本日もご訪問ありがとうございます。
行ってきました『幻魔大祭 2023』!
何度同じバンドのLIVEを行っているのだ、という感慨もありますが、何度だって行きます!好きですもの!
👇八十八ヶ所巡礼さんについてもの👇
- 〜公演に先駆けて〜
- 開演
- 幻魔大祭
- 苦苦★念仏
- 霊界ヌ〜ボ〜♨︎
- 仏滅トリシュナー
- 女性問題ト賭ケゴルフ
- 幽楽町線
- 鬼畜
- 紫光
- 泥春前のMC〜泥春
- 脳がとろける街888
- 沙羅魔都
- 奈落サブウーファー
- M.O.8
- 攻撃的国民的音楽
- 日本
- アンコール
- 八十八銀行
- 目と耳 ~おしまいに~
〜公演に先駆けて〜
この日は2023年2月16日に堺ファンダンゴで開催された『仏滅ナイト!』を共に観てくれた友人と共に観ました。
ヒジョ〜に余談ですが、2022年の12月4日に開催された幻魔大祭2022(『大・仏滅ナイト!!』の応募数が多すぎて、急遽『小・仏滅ナイト!』が開催された公演)にて発生したKatzuya Shimizuさんの機材トラブルに対して、マーガレット廣井さんが「スピーカーがボロい!」と言っていたので、その時に箱の怒りを買ってないかな?などと勝手に戰々恐々としていたので、ちゃんと次のブッキングがされて安心しました。
ちなみに、公演のある数週間前のある日、友人と飲んだ際に「正直、"『仏滅ナイト!』を観たら次はいいかな" と言われると思っていた」と言ったらば、「通常運転の公演を観たくなった」と言われました。
ちなみに(Part Ⅱ)、開演前、友人に「"仏滅"の時は人間の八十八ヶ所巡礼さんだったからどっちかというと突き放した感じだったけど、今日は魔族の八十八ヶ所巡礼さんだから前よりもfriendlyだと思うよ」と言ったら「どういうこっちゃ」と笑われました。
そらそう‾\_(ツ)_/‾
開場入りを済ませ、本日はPA卓のすぐそばで鎮座。
この時に初めて氣付いたのですが、BIG CATってPA卓と照明卓が分かれてるんですね。
大抵の箱って同じ場所にありますからね。なんばHatchとか。
それを友人に話したら、「照明はより全体を観ないといけないはずだからね。演劇の会場でも照明卓は結構上の方にあるしね」との解答。
確かに。
そのほか、こちらでは決して書くほどではない世間話をして、予定時刻より5分押しで開演。
開演
いつもの登場SEが流れます。
いつもと違うのは、自分がいる場所と会場の大きさ。
自分から見て、ステージまでは距離があるため、なんというか、SEの効果もあって鬱蒼と茂るジャングルの中をかき分けかき分け一歩づつ進んでいるような錯覺を憶えました。
あと劇場的なスクリーン感。
ほら、パーカッションで鳴っている手持ち鈴の「シャラララララ…」の音も、風で木立が騒めいているかのようです。
そんな朦朧倒錯の思いで歩けば、いました。
頭に象の冠を被った霊長類です。
いい加減ふざけるのはやめますね。
この間に公開された『沙羅魔都』のPVでお召しの衣装でメンバーの皆様が登場です。
Kenzooooooooさんはいつもの上裸に象の御帽子。
Katzuya Shimizuさんは『八十八夜ナイト!!』の時の衣装(つまり『沙羅魔都』の衣装)ですが、一本線のcyberなサングラスではなく、いつものサングラス。
マーガレット廣井さんも『沙羅魔都』の衣装(お猿さん?の帽子付き)で登場。
そのまま『幻魔大祭』へ
幻魔大祭
この日の『幻魔大祭』も、いつものように、ちょっとゆったりめのテンポ→原曲よりも早めのLIVEアレンジ→最後はまたちょっとゆったりめのテンポに戻るという曲運びで演奏されました。
登場SEでジャングルを想起しちゃったため、鬱蒼と茂る木々をおっかなびっくりでかき分け進むと(ちょっとゆったりめのテンポ)、魔族のお祭りが開催されてた!愉しい!(原曲よりも早めのLIVEアレンジ)
(ちょっとゆったりめのテンポ)でも、あれ?ここは、お布団の中?
な〜んだ夢だったのか(マーガレット廣井さんのベースエンディング)
といったような『魔族のお祭りは実は夢でした』みたいなストーリーを想起したりしておりました。
変な感想書いてないでちゃんと演奏を聴け。
苦苦★念仏
「『幻魔大祭』で起きた」などといったふざけた感想を覺えちゃったので、『苦苦★念仏』が始まったら「あぁ、労働でグル苦しぃ世を過ごしている…」などと思っていました。
ちゃんと曲を聴け。
この曲の時にわかったことがあります。
この自分がいる場所、前にいる貴様らの皆様の兼ね合いでマーガレット廣井さんが見えない!
KenzooooooooさんとKatzuya Shimizuさんはめっちゃ見える!
ということで、Katzuya Shimizu先生のギタープレイを拝む日でした(わたしはギターを嗜む故)。
この『苦苦★念仏』は曲の始まりから終わりまで七拍子がグルグルとうねり巡る曲です。
その七拍子という変拍子を、Katzuya Shimizuさんのギターは上に下に駆け巡るわけですが、あんな意味のわからない(激褒め)プレイをしているのにギターを弾く時のフォームが、とっっってつもなく美しい。
両の手首が適切な位置に置かれていて、その位置も一糸の乱れもありません。
指板を押さえる左手は、六弦から一弦までを移動するために手首が前後軸に動きますが、その前後運動にすら無駄がない、まさしく速弾きMachineの名を欲しいままにしている…。。と、そんなことを思いました。
あとお身体が細い!
『八十八夜ナイト!!』の感想回では「『霊界ヌ〜ボ〜♨︎』の照明がPVさながらだった」と書きました。
この日は『苦苦★念仏』でのステージがPVを再現していたように思います。
赤や緑や黄の照明がぱちぱちと明滅したりするさまが、あの、酩酊とぶっ飛びとを呼び出すようなPVの映像と重なりました。
愉しかったです!!
霊界ヌ〜ボ〜♨︎
なんといいますか、『霊界ヌ〜ボ〜♨︎』のイントロが聴こえてきたらめちゃぶち上がっちゃう民なのですが、つい数週間前に聴いたはずなのにこのフレーズが聴こえてきたら「きゃー!!!!!!💪💪💪💪💪」ってなってしまいますね。
最高。
この曲のブレイクパート後に、抑えめの感情で「まるで錯覚〜」と演奏されます。
ここでの演奏の抑え具合というんですか?ドラムはクローズハイハット(ハイハットは足で踏んだり踏まなかったりすることで音色を変えます。踏まないオープンハイハットだと「シャーン!」という音が鳴り、踏んでクローズにすると「チッ」という詰まった音がなります。曲が始まる時にドラムの方は大抵の場合ハイハットでカウントを出しています)で、ギターは右手でミュートして、の具合が、この日はなんというか印象に強く残っています。そのあとにくるラストサビの爆発具合の対比も相まって、とても印象が深い記憶深いひと時でした。
先の曲で演奏された樂器と、同じ演奏者だよね?同じ樂器と同じプレイヤーだよね??という疑問?を持ってしまうほどに表現の幅が広い。
『樂器というものは、そんな風に弾きや演奏の仕方によって、いくらでも表情を変えられるものなんだよな、だから樂器ってものが自分は好きなのだ』と再認識した瞬間でした。
あと!!!最後のサビで「まるで錯覚のように視覚は飛ぶ」の後にある、スネアの『ッタッタ』というところで、Katzuya Shimizuさんがギターヘッドの弦を「ッキャッキャ!」と鳴らしていて、感情がぶち上がりました。喜ぶポイントがニッチすぎる。
仏滅トリシュナー
Katzuya Shimizuさんの弦潤滑剤が、去年はスポンジで塗布するものだったのですが、今回はスプレータイプのものに戻っておりました!
曲間でマーガレット廣井さんが「日々のお勤め〜」というところで、プシューッと指板に吹き付けていましたね。
あと、回を重ねるごとに「誠にご苦労様であります」の『誠に』が増えて行っている氣がする。
「今日はどんな感情でもいいから心を動かしてほしい」的なことも仰っていたように憶えております。
女性問題ト賭ケゴルフ
曲間で演奏が二拍ブレイクしてKatzuya Shimizuさん→マーガレット廣井さんの順でソロを取るみたいなところがあります。
そこでのKatzuya Shimizuさんのアームを使ったプレイもさることながら、マーガレット廣井さんのゴーストノート(「レ」とか「ラ」とか「シ」とかの実音を鳴らさずに、左手をミュートした状態でピッキングする奏法。なぜかギターではゴーストノートとは言わない。ちなみにレラシは『仏滅トリシュナー』のサビ頭で鳴っているD9というコードの構成音)を用いた16分グルーヴのプレイがタイトかつ絶妙Σなタイム感で奏でられており、わたしはそのプレイに『両手を胸の前で手持ち無沙汰に動かす』という奇妙な仕草で悦びを表現しました。
悦びの表現が奇妙すぎるし喜ぶポイントがニッチすぎる。
幽楽町線
遮断機の音、それがこの『幽楽町線』の始まりを告げます。
この曲も『八十八夜ナイト!!』で演奏された曲ですが、この日違ったのはKatzuya Shimizuさんの鳴らす遮断機の音です。
これまでは歪みがしっかり乗った「キャーン!(実際には「キ」と「ギ」の中間くらいの歪み)」という音でしたが、この日は言うなれば「きゃーん!」という感じの音像でした。
歪みがあまり混じっていないクリーン寄りのクランチサウンド、という感じの音だったのですが、その音像がどうにも妖しく、まさに『幽』の字を彷彿とさせる音作りだな、と、そんな感想を持ちました。
"ペダル(エフェクター、ギターやベースの音を変える機械。足で踏んで操作する。さまざまいるギタリストのファンには「エフェクターになって踏まれたい」という願望を持っている人もいる)を変えたのかしら?" 程度に思っていましたが、マーガレット廣井さんの「ぎゃーー!!!!!!!」前でクレッシェンド的にギターの音に歪みが乗っていく様子を聴いて、"手元のボリュームを絞ってたのか!!!!!ぎゃーーーーー!!!!!!!!!💪💪💪💪💪💪" と歪みの量が増えていくのと比例するかのようにわたしの氣分も盛り上がりました(ギター本体のボリュームを絞ることで、歪みの量などのエフェクト効果を減らしたりなどの調整ができます)。
この曲のギターソロは、Katzuya Shimizuさんの魅力が存分に出ますが、この日はセンターでは手グセのソロ、上手では歯ギター、下手では超速度な速弾き、センターに戻ってきて背面ギターとサービス精神旺盛なKatzuya Shimizuさんでした。
上手で歯ギターをしている時の格好が前傾姿勢だったのですが(というよりもほとんどお辞儀の姿勢)、歯ギターだとわかりやすいようにですかね?歯は治った?のでしょうか。
そんなギターソロ中のマーガレット廣井さんは、いつものように「あっち!ギターソロはギターが主役だからあっちを見て!」という感じのコミュニケーションではなく、「あれ、うちのギター。かっこいいでしょ?うん、かっこいいんだよ」みたいな感じの落ち着いた?大人っぽい?コミュニケーションを貴様らの皆様と行われておりました。
踏切のセクションで、ステージ天井がライトで赤く明滅するのも、さながら踏切の赤色灯のようで臨場感がございました。
鬼畜
お久しぶりの『鬼畜』ですね。
この日のエイトビートはなんだか、とても鋭かったように感じます。
針的な鋭さではなく、ドスみたいな鋭利な刃物的な鋭さです。
八十八ヶ所巡礼の皆様は、付け焼き刃ではない超絶技巧ですので、こういったシンプルなフレーズ一発でプレイヤーの真価が垣間見えますわね。似たようなこと以前も言った氣がする。
歌が始まって、スネアドラムにかかったリヴァーヴ(残響音。お風呂の時のあれ)がとても印象的だったのですが、まさか曲ごとにエフェクトの具合変えてたりします?どうなんですかPAさん。
そんなスネアの音に残る "ふわぁん" という音が、『歌詞の想いを手紙に認めている時に紙に広がるインクの滲み』みたいな印象を持ちました。伝んねぇだろこれ。
こういったことがあるので、「え?さっきと同じ樂器で演奏者も同じですよね?」と思うのです。
色々な表情を樂器は魅せてくれる。
この曲はギターの歪みにファズを使っていると思うのですが(いつもはオーバードライブ系の歪みと思われる、ってか『幽楽町線』のこともあるんだからオーバードライブだろうな)、この日の歪みはよりもっとFuzzyな感じに毳毳していましたね。とても好みの音です。
あと、ギターソロでなのですが、プレイの端々にやっぱりレイヴォーンを感じる。というよりも、レイヴォーンが強くなったように思いました。
BIG CATではKatzuya Shimizuさんの中のレイヴォーンが暴れ出す…。
紫光
Kenzooooooooさんの出す「チチチチ…チチチチ…」というカウントで次の曲が『紫光』であることを認識。
「『紫光』かー」などと思っていたら、Katzuya Shimizuさんのタッピングフレーズでオールイン。アンド照明でステージがライトアップ。
この時の照明は〈ステージの床から天井に向かって、複数のライトが照らす〉というものだったのですが、この光景が美しすぎて数秒間思考が停止しました(あと、どこかPVに映っているスカイツリーもフラッシュバックするようでした)。
まさに『息を飲んでいた』という表現そのままの反応だったと思います。
そんな照明は下みたいな感じなのですが、
この照明によってできた影に、わたしは睡蓮を想起しました。
睡蓮。花言葉は複数ありますが、その一つに『優しさ』というものもあるのだそうです。
御誂え向きじゃないですか。
しかも、まぁ、これは蓮華の方になりますが、芥川龍之介さんが執筆した『蜘蛛の糸』ではお釈迦様が蓮池のほとりでカンダタたちを見ていたように、ステージの床から睡蓮が咲いているということは、我々観客は水面下に居るということになり、八十八ヶ所巡礼の皆様を魔族のお釈迦様だとすると、樂曲という蜘蛛の糸を垂らされている、ということでもあるか?と思ったりしますが、あんまり信仰的になるのは適切とは思えないし、別に貴様らの皆様方はカンダタではない。
でも無益な殺生はしないに越したことはないと思う。
昔、別のバンドさまのLIVEに行った時に感じたことなのですが、観客それぞれがそれぞれの艱難辛苦を経験したり、今現在経験していたりしている中で、音樂というものに一瞬でも救いを見つけたりして手を揚げている。
その様が、泥から出でる、泥からじゃないと咲くことができない蓮の華を連想したりしました。
各々の艱難辛苦という泥から出でて挙げられた蓮華、です。
ま、ごちゃごちゃと御託を並べ陳列して宣っているわけではございますが、照明が綺麗だったってだけの話です。
実際その照明が綺麗すぎて、釘付けに言葉を失っていたので、マーガレット廣井さんが手を挙げたのにも数秒遅れで氣付き、それでも手は挙げられませんでした。
「仏滅の夜 from流儀 八十八ヶ所巡礼 大阪BIG CATで紫の光になる」の語りから歌がスタート。
『八十八夜ナイト!!』では、「二番サビ前のスネアのリヴァーヴが、さながら原曲のようだった」のですが、この日の音はまた違って《MPCのスネアっぽい音》だったのが胸にきちゃって、少し涙腺を刺激しました。情緒が不安定すぎる。秋の空かよ。
『八十八夜ナイト!!』の時の音が「タァァァァ…ン!」だったとしたら、2023年5月26日の『幻魔大祭2023』の音は「ドフゥゥゥゥ…ン!」みたいな感じです。
MPCというのはHIP HOPミュージックでは馴染深い機材で、ドラムセットの各太鼓の音やビートマシンの音などが収録されています(『紫光』のPVでKenzooooooooさんが持っていらっしゃるのがそれ)。
そのMPCの音は結構エフェクトがかけられている場合が多いのですが、この日の『紫光』の2サビ前の音がそんなMPCの音っぽかった、というお話です。
曲間にて、この日はマーガレット廣井さんが「LIVEに参加してくれてありがとう、貴様ら」的なことを仰っていたのですが、ここでの『LIVE』が〈コンサート〉や〈音樂イベント〉という意味ではなくて《生きる》という意味で聴こえました。
『生きること』に参加する。
ただ音樂のイベントにいくこともそうだし、感情を動かすことも、《生きる》ということを行っている。
泥春前のMC〜泥春
「我々魔族だから季節とか関係ないし、盆も正月もない!どうやら人間の貴様らには五月病というものがあるそうだが、大丈夫か?」とマーガレット廣井さんが会場の貴様らに問う。と、ある方が「大丈夫じゃない」とお声を上げられました。
『五月病大丈夫じゃない』と声を発したことに対して、「大丈夫じゃないかぁ、我々はそう簡単に頑張れとか言えないけど、また何かで言って」とマーガレット廣井さんは話しておりました。
この返答からも垣間見える人柄ですよね。
正直なところ、『頑張れ』とかって無責任な言葉なので、正直言ってしまった方が樂ですし、言えば仕舞いになるんですよ。
以前に書いたので割愛しますが、わたしも『頑張れ』という言葉は無責任な言葉であると思っているのであんまり使いたくないし、『大丈夫』という言葉もあんまりおいそれと軽々しく使うべき言葉でもないと思っています。
ですが、なんと言いますか、生活してたら『頑張れ』も『頑張らなくてよい』も『大丈夫』だとかの励ます言葉が必要な時もあるし不要な時もある。
というより、要不要かなんてその時に同時に存在していたりすんじゃねえの、とも思うんですよ。
個人的に思うのは、煩悶して苦しさとかを感じているだけ、それは心が正直で素直なのだろうと思うので、そのままでもいいんじゃねえのってことです。
側から見りゃ立ち止まって動きがないように見えるかもしれないけど、その本人は脳内でいろんなことを考えていらっしゃるんでしょうしね。偉そうだなぁ。
とはいえ、あんな知らない人もたくさんいる場で「大丈夫じゃねえよ」というのは勇氣がいる。
なかなか言えるもんじゃない。
でもそれを言わせた?のは八十八ヶ所巡礼というバンドにそれを言っても大丈夫であろう・真摯に受け止めてくれるだろうと思わせる度量があったからだろうと、奇妙なファンの一人は独りそう妄想します。
「辛苦を嘆いても大丈夫であろう」と思わせた八十八ヶ所巡礼というバンドの "人柄" の凄さ。
そして、実際に口に出した人も、凄いですよ。思わず口を突いて出たのだとしても、そうだとしても凄いです。
マーガレット廣井さんは配慮と思いやりの人なので、おそらく《明確な『こうしたら』みたいな無責任言葉を使わない》と織り込み済みでの発言だったのかもしれませんが、あんまり『答えみたいなもの』って他人から与えられるべきものでもないし。
結局、煩悶して煩悶して煩悶して煩悶した末に自分なりの答えを自分なりの方法で見つけるしかなかったりしますしね。経験則ですけど。
「まぁ、我々から言えるのは『もうすぐ春ですね』ってことくらいだ。もう春が終わって梅雨前だけど。でもさ、いつ春が来たっていいんだよ」と、マーガレット廣井さんは話していましたが、本当にそうだと思うんですよ。
盆や正月、季節にしたって、人間である我々が勝手に決めているだけの話でしょう?
人間ってどうやらセルフSMが趣味みたいで、自分で自分を痛めつけて悦に入っている人が多いように思います。It's a 変態です。Like @ 変態ってやつです。
ですが、そんな『自分で勝手に付けた枷』とか常識とか言われるそんなものを一回取っ払ってみて考えるのも、奇妙人なわたしとしては大事だと思うんですよね。
それこそ『敵は血に潜んでる』ですよ。
脳がとろける街888
2022年末の『大・仏滅ナイト!!』以来、よく演奏されておりますわね。大盤振る舞い?
この曲でとても印象的な部分があって、それはギターソロの時の、"バンド全体の演奏が『「大丈夫じゃない」と言っていた人』に対して奏でられている" ように感じたところです。
『「大丈夫じゃない」と発言していた人』に対してですし、『場の氣持ちに配慮して「大丈夫じゃない」と発せられなかった人』に対してでもあるんだろうな、と想いました。
あのギターソロのセクションでのバンド全体の想い?が同じ方向を向いて、大きな願いとなっているような、そんな感じです。
本当に本当に、辛苦を感じている人は救われてくれ、と思います。しかし、誰かに救ってもらうのではなくて自分自身で。そうじゃないと付け込まれちゃうかもしんないので。
でもねでもね、この『脳がとろける街888』では「喉がちぎれそうなほどに叫んだら、夜が終わりそうになる」と歌っておりますでしょ。
だから「大丈夫じゃない」と口に出しただけでも十分ですし、もしまだ言えない時期にあるんだとしても言えるようになる時期を待ちゃいいし、辛い状況をちゃんと捉えているだけでも良いと思うんですよ。辛い状況を見据えるってのはなかなかしんどいものでもあるのですけどね。
曲の真ん中くらいで、マーガレット廣井さんのベースソロがありますが、最初に聴いた時から、あの音運び?が『トロッコがゴトゴト動き出している様』とかをぼんやり想起していたので、感情表現をできているだけで万々歳、感情表現ができるようになったなら、夜明けはそう遠いもんじゃないってことだと思いますよ。
万物流転ですしね。
しらんけど。
しらね〜。
そういえば、以前に『「この空はいびつさ」と歌っているけど、いびつなのは涙目になって視界が滲んでいるためだろう』と言及しましたが、単純に都会のビル群かもしれません。ビル群が空を侵食して空の形がいびつになっている。
自然が多い愛媛の田舎から東京に出てきたら、空が狭いと思うのは当然でしょうしね。
都市生活はいろんな意味合いで視野が狭くなってしまいがちですので、わたしも愛媛に帰省した際に、地元の空の広さに驚嘆します。
真意はマーガレット廣井さんしか知らないんですがね。
沙羅魔都
最近PVが公開されて、お祭りとなった曲です。
ついにMachineなKatzuya Shimizuさんがメディアに載ったわけですが、サムネイルのKatzuya Shimizuさんは『ブレードランナー』のレプリカントをリスペクトして目がオレンジ色となっているのでしょうか。
個人的に聖剣サラマトを引き抜く場面に、'80年代のスピルバーグ映画を思い出しました。
『グーニーズ』みたいな。『グーニーズ』一回しか観たことないけど。
このPVのコメント欄にて「曲間でマーガレット廣井さんが語っているのは、ポルノグラフィティの『オレ、天使』のオマージュでしょうか?」とあったので、その『オレ、天使』を聴いてみたのですが、確かにその通りですね(ちなみにわたしは『瞳の奥をのぞかせて』が好きです。初めて聴いた時に衝撃を受けました。Aメロの歌の譜割が難しい)。
そんな「オレ、魔族。そう、デーモン。〜」の語りの部分は青い光がゆらゆらする照明でした。
その光景がなんというか、ある魔族の脳内での独白?演劇で例えたらピンスポットが当たって独白するみたいな感じだな、とか思いました。
そんな語りの後にKatzuya Shimizuさんのギターソロがきます。
ブゥーン…。。 ……! この音は、、オクターバー!!!!!!!!オクターバーじゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!💪💪💪💪💪💪💪💪
『オクターバー』というのは、鳴らしている音のオクターブ上か下の音を足して出力するエフェクターなのですが、Jack Whiteさんとか9mm Parabellum Buretの滝善充さんみたいな《オクターバーでオクターブ下を混ぜたギターサウンド》が大好きなわたしとしてはMAJIで最高に最高な最高すぎる音でした。
👇 2:15~がオクターブ下を混ぜた音👇
ワーミー使ったり、オクターバーを使ったり、Katzuya Shimizuさんって結構キワモノ系のギタリストがお好きだったりするのかしら。
奈落サブウーファー
この日は奈落コール無しでスタート。
サビになって視界の端に何かちらついたので、左を向くと、友人が手を揚げていました。
これ、すーごい嬉しかった。
終演後に『すーごい嬉しかったよ』と話すと「『奈落サブウーファー』好きだったから聴けて嬉しかった」のだそうです。
すーごい嬉しい。
あと、『三回に一度、勝っていればいい』
M.O.8
これだけ言わせてください。
『M.O.8』に入る前の煽りで、マーガレット廣井さんはステージ上に〈モヤ〉を集めますが、この日は両手のひらを顔の横に持って来て、貴様らの皆様の〈モヤ〉を受信していました。
「モヤッ、モヤモヤッ」と言うタイミングで、手をわしわしとさせていたのが面白可愛いらしかったでございます。
あと、ギターソロの前にマーガレット廣井さんは腰を横に倒して(脇腹を伸ばす時の挙動みたいなの)Katzuya Shimizuさんを指差していました。
攻撃的国民的音楽
「ここまで貴様らは樂しい感情を多く感じた、しかし樂しいだけではだめだ!樂しいだけでは莫迦になってしまう!人間には怒りの感情も必要だ!」ということで『攻撃的国民的音楽』が始まりましたが、マーガレット廣井さんが話していたことは、その通りです。
人間は《喜怒哀樂》というものがあり、その《喜怒哀樂》をちゃんと感じているからこそ健康なのです。
そういった感情を超越している人なら問題ないですが、普通に喜怒哀樂の感情を覺えるのに「怒ってはいけない」などと考えて自分の感情を観ないようにしては、精神は歪みます。
情緒は崩れます。
経験則ですし、自身の感情を無視するのは、自分に対しての虐待であるとも言えますしね。
よくないです。
なので、喜怒哀樂は大事!
あとKatzuya Shimizuさんのギターがピッキングハーモニクス(ピッキングする瞬間に親指の側面をほんの一瞬だけ触れさせることで、音に金属的な成分を追加して発音する演奏技法)多めで演奏していたのでこ機嫌でした。
あとで見た感想によると、Katzuya Shimizuさんのワイヤレスシステムがぷらーんと落ちていた?らしく、それがKatzuya Shimizuさんの心に火を付けたのですかね。
すごく雑な感想だ。。
日本
今日も曲の途中でマーガレット廣井さんがフロアに降りてきてくださいました。
「まを分け合ってくれ!」と言いながら降りていらしたのですが、これって『魔』なのでしょうか、それとも『マ』なのでしょうか。
ちなみにご自身のことを『マガちゃん』とも言っておられました。
「ヒモ(マイクシールド。音響の世界ではコードのことをシールドと言います)が続くところまで行く!」と言いフロアを進むマーガレット廣井さんでしたが、「思ってたよりなげえ!」とのことで、フロアの最後方まで到着。
立派なお髭を蓄えた海外からの貴様らさんともタッチしていました。
フロアの最後方まで行ったことで、貴様ら達の視線を独り占めしてしまったマーガレット廣井さんは「かっちゃんも見てあげて!」とも言っておりました。
アンコール
求アンコールの手拍子が盛り上がったり落ち着いたり、やっぱり波打ちのようだなぁと思っているとお三方が登場。
『具現化中』の前のMCでKatzuya Shimizuさんの機材トラブルがどうと話していたので(ワイヤレスは仕方ない、難しい部分はやっぱりある)、アンコール明けでKatzuya Shimizuさんが登場する時にギターのストラップについたワイヤレスを貴様らに見せつけるように出てきてて笑いました。
いつものように『金土日』のドラムフレーズが奏でられます。
「オン!最近帽子にはまっている男、今日は最後まで象の帽子をかぶって演奏する!K,e,n,zにoが八つでKenzoooooooo!!」と紹介されて演奏したドラムプレイは、象というよりもマンモスっぽかったです。
「かっちゃんはサングラスかけて」と言われてKenzooooooooさんのべっ甲縁みたいなサングラスをかけるKatzuya Shimizuさん。
「オン!今日は最後まで胡散臭いサングラスをかけてる胡散臭いギター!(を弾く男、があったかは覺えていないです) Katzuya Shimizu〜!!」
この『胡散臭いギター』という振りで、どんなプレイをするんだろうと愉しみだったのですが、『《速弾きギターこそ至高》と思っている類のギタリストが弾くギターソロ』で、面白かったです。いわゆる解釈一致っでやつですね。
お立ち台でギターソロを弾き終えた後に、サングラスを指でつまんでクイクイと動かしていたのはKatzuya Shimizuさんの「胡散臭い」イメージですかね。
ギターソロが終わったのでサングラスを外したKatzuya Shimizuさんでしたが、それをマーガレット廣井さんに見咎められて結局サングラスをかけてました。
マーガレット廣井さんがなんと言っていたかが確かでないのですが、
「この帽子あっちいの」
「この帽子、物販に売ってるよ。いや、嘘。もし欲しかったらアジアン雑貨のお店で買ってね。あ、魔界のね」
「オン!めっちゃ暑い帽子!マーガレット廣井でございまぁす!」と、そんな感じのことを話していた記憶があります。
八十八銀行
銀行!!!
『仏狂』もそうですが、イントロでワッと細胞が浮き立つ曲が多いですよね。
印象的なベースでスタート。
『八十八銀行』のAメロは4/4拍子のリズムに対し、四拍三連のビートで進行するためポリリズムっぽくずれ込んで行く曲です。
しかも小節の一拍目頭ではなく拍の裏から「ンジャッ、ジャッ、ジャッ、〜」と刻まれるのが小氣味良くて好きです。
『八十八夜ナイト!!』の感想では言及しませんでしたが、上記の『ンジャッ』が続くセクション(音源でいうとエンディング部分)が、『八十八夜ナイト!!』の時は拍の裏ではなくて表になっていた時がありました(いわば『M.O.8』の最初にある「ジャッ、ジャッ、ジャッ」みたいな感じ)。
その時は「そうよね、ずっとキープするのは難しいフレーズでもあるし」と思っておりましたが、この日の演奏を聴いて、意図してのアレンジだということがわかりました!
そりゃそうだ!超うまい人たちだぞ!樂器歴十数年の若輩者が偉そうなことをいうな!
あ、あと、この日はマーガレット廣井さんのベースは大丈夫でしたね!完奏でした!
…嫌なファンだなぁ。。。
目と耳 ~おしまいに~
この日のLIVEはKatzuya ShimizuさんとKenzooooooooさんに注目して観たわけですが、この経験でわかったことがあります。
マーガレット廣井さんを注視している時は、歌詞に対して意識を向けているのに対して、Katzuya ShimizuさんやKenzooooooooさんを注目している時は、演奏や音樂的なことに意識を向けているんだな、ということです。
それはわたしがギターを嗜むためであることも理由だと感じます。
ベースとドラムのリズム樂器に対してはズブの素人なので、付け焼き刃な知識で頭でっかちに「こうかしら?」と思っているだけなので、あんまり信用しないでください。
あと、八十八ヶ所巡礼さんは、やっぱり纏っている空氣感がやわらかいように感じます。
そして、まぁこれはわたし個人の所感ですが、八十八ヶ所巡礼さんの音樂・LIVEの空間は『やっぱり現代社会で是と肯定されているものって、冷酷的だよな』と再認識させてくれる感じがあります。
冷酷な世界で生活をしていると、どうしてもその冷酷さが "普通" になってしまうので、自分も冷酷となってしまいがちだし、そんな『普通になじめない自分は劣っている存在だ』などと考えてしまいがちだと思うのですが(心の底で「やっぱりおかしいでしょ、狂っているでしょ」と思っている人は、知らぬ間に氣分が落ち込み勝ちになる)、そんな生活のなかで『八十八ヶ所巡礼』というバンドが、柔らかな存在としているから、「やっぱり現世おかしいよ」と思い直すことができる、というか。
「こんな凍り狂った世界に負けてたまるかよ」と、思いとどまることができるというか。
そんな魔族の優しさ、やわらかさを感じたいから、我々『貴様ら』は、八十八ヶ所巡礼さんの音樂を聴き、LIVEに足を運ぶのだろうと、この日の公演で再確認いたしました。
そういえばマーガレット廣井さんが「また生きていたら変拍子で一緒に踊ろう!」と仰っておりました。
《メメント・モリ》が心にある人は良いですね、わたしは好きです。
あと、わたしは絵が下手なので、誰か物好きな方がもしいらっしゃれば、上記した場面を清書していただけましたら幸いです…。。
ちなみに、終演後は友人と焼肉に行ってビールを嗜みましたとさ。
和牛のタルタルがとっても美味しかったので、おかわりをしてしまいましたとさ♨︎
よい友人と空間と時間と想いだったと、終演後数日経過しても思います。
次のLIVEはTotoさんです( ¨̮ )
Steve Lukather氏のプレイを浴びるのだ!!
八十八ヶ所巡礼さんの公演は今の所決まっておりません、が、生きます。
大丈夫です。
ありがとうございました💪