端はフリーランス

物語は主人公が病院へ荷物を届ける場面から始まります。

本作主人公のブライアンさんは運び屋をされている方で、配達先の病院で重要な荷物を安請け合いします。

 

その荷物の配送先がラクーン市総合病院な次第です。

 

道路凍る道中で女性を撥ね、シェリフメンに呼び止められ、なんやかんやが始まっていきます。

シェリフメンに呼び止められる前に撥ねた女性を助手席に乗せるじゃないですか、その時には何も起きないが、シェリフメンのシェリフカーに乗せた後に波乱が起きるという演出はホラー演出としてよかったといちホラー好きは思います。

 

事故を起こしたシェリフカーが横転して雪原に転がったあと、お人好しなブライアンさんはシェリフメンの安否を確かめにいきます。

こちらでホラー映画お得意のジャンプスケア演出が行われますが、それよりも思ったのはシェリフカーの中での一幕と女性との攻防が、非常に本家ゲームの導入部分と似ていたことに感銘を受けました。

あそこで連打したりタイミングよく指定ボタンを押したりするんでしょ( ¨̮ )

 

シェリフメンから拳銃を奪取し、女性を討ち取ったブライアンさん。

自ら放った流れ玉のせいで愛車がODBTになっていることを知り、妙と尋常な間でも仕事を完遂しようと決めます(まあ車ないと帰れないしね)。

 

 

ジャンプスケア作品ではあるが、

向かうは近場にあった農場。

電氣柵を飛び越えようとするも上手くはいかず悪態を吐く様は一般的若者の様相を呈しているように思われますが、きっとあんな環境になれば誰もがあのようになるのでしょう。知りません。

 

電氣柵を乗り越え雪原を歩いているとわんわんのワンワンが遠くから聞こえ、声の方向を見るとなんと!こちらへ向かって走ってきているじゃありませんか!

わんわんは番犬なのかガオガオと声を上げていて恐怖に不安なので納屋へ避難するブライアンさん。

バイオハザードシリーズにはケルベロスであったりゾンビーヌが登場するので、原作ファンには嬉しい場面でしょう。

 

ところで納屋へ逃げ込んだブライアンさんの挙動が短絡的すぎる。

なぜそこで梯子を投げる。。。と思いますが、それはあくまでもきっと岡目八目。突然得体のしれない恐怖に遭遇し、命からがら脱した直後ともなれば氣分が高揚したりもするでしょう。

 

さてこの作品は緊張と緩和が上手に演出されていると感じます。

ワンワンーヌの後に納屋からフックを使って安全に地上へ降りようとするも普通に落ちる場面とか(ところであの納屋とフックのカットってどこかの映画で既視感がある)、その後にわんわんが顔を出す場面とか。

緊張しっぱなしだと疲れますしね。ちなみに普通の番犬ガオガオだと思っていたわんわんがゾンビーヌだと判明した場面ですが、あのうねうね触手はゲームシリーズ『4』のオマージュですかね?

 

 

ちなみにこの作品はホラー作品ではおなじみのジャンプスケアが多用されています。

関係ないですがわたしはジャンプスケアが好きではありません。

だってびっくりさせたもん勝ちの印象になるから。そして個人的にびっくりしたくない。

 

その上でジャンプスケアが多用されている今作は好きです( ¨̮ )

理由はジャンプスケアが多用されていますが、それを凌駕するくらい大変怖いからです。

ホラー映画として最高じゃん٩( ᐛ )و

 

米 わたしはこの『バイオハザード』に対して非常に好意的です お米

 

 

レオンくん初登場時のような印象

ちなみにわたしはこの監督さんがバイオハザードシリーズで好きなキャラクターは、泣けるぜ系男前のレオン・S・ケネディ氏のような印象がいたします。

 

その理由をこれから書いてまいりますが、まず一つに主人公が非常に初登場時のレオンさんを彷彿とさせる。

パンデミック発生時のRCPDに配属され、イかれた警察署で一夜を明ける泣けるぜ系男前ですが、レオンさんは物語が進んだり作品が進むにつれて逞しくなっていきます。

それは偏に "齢を食ったから" とも言えますが、今作のブライアンさんも初登場時はそこらへんにいらっしゃる若いお兄ちゃんという風体でありますが、死地をくぐることで幾分か肝が座っていっているように感じます。

 

また上記したわんわんもプラーガ寄生個体に似ていますし、物語終盤のビルを登る結合体も『6』のレオン編ラストボス戰で同じ描写がありましたしね。

 

集合体がずっと追いかけてくるのもタイラントじみていますし、下水道に入るのも『2』的です。

でか全裸赤ちゃんおじさんの腹からネズミちゃんが出てくる場面は本当に嫌でした。「うわー、本当に嫌だーー」とつぶやいていたことでしょう。

 

 

塊魂じゃん!

納屋から抜け出て近くの民家を訪ねるブライアンさん。

シェリフカーの時にも実は思っていたのですが、なんというか、全体的に映像の質感が最近のバイオハザードシリーズに用いられているカプコン社独自のRE ENGINEっぽい質感に似ていたのが原作ゲームの上澄みファンとして嬉しい要素でした。

なんというか潤いを感じる質感や彩度というか?しっとりしたビロード生地って感じ?

 

 

鍵が空いていたので侵入しましたところ、壁に野生のショットガン!

壁にショットガンが飾ってあるのは原作へのオマージュだと感じますが、後々も武器を換装して冒険を進める様なんてのは非常に原作的だと感じます。

 

野生のショットガンを見つけるブライアンさんでしたが、しかし弾は装填されいてない。

日本國では銃器の所持は一般的ではありませんので「弾入ってね〜じゃん」とわたしは思いましたが、銃社会であり日本よりも治安が悪いと耳にするアメリカ國では、いかに護身用の銃火器であっても装填していないが吉なのでしょうね。

装填済みで壁にかけているときに暴漢が押しかけて手にでもされたら終わりですもんね。

 

ということでショットガンの銃弾を探すブライアンさんですが、あの場面の演技が現実的とすらも思えるものであったと感じます。

しかもこの時に見えたるは、先ほど仕留めたはずの女性が全力疾走にてブライアンさんがいる家に向かってきている。

わたしはジャンプスケアは好みませんが、『イット・フォローズ』や『X』のような〈予告されている恐怖〉が描かれているホラーは大好きです。親切( ¨̮ )

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『X』でのロレインさんの絶叫は今思い出しても良い絶叫だったなぁ…‪( ¨̮ )‬

 

 

『仕留めたはずの生物が生き返っている・恐怖でパニックになっている・追手は冷静に全力疾走している』の事象と対比が相乗効果で恐怖と異様を煽り、我々觀客のニヤニヤをやめさせない止まらせない。そこに痺れる。

家に入ってきてドタドタと二階へ上がってくる生物の音なんて最高にニヤニィアしちゃいましたね、浮き浮きです( ¨̮ )

 

野生のショットガンを手なずけて生き返った生物の頭を撃ち、一安心するブライアンさん。

 

しかし生物の様子が何かおかしい。

頸の肉が蠢き、顔を覗かせたるは触手。

触手が向かうはあらかじめ殺めておいた一家の主人と思しき男性です。

まさか、、結合すか───────。

 

思わず「ヒ、、ヒェエ………」と思いましたね。

 

 

流石に恐怖ですし奇妙なので慌てて場を後にするブライアンさん。

駐めてある車に乗り込みますが、農場の門にはダイヤの鍵で開く錠前が施錠されています。

わたしは「車で突っ込みゃええやん」と思ったのですが、ブライアンさんは律儀に壊そうと向かいます(律儀に壊す??)。

 

うんとこしょ、どっこいしょ。それでも錠前壊れません。

 

二回もショットガンを放ちましたが、びくともしない錠前。鉄壁の防御に思わず拍手ものですが、あんなに堅牢なの?鋼鉄製だとマグナムくらいないとだめなのかしら?

 

破壊は断念し車で突っ込むことを選ぶブライアンさんでしたが、大破したは車の方。

これではもう廃車確定ですね。

 

車を捨て、ブライアンさんはラクーンシティへ向かいます。

というのも先ほど殺めた生物があらかじめ殺めた家の主人と結合し、異形の生物へ変容していたからですね。

 

ちなみにこの結合体が家の玄関から出てこようとする場面を見て思ったのは、同じくホラーゲームの『サイコブレイク』に出てくるラウラというクリーチャーです。

腕長いしモチーフにしてるんじゃないか?

ブライアンさんが逃げ込んだ納屋も『サイコブレイク』に出てきた納屋を彷彿をさせましたし。

 

 

トンネルを抜けてポリスウィメンから助けられるブライアンさん。

屍体と結合し異形の様相を呈しているクリーチャーに「うわぁ〜!不氣味!」と感じましたが、どこか既視感がありましてね。

既視感の出発点を辿って見たらば、『塊魂』でした。

 

ご存知でしょうか。

初代プレイステーションの作品でございます『塊魂』。

 

『塊魂』だと思えば途端に恐怖も引き、のちにも追って出てくる結合体を見ても「わぁ〜塊魂〜!(パチパチ (キャッキャ」くらいなものでした( ¨̮ )

 

 

総評の総評

ラクーンシティ大通りに出たブライアンさんが『在校生一同から見送られる卒業式の一場面』みたいな投身を受ける場面や、酸性の吐瀉物を出す『7』のオマージュゾンビ。

明朝体で「うわぁ…。」という字幕が見えてきそうな産科病棟など、基本的に大変ファニーに愉しませていただきました( ¨̮ )

 

そういえば物語冒頭にも産氣づく妊婦さんが映っていたり(今思ったらなんで扉開けているんだ)、主人公のパートナーさんが妊娠されていたり、産科病棟だったり、妊娠出産というテーマが通底しているようにも思います。

もしかしたら監督さんや制作チームにベイビーが誕生していたのかもしれません。

 

あと、事の発端である女性を跳ねる場面から主人公のブライアンさんは追われる立場になります。

これは物語の都合かもしれませんが、他のゾンビらも主人公を殺めようとする理由?には不十分に思えます。

 

というわけで、ゾンビらの行動原理はどちらかといえば『サイレン』シリーズの屍人に近しい(生前よりも屍人化した方が世界は樂しく綺麗というもの)のではないか?などと酔狂なホラーファンは思います。

 

と、そんな感じで今回の映画は【上質な二次創作】という感覺もありながらも、制作側も仕事としてだけではなく "作りたかったもの" を樂しんで、愛を込めて制作されている感覺を受け取ったので、全体的に好意的なお氣持ちです( ¨̮ )

 

めちゃオモロファニー映画でしたし大爆笑でしたし ( ¨̮ )

 

 

しかしなんで研究室がビルの最上階なんだ。

あ、それも「本家とは違う世界線ですよ」という表明なのか?

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

天上天下唯我独尊に対しての再考

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回は宗教的感覺を哲學的觀点でみてみましょ〜ね。の回です。

以前に書いた記事からのシリージ化ですが、まさかシリージになるとは思っていませんでした。

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そして今回の内容は、正直哲學なのか宗教なのか科學なのか判然といたしません。

 

全体にあるとも言えるし…みた〜な内容です。

 

 

 

天上天下唯我独尊

まず大前提ですが【天上天下唯我独尊】は仏教の言葉であり、仏陀が生まれて初めて発した言葉とされています。

昔ながらの紋切り印象ですが、不良思春期なお年頃お坊ちゃんお嬢さんが好むお言葉としても一般認知されています。

 

しかしながらこの言葉、その実際は『この世に自分は個人だけだからちょ〜尊いんだぜ☆それと同時に他の人にも該当するから、各々を尊重よろしくな☆』という意味だと伺ったことがあります。

 

【天上天下唯我独尊】に対してはこんな印象です。

 

ところで今回の題名は『天上天下唯我独尊に対しての再考』ですが、何を再考するのかとはその言葉に対しての意味合いです。

 

 

「今を大切にする」とは

『今を大切にしましょう』という心がけがあります。

『今を生きる』という表現になっていたりもします。

 

〈今〉とは過去でも未来でもない、"今、この時" という意味合いです。

 

『今を大切にする』という言葉、昨今の社会では(その方が儲けられるので)未来への不安視や過去への悔恨に目を向けさせるように誘導されているように思います。

なので未来や過去に不安を覺えたり、罪惡感を覺えたりするのではなく《今ここ》に目を向けましょうね。という時流になっていたり、瞑想が注目されている次第かと考えています。

 

 

ところで。

 

この間、わたしがお風呂に興じている時。

「今、っていうけれども、見ている対象からは時間差というものが絶対的にあるんじゃん?」と思いました。

 

ここが科學的でもある部分だと感じるのですが、我々が物体を視認する時には反射が発生しているわけではないですか。

恒星やPCモニターなどの自家発光しているものは別として、対象を視認できているということは光の反射が行われているということとなります。

 

音速や光速という言葉が存在しているとおり、音や光は発生場所から觀測場所へ到達するまでに時差が生じます。

もちろんそれは零コンマ数秒の世界ですのでほとんどリアルタイムと判断して良いと思いますが、超厳密に言えばリアルタイムではないです。

 

そして〈今〉の話に戻るのですが、今この時を感じているとしても光や反射や諸々の事象は微細ながら厳然とした時差・タイムラグがあるならば、それは果たして〈今〉なのか?という疑問が湧き上がってきます。

この記事をお読みくださっているあなた様も、あくまでも数分や数時間前に書かれた内容を認識しているにすぎません。そこにわたしはいません。

と、いうよりも、お膝を付き合わして対話していたとしても「自分自身の〈今〉を共有している」ということにはならないでしょう(こんなことを言っていては限りがないので、どこを落とし所にするかという話になってきますが)。空間を共有しているとはなる。

 

であれば〈今〉とはなにかを考えた時。

〈今〉とは『自分の肉体・感覺』に他ならない、それ以外ないのではないか?と感じました。

対象からわたしという自己が認知するまでに絶対的な時間が発生するのであれば、〈今〉とは "認知した自分自身" という考え方です。

 

『認知した自分自身』が〈今〉という解釈が正しいのだとすれば、「今を大切にする」というのは『自分自身を大切にする』ということと同義になります。

『自分自身を大切にする』ことは天上天下唯我独尊の元々の意味合いらしいことは上記した通りですので、『今を大切にする』と【天上天下唯我独尊】は同じ意味を持つ言葉なのではないかと思いましたというお話でした。

 

 

もののけ姫の神のアレ

自分自身こそが〈今〉なのであれば、目に映ったり耳に聞こえたりするものは完全に未来であり過去ということになります。

 

「自分自身だけが今」であれば、"自分が触れている対象も今になる" ということになります。

 

そこで思い出したるは映画『もののけ姫』の神。

調べたらシシガミさんという呼称だそうですが、彼か彼女は踏んだところから草花が萌え出る描写があったように覺えています。

 

なんというか「自分が触れたものから〈今〉になる」と聞くとシシガミさんのあの表現を思い出したるは次第です。

 

 

因果応報・アンディ・ウォーホル

今回は仏教回。

仏に教わると書いて仏教。

 

7/8拍子の世界。

 

テリンテリンテリンテリンテ テリンテリンテリンテリンテ

 

 

因果応報という考え方も仏教にはあります。

行った行動や言動が自らに返ってくるという考え方ですが、これって何も時間を経て起こるばかりじゃないよなあと感じています。

 

基本的にこの世界は物理の世界。

なので力の作用がなければ事象の発生や変化はありません。

 

つまり自分が何かをしなければ、ほぼほぼが動くことはないということです。

なので、より活動的に動いた方が攪拌が起こって物事発生の確率も上がりますね。

 

そして自分が触れなければ〈今〉にならないという上記を鑑みれば、"自分がどのように行動するか" でしかないということにもなります。

そこに因果応報の考えを足してみます。

 

硝子製の容器は割れることがあります。

しかしそれは強い衝撃などが必要です。

手に持っている容器を台などに置く時、乱暴にさえしなければ原則的に割れることはありえないということになります。

 

乱暴に置けば壊れる、割れる。

ごくごく当然のことでしかありませんが、それも因果応報と解釈することもできるのではないでしょうか。

天上天下唯我独尊は自分を大切にしましょうねの標語が収められていると感じていますが、であれば「因果応報で自分が被害を被らないため」に世界へ対して善良かつ心優しく接しましょうの教えも含まれているとも解釈することは可能ではないでしょうか。

 

以前に書いた『言葉は看板』という内容でも「発したエネルギーに対しての反応として結果がもたらされる」と書きました。

floodinhead.hatenablog.com

 

「自分自身を最大級に尊ぶ」ということが『今を大切にする』ことなのであれば、反応としてのエネルギーで自分を傷つけることがないよう、世界へ対して愛情を持って向き合うという行動となり、それは全くシシガミさんの歩み的な表現でもあるなと感じます。

 

おや?だとすれば【天上天下唯我独尊】とは八百萬の価値觀でもあることになり、ということはアニミズム思想にも連絡することにならないか?

 

そして『今を大切にする』が対外へ愛情を持って世界へ関わるということなのであれば、それこそ【天上天下唯我独尊】の本懐たる部分なのではないでしょうか。

ほんでもってキリスト教の教えである『汝、隣人を愛せよ』とも同じということになります。

 

 

宗教ってそれぞれが独立?しているように見えますが、実際のところは同じ教義をその場所々々に合わせて調整されたものなんじゃないのかと考えています。

今回の内容を鑑みても明らかではないかとも思うし。

 

つまり各地の人間の口に合うように調整されたお料理ということです。

 

 

 

 

というわけで【天上天下唯我独尊】に対しての再考でした( ¨̮ )

 

お好きに生きてください( ¨̮ )

 

北風と太陽と比呂くんです( ¨̮ )

 

ありがとうございました( ¨̮ )