本日もご訪問いただきありがとうございます。
最近『蛸地蔵』というバンドさんを知りました。
かっこえ〜〜。
出会いは突然。
例によってYouTubeのおすすめにて、でした。
サイケロックを冠しているためにホイホイと耳が先行して行ったので、はぐれないように脳と頭が追随したって感じです。
この '70年代感というかバブルで浮かちゃう前な感じがたまらなく良いですね。
八十八ヶ所巡礼さんはプログレッシヴ・ロックを基調にしていますが、この蛸地蔵さんはストレートなロックを基調にしていて、またこれも良いです。
ライヴ行ってみてぇ〜〜〜〜!と思ったのですが、惜しむらくは現在は活動を休止されているそうです。
八十八ヶ所巡礼さんの時も思いましたが、どうして当時に知らなかったのだ。。と後悔を感じてしまうばかりです(八十八ヶ所巡礼さんは現在も活動されているので、有難いの一言でしかないのです)。
しかし、そんな活動休止しているバンドさんの音樂も触れることができる。そんな状況を鑑みて『とはいえ、いい時代だ』と思いました。
が、その一秒と半秒の半分あとに「果たして本当にそうなのか…?」とも思いました。
確かに、昔のバンドの音樂や色々なコンテンツに触れることができるアーカイヴ時代の現代は恵まれているとも言えますが、当時にしか活動していなかった、記録も残っていないものは今触れることはできないのです。
その当時にいた圧倒的な傑物は、その当時にしか触れることができないのです。
つまり、何を言いたいのかというと、現地で体験する以外にないということです。
報道されていることなんてのも、本当に起こったことなのかなんて不確か不透明でしかないのですし。
百聞は一見にしかず、いくら『あの当時はすごかったのだよ』と聞かされたとて、その当時の空氣は体験できないのです。
無情というか、何というか。
こういったことを考えだしてしまえば無限に迷ってしまいますね。
昔も覗き見ることのできる現代(社会保障はクソ)の方が良いのか、圧倒的なものを体験できたその当時の方が良いのか。
結局は今あるものを真摯に触れるということしかできないのでしょうね。
そして、必要なものはちゃんと所有をして。
そういえば、大阪メトロでは『顔認証改札』の運用試験が始まるのだそうです。
試験モニターが募集されておりました。
無情〜〜〜〜〜〜。
ありがとうございました。