頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

都市型の情報

 

本日もご訪問ありがとうございます。

今回は以前に書いてたと思ってたけど、実は書いてなかったことです。

 

田舎は空が広い

わたしは愛媛という辺鄙な片田舎の出ですが、普段は都会で生活をしております。

 

都会で生活をしていると、どうしても氣付けないのですが、お盆やお正月などに帰省すると、『空が広い』とか、そういったことに氣付きます。

 

今年も夏の帰省で、改めて「空が広い〜!」と思いました。

 

わたしの実家がある場所は駅の前なので、ある程度は舗装されているのですが、少し車で離れると田んぼばっかりです。

余談ですが、高校を卒業し都会に出てから、『稲の匂い』ってものに氣付きました。

 

あの、むわっというか、芳ばしいような、独特な芳香をご存知の方も多いのではないでしょうか?

 

 

閑話休題

 

 

そんなふうに田舎は空が広いですが、それと同時に、『視界ってこんなに広かったのか』とも、驚きます。

だだっ広い田んぼに四方を囲まれながらや、山をぼーっと眺めて瞑想なんてしていると、つくづく広いと感じます。

 

「どうして空や、視界が広いと感じるのか」に関しては、都会で過ごしているからに他ならないのですが、どうして都会で過ごしていると視界が狭くなってしまうのか、それには明確な理由(少なくともわたしはこれだと思っているもの)があります。

 

少し前に〈広告はお花である〉と言ったことを言及いたしましたが、この〈広告〉も関係してきます。

 

どうして都会で生活をしていると、視界が狭くなってしまうのか。

それは『情報』が関係しています。

 

情報の違い

田舎(自然)の情報というものと、都会にある情報は全く違い、自然の情報というのは、広域に観る場合が多いです。

もちろん局所的に観ることもありますが、それは鳥さんが飛び立った、や、蟻さんが木の幹を歩いていると言ったような『動くものを目に留めた時』でしょう。

 

一方で都会にある情報は、基本的に一つのものにフォーカスを絞って見る場合がほとんどです。

 

その『フォーカスを絞って見る情報』の、そのほとんどが、〈広告〉なのです。

正確には『広告と看板』ですね。

 

それらがあまりに魅惑的であったり、目についてしまう。そう作っているから。

それらはみんな『フォーカスを絞って見る情報』なので、フォーカスを絞って見る癖が付いてしまい、そのため次第に広域を観れなくなって(広域に観ることを忘れて)しまう。

 

その結果、視界が狭くなってしまう。

 

 

都会には、そういった『フォーカスを絞って見る情報』ばかりがあるので、視界が狭くなっていることにも氣付かず、そしてたとえ氣付かずとも支障がなく、結果的に視界の狭窄が進んでいく。

 

そんな視界が狭くなっている状態で、自然という〈広域で観る必要がある(自動的に広域で観るようにようになる)場所〉に放り出されたら、そりゃあ「空が広い!」と思うのは当然です。

 

これも当然ですが、たとえ都会に住んでいたとしても、『局所的に見る』のではなく『広域に観る』ことはできますよ。

 

 

フォーカスを絞って見るように指定させられている情報のことを、わたしは『都市型の情報』と読んでいます。

 

この『都市型の情報』は、なにも物質的な視界だけの話ではなく、『生きる際のマインド』や『精神面』、『視野』にも作用します。

 

 

メディアの精神作用

基本的にメディアというものは、〈都市型の情報〉です。

なぜかというと、何か特定の事象についての報道を展開しているからです。

 

政治やゴシップ、犯罪、各種お客の不安を煽れる諸々。

これらの情報が一様に「不安を煽れる内容」なのは、その方がセールスを稼げて利益が上がるためです。

『金を払ってまで不幸を買っている氣分はどうだ?』なのです。

 

つまり、初めからフォーカスをして考えるように指定された情報だ、ということですね。

『フォーカスして考えるように指定された情報』を繰り返して触れていると、フォーカスして考えることが当然になり(考える、ということはある程度フォーカスするものだけど)、なんでもかんでもフォーカスして考えてしまう。

 

しかも、触れているその情報が不安を煽るように作られているものだから、不安が大きくなり、その不安にすらフォーカスをしてしまう。

 

不安にばかりフォーカスして考えてしまうと、視野が狭くなり、考えても不安しか生まれなくなり、次第に不安に支配される。

 

そんなうちに、うつ病のできあがり、というわけです。

もちろん全員が全員ではありませんよ。

 

なんとも悪どいなと思うのは、視界的な意味でも精神的な意味でも、都会は〈都市型の情報〉で溢れているということです。

存在して、その双方が混在して、相互に作用して〈都市型の情報〉の効果を強固にしていく。

 

 

しかも、このインターネットというものや、スマートフォンというものも、それらを用いて映し出すもの、そしてそれ自体が〈都市型の情報〉ですから、危険なのです。

ましてやその二つに支配されている現代ですからね。

理性を保って距離をとらなければ。

この問題は意識していないと、案外難しいものですよ。

すでに大衆に染み込んで染脳していますからね。

 

 

氣を抜かないでくださいね

わたしは基本的に『両方が必要で、大体半分半分の割合が良いんじゃない?』と考えているのですが、今回話したお話に関しては〈都市型の情報〉は劣勢に保っておく方が良いと考えております。

 

ユダヤの数字』とも言われる78:22の割合くらいがちょうどいいのではないでしょうか。

78に自然的な広域に観て、残り22はフォーカスをする。

これが逆になると、いろいろな精神的疾患や不安症に見舞われると思います。

 

それを逆にしようとしているのが、現代だと感じます。

 

わざわざ逆にしようなんて思わなくても、氣を抜くといつのまにか形成逆転しているんですから、【観る】意識を忘れてはいけません。

 

精神を、どうか健康に保ってください。

他人なんて当てにしてはいけません。

 

どうか愉しく生きて、生きた後にしっかりと死んでください。

 

 

 

ありがとうございました‪‪( ¨̮ )‬