頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

勘違い

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

以前わたしは『言葉』の話の記事で、「言葉って結構残酷に淘汰されるのではないか?」みたいなことを書きました。

floodinhead.hatenablog.com

 

また『長い期間残っている言葉というのは、ある種真理の一端を含んでいるのではないか』とも書きました。

その氣持ちは今でも変わりません。

 

その時には言及していなかったのですが、「やばい」という言葉はなんだか知らないうちに、結構な間残っていますよね。

つまり、『「やばい」という言葉』にも、ともすれば〈真理が含まれている〉のではないか?と思っていました。

 

 

結論から言いますと、違いました。

 

 

単純にいろんな物事に対しての形容詞を知らない人間が増えただけだったのですね。

 

おいしい、危険、あぶない、善くない、良い、素晴らしい…。

 

上記した言葉だけでも、一切難しい言葉ではございません。

そのほかにも、「やばい」という言葉が代用されている言葉は多くあります。

 

上記した「決して難しい言葉ではない言葉」ですら、使えなくなった現代人です。

 

だからこそ、「単純に現代人の知力が低下した」から『やばい』という言葉が残っているのですね。

 

全く愚かだと感じます。

 

 

また、現在は『評価主義経済』というものへ移行していると言われています。

この『評価主義経済』というものを端的に説明しますと、「いい性格でみんなから好かれる人間が得をする」みたいな感じです。

 

後出しジャンケンになるので、クソだせえですが、わたしも2017年くらいから「将来的には、その人が持っている宗教性(この人と一緒にいたいと思うような感じ)が重要になってくるな」と思っていたので、なんら不思議ではないですね。

後出しジャンケンになるので、クソださいですけどね。

 

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こちらの動画の6:00~6:30でも言及されていますが、『外見が良ければ、内面も好いはずだろう』などと本氣で思っているのなら、本当に現代人は知力が低下しきっているのだろうと思います。

 

面が綺麗でも内面が地獄の如し人間もいますし、面は地獄でも内面は桃源郷な人間もいます。

汚いものや部分に触れたからこそ見出す綺麗さもありますし、綺麗を求めるが故に生み出される汚く醜いものもあります。

 

『綺麗は汚い、汚いは綺麗』なのです。

汚いは汚い一辺倒、綺麗は綺麗でしかない、みたいな薄っぺらい世界じゃないんですけどね、世界って。

 

しかしどうやら、それが理解できない人間が増えているみたいです。

聞くところによると、ですので実際に見たわけではないですけど、知性が減っていっているように感じます。

 

スマートフォンもとい、携帯電話や機械に依存・支配されてきた、ここ十数年は緩やかに人類白痴化が進んでいたように思いますが、ここ二年くらいでその速度が早まってきたような氣がします。

 

二年前にはなにが起こったのか。

 

 

そんな現代人こそが、『やばい』と、わたしは感じます。

 

 

 

とまぁ、果たしてこうやって『大衆の知性は確実に減っている』と断言しているわたしも、確実に知性が目減りしていっていると思います。

 

『断言する』ことは、視野が狭いことの象徴ですからね。

 

ほら、こうやって断言していますしね( ¨̮ )

 

結局『自分にもあることしか、氣付くことができない』んですよ、結局。

 

ほらまた断言した( ¨̮ )

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )