ジョーカーを最初に観て思った感想は「凄まじかった」でした。
どういう映画かと聞かれたら「心の機微がわかる人にこそ観てほしいし、機微がわかる人にこそ観ないでほしい映画」だと答えます。感想が多いですね。
また、面白かったし最高!なんだけど、面白い!とも最高!とも言えないなと思いました。こういった経験をしてきた人もいるだろうからです。
↓↓以下、ネタバレ↓↓
アーサーくんの生活
冒頭のメイクをしながら右目から涙を流すシーンからアーサーがだいぶ追い詰められているんだなということが分かります。
そしてクソガキにいいようにされてタイトルクレジットが出てくる。こういう映画ですよ、という提示をしています。
変わってバスのシーン。男の子を楽しませているのにその子の母親に心ない事を言われる。有無を言わさないほど。それがきっかけでアーサーの障害が判明します。
ここで不憫というか悲しいのが、ラミネートカードなので目の前の相手にしか病気のことを知ってもらうことができない。
病気のことを知らない人からするとアーサーは狂人としか映らないのです。それがとにかく悲しかった。
あとムカつくのがラミネートカードをアーサーに返さなかったことです。
「てんめぇ"返して"って書いてるだろうが!!」と渡した母親に強く思いました。
あのカードがあればアーサーの未来はちょっとでも変わったんじゃないかと思います。
あとあの母親の下だとあの男の子もいずれジョーカー予備軍になるのではないかとも思いました。
痩せきったアーサーの背中のカットに変わります。仕事道具のブーツを伸ばしているギリギリという音が疲れきったアーサーを表しているんだと思いました。
そこでクソ同僚のランドルがアーサーに自衛のためと拳銃を渡します。そこから話はどんどん展開して行きます。
そんなクソ同僚ランドルが発したジョーク(不快)に笑い声をあげるアーサーですが、同僚の視界外にくると愛想笑いをやめます。
「空気読んで愛想笑いしてるじゃん…そんなことしなくていいのに…」って思いました。つらいだろうアーサー。
アパートのエレベーターでソフィーと一緒になった時、こめかみを撃ち抜いたジェスチャーをソフィーがしたことに対し、廊下でアーサーが同じジェスチャーを、よりリアルにし返したけど、それを見せられてどうしろっていうのさアーサー。
ソフィーも返答に困っていたじゃないかアーサー。コミュニケーションが下手すぎだよアーサー。
小児病棟のシーンで楽しそうに踊るアーサーは本当に生き生きとしていた。この時間がずっと続いてくれと思った。
でもクソ同僚ランドルからもらった拳銃が落ちるハプニングで小児病棟側からクレームがあり、アーサーが所属していたピエロ派遣の会社をクビになります。でもそのハプニングで笑っている子もいたよ。
(ちなみにアーサーがクビを宣告される時に「この嘘つきめ(Liar)!クビだ!(Fire)」って韻を踏んでて、そんなとこでも韻踏むんだって思ってました)
ジョーカー性の発芽
そして地下鉄。
車内の電気がバチバチと明滅しています。これはアーサーの中のジョーカーが誕生するのを暗示しているのだと思います。
駅へ止まり、商社マン3人が乗車してきます(最初學生かなんかだと思っていました)。
その3人がなんとも金とセックスが好きそうな上昇志向な3人なんです(偏見)。前に座っている女性に質の悪いナンパまがいのことをして断られたら芋を投げつける。
食べ物を粗末にしてはいけない。
あげく女性が逃げたら「Bitch!(クソ女)」だなんて。
わたしとしては商社マンの方が無法者に思います。
あとアーサーが女性と商社マンとの仲裁に入ったって言ってる人いたけど、わたしにはそんな描写はなかったように思う。
空氣に耐えきれなくなったアーサーが笑う。商社マンからすればナンパが失敗したことを笑ってると思う(仕方ないね)。アーサーは病気なんだと弁明しようとするがカードはない(バスの母親め)。まあ実際カードを商社マンに提示できたとしても商社マンが信じるかどうかは怪しいけどね。
到着した駅は9番外駅。
そしてアーサーの中のジョーカーの目覚め。この時に撃った弾の数は8発。
そのあとにアーサーが公衆トイレで踊ります。これはアーサーの中にいるジョーカーの解放や、異常性を表してもいるのだとも思いますが、動転している気持ちを落ち着かせる為の、自分の好きなことをして平静に戻るための行動だったんじゃないかなと思います。
次にソフィーにキスをするシーンに変わりますが、あれはアーサーの妄想だそうですね。そりゃメイクしたままなのに誰かわかるはずねーよな。
アーサーが口にするのは薬だけで、母親のペニーにごはんを作り、運んでいる時にテレビにトーマスが映ります。
それを見てペニーが「ウェインさんが出てるわ!」とはしゃぎ(?)ます。なんか今の政策とか自民党政権を無条件に支持してる老人世代と今苦しんでる若者世代との意識のズレっぽいなと思いました。アメリカがどうかは知りません。
その番組で「顔を隠してしか活動できないなんて所詮は卑怯者だ」と言ったことにに対して、フォロワーさんが「自分の息子がバットマンになることへの皮肉」と言及していたのは目から鱗でした。
私はアメコミに聡くなく、観たことがあるのはヒースジョーカーのダークナイトくらいだから原作とか知っていたらもっと楽しめるんだろうと思います。
pogo'sでアーサーじゃない人が言っているジョークはただただひたすらに不快だった。人種差別や性差別バリバリにあった時代だからだろうけどもまじで不快だった。
ああいうジョークで本当に笑ってた時代があるのかと思うと嫌悪感しかない。アーサーがステージに立った時のホアキンの息ができなくなる演技はすごかったです。あるある。
そのあとにソフィーとの妄想デートタイムですが、露店?にかかってる「殺人ピエロ、いまだ逃走中」のピエロの絵アーサーに似すぎやない?
その日の夜にアーサーはペニーの手紙を見てしまい、「アーサーはトーマスの隠し子ではないか」という可能性を知ります。
ウェイン邸に行きアーサーくんはブルースくんと接する。そのあとにアルフレッドくんにアーサーくんがだいぶ邪険にあしらわれる。毎日ペニーから手紙がきて鬱陶しいいかもしれんけど「イかれた女」はダメだよアルフレッドくん…。
その日の夜にペニーが病院に運ばれ、失意の中にいるアーサーが屋外ベンチでタバコを吸っているところへ、刑事が商社マン殺人についての話をアーサーに聞きにきます。そこで1人がアーサーの病氣について言及します。
「それは演技じゃないの?ピエロって笑うのも仕事でしょ?」って。
本人は辛いことなのにとても信じてもらえないのってほんまにしんどいのよ。なんでこんなにつらいのにわからねえんだ!って腹立ちもするし。
でもアーサーがEXIT ONLYの自動扉にぶつかるシーンは笑いそうになりました。
そのあとマレーのプログラムでアーサーがpogo'sでショーをした時の映像が流れ、ジョーカーと紹介されます。
カオスを作る者の片鱗
翌日、デモが起きているウェインホールに向かうアーサーくん。
セキュリティが市民を殴った?かなにかで暴動が起きる。その暴動に乗じてウェインホールに入りこむアーサーくん。この頃からアーサーくんの現れるところに混沌が訪れる事になる。
トイレでトーマスといざ対峙をするもトーマスは手紙のことはペニーの妄想であること、アーサーはペニーの養子であることをアーサーに告げます。そしてアーサーを殴ります。
あの時のアーサーは孤独で愛情に飢えた1人の少年に見えた。言い方柔らかくしてハグくらいしてあげられなかったのかトーマスは。
その後アーサーはペニーが入院していた病院に行きペニーの診断書を閲覧します。診断書を奪って非常階段に逃げ(?)混みますが、その時の階層は7階。
トーマスの言っていた通りアーサーは孤児で、養子。ペニーは多数の精神疾患を患っていました。そしてアーサーの障害は昔ペニーが交際していた人物から受けた虐待が原因であることも判明します。
その時のアーサーが、「心ではすごく悲しくて泣いているのに、障害のせいで外に出てくるのは笑い声」という現実がすごくすごく悲しかったです。
あと診断書くらいどうだって書き換えれるじゃん。とも思ってたな。トーマスとペニーの診断医ズブズブそうだし。
映画の最初からペニーはアーサーを「ハッピー」と呼びしているのですが、そのハッピー呼びが仇となります。
看病中にアーサーをハッピーと呼んだことにより「どんな時もハッピーでいろって言われてきたけどあんたのせいでこんなことになってんだよ!」「あんたが憎い!!」となりペニーを枕で窒息死させます。
親の一言が毒にも薬にも呪いにもなるっていうことですね。
あとアーサーの気持ちもわかるけど、もし本当に孤児の養子だったとしても、育ててくれたのはペニーじゃんか。とも思う。アーサーくんの気持ちもわかるけどさ。
ちなみにわたし的にはこのペニー殺しがアーサーからジョーカーへとスイッチしたタイミングかなと思います。
あとペニーを窒息させてるシーンはとても綺麗に見えました。
ジョーカーの完成
アーサーくんがマレーのプログラムに呼ばれます。
マレーショーに出演する当日、ジョーカーのメイクをしている時にクソ元同僚ランドルがアーサーの家を訪問します。家に招き入れた時にドアにチェーンかけたので「あ、やるな」と思いました。
家に入れた時はアーサーだったのにクソ元同僚ランドルが「警察が話を聞きにきた。殺人ピエロはアーサーじゃないと言っておいたから口裏を合わせよう」と言った時に、表情が変わったのが本当に怖かったです。
ジョーカーがクソ同僚ランドルくんを殺害(やったぜ)。
ジョーカーのコスチュームに着替えてジョーカー完成。かっこいい。
ジョーカーが長い階段を踊りながら降りるシーンで「ジョーカーになったねー」なんて思ってたら病院の時の刑事に呼び止められてジョーカーがアーサーくんに戻ります。「えっ逃げるんだ」って思いました。
逃げる逃げるアーサーくん。タクシーともぶつかる。ちなみにこのシーンは一番最初のクソガキとの追いかけっことも通じています。
そしてアーサーくんは地下鉄に乗り込みます。この時に電車がきたホームが6番です。
一緒に刑事も乗り込んでくるのですが、この車内でもジョーカーが行くところ混沌ありです。
ジョーカーを追ってきた刑事の1人が乗客に発砲したことにより暴動が起きます。市民に鎮圧されてる刑事を見ながらジョーカーが「やーいやーい!」みたいな感じでダンスするシーンは心底ゾッとしました。イかれてる。かっこいい。
そのあと地下鉄からジョーカーが出てくる時にジョーカーが左目から涙を流しているのですが、なんで左目?と思って調べたら、作品冒頭の右目からの涙は自分を偽っている時にでる涙で、左目からの涙は自己の解放の時に流れる涙だそうです。真偽は知りません。
「報いを受けろ、クソ野郎」
局入りしたジョーカー。鏡には「Put on a happy face(笑顔の仮面をかぶれ)」と書かれています。掃除が大変そう。
そこにマレーが挨拶(?)をしにきます。ジョーカーの楽屋はエレベーター前、4階の404。
その時にジョーカーが「私のことは以前マレーが言っていたようにジョーカーと紹介してもらえますか?」とマレーにお願いするのですが、当のマレーは「そんなこと言ったか?」と覺えていません。最初からマレーにとってアーサーはイジってネタにして消費する者でしかなかったことがわかります。
マレーが「うちの番組は悪態下ネタなしの上品な番組だからそこんとこよろしく」と言うんですが、どの口が、と思う事になります。
本番中ジョーカー登場前、セックスセラピーの博士がゲストだったそうでそれに絡めたジョークで場を盛り上げます。いやそれバリバリ下ネタやん。
ジョーカーを呼び込む前の紹介でマレーが「次出てくる彼も診断が必要かもしれない」と言うのをモニターで見ながらなにか思うジョーカー。この時に「憧れでもあったマレーも結局は弱者を笑う側なのか」と悟ったのかもしれないね。
マレーに紹介されて登場するジョーカー。この時に画面比率が16:9から4:3になるのはテンションが上がりました。
ネタやってとマレーに振られ、ノックのネタ(?)を披露するジョーカー。商社マン殺しは私がやりましたと明かすジョーカー。そのジョーカーを撮すカメラは3番カメラ。
ちなみにジョーカーが商社マン殺人をやったって告白した時にトロンボーンが効果音を入れるんだけもアーサーからしたら茶化すな、って思っただろうな。
アーサーとしては「我慢して我慢してやっと本音を出してんのにバカにするな」って感じだと思う。
実際にマレーが「人を殺してなんになる?それが面白いと思っているのか?」といかにも(表面的に)常識人として諭そうとした時にも「おまえはスタジオを出たことはあるのか?(庶民の現状を見たことがあるのか) 俺が道で死んでいても見向きもせず踏んでいくだろう!」と激昂していましたしね。
YouTubeの感想動画でも誰かが話していましたが、マレーが「それで?それでオチは?」って言ったのはよくなかったよな。
貧困層からすれば富裕層優遇の政策をしていることも、アーサーの障害も、地続きで起きている現実で「ジョークではない」から。
その現実を「いや自業自得でしょw」と切り捨てられたら堪忍袋が破れるのも納得だと思う。それを加味したらジョーカーが悪堕ちしてヴィラン化するのも妥当かなと思う。
それで悪堕ちしたジョーカーはマレーを拳銃で射殺する。この時に撃った球の数は2発。
ニュース画面に映される数字も2。
パトカーで護送されるジョーカー。パトカーに突っ込むトラック。助け出されるジョーカー。
氣を失ってたジョーカーが息を吹き返し、立ち上がります。完全にキリストの復活を意識しているのだと思います。
そしてここでゾッと(?)したのはメイクが落ちてきたジョーカーが血を使って笑ってるメイクをしなおすのですが、これまでは真顔でも遠目に見れば笑っているように見えるメイクだったのに対して、この時はアーサーの笑顔の上からメイクをしていることです。
そのカットを入れた意図は不明ですがなんだか不穏な気持ちになりました。
そのあとに真っ白い部屋でアーサーがカウンセリング(?)を受けているシーンに変わります。ある方の考察でジョーカーの誕生譚とか全部アーサーの妄想ちゃうのって言っていたので2回目観た時にアーサーの髪を見たのですが緑の気もするし染髪する前のようにも見えます。
一番最後に逃げるアーサーと追いかけっこのシーンで終わるという一番コメディっぽい演出にしているのもなんだか恐ろしかったです。
これもある方の感想ですが、アーサーにはツッコミ役の相方みたいな人がいれば救われたのではなかというのも納得です。
アーサーが「人生は寄りで見れば悲劇だが引きで見れば喜劇だ」という言葉の通り、アーサーは自動扉にぶつかったりタクシーにぶつかったり小児病棟で拳銃を落としたりと、ツッコミさえあればいろいろ救われたんじゃないかと思う。
またチャップリンのモダンタイムスが今作のベースのひとつになっていることから、走りながらコーナーを曲がる時に滑ったり自動扉にぶつかったり無声活劇として見ればコメディにもなりえるという映画なのかもな、と感じました。
アーサーこそキングオブコメディだ。っていうメッセージも感じます。
感想
わたし不幸事を共有しようとする日本人の気質が嫌いです。
誰かが勇氣をもって”今こんなことに悩んでいるんだ。こんなことが辛いんだ”と打ち明けたとして、それに対して「みんなそうだよ。そこを我慢してみんな生きている。だからそんな弱音言ってないで大人になれ」なんて、救いがなさすぎるじゃない。悲しすぎるよ。
もし相談した人が理解をしてくれず、そんな風に言われたら「誰に言ったって無駄なんだ」と思って心を閉ざしてしまうかもしれない。実際アーサーはそうだったのだと思う。
わたしは不寛容にはならないようにしたいです。
最後に、ジョーカーはやっぱりカリスマがあるのだと思います。
アーサーじゃないと貧困層のカリスマアイコンにならなかったと思うし、不満を持っていても自分からは絶対に行動できない人、しない人もいるだろうしね。
👇ジョーカー 新解釈👇
ありがとうございました。