頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

想うために知る

 

『ダンダダン』が面白い。

 

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

以前「『ダンダダン』という作品が面白い」ということを書きました。

floodinhead.hatenablog.com

 

見事、完全にハマりました。

 

アニメーション入りで毎話樂しみにしておりますし、漫画も全話無料公開になっていたので一話から最新話まで読み、二週目ももうすぐ終わりそうです。

shonenjumpplus.com

 

再三書いておりますが、わたしはジャンプ作品は好きではありません。

 

そもそもあまり漫画を読みません。

 

読みはします。

『とんがり帽子のアトリエ』とかとても好きです。

 

日常的には漫画よりも小説、紙の本を好む。という感じです。

今は『動物農園』を読んでいまして、もうすぐ読み終わりそうです。

 

 

上記した通り、ジャンプ作品に対しては、なんとも「うーむ」という後ろ向きな想いがあります。

正直好きではないです。

 

とはいえわたしも少年時分には読んではいたので、今ではもう読まず嫌いってところでしょう。

不誠実です。ちゃんと触れてから嫌うことをしないといけませんね。

 

 

閑話休題

 

 

『ダンダダン』にハマったきっかけはアニメ化した映像のアニメーション表現です。

第四話の対ターボババア戰ではしみじみしっとりと「すげえな。。」と思いました。

なんというか【1995~2000年前半までの劇場版クレヨンしんちゃん】みたいな熱量がその映像表現に感じます。

 

そしてウェブサイトにて原作漫画が全話無料開放であったことにより作品自体にハマりました(原作でも『オトナ帝国の逆襲』でのカーアクションシーンオマージュ的なことやってました)。

 

わたしは本は紙派ですので電子書籍は否定的です。

しかし『ダンダダン』をPCブラウザにて読んだことで、このたび電子書籍の利点も知りました。

 

漫画というものは強調したい場面を見開きにするという表現方法があります。

紙の本だとページとページの継ぎ目があって、見開きというものの良さを最大限楽しむことができませんが、電子書籍であればページ同士の継ぎ目がないので一枚の絵として見ることができます。

つまり、作品への没入感を損なうことなく絵を愉しむことができるんですね。

 

この要素は紙の漫画だけを見ていたら知り得なかったことだと感じるので、良い機会だったなぁと思います。

 

 

で、わたしが『ダンダダン』を好きになった理由として、一番大きいのは「現実を描いている」ということです。

『ダンダダン』を読んでいて驚いたのは、【少年漫画かと思ったら『闇金ウシジマくん』の要素もあったこと】です。

 

『ダンダダン』は妖怪や宇宙人と闘うことが多いのですが、妖怪の過去回想がなかなかに重いのです。

これからアニメ放送されるアクロバティックさらさらという妖怪の過去なんて辛すぎる(内容はご自身でお読みください)。

また妖怪だけではなくヤングケアラー(本来大人が行うべき問題や介護などのことを義務教育を受けている世代が日常的に請け負っていること、それをしている方々)の話や過労死などの話、きょうだい間で親から比べられてよくないレッテルを貼られる、などの話も作品内では描かれています。

 

そういった世界で生きている方って、確実にいらっしゃるわけじゃないですか。

もちろんフィクション作品なので『現実っぽく』している部分はあるのでしょうが、事実として作品内で描かれているような生活や経験をされた方は、確実にいらっしゃると思います(バモラさんの過去回想は少年漫画然とした非現実要素が強いのであまり似た経験をされた方はいないのではないかと思いますけれど)。

 

思い出せば『鬼滅の刃』もある種の現実を描いていましたね。

 

最近公開された『Joker : Folie A Duex』も「思い上がるな!現実見ろ!」というような内容でした(鑑賞後いろいろ考えるとわたしは『Joker : Folie A Duex』が好きです)。

 

 

なんでしょうね、わたしは【都合よく描かれているもの】が嫌いなのかもしれません。

『見たいものしか見ない』みたいな姿勢とか、そういった作品とか。

 

その『見たいものしか見たくない』という姿勢が詰まっているから、わたしは『少年ジャンプ』というものに対して嫌惡感というか、幼稚さを感じるのでしょう(あと『努力』とかの "して当然のこと" を美徳としていたりひけらかしていたりするから好きじゃねえってか幼稚さを覺える。「努力とかなんてもんは他人には見せねーもんじゃろがい!!!」と思うのですが、これはわたし個人の価値觀ですね)。

とはいえ義務教育を享受している世代に「社会ってこんな感じできったねえんだぞ」と示すのも酷だと思うし、示したところでピンとも来ないんだろうとかとも勝手ながら思います。

 

…んー、學校ってのも社会の縮図であるから結局は勝手に感じて學ぶんだろうな。

結局は『好きに感じて好きに生きろや』ってことになるのでしょうかね。

 

ま、そんなことを書いているわたし自身にも〈見たいものしか見ようとしていない節〉はあるんですけどね。

「いわゆるな "幸せ" なんてこの世界にはねえよ」と思っていたりするし、無意識的にそう思おうとしているとも感じるし。

 

ジレンマ〜

 

 

もちろん、とても苦しい環境で生きている方々の逃げ場所?として、少年漫画的なフィクションがあったりするのでしょうし、それは必要だと思います。

ですが、想像力もなく "幸福を幸福と感じる機会" すらないような一般家庭で育った方が理想論的なフィクションを読んだところで、読み手に想像力がないのだから『実はこの悪役には何か理由があって』なんて考えないですよね。これはほとんど断言してしまえることだと感じます。

 

だから、ある種の《存在している現実》は表現される必要があるし、それを見る必要もある。

だってそれを知らないと想像することもできない(大変恥ずかしながら、わたし自身『ヤングケアラー』という方々の存在も四、五年前まで知らなかったわけですし)。

 

見る自由見ない自由は確かにあるとは思いますが、知る必要はありますよね。

相手やその人の "理由" を知らずに頭ごなしに否定するのは、ちょっと了見が狭いし身勝手が過ぎると感じます。

こんなことを発言しているわたし自身は実際のところどうなのか、という話もあります。

 

 

わたしは『フィクションは現実の延長にあるもの、派生でできたもの』だと考えているのでその作品にも《現実性》を求めているのですが、もしかして、一般の方は『フィクションにはフィクションだけを求めている』のでしょうか。

ちなみにわたしの言っている《現実性》とは魔法とかの『非科學的』うんぬんと言われるものではなく、人間ドラマとかって意味合いです。

しかし、わたしが「フィクションだ」と断じているものは、他の一般の方にはまさに現実であったりするということなのでしょうか。

わたしが感じている【現実性】は他の誰かからは《非現実》で、それは互いが互いをそう思っている。

表裏一体、硬貨の表と裏…。。

…脳が痛い。

 

 

生まれた時からの惡人って、そういないっていうか、ほぼいないと思うんですよ。

やっぱり生まれ育った境遇というか環境というか、そういったことで惡というものが萌芽していくんじゃないのか、と思います。

こう書くとわたしは性善説の胸においているように思えますね。

性善説性悪説については考えが複雑というか、言語化・表現が難しいと感じるのですが、少なくとも赤ちゃん時分はすべからく悪い子はいない、と思います。

 

やっぱりさ、子どもたちを惡にさせるかは、大人に原因があるんじゃねえかって思いますよ(簡略化して『親』だけという意味合いではないです)。

大人は罪人ですからね。

 

 

そういえば最近久しぶりに「お客様は神様じゃい!」という勘違いをされている意見を見たのですが、今の時代まだそんなことを言っている方がいたんだな、と思いました。

 

神様ならなんでお金を払っているんだ?

お金を払う=客である、時点で神ではないだろ。思い上がるなよ。

 

物やサービスを受けるために店員さんがいる、お金を払う。

生活をするために物を売ったりサービスを行う、そのためには客がいる(必要不可欠)。

じゃんね。持ちつ持たれつでしょ。

互いが互いを尊重尊敬しないと成り立たないって、人間社会。

 

 

善い世の中になったらいいんだけどなぁ。

『足るを知る』って言葉があるじゃないですか。

「分相応と、それで満足することを知れば、それが幸せである」というような(意訳)意味合いですが、それって、全員がそれをすると社会は発展しないんでしょうね。

そして、社会主義ソビエト連邦みたいに《誰か》が我を出して局所集中的な富が発生したりするのでしょう。

やっぱり『資本主義が善でアカは惡!』みたいに簡略化なんてできやしねえんだろうな。

資本主義にも共産主義にも社会主義にも良い面と惡い面があるよ。

そもそもそうやって簡略化したいのはその國自体の思惑だったりするからな。広告ですよ。いつだって宣伝の時代。

 

 

世知辛え〜〜〜〜〜〜世の中

 

 

 

ま、ハップハップしながら思いやりを持って好きに生きましょうや。

わたしはそうします。

 

う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )