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さて最終話。
第十話の最後部分が再度流れて、最終話が始まります。
第十話の最後では描かれなかった、省略されていた部分が追加された映像なので、『半天狗さんが逃げてから』それなりの時間が経過していたことがわかります。
この最終話はオープニング映像が流れませんが、本編の途中にオープニング映像で使われている描写が挿入されています。
これまでのお話の際に何度も見ている映像なので、こうやって用いるのは巧いな、と思いました。
原作にあるコマをオープニング映像に起用したっていうことなんですかね。
最終話の題名が映される場面が、最終話にも使われている『朝ぼらけ』を想起する青色と橙色のグラデーションになっていて、とても綺麗ですね。
善逸が昔話していたことを思い出し、炭治郎が超スピードで移動して半天狗さんの首に斬りかかります。
あと少しで首が斬れる、というところで、半天狗さんの恨みの部分が発露し、体躯が巨大化しました。
のちに判明するこの〈恨〉の鬼ですが、炭治郎よりも体が大きくなってしまっているので「今の状態だと、半天狗さんの方が弱いものいじめをしているように見えるよ?それだと、弱者戰略が通用しなくなるんだけど、それは勘定にいれているの?」と思いました。
まぁ、感情に支配されていたら理性的な思考は難しいですよね。
広けている場所に出て、半天狗さんが喰らう人を探す場面で、里の人を見て「いた、食い物だ」と思う場面があります。
この場面にわたしは『うわぁ』と思いはしたのですが、人間だって極限の空腹状態で野兎とかを見つけたら、同じことを思うだろうと考えられるので、所詮は同じ穴の狢だわね、と思います。
時透無一郎さんが炭治郎へ呼びかけた後、鋼塚さんの研いでいた刀を投げて寄越します(あぶない)。
この投げる場面はオープニング映像で描写されている通りですが、原作では「時透無一郎さんの呼びかけ」→「刀を投げる」→「刀が刺さる」だけしか描かれていないのではないかと思われますので、『原作漫画があるアニメの樂しみ方』ってのはこういうことでもあるんだろうな、と感じた次第です。
どうやら鋼塚さんが研いでいる途中の刀を奪って炭治郎へ投げたようで、当の鋼塚さんは「返せ!」と抗議しています。
この時に『納得のいくまで仕上げたいという藝術家や職人感情』と『締め切りが迫っているから早く世に出したい編集者』という対立構造というか、ジレンマというか、そんなものを想起いたしました。
全集中を行い『円舞一閃』を繰り出す前に、炭治郎が刀を持ち直して氣合いを入れる様がちょ〜〜うかっこいい。
卑怯点が高い
『円舞一閃』で大きい半天狗さんの馘を斬った炭治郎でしたが、実はその半天狗さんは〈怯〉ではなく〈恨〉の鬼であり、本体ではありませんでした。
この身代わりを行った際に、舌に書いている《うらみ》の字が『怨』ではなく『恨』であること、〈怯〉と同じ『 "りっしんべん" をへんに持つ漢字』を使って「ハナから騙そうとしている所」が、卑怯点高いね〜!と思いました。
あと、禰豆子が大変な時に鋼塚さんと鉄穴森さんは何をしとんねんと思いました。というよりも誰でも思うやろ。あれは。
禰豆子を護るか、鬼を斬って里の人たちを護るか、というトロッコ問題を突きつけられて、決断ができない炭治郎ですが、そりゃー仕方ないよね、と思いますよ。
だって炭治郎は禰豆子を人に戻すために鬼殺隊に入ったわけですし、禰豆子が最後に残った唯一の肉親なわけですからね。
最終的には、ちゃんと〈怯〉の半天狗さんを討つことに成功いたしますが、鬼を討っても肉親を失くしたなら、炭治郎にとっては本末転倒なわけです。
結果、禰豆子は太陽を克服するんですけれど。
馘を斬られる寸前で、半天狗さんは走馬灯を見ます。
内容は、まぁ擁護のしようもない内容ではありましたが、卑怯者にも卑怯になった理由はある。
というか半天狗さんは人間の頃からあの容姿なのか。
昔から怒られすぎて、たん瘤が治らなくなったんですかね。
半天狗さんを討ったが、禰豆子を失った絶望で泣く炭治郎の前に、太陽を克服した禰豆子が現れます。
てっきりわたしは、件より話に出ていた《青い彼岸花》を食べるかで太陽を克服したもんだと思っていたのですが、特に外的な理由でとかではないんですね。
禰豆子自身の血の変化で決まるとしたら、救いもあるし、地獄もある。
原画展知識ですが『稀血』のこともありますし、やっぱりこの『鬼滅の刃』は血族や家系が重要となるのでしょうね。
どこまでもつまんね〜〜男、鬼舞辻無惨さん
鬼舞辻無惨さんの意識ネットワークからわかるのか、禰豆子が太陽を克服したことを知ります。
「禰豆子を取り入れたら究極の生命体となれる!」と昂奮する鬼舞辻無惨さんですが、どこまでもつまんね〜〜男だな、と、つくづく感じます。
手前ぇ一人じゃなんにもできない。従者がいないと生活もできない体たらくな甘ちゃん。
つーか禰豆子を取り込んだとしても、禰豆子と自分の体が適応しないって可能性もあるじゃんね。
その程度の想像力もない男。
しかし、部屋から出る際に自ら手をかけた遺体を避けずに押しのけるようにして歩ていたのは、鬼舞辻無惨さんという人を非常に巧く表現していると思いました。
とことんまで人間を下等生物として認識していると言いますか。
ここで初めて、鬼舞辻無惨さんの出自が語られます。
平安時代の公家だったんですね。
鬼舞辻無惨さんのことを『従者がいないと何もできない愚図な体たらく』と前述いたしましたが、公家の生まれで病氣勝ちだったのであれば、お付きの者が身のお世話をしていたのだろうから、自分のことを何一つとしてできない愚図に成長するのも仕方ないかも?と思ったりもしますが、同じ境遇でも炭治郎とかなら、もっと思いやりを持つのだろうから、やっぱり鬼舞辻無惨さんは体たらくで愚図な甘ちゃんです。
人間時代の鬼舞辻無惨さんが「藪医者」と呼ぶお抱えの調薬師。
まぁね〜、医者っていうのは患者を全快にしたらお役御免となって食い扶持がなくなるかもしれないから、生かさず殺さずで毒にも藥にもならない薬を処方した方が、安泰ではある。
「少しでも長く生きて頂きたく」というのは、そういうことでもあるのだろうと思いますが、偏見です。
あ、『病は氣から』と言いますが、「どうせ効かん」と思って飲んだのなら、藥を飲んだところで効きはしません。結構意識の効果は絶大です。
しかし、その「藪医者」を殺めてしまうのは時期尚早だったんじゃないの?と思います。それまでの怨みがあったのだろうけれど。
この回想ではモノトーンで進行されますが、鬼舞辻無惨さんが鬼となったタイミングで、目が紅くなったり、血の色がちゃんと赤色として描かれます。
血の色をちゃんと赤色で表現したことで、鬼舞辻無惨さんの "無残さ" や残酷さを巧みに表現しているんだなぁ、と感服いたしました。
これも映像としての表現ならではですね(ネットで連載すればもちろんカラーで表現することは可能ですが、少年ジャンプという媒体の表現は、基本白黒だけですものね)。
あと思ったのですが、鬼舞辻無惨さんが動いている原動力は『願い』ではなくて『執着』ですね。
大団円
鋼塚さんに刀のことを詰められた炭治郎は、禰豆子に『逃げろ』とお願いします。
その時に「にげろ〜」と、のほほんと愉しそうに言う禰豆子が滅法可愛い。
甘露寺蜜璃さんに抱き竦められて顔を真っ赤にする不死川玄弥も可愛い。
場所は変わって浅草。
珠世さんの研究結果が便箋に綴られる様が描かれます。
『禰豆子が自我を取り戻さず、幼子のままでいるのは、禰豆子の中で優先すべきことがあるのではないか』と推理した珠世さんですが、これって『(もちろん程度はあるけど)急いて社会復帰とか通學とかしなくても、あなた自身があなた自身として生きる手応えをもてるまで、じっとしててもいいんじゃないかな(もちろん程度はある)』という想いなのかな〜と、感じました。もちろん妄想です。
鋼塚さんのツンデレ?照れる姿が一番可愛いですね。
里の鍛治職人に見送られながら、炭治郎は里を去りますが、この場面って『千と千尋の神隠し』の最後みたいだなーと感じました。
この『鬼滅の刃』は各編最終話にオープニング曲がエンディングとして起用されます。
このエンドロールで、以前にお話しいたしました『「ありがとう、鉄穴森さん」という時透無一郎さん』の絵をアニメ用に描いたものが映されます。
この!!時透無一郎さんの!!!右手の!!!!筋肉!!!!!
そして!!!肘関節と筋肉の!!!!くびれ!!!!!上腕二頭筋の張り!!!!!!
『骨と筋肉が確実に皮膚の下にある』と感じる表現!!!!!!!
左手の掌の肉と指!!!!!!!
この一枚の絵のためにイラスト記録集を買っても良いと思うくらいです。
良い絵は恍惚を呼びますよ…。。。
と、そんなわけで、『鬼滅の刃 刀鍛冶の里編』も完結です。
愉しかった!
原作を描かれた吾峠呼世晴さん、アニメーション制作に関わられたufotableのみなさま、誠に有難うございました。
また、これまでのわたしの感想をお読みいただいた方がいらっしゃいましたなら、こんな酔狂な変人の感想をお読み頂きありがとうございました。
次は『柱稽古編』ですね!
ありがとうございました( ¨̮ )