頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

【さながらJAZZ】八十八ヶ所巡礼『SYG88』レビュー【JAZZ】

 

本日もご訪問ありがとうございます。

今回は八十八ヶ所巡礼さんのアルバム『SYG88』のレビューでございます。

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SYG88

SYG88

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先に言っておきたいのですが、いつもわたしが八十八ヶ所巡礼さんのアルバムをレビューする際には、歌詞に込められた意味や意図などを、わたしなりに解説していたのですが、このアルバムに関しては何にもわかりませんでした。

それこそ、

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なのではないか?と思いました。

 

正確には「このことを言っているのかも?」と思う部分はあったのですが、それが確信まで強くならなかった、というのが正しいところです。

なので、これまでみたいな『ここでこう歌っているのはこういう意味で、これはここで作用してこうなって…』みたいなまどろっこしい左脳解釈的な解説はしません。もはやできません。わからんかったからね( ¨̮ )

 

しかし!

別の部分ははっきりとわかりました。

 

このアルバムはジャズです。

 

 

『JAZZ』

ジャズの本懐というものは、本来、音樂(樂器)を用いて自分のスキルを提示しあいセッションする、ある種では喧嘩をふっかけるものです。

 

「こんなアプローチどうよ?」であったり、「なるほど、そうくるか。ならばこっちはこう攻めるぜ。さあどう出てくる」といったような駆け引きして切磋琢磨を愉しむ手段としてのジャズ(音樂)であり、セッションなのですね。

 

そういった『純粋な音樂』や『音樂が持つ純粋な純粋性』が、このアルバムにはとても濃く抽出されていたと感じます。

一言でまとめると、『JAZZ』

そして『最・高♨︎

 

 

ano世love

この曲を初めて聴いた時の印象はRage Against The Machineでした。

 

Rage Against The Machineというバンドは、メンバー個々に全く別なバックボーンと音樂的嗜好があるけど、ある一点の共通点(理想)だけで繋がっていたとても稀有なバンドだと思っているのですが、この曲もそんな『それぞれ別々なパーソナリティを持った個人、普通に生活していたら絶対に交わることがなかった三人が奇跡的に組み合わさった感』を感じるのです。

 

この曲はこのアルバムの中でも特に曲の芯みたいなものを共有している感や、その芯自体を感じますからね。

 

あと単純に曲がかっこいい( ¨̮ )

2:02くらいから曲はブレイクに入りますが、ここでライドシンバルを叩いているフレーズはKornさんのBlindをサンプリングしたのかしら?


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悟ri + time

この曲を初めて聴いた時に感じたのは『分裂』です。

一曲目が「各パートが芯を共有していた曲」だったのは先に書いた通りですが、この曲はもう笑っちまうくらい各々が好きなことをやっています。

実際わたしは笑いました( ¨̮ )

 

そんな樂曲の中で『プルシャ』という言葉が出てきます。

わたしはこの言葉を知らなかったので調べたのですが、ヨガの界隈では有名な価値観だそうで、『魂』や『精神』、『真我』みたいな意味があるそうです。

その『真我』であるプルシャまで逃げたいと言っているということは、〈大いなる存在〉であった状態に戻りたい・〈大いなる存在〉になりたい、という意味合いの想いだと感じます。

 

その想いを持っているのが、個人の中で散り散りに分裂した意識や精神で、その分裂している様こそが『乱ダムに云います』のセクションです。

個人の中で分裂しているから色々な意見が生まれる。

 

これらの『自己の分裂』を冷静に見つめることができたら、煩悩自体を煩悩と、煩悩自体を抱えている自分を鳥瞰的に見つめることができたら、それは確かに悟りだよなぁ、と聴いていて思いました。

 

マーガレット廣井さんは『仏滅トリシュナー』で「無感情を恐れる事でさえ煩悩であり辛い」と歌っていましたが、その〈己が煩悩を抱えている事実〉を知って直視する事は一種の悟りである、という意味合いですね。


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マーガレット廣井さんに対して言うわけじゃないですが、人間が人間として存在している以上は煩悩から逃れることはできないんだから、そう戰々恐々と、汲々としなさんな( ¨̮ )と思います。

過去の自分にも言いたい( ¨̮ )

それもまた煩悩♨️\(´-`)/♨️

 

 

PALAMA・JIPANG


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このアルバムでこの曲を聴いた時に想起したのは、Queenさんの『オペラ座の夜』というアルバムに収録されている『The Prophet's Song』という曲です。

この曲の3:31~5:55までのセクションです。


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オペラ座の夜(SHM-CD)

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この曲はYesさんのアルバム『Fragile』のアルバム全体の空氣、プログレの妙Σみたいなものがとても凝縮されているような樂曲なのですが、『PALAMA・JIPANG』の冒頭部分(PVではカットされている部分)にそのプログレ氣分をとても感じました。

 

混沌や妖氣や怪奇っぽさ、得体のしれないものの中を覗く、その中をおっかなびっくりで進むような、そんな雰囲氣に『The Prophet's Song』に込められたプログレ氣分を強く感じました。

 

そんな混沌や妖氣、得体の知れない場所(欲望愛好家の楽園)をおっかなびっくりで進んだら、開けた場所に出た。

混沌の長いトンネルを抜けると欲望愛好家の楽園だった。

 

そうです!抜けた先こそが『欲望愛好家の楽園』だったのです!

 

そんな一種の爽快感?がPVでの曲始まりになっている「タカタカタカタッ、キャーッン!」なのです。

初めて聴いた時にMAJIで「わぁー!!!抜けた!!!!」と思いました( ¨̮ )

 

 

『浮世ほどの地獄なんてない』とわたしも強く思う次第ですが、そう浮世を地獄かどうかと認識するのも『難攻不落の気分次第だしね』って思います( ¨̮ )

 

意味のないものに必死にせっせと意味をつけるのが人の常、そうやって意味のないものに意味をつける事で安心して生きてきたのが人間だから、結局のところは「好きに生きたらいい」と思います\(´-`)/

 

 

delusion喪黒

この曲はなんとも妖しい雰囲氣を纏ったお曲です。

イントロのドラムフレーズで、スネア(「ドッタン」の『タン』って音がする方)にかかったリヴァーブがなんともMAJIにMAJIで絶妙Σがすぎるので最高に氣持ちいいですし、そのエフェクト具合がこの曲の怪しさをより一層の高い場所へ持ち上げているのです。

 

この曲はマーガレット廣井さんのベースはずっと同じフレーズをリフレインしています。

他のパートも好き勝手しています。

分裂再び!

『粋NALI』も分裂してたけど!

 

今氣づいたんですが、この世は自分が見て思い込んでいる妄想なだけであるわけですが、このことを歌っているのかしら?

色んな苦しみも、所詮は自分がセルフサービスで用意している妄想でdelusionであるわけで、その自分が用意した苦しみを自分で体験して四苦八苦しているセルフSMな諸君らが活き活き生きているこの世なんですが、そういうことを歌っているわけなのかしら?

floodinhead.hatenablog.com

 

考えすぎ\(´-`)/

 

 

幽兵衛no幽鬱

最高!!!!!!!

なんなんですか、この最高な曲は!

もうわけわからん!

ただ一つわかるのはこの曲が最高で、八十八ヶ所巡礼というバンドが最高だということだ!二つだ!!

 

樂曲Time 1:53~5:43まで続くなっげえギターソロがありますが、ここでリズム隊はずっとずっっと同じフレーズをリフレインしているんですよね。

ここで「仲良く喧嘩する類のバトルしてるな」と思ったのですが、「もしやこれはジャズにおけるセッションなのではないか…?」と感じ、「なるほど!このアルバムのテーマは『ジャズ』なのか!!!」と思い至りました。

 

冒頭に説明した通り、ここで用いているジャズの意味合いは『コード進行やトライ・トーンとかのメロディワーク、6/8拍子のスウィングなどのリズムとしてのジャズ』ではなく『ジャズという音樂が本来持っているスピリットとしての意味』です。

メンバー同士が互いに挑発し合い、焚きつけ、その相乗効果で切磋琢磨を生んで、バンド自体を次の段階に押し上げている様が、このなっっっがいギターソロの、その裏でリズム隊が繰り広げているセッションで、さながら轟々と燃え上がる炎のように感じるのです。

 

必死にアホくさい言語を並べ立てて説明しましたが、端的な表現にすれば最高ってことですよ。

非言語手段である音樂という芸術に対して下位に位置する言語では、満足な表現ができるわけがないんです。ジレンマ。

この素晴らしさを体験するには実際に聴いて体験して、血を湧き起こさせて細胞の霊魂の喜ばせるしかありません。

 

 

八十八ヶ所巡礼というバンド

表現っていうものはいくらであります。

このブログみたいに言語という不完全な形態を用いる手段もありますし、自身の体躯を駆使して表現する手段もありますし、何かに描きつけて非言語で表現する手段も、樂器を用いて非言語な手段で表現する術もあります。

 

きっと八十八ヶ所巡礼のお三方なら別に音樂という手段を用いなくても、うまいこと外に出せるんだろうけど、音樂が一番愉しいし一番純粋に発散できるから、『音樂が目的として確立している』から音樂をしているんだと思います。

そんなお三方は『自分が表現したいことを、個人的に一番樂な音樂という手段を用いて表しているんだけど、音樂でないと表現し得ない部分まで使って表現している』そんな奇跡すら感じるんですよね。八十八ヶ所巡礼ってバンドからは。

 

そんな存在を音樂好きな人間が愛さないわけないじゃないですか( ¨̮ )

音樂を目的ではなく手段として用いている人なんかよりも、よっぽど、本来の意味で、尊いですよ( ¨̮ )

 

まあ音樂を手段にしている人もそれはその人の自由なので、わたしの伺い知る部分ではないですし、ご自由に生きたらいいと思います( ¨̮ )

人生は自由さ( ¨̮ )

 

 

しかしそんな八十八ヶ所巡礼というバンドは、収録されている最後の曲でそのアルバムのコンセプトを示すのが上手でいらっしゃいますね。

『0088』は〈難攻不落の気分をうまくロデオしてコントロールできたら、この四苦八苦な世だって極樂にぶっ飛べるんだせ〉でしたし、

floodinhead.hatenablog.com


『攻撃的国民的音楽』は〈「確かにしょんぼりすることも多いけどさ、でも、本当に大事なものは他人に明け渡したらダメだよ。絶対に」という叱咤激励〉でした。

floodinhead.hatenablog.com

 

『日本』はニーチェ哲學の〈永劫回帰

floodinhead.hatenablog.com

 

 

『幻魔大祭』は〈狂ったこの世界とのはっきりとした決別の意思表示〉

floodinhead.hatenablog.com

 

『凍狂』は〈『どうにもしょんぼりしてしまうな、確かに立ち直れないかも。確かにこのイカれた世界に泥んで、そのまま自分もイかれちまった方が楽かも…。。  …でも、そんな風に流されてトばされたら絶対後悔する』という自己を確かに取り戻して確信する作品〉でした。

またボーナストラックまで含めたら〈『イカれた世界すらも受け入れて、妙と尋常の表裏一体の間で感情の揺らぎすら愉しみましょう』という、ある意味合いでの覺悟を感じる作品〉でした。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

1stの『八+八』に関してはなんもわかりませんでしたけどね( ¨̮ )

今でもちんぷんかんぷんです( ¨̮ )

floodinhead.hatenablog.com

 

 

残すは『○△□』のみです!( ¨̮ )

どんなテーマが冠された作品なのでしょうか( ¨̮ )

 

愉しみに\(´-`)/

 

 

 

ありがとうございました\(´-`)/