本日もご訪問ありがとうございます。
突然ですが、わたしはTULLY'S COFFEEさんのハニーミルクラテというメニューが好きです。
好きなので定期的に注文しています。
先日、また注文しました。
飲んで思いました。
「甘ぇな」と。
ハニーミルクラテは、名前の通りはちみつが入っております。
出来上がりのタイミングで、先の細くなった容器からはちみつを絞って回しかけます。にゅるり。
『はちみつの重量は全体の何%で何グラムから何グラムまで』などと決まっているわけではないようなので、回しかけるはちみつの量はその商品を作ってくれている店員さんのさじ加減なのですね。
恐らく、その時に調理を担当された店員さんがサービス精神が旺盛であったために、はちみつの量が多めだったのでしょう。
だから、わたしが飲んだ時に「甘ぇ」と感じたのだろうと思います。
さて。
この「甘ぇ〜〜」を感じた時。
わたしの脳に去来した感情は何か。
『あぁ、老化だな。これは』でした。
元来甘党なわたしは、少年時代にはケーキに甘いコーヒーの組み合わせを有り難く美味しく頂いておりました。
恐らく、あの当時と同じ甘さのコーヒーを今飲めばたちまち顰めっ面になることでしょう。
よくよく『幼少期と成人してからでは食の好みは変わり、子どもの頃に食べられなかったものが食べられるようになる』なんて言います(わたしにとっての牡蠣がそう)。
これは「味を感じる味蕾という機関が、歳をとることで段々と死滅し、味蕾の絶対数が減るから」だと言われています。
その少年の未来には味蕾の数が減少する、ということですね。
子どもの頃は舌が繊細であったが、成長することで味蕾の数が減り、味を感じること自体に鈍感になる。ということです。
わたしはこの説を信じる。
ということは、わたしは幼少の頃、あの甘いコーヒーをおいしいと思って飲んでいたのか?
いや、決して美味しくないと思いながら飲んでいたわけではないでしょう。
実際に飲んでいたのだから。
あの時のわたしは『甘さの向こう』を見ていたのかも知れません。
いったい何を言っているんだか‾\_(ツ)_/‾
しかし、実家で用いていたお砂糖は、いわゆる上白糖というものではなく、着色していない三温糖だったので実際には美味しかったのでしょう。
ちなみに、わたしはいま粗糖派になったので、三温糖ですら刺々しい甘みに思えます。
そういえば、わんこが家族にいらっしゃった方には共感いただけるかも知れませんが、わんこは他のわんこさんのうんこさんを食べます。
われわれ愚かな人間には、うんこさんのにおいは「くさい」としか認識できませんが、わんこさんの皆様方は、どうやらうんこさんに含まれている「くささ」の向こうにある「おいしいにおい」を感じ取っているそうなのです。
むしろ「おいしいにおい」しか認識していないのではないか。
さすが嗅覺が優れているわんこさん達です。
おや?
子どもの味蕾が甘みの向こうを感じているのだとすれば、わんこと子ども達とは似ていることになります。
これは、喜ばしいことですね( ¨̮ )
実際、《人間の大人》なんていう『システムに凝り固まった存在』などよりも、人間の子ども達の方がよっぽど"自然"として生きているので、全く《自然として生きている》わんこさんとは近い存在だとも思いますね。
おもしろいですね( ˊᵕˋ )
さて、そんな今回の記事は『老化』テーマです。
この後にも長々と続きますが、一つの記事を前後編に分けるという小賢しいことをします( ˊᵕˋ )
後編もお読みいただけたら幸いです( ˊᵕˋ )
ありがとうございました( ˊᵕˋ )
…SEATLE'S BESTのラテも好きです( ˊᵕˋ )