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少し前になりますが、『死刑にいたる病』という映画を鑑賞いたしました。
あんまり前情報を入れずに観たのですが、まあ、とっても、純粋な恐怖でした。
ひさしぶりに純粋に恐怖を感じましたし、非常に嫌な鑑賞後感情がありました。
そんな感情が強かったです。
原作はハヤカワ書房から出ている小説だそうです。
この小説は「イヤミス」というジャンルに区分される作品でして、この「イヤミス」というのは『読んだら嫌な氣分になるミステリー』のことを指します。
そんなイヤミスとは真梨幸子さんの『殺人鬼フジコの衝動』で出会いましたが、あまりにイヤ〜な氣分になったため、それ以来敬遠しています。
『人間の嫌な面』なんて、現実生活で『イヤというほど』見ますからね。
フィクションなんだから、ちょっとでも爽やかな氣持ちになりたい、というのが、わたしの感想です。
だからこそ、伊坂作品が好きなんだろうと思います。
んなことよりも、その『死刑にいたる病』なのですが、その内容とかの解説は下記に貼らせていただいた動画を見てください。
別にわたしがわざわざいうこともないし。
そんなことよりも、タイトルについてなのですが、この『死刑にいたる病』の劇中でとあるシーンがあります。
主人公の青年がとあることで手を怪我し、傷口から血が流れている場面で、青年に好意を抱いている女性がその血を認めて、舐める、というシーンがあります。
そのシーンを見てわたしは「その性癖いるの?(キャッキャ)」と笑っていました。
同じ劇場にいた人からすると危険人物とでも見えていたかもしれませんね。
しかし、実際にその場面を見たり、自分がされたりすると、確実に幻滅したりドン引きするでしょう。
ドン引きする自信があります。
そんな自信は要りません。
と、どうして「実際に自分の血を舐められたら、わたしはドン引きするのだろう?」と、いつものごとく内観をしてみました。
それで思ったのですが、わたしは血の味やにおいが得意ではありません。
「そんなのみんな得意じゃないだろう」というお声が聞こえてきそうですが、このいろんな感性・価値観がある星地球では、自分と違う人も存在しております。
つまり、『血の味が好きな人』も、『人の血が好きな人』も存在しているのではないか、と感じます。
現に『血の味が得意でない人(わたし)』が存在しているので、真逆な人もいるのだと思います。
また別に『好きな人の血だから大丈夫』という人もいるでしょう。
これは『死刑にいたる病』でも言及されていましたね、「好きな人の一部を持っておきたい」というあれです。
ちなみにこの考え方にもわたしは理解できかねます。
だってそんなの枷じゃん。イラネ。
つまり、〈それ〉が自分の中にない要素であったからドン引きするのだと感じます。
『自分の中にない要素』ということは、「理解ができない」ということにもつながりますものね。
いや、他人なんて理解できるわけないんですけど。
理解はできないけど、理解を示すことはできる、みたいな?
自分の中にない要素であるから、ドン引きし、断罪し、意識をダウンサイズするのだろう。
という、なんとも凡庸な結論。
ちなみに、この『死刑にいたる病』を観たときには「邦画も結構無骨なのできるんじゃん!」と思いました。
何様か。
ありがとうございました( ¨̮ )