頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

胎内回帰、再誕生。

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

先日、稲荷神社の総本山である伏見稲荷大社に行ってまいりました。

 

本当は陽が出ているうちに参拝するはずだったのですが、すっかり日が暮れてしまいました。

 

 

夢で睨まれた楼門

駅を出てお宮へ向かう道中、昔はお初詣に香川県金刀比羅宮に参拝していたのですが、どちらも山にあるからか、似た空氣を感じました。

すこし『千と千尋の神隠し』の冒頭、夜の雰囲氣もあったような氣がいたします。

 

と、そんな雰囲氣を感じながら歩いていると(本当は「さむぅ〜」と思っていた)到着。

http://inari.jp/

 

大きかった。

 

そして、この記事を書いているこの時に思い出したのですが、この楼門、いつぞやの夢で見たものでした。

 

おかしな話になるので、お読み飛ばしていただいて問題ないのですが、わたしはいつかの夢の中でこの楼門を遠巻きに見ておりました。

本心を言えば、その楼門をくぐって中に入りたかったのですが、月明かりに照らされて青白く浮かぶその楼門に劇しく睨まれていたので、夢の中では入れませんでした。

 

どうしてどうして夢の中で月明かりに照らされたその門と、電氣で照らされた楼門とを同じものだと思ったかといえば、大きさ、形、月の光からでも色彩はなんとなく判断がつきますし、その青白い光でも朱色を感じたためです。

 

いまだから?思いますが、あの睨み方は完全に威嚇だったなぁと思います。

 

 

千年鳥居と胎内回帰

さて。

本殿を参拝し、かの有名な千本鳥居をくぐります。

先述しましたが、この伏見稲荷大社は稲荷山という山に抱かれております。

そのため、奥へ奥へと歩を進めるごとに傾斜を登っていく。

山登りも一緒に行う形になるんですね。

 

そして千本鳥居は行きと帰りがあり、山を登るにつれ鳥居も大きさが小さくなっていきます。

 

この時に、はっと思いました。

 

この道は子宮に還っているのだ。

 

山を登るというのは、天に近づいていくことでありますし、天というのは神と同義であるとも言えると感じます。

また鳥居を進むに従って狭くなり、地上に降りる時には鳥居は大きくなり広がっていく。

千本鳥居を進むというのは、胎内回帰であり、また新たに生まれ直すという行為なのだと感じました。

 

実際に神社の『参道』は『産道』であると言いますし、『お宮』は『子宮』であると言いますしね。

 

 

そういえば、伏見稲荷大社には『おもかる石』という《願いを想いながら持ち上げた時の感想によりその願いが叶うかどうか》を占う石があるのですが、いざ持ち上げた時には「えっ、こんなもん?」と拍子抜けする感じでした。

ずっしりとした重量はありましたが、だとしても「そんなに重くないね」という感じでした。

 

おもかる石があった辺りだと思うのですが、なんだか日本酒の匂いがふんわりするなぁと思いました。

誰か酒盛りされていたのかしら。

 

👆の写真のあたりとかが特に日本酒でした(日本酒でした?)。

この段々の先に行きたかったのですが、行ったら絶対に良くないこと起こるな、と思ったのでやめました。

 

 

千本鳥居の帰りで右に曲がれるところがあり、そっちにふらりと歩を進めていたのですが、あるタイミングで異様な寒氣を感じた境界がありました。

言うなれば直感というやつです。

冬の夜の山なので、そりゃあ寒いものですが、おそらくあの寒氣は冬のものだけではないと思います。

 

しかし冬の山の匂いは良いものですね。土の匂いです。

落ち着くし、それでいて背筋が伸びる感じ。

 

 

お狐さんの品定め

「ここまで来たら稲荷山も登ろう!」と決起し、急遽登山に。

伏見稲荷大社はその山全体総てではあるのだとは思いますが、稲荷山に入る境界?門?となる場所が明確にあったように感じます。

その境界から『伏見稲荷大社への参拝』から『稲荷山への参拝』に変わるんだろうなぁ、と思っているのですが、この稲荷山への参拝に変わる境界に、いわゆる狛犬のようにお狐さんが左右に鎮座されていたのですね。

 

たしかその境界には石の鳥居があり、もちろん一礼して通ったのですが、この時にはっきりと『見られている感覺』を覺えました。

なんというか品定め?をされている感じですかね。

「こいつはどんな人間だ?」「こいつはこの山に入っても大丈夫な人間か?」と見定められているような感じです。

 

そんなこんながありながらも、頂上まで登り、お猫さんがいらしったのでお猫さんを眺め愛で、下山しました。

 

「『神』の字が渦なんだな。渦か、やはり螺旋なのか」と思ったりいたしました。

 

これはワンポイントアドヴァイスなのですが、稲荷山はDr.Martinで登るものではないです。

 

 

思ったこと

そういえば、中腹の売店?に、新年だからか『紅白ソフト』というソフトクリームのポスターが掲示されていました。

「紅白か、日本人は紅白が好きですよね。縁起がよいから。紅白なますや紅白まんじゅう(紅白まんじゅうって今でもあるんですか?わたしが遠ざかっているだけ??)。そういえばいちごのショートケーキも紅白を模して生み出されたものだそうですしね。あ、巫女装束もそうだわいね」とか考えている時に、わたし、ッピーンと来ちゃった。

 

スプーン印のお砂糖って、あるじゃない。上白糖の。

あれってずっとあるけど、あれがずっとあるのって、〈紅白だから〉なんじゃないかしら。

旭日章の時代から日本の國旗って紅白だし、紅白弁当なんてのもあるわ。

それほどまでに日本人は『紅白の縁起』を重要視しているし、親しんでいる。

 

だから目についたら、手に取っちゃう。

日本人の潜在意識をうまく使った広告方法ってわけね、天晴れだわ!

 

 

その他には「漢数字には難しいのと常用とがあるけど、『拾』が『十』に変わったのってGHQの影響とかあるのかなぁ、あいつら日本文明と日本語を解体しようとした背景あるし、『十』ってキリスト教のシンボルマークだしな」とか思ったりしました。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

 

そんな伏見稲荷と稲荷山の参拝記録です。

 

 

一度でいいから不思議なこと体験してみたいのですが、きっとこういうのって物見遊山的な観光氣分で欲したらいけないんだろうな。

ヒトにはヒトに適した世界ってのがあるんだろうし。

 

 

 

 

不思議なことでいえば、神社と逆(逆?)になりますが手相で仏眼という相があるのですが、その仏眼が昔よりも育っているような氣がいたします。

完全に仏眼ができたらどうなるのでしょうか。

 

 

参拝したのが夜だったために御朱印をお願いできなかったので、また行くつもりです。

玉置神社に行きたいんだよな。

 

お呼ばれしたい( ¨̮ )

 

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )v