頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

少年ジャンプの幼稚性

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

 

少年漫画の幼稚さ

以前の記事で「少年ジャンプとディズニーの共通点」についてを書きました。

floodinhead.hatenablog.com

 

この間NHKの100分de名著を見ていたのですが、上記の少年漫画に対しての認識がまた別な見地からもたらされることがありました。

 

この2022年3月はエドガー・アラン・ポー特集で、その週は『黒猫』を解説する回でした。

この『黒猫』という作品は『「天邪鬼という感情」は、どんなに善良な人間も持ち合わせている悪なのだ』という作品らしいのですが(意訳)、その天邪鬼について司会の伊集院光さんがあることを話していました。

 

それは「昔読んでいた少年漫画には絶対的な良い者と絶対的な悪者がいて、良い者の中にそういった『天邪鬼』があるなんて描かれていなかったし、悪者にも良い側面があるような描き方もしていなかった。おそらくだけど、少年漫画を読んでいた子どもの時にそういった『良い者にも天邪鬼みたいな悪い部分はあるし、悪者にも良い部分がある』という書き方をされていても理解できなかったと思う」というようなものでした。

 

そうです。

 

つまり『少年漫画読者は幼稚だから〈どんな人間でも良い面と悪い面がある〉という根本的な大前提』が理解できないということなのですね。

だから主人公の側は絶対的な善でいてほしいし、悪役側には絶対的な悪でいてほしい。

 

わたしはその伊集院さんの感想を聞いているときにそう思いました。

 

 

描かれていることは独善性の押し付け

いまだに人気の高いドラゴンボールやワンピースは『勧善懲悪のふりをした幼稚性の塊』ですよね。

正確に表現すれば『独善性の押し付け(ドグマティック)』だと感じます。あくまで個人の意見ですけどね。

『悪役は悪役として』しか登場せずに『なぜ悪役的行為を行うようになったのか』は一切描かれない。

まぁあれらの作品は読者に心地よい夢を見せるためのメディアなので、そういった面で言えば大成功なんだと思いますけどね( ¨̮ )

 

『悪役にもそれ相応の過去がある』なんて思っちゃうと、幼稚性を多く持った方の頭はパンクしちゃうんでしょう。

『悪役は悪役のままやられるのが気持ちいい』とでもいった感覺でしょうか?

 

 

少年ジャンプのコミック販売累計記録を塗り替えた『鬼滅の刃』はその「悪役が悪役になったバックボーン」を描いている稀有な作品ですが、一定の〈ジャンプファン〉には「特に特徴のない典型的なジャンプ漫画」という認識だそうで、いまいちピンと来ていないそうです。

こちらの解説に関してはこれまでに散々したので必要ではないでしょう( ¨̮ )

 

映画『JOKER』も「悪役が悪役になった経緯」を描いた作品ですが、どうやらあの作品も好き嫌いが分かれているそうです。

理由は『ジョーカーが暴れまわって悪を為す様が見たかったのに、辛い過去とかバックボーンとか見たくない。ノイズを見せないでほしい』とかです。

もうわざわざ言う必要はないと思います( ¨̮ )

 

 

善も悪も見る場所次第だってことをわからないと

つまりは少年漫画をご信奉していらっしゃる方たちというのは、絶対的に善悪は対立構造であると信じていて疑わない。あるいは知っているけどそれを見ないふりしているということでしょう。

見ないふりをする理由としては、その複雑性を認めると脳が疲れるとかアイデンティティが崩れかねないとかでしょう。そういった些末なことです。

 

現代日本で悪の代名詞とされているアドルフ・ヒトラー氏ですが、彼の元にいて『彼の行動、政策は善だ』という価値観で生活していたら、対立していた西側諸国の方が悪になります。

 

どちらか一方こそ絶対的な善だ!悪だ!と思考を固定するのは、それほど愚かなことなのです。

物事や事象は多面体ですからね。

 

 

あとがき

と、ここまで色々と話してきましたが、少年ジャンプの作品とかは内容の幼稚さが氣になってしまって満足に読んでいないので、いずれは『正しく嫌うため』に読んでみたいですね( ¨̮ )

ちなみに少年漫画以外にも、実は幼稚性から発芽している作品はたくさんあります。

映画のあるシリーズとかね( ¨̮ )

 

まぁ3S政策の内側で存在する作品たちは、そのほとんど幼稚性から発芽していると思った方が早いでしょう。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )