本日も閲覧ありがとうございます。
今回は来たる2021年八月十八日(大安)に発売された八十八ヶ所巡礼のNew Album『幻魔大祭』レビューをいたします。
発売当日は祭りでしたね(当者比)
幻魔大祭
『幻魔大祭』は八十八ヶ所巡礼の通算八枚目のフルアルバムです。
非常にコンセプチュアルな作品でした。昨今の騒がしさが反映されていましたね。
初聴一巡目の感想としては、「やはりマーガレット廣井さんはマジョリティと昨今の阿呆らしさに氣づいている人じゃねえか…?」です。
解説していきます。(10000字超えました)
音楽最高。
彼らが生きる世界で生きれてよかったよ。
『攻撃的国民的音楽』と『凍狂』のレビュー
JOVE JOVE
全体的ではなく曲の要所要所で薄く咬まされるベースワウが、この曲のお祭り騒ぎ感を際立たせていると思います。
しかもメインの音はナチュラルな音で出力されているので、ステレオで録ったのかベースを重ねているのか。別で録っている線が有力ですね。
もしかしてベースワウじゃなくてギターワウのダブって可能性ある??
CD聴くまで氣付かなかったんだけど、1番ってサビに入るまで曲始まりからベース入ってないのね。
しかもオールインした時(サビ)のプレイがオクターブ奏法というのも、四つ打ちの曲と合っていてすっと聴ける(他のセクションは変態)。
この聴きやすさは今年の紅白出場決定だな。
楽曲冒頭の歌詞カードに書かれていない語りの部分、全部を聴き取れたわけではないですが、
「いらっしゃいませ いらっしゃいませ/今日の??は横ばい??/人殺しは自殺を模して、誠にありがとうございました/??愉快に禁物??」と言っているのでしょうか?
愛すべき酒飲みSONG。
YEAH 鬼のJUNKIE TENSION(中毒者の感情)
YO 罪の酒場で安心
YEAH 恥の輪廻転生
解き放ちたいのさ
米カッコ内は意訳です米
アルコールを欲して鬼のごとき感情になっている中毒者。
アルコール中毒者が酒を飲むのは咎められがちだけど、その罪を犯すことができる(中毒症状からの解放)ので安心。
「アルコールを摂取し続けているという恥」の輪廻転生。
恥を輪廻転生させて明日の自分に任せたいという感情?と、恥の感情から自分を解き放ちたいという感情のダブルミーニング?
それとも、こういったアホをミスリードさせるためのトリック?
『博愛主義GENERATION』というのは言葉そのままの意味でもあるし、何に対しても無関心な若者世代(いつよ?)への軽揶揄の意味であったりする?
もしくは「博愛主義」と嘯いている人がアルコール中毒者を批判でもしていたのだろうか?
そんな「博愛主義」なら酒飲みの感情も愛せるでしょ?という主張?
博愛主義といえばイエスさんが思い浮かぶ。
アルコールに溺れている現状は現状でしかなくて、その人がどうしてアルコールに溺れるようになったかの経緯を知らないといけないのだけどね。
しかし、わたしのようなアルコールに溺れる覺悟がない者からすれば、アルコール中毒者の方はすごいと思う。
これは莫迦にしているのではなく、本当にそう思う。
怒喜怒気
イントロでこれでもかというほど繰り返されるリフが氣持ちいい。
こうも安定して弾けるのかめっちゃ上手い最高じゃん。
結構ガジャッとしたfuzzyでガツっとした音だけど、ドラムが入ってくるに合わせてギターの出力レベルを下げて悪目立ちしないようになっているのも上手いですね〜。
歌入りした時のメロディがすごく爽やかで新参者ながら意外だった。
「頓珍漢 こんな感じの」で『頓珍漢さ』を音で表現しているのは楽しいですね。
「パ〜♪パ〜パ〜♪♪」のタイミングで歌詞カード色の草原に花が開くイメージが浮かびました。
このテンポの速さと賢三さんのドカドカとパワフルなドラミングが曲の「ドキドキ感」と「言いようのない焦燥感や怒り」を効果的に演出していると感じました。
サビの「なんてしんどいんだろう?」のファルセットが滑らかでとても心地良いです。
主メロの歌は滑らかでシルキーだけど、ハモりの歌がバイオリンとかチェロとかに使う弓の音のようなかすれがあり、その二つが重なり絶妙なフックになっている。
この曲、特に曲のエンディングはライブで腕を振り上げたいです。
嗚呼
剽軽で低級な
法螺が見抜けない
堕落したい
浮かれ心地で
これは例の「けったいな熱」のことだと感じました。
「剽軽で低級な法螺が見抜けない人間に、堕落したい、浮かれ心地で」ということじゃないかなと思います。
嗚呼
そっちじゃない
こっちみたい
愚図がささやく
懲らしめたい
嵌められる度
「愚図がささやく」が左chでも重ねられているのもいいですね。
「そっちじゃない、こっちみたい」も脳内での声とも取れますし、SNSや街でふと耳にした噂としても取れるのが上手いですね。
でも「懲らしめたい、嵌められる度」と歌っているということはSNSかな?
決めたのは自分なのにね。
そんな自分の決定を「自分の決定」と飲み込めない多くの日本人を風刺した歌詞ってこと??
M. O. 8
イントロのギターリフがオールインのタイミングでベースが引き継ぎ、サビとギターソロを除いたセクションで曲の最後まで続きます。
これが解消できないモヤモヤがずっと続いている感を表現している。
その上にギターが縦横無尽に動き回り、新規のモヤモヤが絶え間なく生み出されている。
こんな思考ばっかりだとそりゃしんどいだろうな。
SENSETION無い!(感覚が無い!)
酩酊 MANUKE合戦!
あーもう頭の中 身体の中
M!O!8!
───
闇なんてまだCATCHYだね!
───
いいたいこといったもん勝ち?
低級民なら?
現在地ばらす!
電脳GIMME少女!
あーもう!身体の中!心の中!
M!O!8!
───
このままでいいのかな?
そのM.O.8.でいいのさ
M!O!8!
───
健全に解脱!
人間FUNUKE作戦!
やりたいことやったもん勝ち!
全員死ぬから!
『SENSETION無い!』
酔っ払って感覚がない。
感覚ないけど頭の中、身体の中がモヤモヤで満たされてる。
って意味かな?ここに関してはお酒のことで相違ないと思います。
『闇なんでまだCATCHYだね』は「あぁ!確かに!」と思いました。
闇は光を当てたら闇じゃなくなるけど、モヤモヤはどうしたってモヤモヤですものね。
あと世の阿呆たちが『闇』っつう言葉を簡単に使いすぎてキャッチーなものにしちまったもんね。
『いいたいこといったもん勝ち?低級民なら?』というのはSNS?流石に安直すぎる?
"上級国民"というあの言葉から発想された言葉かなぁと思います。が、言いたいことでも言わんほうが良いこともある。
わたしが言っても説得力ないけどね。
『現在地ばらす!電脳GIMME少女』はまぁSNSでしょう。それに付随して携帯電話等のデバイス。GPSですね。
ここが上手いのは、1番で「あーもう頭の中 身体の中 M!O!8!」で歌っているから、2番も『頭の中、心の中がM!O!8!』だと思ってしまうことです。
でも「現在地ばらす!」と歌っているため、『身体の中と心の中』も電脳にバラしている意味もかかっているんですよね。歌詞の書き方がMAJI上手いですよね。
『このままでいいのかな? そのM.O.8.でいいのさ M!O!8!』
モヤモヤってのはあると不安だろう。そうだろう、わかる。
でもその"モヤを解消したい"という渇望に入り込んでくるんです。
なので、モヤモヤは無理に解消しなくていい。というより、無理に解消しないほうがいい。
そのM.O.8.でいいのさ。
『健全に解脱!人間FUNUKE作戦!やりたいことやったもん勝ち!全員死ぬから』
人間FUNUKE作戰は色々あるけど、大抵GHQが指揮していますよね。
「全員死ぬ」という『至極当然』のことから目を逸らされている現代MANUKE現代。
その当然の自然を恐れて、貯金だの保険だの長生きだのに奔走される人々。
それってやりたいこと?やりたいと思わされているって可能性は考えたかい?
そういった「常識」とされているみたいなことが人間FUNUKE作戰であり、それを取っ払って、魂が欲することをやったもんが勝ち。それをやったもんから先に『人間FUNUKE作戦』を健全に解脱できるぜ!M!O!8!
『表と裏とM.O.8、光と闇とM.O.8』というのも、なんでも二元論に逃げがちなMANUKE現代への"もう嫌"なのかしら?
「白か黒か」の二元論で話してるうちはなにも解決しませんからね。
グレーや、グレーっぽい白や、黒に限りなく近い白も存在するわけですしね。
二元論で考えるように刷り込んだのも人間FUNUKE作戰なんだな。
マーガレット廣井さんはどうしてこのベースラインで歌を歌うことができるのだろう…。
OH! SOJI!
タイトかつダイナミックなグルーヴに細胞がサンバカーニバル
ちょっとRed Hot Chili Peppersの雰囲氣を感じました。直感。
ベースの音もどこかフリーっぽい感じがする。直感。
バスドラとベースとの音がすごくマッチしていて、グルーヴがとても小氣味いい。
リズム隊に乗っかるギターのカッティングも、左右に振られているダブの効果でビニールっぽい音になっていて氣持ちがいい。
同じフレーズをリフレインしているのが印象的なこの曲ですが、それが「お掃除」という「反復運動」、また「場所が変わろうとすることは同じ」ということの表現をうまく成していると感じました。
曲冒頭で咳払いが入り、そこから「お掃除しましょ」と発展するのもウィットに富んでいて面白い。
途中のロケット発射はわからん。
ぼんやり抱えていた謎は
突如弾ける
硬く絞った雑巾で
僕を磨こう
───
捲し立てて騒ぎ立てて拭い去っても
奥まで届かない
噂だけで電波だけで繋がり
ぎとぎとこびりつく
───
硬く絞った雑巾で
僕と磨こう
───
孤独の群れが列をなして
安い麻薬に甘えていた
闇を暴いたお姫様は
事故に見せかけて殺された
BUGる大衆と白うさぎ
『ぼんやり抱えていた謎は、突如弾ける』
これはあるあるですね。「なんだろうなんだろう」とウンウン考えていたことが、全く関係ないことをしている時に閃く。本当に閃くとしか言いようのない感覺。
じんわり弾けることもある。
夢の中で「この世の真理」じみたものを見るのもあるあるです。
「続き…続きを見せてくれ…」と二度寝を決め込むとそっくり忘れていて、「どういった真理だったか…」と頭を悩ますまでがセットです。
『硬く絞った雑巾で、僕を磨こう』というのは、自分の中で弾けた謎の真偽を強固にするために、自分が持っている仮説と反対のことを仕入れて精査することかな、と思いました。
最近感じたのですが、自分の考えを強固にすることなんて簡単なんですよね。
自分の考えを脅かす意見を見つけて見つめることは、苦しいけど簡単。
その「苦しくて必要なこと」のことが『硬く絞った雑巾で僕を磨く』ということなのだと思いました。
『捲し立てて騒ぎ立てて拭い去っても、奥まで届かない』
これは読んだ通りの意味でしょう。
いくら顕在化された情報を大衆が騒いで公にしようとも(したつもりでも)、指揮した人間やネタ出しをした人間は人目につく場所に出てきませんものね。
『噂だけで電波だけで繋がり、ぎとぎとこびりつく』
これはよくよく起こり得る注意が必要な現象ですよね。
なんの世界でも、自分が欲しいものばかりを求めてコミュニティがクローズ化するのはよくあるやつですね。
一歩間違ったらそこから抜けられなくなったりもするので、風通しの良い状態にはしておきたいものです。自戒。
『硬く絞った雑巾で、僕と磨こう』は上記した意味と同じですが、『エイトビイトな人々(アルバム「攻撃的国民的音楽」収録)』の、Cメロと同じ構図ですね。
ふにゃふにゃにされた人々
くしゃくしゃになったエイトビイトを
へとへとに慣れた人々
あやふやになったエイトビイトを
でたらめに慣れた人々
がらくたになったエイトビイトを
うやむやにされた人々
ギラギラ光ったエイトビイトを
さ が そ う ぜ
さ が そ う ぜ
『僕と磨こう』と歌っているけど、決定権はその人に委ねている。
しかし、自分の意見が脅かされるかも知れない情報と対峙するのはカロリー使うんだよなあ。
『孤独の群れが列をなして、安い麻薬に甘えていた』
これって各種ストリーミングサービス?
『闇を暴いたお姫様は、事故に見せかけて殺された』
これはダイアナ妃のこと?闇ってトカゲ?もしくはAviciiの原因と言われていること?
どちらの闇も噂程度の信憑性ですけれど。
『BUGる大衆と白うさぎ』
これ上手く意味がかかってるなあと思いました。
「大衆が不具合になる」という意味のバグと、「コロニーを維持するためにBUG(虫)になって働く歯車」という意味のバグです。
何度か歌詞に登場している「働き蜂⑧」のことですね。
「白うさぎ」は『不思議の国のアリス』かな?それとも例のドラッグ?
まぁアリスかな。白うさぎを追って不思議の國に迷い込んだわけだし、民が白うさぎを追って現世(不思議の国)に迷い込んだって感じかな。
わかんね( ᐛ )
慧光
初聴きの時『OH!SOJI!』と同じ時間軸かな?と思った。
音から「決して広くない自室に居て、舞っている埃が太陽光でキラキラ光っている風景」が見えたから。
それと、歌詞の感情が同時間の表裏っぽく思ったから。
マーガレット廣井さんの雄叫びがいい味出してますよね。
エンディングで同じセクションが来ますが、雄叫びとギターとが呼応しているのもいいですね。
この曲はマーガレット廣井さんの歌声のえぐみ?みたいな声の癖がすごく効果的に反映されていると思います。
曲全体に流れる虚無というか閉塞感というか、言いようのない焦燥感みたいなものの強化をしてくれているように感じる。
また、歌から『世界への乾いた諦観』を感じるのも曲の世界を強固にしていると思いました。
この歌の主人公は生きていてほしいな。
問い続けるもんだ
伝えたがるもんだ
酔い切れないもんだ
正気でいたいな
───
凶悪な言葉が
轟音で木霊するし
歪んだ価値観が押し寄せる
いかれた世でもどうかご無事で
『問い続けるもんだ、伝えたがるもんだ』
これはわたしですね。このブログですね。
自分の中にある外の問題を問答し続ける。その結果を聞いてほしい。
寂しいやつだな。
『酔い切れないもんだ、正気でいたいな』
これもダブルミーニング。
「アルコールに酔い切れない。アルコールに頼らず正氣でいたいな」という意味と、「世間様の狂った阿呆らしい流れに酔い切れないな。酔い切れたら阿呆らしいとも思わないのにな」&「でもやっぱりそんな阿呆らしい世間とは別に生きて(世捨て人と思われようと)正氣でいたいな」という意味かなと思います。
マーガレット廣井さんはダブルミーニングの使い手ですね。
『歪んだ価値観が押し寄せる、いかれた世でもどうかご無事で』
この歪んだ価値観というのが、世間様で言われている「常識」とか「流行」というもの(前述の『狂った阿呆らしい流れ』)じゃないのかなと感じました。
そんないかれた世でもどうかご無事で。
厭世ソングだよなぁと感じましたが、この主人公は自死を選ぶ直前なのではないだろうか。
『凶悪な言葉』というのが自死を嗾す脳。
「自死を選んだ主人公の曲」と考えれば『いかれた世でもどうかご無事で』という言葉も合点がいく。
考えすぎです。
IT'S a 魔DAY
前奏がめちゃ長くて戸惑った。
「あれ?この曲歌詞あるけどもしかして『自分の心の中で符割り決めて歌う』類の曲!?」とか思っていた。(そんな曲あんの?)
ちゃんと歌があった。
〜脳みそなんていらない♫〜 のエフェクトのかかったボーコーダーっぽいセクションがとてもcali≠gariっぽいと思った。
あと演奏に対して語りでアプローチするというのは、ロック界隈特有の文化なのでしょうか?わたしが聴いて育ってきたジャンルでは馴染みない。
その語りと1サビ終わりの間奏にあるコーラスワークでindigo la Endを思い出しました。川谷絵音さんは天才です。
今日も異常だな!
笑った!
桃源郷がらがらさ!
───
混沌に酔った奴らが
憂さ晴らしに大嘘をばらまいた
───
業!業!IT's MAD DAY!
『今日も異常だな!笑った!桃源郷がらがらさ!』
これは酒場の事でしょう。そして実体験ではないでしょうか。
『混沌に酔った奴らが、憂さ晴らしに大嘘をばらまいた』
これはいいですね。どちらとも取れる書き方をしていらっしゃる。
本当にどちらとも取れる書き方をしている。
これくらいどちらとも書ける能力が必要だよな。
『業!業!IT's MAD DAY!』
カルマ!カルマ!
因果応報の狂った毎日!
OH!
神@熱
曲全体にかかっているリバーヴの具合やテンポ感などが、いわゆる「熱に浮かされている」時の心情っぽいなと思いました。
ベースの音も面取りがされて意図的にボワっとさせ、アタック音を目立たないようにしたアップライトベースに似た音作りになっていたのも、その「発熱感」や発熱時特有の「けだるさ」みたいなものを上手く表現していたように思います。
熱でぼーっとするのに思考だけはやけに明瞭というのもあるあるですよね。
正気な僕らが莫迦にされていく
わかっているかと
陽気な奴らが法螺を吹いている
無情な気分
───
目の開いた姿で誇らしく踊れそう
───
右だ 黒だ 赤だ 左だ
白だ 鳩だ 鷹だ 黄色だ
好きだ 嘘だ 無知だ 嫌いだ
呑み干しゃあいい
『正気な僕らが莫迦にされていく、わかっているかと』
『陽気な奴らが法螺を吹いている、無情な気分』
ここらもどっちにも取れる歌詞です。多分双方が相手に対して『無情な気分』を感じているのでしょう。
そういった方々の心情を、マーガレット廣井さんが自身に乗っけて書いた歌詞かも知れないですけどね。
『目の開いた姿で誇らしく踊れそう』
これは『赤い錠剤と青い錠剤』的な意味かなと思います。
「誇らしく踊れそう」というのは文字通りダンスという意味もあると思いますが、比喩の一つで、「松果体が開いた状態で生きていく」ということなのかなと感じます。
『右だ 黒だ 赤だ 左だ 白だ 鳩だ 鷹だ 黄色だ 好きだ 嘘だ 無知だ 嫌いだ 呑み干しゃあいい』
これはわざわざ言わなくてもわかると思いますが、主義思想のことですよね。
保守とリベラル、人種、好き嫌い、情報が事実かどうか、穏健派か強硬派か。
そんな対立構造のお膳立てされた二元論の箱の中でいがみ合うんじゃなくて、清濁併せて呑み込めよ。と言いたいのだろうと考えます。
清濁両方受け入れたら、箱も外側から観れたりもするし、誇らしく踊れるんじゃないの。
狂感できない
曲冒頭から繰り返されるベースラインになぜか「危うさ」を感じる。言うなれば綱渡りを休むことなくずっと続けているような不安定さ。
その不安定さがこの曲の肝になる「世界への不信感」や「どうしても相容れられない世界で生きていくことの不安」を表現しているのだと感じました。
そしてベースラインから感じるうっすらとした浮遊感は、妙に浮き足立った嫌〜な感覺、「この世界にしっかりと立つことができない」ことへの不安とも受け取りました。
このうっすらとした浮遊感は、しっかりと16分を感じて演奏しているマーガレット廣井さんのテクニックがあってこそなせる技お見事という感じです。
その不安定さと、フレーズパターンのあまり変わらない重心が低いドラムの安定感(自己の軸)との兼ね合いが、この曲の摩訶不思議感を産んでいるのではないかと思います。
ギターで何を表現しているのかはわかりませんが、言うなれば体裁や愛想笑いといった表面で流動する感情でしょうか。自信はないです。
2回目の『わかんないよう(01:55)』でそれまでヴォーカルにかかっていた薄い膜のようなものが無くなってクリアな音になっているのも、主人公の抑えていた氣持ちが限界で爆発したように表現されていてハッとしますね。ずっと我慢していたんだろうな。
悪魔のしもべたちの
歌で満たされた娑婆
亡者は凍えながら
真夏を貪り狂う
───
狂感できない
狂感しない
───
この三千世界の
何処にいたって視えるもの
『悪魔のしもべたちの 歌で満たされた娑婆』
あんまり言うとイカれ野郎と思われそうだからあんまり言えないけども、ボブ・ディラン氏のノーベル文学賞受賞です。もうイカれ野郎とは思われてるか。
『亡者は凍えながら 真夏を貪り狂う』
これはいまいちはっきりとはわからないけど、「満たされていない人(亡者)が付け焼き刃で自分を満たそうとして餓鬼と化した様」のこと?自信ない。
『狂感できない 狂感しない』
「そんな狂った世界がいいとは思えない。その世界に泥むことはできない。共感できない。狂感しないよ」という決別と意思表示の意味だと受け取りました。
『この三千世界の何処にいたって視えるもの』
三千世界というのは仏教用語で全宇宙・この世のすべてという意味だそうです。
「この全宇宙の何処だろうと視えるもの」と見て、最初は海や樹々、土などの自然物のこと?と思ったけど、これって自分の身体のことか?
でも死んで思念体になったら物質の肉体は土や風になるしな。
ということは精神のこと?
それとも自身の身体と精神とを併せて視ろということか?
難しいな。
幻魔大祭 (Album Version)
曲の全体を通して流れている、「金属がぶつかることで鳴るチャラチャラ音」がこの曲の民族感を強くしているのでしょう。
あと、この曲はおそらくアルバム収録曲の中で一番シンバルなどの金物の音量が抑えられており、太鼓と金物が同時に鳴った時には太鼓の方が強く聴こえるように調整されているのも民族音楽感とお祭り感を引き立てているのでしょう。
唯一、チャイナシンバルだけ大きめの音で鳴るっていますが、それもお祭りの銅鑼的な効果や強烈なアクセントになっています。
また曲全体に渡ってかかっているベースワウの異物感も"幻魔さ"を強めてくれているなと思います。
『孤独は嫌さ 闇も残さず』の部分がなんでか好き。言語化できない。
軽韻でも踏んでるのかしら??
俺は魔族
並みの家族
割と満足
逆に天国
地上の癌へ
滅びと愛を
『狂感できない』の後にこの曲が来て心底ぞっとしたんですが、この曲は猟奇的な犯罪をした方の心情をスケッチした曲?
本当は独りきりの孤独な人物だけど、イマジナリーフレンドが沢山いて、それが家族然としている。
『割と満足 逆に天国』は「一人でも満足、逆に人と合わせる必要が無く快適」という意味にも取れる。
想像力がたくましいですね。
『地上の癌へ』という語句を聞いてなぜか相模原の事件を思い出した。
『滅びを以って愛と変えさせて頂きます』という解釈もできる。
想像力がたくましい。
まとめ
幻魔大祭を一巡して、「これはもしや、ある個人が『無敵の人』となるまでの軌跡」をパッケージングした作品なのか…?と思いました。
そういうバイアスをかけて曲を聴き、歌詞を読めば、この仮説を強固にする要素がどんどん出てくる出てくる。
というイカれ妄想も繰り広げることができる自由度の高いアルバムでした⭐️
もしそうだとしても、そうでないとしても、「無敵の人」予備軍の方には心身のモヤも苦渋も浄化されてほしいし、このアルバムがきっかけで自分を救う方が少しでも居たらいいなと思います。
音楽の楽しみ方は人それぞれですし、わたしみたいに音の芸術に御託を喚くのは邪道と思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、一つ確実に言えるのは『素晴らしい音楽だからこそ歌詞考察が捗る』ということです。素晴らしいと思えなければ聴き込むこともありませんからね。
一緒に買った『八 + 八』も、付属のLIVE DVDも未視聴なので極楽浄土キャンペーンはこれからも続きますね✌︎✌︎✌︎✌︎✌︎✌︎✌︎✌︎
八月廿八日の心斎橋JANUSで公演されるLIVEもチケット取れましたしね✌︎('ω')✌︎
ありがとうございました( ¨̮ )
10000字超えて書いたのは流石に初めてだな…。