お久しぶりです( ¨̮ )
本日もご訪問ありがとうございます。
また言ってる
いつも言っておりますが、わたしは携帯電話に支配されている人が好きではありません。
日々生活していると、携帯電話と睨めっこして、それを支配とも氣づかず、支配されている人のその多さに驚くばかりです。
そんな携帯電話に支配されている方々は、基本的に視野が狭いというか、周囲が観えていない人がほとんどです。
具体的にいうなら、電車の車内で立っているのに、降車しようとする人に対して体を動かしたり動線を開けたりもせず、直立したまま携帯電話にかかりきり、みたいな様です。
しらんぷりなのか、無視なのか、そもそも降車する人が視界に入ってすらいないのか、それはわたしが彼ら彼女らではないのでわかりませんが、なんにしろ動こうとする氣配なんて、まぁありません。
わたしはそんな視野の狭さに辟易としているので、『支配と氣づかず支配されている彼ら彼女ら』のことを、はっきりと不快な存在だと思っています。
満員電車に乗った際の感慨じたこと
少し前にいつも乗っている時間よりも早い時間の電車に乗りました。
その便?は、いつも乗っている便の乗客数よりも、明らかに乗っている方が多かったのですが、やはりその車内でも携帯電話に支配されている人ばかりでした。
しかし、いつもより乗車率の高い電車に乗って、いつもとは違う感慨がありました。
その時の車内は、まぁ「満員電車」と形容できる程度の乗車率だったのですが、満員電車ってものに『パーソナルスペース』なんてプライバシーはないわけです。
各個人が持っていると言われている、『他者に侵されたくない範囲』がパーソナルスペースです。これは説明が下手な氣がする。意図的と言っておこう。その実はわたしの力量不足です。
パーソナルスペースなんてプライバシーが確保できない満員電車の車内で、唯一のプライバシーであり、ある意味での現実逃避が携帯電話とにらめっこをすることなんだな。と、思ったのです。
昨今の現代人は疲弊をしきっているわけですから、自己の最終防衛線的な意味合いを持つ携帯電話と睨めっこをしたら、そりゃあ、他人になんて思いやりが向くわけもないよなあ、と感じた次第です。
まぁ、それも含めて、全く愚かであるとは、どうしても思ってしまうのですけどね。
子宮
そんな最終防衛線である携帯電話は、『自分の見たいもの』しか見ないようにできますし、『自分が見たくないもの』は徹底的に排除できるようになっています(これは「インターネット全てに対して」でもあるんですけどね)。
つまり、『その人個人にとっての、完全な安全圏』を作れるわけですよね。
そして、人の、もとい生物の『一番根源的な安全圏』というのは、お母さんの胎内。
つまり『子宮』です。
現代人は、携帯電話・インターネットを用いて、擬似的な子宮を創造し、胎内回帰や幼児退行をしているのです。
胎内回帰をしているのだから、そりゃあ周りのことなんて見えていなくて当然です。
1歳児とかの赤ちゃんが「いえいえ、わたしには恐れ多いです。どうぞ、お先に」なんて言いません。
赤ちゃんは自分の感情に素直な存在です。
それが良いんですけどね( ¨̮ )
いかに幼児退行していると言ったところで、成人したいい大人が周囲が見えていなかったり、胎内回帰するのはどうなのさ。とは、やっぱり思います。
とはいえ、下記の動画にてお母さんの顔を伺ってバウンサーを弟に譲る姿が伺えるように、これくらいの時期から社会性が身についてくるのだろうとも思います。
正直なところ、子どもとされている存在の方が、現代で大人などと呼称されている方々などよりもよっぽどまともだと思います。
とはいえ、わたしはその人の人生を生きているわけではないし、わたしはその人自身でもないので、その人が愚かであったとてどうしようもないんですけどね( ¨̮ )
その人自身は無知かもしれませんが、無知を承知で安易な娯樂に頼ったのでしょうからね( ¨̮ )
他者を『愚か』や『無知』と形容して批判しているわたしも、また『愚か』で『無知』であり、その愚かさが故にここまで書いてきたようなことを思いついたのでしょうし( ¨̮ )
お好きなようにお生きになったら良いと思います( ¨̮ )
さて!本日2022年8月28日は、八十八ヶ所巡礼さんの『八=八祭』です!
樂しみにしていた!最近『Toto』にはまっていたけど!
『エイトビイトな人々』は聴けるのかしら!!!聴きたい!!!!!