頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

大陸的価値觀

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

最近YouTubeにて見たので(事実かは不明で)すが、イタリアのテレビ番組で日本の生活?が取り上げられたらしいです。

 

ある場面で觀客のイタリア人さんたちは大笑いが起きたそうです。ですが、その数秒後に賛嘆の声が巻き起こったとのこと。

 

その場面とは、電車の乗降車でした。

 

 

電車が駅舎に入ってきた時に乗車をする人間が、電車の扉の左右に別れた(ここで大笑いが発生)。

電車から降車する人がいなくなってから、左右に分かれていた乗車希望者が電車に乗り込んだ(ここで賛嘆の声)。

 

我々日本人としては至極当然の行動ですが、イタリアでは衝撃的だったということですね。

 

と、いうのも、イタリアでは降車客と乗車客とが我先に行動するのだそうです。

そのために乗車・降車をしたくてもできない人がいたりするのだそう。

 

普段からそういった生活をしている方々からすれば、日本人の乗降者は滑稽でありながらも非常に理にかなった無駄のなさには、大層衝撃的だったということですね。

 

とはいえ、わたしは「そりゃ大陸とは違うからなぁ」と思います。

 

 

日本は島國で、過去は勢力爭いを行なったこともあったそうですが、長らく一つの政府が統治しておりました。

というより、そもそもとして縄文の価値觀があるので調和の価値觀が遺伝子レベルで根付いているでしょう。

 

ですが、イタリアを含めた大陸は侵略と統治、略奪の歴史が繰り返された文化圏です。

侵略をしなかったら侵略をされ、侵略に備えて虎視眈々と爪を研いでいる。。というのが、わたしの大陸に対して持っているきっと偏見も篭っているであろう印象なのですが、「侵略をしなかったら侵略をされる」という意識は、『電車で乗降者が我先に行動する』ことにつながるのではないでしょうか。

 

それこそ大陸は昔々から侵略をし合ってきた歴史があるため、我々日本人に調和の価値觀が遺伝子レベルで根付いているように、大陸の方々には《我先に》の価値觀が遺伝子レベルで根付いているのかしら。だから電車の乗降者にもそれが反映されるのではないのかしら。と思ったお話でした。

 

 

ちなみに聞くところによると、中國ではいまだにそれぞれが『漢民族として』などの誇りを持っていらっしゃるそうですね。

 

 

大陸的価値觀は日本の価値觀とは違うよねー、と思いながらも、昨今では降車する人を待たず我先に乗車せしめようとする人も散見致しますね。

これも日本人がじんわりと《漂白》されている結果だったりするのだろうな、と思います。

 

ま、とはいえ、どうぞお好きに。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )