頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

少年ジャンプの幼稚性 PART Ⅱ

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

以前わたしは、少年ジャンプというものの幼稚性についてを言及いたしました。

floodinhead.hatenablog.com

 

「幼稚だなぁ」という想いは未だ変わらず、『幼稚だなぁ』への意見がより深まっています。

今回は、そんな《幼稚性》についてを書きます。

 

しかし、何かに対して幼稚だと思っているということは、わたし自身にも幼稚さがあるということの証明なのですけどね。

 

 

基本理念(会社か?) ~仲間意識編~

少年ジャンプの基本理念に『努力』『友情』『勝利』があるといいます。

そして、わたしはその理念に《仲間意識》というものがべったりと貼り付いているように感じます。

 

《仲間意識》

嫌な言葉ですね。

仲間じゃないと助けたりしないということでしょうか。

意識が狭いと個人的に感じます。

 

実際、コミュニティは「コミュニティ内で共有されている常識」を知らない人に対して非常に排他的であるように感じます。

 

しかし、"コミュニティ" というものは、必然的に仲間意識が強固になっていくものなのでしょう。

それはもう仕様がない部分だと思います。

ですが、わざわざコミュニティ外にいる人を排他する必要はないはずではないのか?とわたしは感じます。

 

お分り頂けますでしょうか、《仲間意識》が『仲間はずれ』を生んでいるのです。

まったく皮肉ですね。

それとも、「自分が所属するコミュニティの外にいる者のことなど知ったこっちゃない」という姿勢なのでしょうか。

 

そういった姿勢で切り捨てるのは、ある意味では美しい思想なのかもしれませんね。

確かに、コミュニティの外にいる存在は、ともすれば危険分子である可能性もあるのでしょうし。

 

ですが、わたし個人としては『仲間だけ助ける』という価値観は、ぬるい意識だと思います。

見知った人だけ贔屓にする、というのは、あまりに視野が狭い。

しかし、許容できる量が『仲間分』だけの器なのかもしれませんね。

 

 

基本理念 ~努力編~

以前、酒場で出会った四十代くらいの方がお話ししていたことがあります。

「目の前にあるもの、それが自分に乗り越えられるかわからないけど、乗り越えるためにも頑張るしかない。努力を行うしかない。結局は少年ジャンプに帰ってきて、やっぱり少年ジャンプはすごい」というような内容でした。

 

そのお話を聞いていたわたしなのですが、そんな当然のことを今更得意満面で主張されても、と思っていました。

そもそも、努力なんて自分で努力だと思ってするものじゃないし、努力なんて呼ばれているものを他人にひけらかすものでもない。とわたしは考えています。

 

『ひけらかすこと』「ひけらかしたいという想い」が念頭にあるのだとすれば、その努力と呼称されているものは、自分のためにしているのではなく、他人からの評価のために行なっているということになる。

つまり、主としてある行動原理の軸が『自分のため』でなく『他人のため』にあるということになります。

 

 

この『他人のため』という行動原理自体は問題はなく、毒性もありません。

「自分の子や後世を生きる人たちのためにできることを考える」という行動は『他人のため』という利他が元になっているためです。

 

しかし、「自身の努力をひけらかすこと」については、『他人のため』に行なっていることを『自分のため』に行なっていることだと思い込んでいる節があるように感じるのです。

 

何方だったかが仰っていたらしいですが、「努力を努力だと思っているうちはまだまだ」と同じですね。

所詮努力なんて他者評価だし。

 

 

【他者からの評価】で勉強をしたり、仕事に勤しんだり、そういった方は往往にして何時の時代にもあるものだと思いますが、そんな方々ほど精神的に参っていく人が多いように感じるのも実際です。

 

精神的に参るのは【他者からの評価】に依存しているからだと、わたしは感じます。

「君は駄目だね」と言われでもしたら、自分自身の価値がなくなるとでも勘違いしているからですね。

ですが、他人などに「君は駄目だ」などと言われようと、果たして自分の価値がなくなるわけがないのです。

 

 

勝ち負けなんてものをつけるのもナンセンス、だと感じますが、これは特に個人的な価値観が強いでしょう。

でも、『誰が至強か』なんてことを決めたところで、お米や麦は育ちません。所詮は自己満足です。

 

『爭いが生むのは勝者でも敗者でもなく、戰災孤児だけ』ということでもありますしね。

 

 

結論 うるせえな、てめえ自身が必要だと思うことをしろ。他人に惑わされるな

ここまで色々と少年ジャンプについて批判を行いましたが、つまり、『視野が狭いこと』と『価値基準の程度が低い』と感じるために好きになれない、幼稚に感じる、ということですね。

「努力とかいう氣持ちの悪い意識を棄てて、お前自身が必要だと思うことをしろ。他人から認められたいなどと思うな」と、「汝、隣人以外も愛せや。《仲間意識》なんてものがあるから爭いが生まれるんだよ」ということです。

 

 

しかし、少年漫画というのも基礎道徳的な役割を担っていたりもするので、必要ではある、と感じます。

ですが、それもあくまでも『少年』と括られる年代まで。

二十歳をとうに過ぎた、【大人】を自称する人さえもが、未だに少年ジャンプを有難がって読んでいるというのは、それこそ幼稚性の証明なのではないでしょうか。

 

 

まぁ、結局のところ、どうだっていいし、どうぞ好きに御生きになれ、という感想。

 

 

ちなみに、一応わたしも昔は少年ジャンプの作品を読んでいましたよ。

『ワンピース』もアタバスタ編までは娯しんでいましたし、空島編が終わるまではなんとか読んでいました。

空島編で中だるみを感じてしまってから離れました。

 

そんな『ワンピース』は少年ジャンプという漫画雑誌の看板を背負っています。

背負っているからには、基本理念の『努力』『友情』『勝利』をなぞらえているわけですが、その立場などから敬遠をしておりました。

 

が、以前も書いたように『正しく嫌うため』に、今、コミックスの第一巻から読み直しています。

東京に行った際に漫画喫茶のお店で読む程度なので、非常に牛歩ですけどね。

今はバラティエ編でクリークが食事をして復活したあたりです。

のんびり読んでいきます。

 

しかし、基本的に少年漫画って技とかが派手になって行って、インフレーションして、飽和するじゃないですか。

あの流れになると冷めてしまうんですよね。途端に興味がなくなる、というか。

「それって後出しでなんとでも言えるやん」というか。

 

 

あ、再三言っておりますが『鬼滅の刃』は好きですよ。

鬼滅の刃』に関しては祈りですからね。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )