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第三話はギャグパート強め、ですが、シリアスパートへ移行する前の合図だとも感じました。
ギャグパートが強めだったので、今回の記事はきっと短いです。
天然ぼけ
絡繰人形・縁壱零式の中から出てきた刀を巡って起きた出来事を、不死川玄弥くんに充てられた部屋で話す炭治郎。
このシーンですが、いいですね。なんというか、腐れ縁っぽさがあって。
『刀鍛冶の里編』では玄弥がツッコミ役として機能するのかな?と思ったのですが、ツッコミの手法が善逸と同じです…。笑
炭治郎が明らかに天然な性格をしているので、ツッコむ側が強制的に矯正させられるのでしょうか。
とはいえ、抜けた歯を落し物として持っておくのは、正氣ではないです。
でも、この後に玄弥が炭治郎 から歯を取ったりする描写がなかったので、伏線なのかもしれません(炭治郎は玄弥に「捨てろや!」と言われたとて、素直に捨てそうにないので…。「自分の体の一部なんだから大切にしないと」とか言ってまた仕舞いそうだし)。
描かれているものが全てだと思うな、莫迦。
星
にっこにこで三つ編みされてる禰豆子可愛い!!!!
ぎこちなく三つ編みを施すお兄ちゃん炭治郎も可愛い!!!!!
寝ている炭治郎の鼻を、時透無一郎さんがつまみます。
"大口を開けて寝ている"炭治郎の鼻を、です。
炭治郎は鼻が利くということは、時透くんは知らないはずです。
でも、知らない相手の長けた部分をまず防ぐというのは、柱として重要なのかもしれません。しらない。
そんな時透くんは「どうしてそんなに他人に構うのか。君には君のやるべきことがあるはずではないのか」と、炭治郎へ質問します。
その質問に対し、炭治郎は「人にしたことは、結局巡り巡って自分のためにもなっている」と『情けは人の為ならず』を説きます(ここで『自分のためになっている』ではなくて『自分のために"も"なっている』と言っているのが良いですね)。
ここでわたしは「いやぁ〜、そうなの!その通りなの!」と思いました。これMAJIよ。情けは人の為ならず。
『情けは人の為ならず』を言われた時透くんは、一瞬ぽけっとしますが、その後、目に星が宿ります。
第二話の時にちらっと解説しましたが、漫画表現において目の星は生氣を表現するそうなのですが、その星が、です。
この『目に星が宿った時』に時透くんが炭治郎へ「今なんて言ったの?」と問いただしますが、ここの表情が子どもの表情になっていますね。
原画展知識ですが、時透くんはお兄さんと強い繋がりがあるそうです。
そのお兄さんに『情けは人の為ならず』を言われたのだろうな、と思いました。
風神雷神と喜怒哀樂?
上弦の肆・半天狗さんが堂々と障子から室内へと入ってきます。
この半天狗さんは老いた肢体に、大きなたん瘤と、非常に同情を誘うような容姿をしております。
この容姿で油断させて、人を喰ったりするというのは、確かに狡猾さがあると感じます。
また、わざと頸を斬らせるというのも鬼の術中に連れ込む手法であり、狡猾でありながらも天晴れ、戰術の基本であるとも思えます(戰のこととか毛頭知らんけど)。
あと、わざと誘い込むというのは、どこか寄生虫的なものを憶えました。
他に、老人の時の半天狗さんは、舌に仏?と描かれているように見えました。仏?
わざと頸を斬らせることで、分裂した半天狗さんですが、そのモチーフは風神雷神でしょうか。
舌に『樂』と書いた鬼が、葉っぱの扇で時透無一郎さんを飛ばし、もう一方の『怒』と書いていると思しき鬼が錫杖で電撃を射っております。
玄弥が『怒』と『樂』の鬼の馘を討ちましたが、「馘を斬らせたのは罠だ!鬼の策略で、馘を斬る度に若返っている!」と炭治郎が玄弥に説明します。
炭治郎物分かり良過ぎない??さすが長男というところ?
あと『ベンジャミン・バトン』じゃん…。鬼の人生は数奇かい…?
そして、一人が別れ二人、二人が別れ四人へと増えました。
新しく増えた鬼の舌には、それぞれ『哀』と『喜』と書かれています。
つまり、半天狗という鬼の中に《喜怒哀樂》の鬼が隠れていた(?)のです。
この四人というのはきょうだいか何かでしょうか。それとも、鬼の組織や隊士の組織のような、"特定の集団に属していた各々"なのか。
でも、でも、なんだよな。
あとこの四人って多分上弦の肆だからかな、と思ったりもします。四天王とかっていうし。
禰豆子が攻撃体制に移行する時に、肉体が成長しますが、それと同時に三つ編みが解けます。
これが子ども→おとなを表現していて、なるほど良い表現だなと思いました。
やっぱりお下げ髪をしているのは『女性』よりも『女の子』という印象が強いですからね。この感覺も時代錯誤になるのだろうけど。
『情けは人の為ならず』
時透無一郎さんの場面へと変わります。
上弦の伍・玉壺さんの術に襲われる小鉄さんを、時透無一郎さんは認めますが「刀鍛冶のたまご一人を助けるのは効率的ではない、それよりも里の長をまず助け、そして上弦の鬼を倒す方が先決だ」と考え、走り去ろうとします。
確かに、間違ってはいない。間違ってはいないと思います。
ですが、未来を作るのは自分よりも若い世代だし、若い世代は、何かが壊滅的な状況になったとて、復興する幅・可能性を大きく持っている。
しかも、そんな自分が、その昔に『見捨てられることなく助けられた子ども』の一人だったかもしれない。
時間は「未来から過去へ」流れていると思いがちですが、実は時間は《『今』という時と、未来と過去とがひと時に存在していて、縦横無尽に進行している》ということの話とも繋がってきますね。
と、刀鍛冶のたまごは切り捨てようと「理性的な判断」を時透無一郎さんが下そうとした時に、炭治郎が言っていた『他人のためにすることは、巡り巡って自分のために』という言葉を思い出します。
この時に、また時透無一郎さんの目に星が光ります。
しかもこの時のカットが、オープニング映像のサビ前と構図が似ているんですよね。被写体に対しての向きは違いますけれど。
そして、玉壺さんの術に喰われそうになっている小鉄さんを時透無一郎さんは助けるのですが、この時の時透無一郎さんが、ま〜〜ぁかっこいい。
しかも、目の中に書かれていた細い横線が薄くなり、瞳孔は暗めの影となり、虹彩は青みに艶が生まれています。
つまり、『目の焦点が合っている』目の描き方がされているのですね。
いやぁ、アニメ表現ってすげえや。
ちなみに、個人の所感ですが玉壺さんは今作におけるホラー要素だと思っています。
クラシックなホラーというよりも、異形的な意味合いでの、です。
吾峠呼世晴さんは筋肉の描き方・表現が巧い
さて、次回第四話のタイトルは『時透くんありがとう』なのだそうですね。
再三お話ししている通り、わたしは原作を読んでおらずアニメで『鬼滅の刃』を追っている人間です。
ですが、あまりに作品の世界観とそのお話で描かれている思想が自分の理想すぎるがために、原画展までに行きました。
その時に(『無限列車編』劇場特典の書き下ろし漫画を読んだ時から、めちゃくちゃ絵がお上手だとは思っておりましたが)、本当にとても巧さに驚いたコマがあります。
それは時透無一郎さんが刀を構え「ありがとう、鉄穴森さん」と言っているコマで『刀を持っている、右腕の筋肉』なのですが(原画展のパンフレットを見返す…、、「きゃー!今見ても巧いわ!!!」)、次回のお話しで炭治郎から感謝を言われたから、時透無一郎さん自身も刀鍛冶の鉄穴森さんに感謝を伝えようと思ったのでしょうか。
しかしそのコマの筋肉が、アニメではどう表現されているのかが愉しみです。ほーーーんとうに。
そのシーンは多分次回ではないと思いますけどね。いや、わからない。
今回のお話は、嵐の前の静けさ的な意味合いでギャグパートが強めだったと感じたのですが、それってアニメの放送話数的な兼ね合いで、ぎゅっと縮めたとかもあるのかしら。
とにかく、ほーーーーんとうに樂しみです( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )