頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

自然不自然

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回は『自然と不自然について』のお話です。

 

 

餃子の王将にて

少し前にこんなことがありました。

土曜日の夜に餃子の王将へ食事へ行った時のことです。

 

土曜日の夜なので、人が多くお店は混んでいて、わたし達は店外で待っていました。

 

食事を終えた家族が会計に出てきたのですが、その時に小さい男の子がこけたのです。

 

わたしは咄嗟に(知らない子ですが)抱き起こそうとしました。

ですが、わたしの前に友人が立っていたので実際に抱き起こすことはできず、未遂になった形です。

あとで友人に聞いたところ、その子は男の子二人の兄弟で弟。お兄ちゃんが押したか何かで倒れた。つまり兄弟喧嘩ということですね。

 

この時に抱き起すのは未遂になったわたしですが、これはこれでよかったのではないかと思います。

 

理由は『自然ではないから』

 

小さい子がこけた場合、親や大人は「大丈夫?」と抱き起こしたりするでしょう。

それ自体は大事だと思います。

 

ですが、それをしすぎたらその子が『自分の力で立ち上がらなくても、起こしてくれる人がいる』と認識する可能性があります。

 

簡単に言えば、『”すぐ甘える人”になってしまう可能性が高くなる』ということです。

 

果たして、それはその子のためになるのでしょうか?

 

「あらあら、起こしてあげないと」という意識は、『大人のエゴ』なのではないか、と思いました。

 

つまり、それまで思い至らなかったということです。いや、お恥ずかしい。

 

 

要介護

また、最近父が要介護者に相成りました。

具体的には『お風呂には入れるけど、一人で入ることができない』や、『一人で歩けず、歩行器がないと転んでしまう』という状態です。

 

帰省した時にその状態を見ましたが、大変です。

なんたって『したいことがあっても、行動が追いつかない』のですからね。

 

介護を手伝ったり、見ていたりしましたが、確かにこれは介護疲れが引き起こされるのも仕方ないと感じました。

わたしは数日だけでしたが、未来いつ終わるかが決まっていない状態で介護をし続けるのは、想像できないほどしんどいでしょう。

 

 

ティッシュペーパーを一枚とるだけでも、うまく引き抜けないことも多かったです。

 

そんな様を見て、初めは取ってあげていました。

ですが、そのあとに「これは父のためになるのか?」と思いました。

 

 

それまですっとできていた行動が突然できなくなったのです。

衝撃はあるでしょうし、どうしたらいいのかもわからず途方に暮れるということもあるでしょう。

 

そういった状況でも、『うまく行動するためにはどうしたらいいのか』とと考えることはできます。どういうように体を使うのがいいかなどをシミュレーションすることも可能です。

 

わたしが手を貸すことで、そういった機会を詰んでいるのではないのか。

 

また、自分でできていたことが他者の手を借りないとできなくなったという事実は、大きなショックでもあるでしょう。

 

介助者といえど、甲斐甲斐しく介助をしすぎると『相手を傷つけてしまう』可能性も高くなります。

 

 

他にも、手を動かすことは非常に認知行動に良い効果をもたらすと聞きます。

その認知行動を”介助と称して”妨げるのは、本当にその人自身のためになるのでしょうか?

 

これは、どちらも必要ですので、一言に『どちらが良い』なんて言えません。

 

まず、ヒトが『適正寿命を無視して長寿を良いこととして生活してきた』ことの代償として、介護が必要になったり認知症になったりと、諸々の病氣が一般的に表層化してきたきたわけです。

つまりそれは自然とも言えます。

 

その自然を『神の手』として”介助”するのは、不自然なのではないか?と思うのです。

 

 

裏返ったウミガメ

以前千原ジュニアさんが『ウミガメの話』をされていました。

沖縄かどこかにある島へ、船を使って移動していた時のこと。ウミガメさんが岩に引っかかって裏返り、もがいていたそうです。

 

その状態を認めながらも、現地人は助ける様子がない。

 

その様子に対して場にいた方が「なぜ助けないのか」と質問したそうです。

 

すると、

「このウミガメは、自然に岩場に座礁したのだ。つまりそれは自然のサイクルであり、座礁を理由に命を落としたとしても、その死骸を食べて生きる命・生まれる命もある。

それは自然なサイクルなわけだ。

しかし部外者である人間が、”かわいそう”といった理由で『神の手』として座礁を助けるというのは不自然になる。

その不自然により生態系に歪みが生まれる可能性もある。だから助けないのだ。もしこのウミガメが命を落としてもそれは自然だ」と現地人は話したそうです。

 

もっともな理由です。

 

ですが、「とはいっても可哀想だろうが」という動物愛護の観点も分かります。

 

実際その船上でも非常な議論になったそうです。

 

 

両方の意見がごもっともです。

 

 

『どちらが良い』なんていう正解は一生出ないのでしょう。

 

個人的には「より自然に近い方」ほうが良いのではないかと思います。

 

 

しかし介護や介助については、もっと考える必要があるとも思います。

 

考え続けるしかないのでしょう。

 

 

死に取り憑かれるのは良くないが、死は救いでもあると思われる

とはいえ、ちゃんと死ぬことができることこそが、生を受けた者の一番の自然ですので、最低、寿命で死ねたら本望ですね( ¨̮ )

生き続ける以上の地獄はないですよ。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )