頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

タイム is マネィ なり

 

ご無沙汰しています。

 

ご無沙汰しすぎたかもしれません。

 

そんな御託はいいんです。

 

今日は時間とお金についてのお話です。

 

これから摩訶不思議なことを言いますので、驚かないように驚いてくださいね。

 

時間というものはありません。

 


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最近激推しの八十八ヶ所巡礼というバンドの『絶妙Σ』という曲のサビでこう歌われています。

 

時間は何かと訊かれたら 時間は波だと答えるし

 

時間は波。

 

波というのは変化します。

 

そういえば来たる2021年八月十八日に新しいnew アルバムの『』が発売されます!買います

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あるというのは、ないというのがこの世ですので、時間はあるようでないものです。

 

正確にいえば、時間は人工物。もとい人工の概念となります。煩悩です。

 

現時点でのわたしの見解ですが、時というものは存在すると思います。三次元の自分が理解できる時点での話ということですね。

 

ですが、時間はない。どういうことだと思いますでしょうか?

 

なんでも答えを求めて自分で考えようとしないのが現代人の現代病たる部分ですね。

 

さながら古代エジプトの時代から「近頃の若者はよくない」とぼやいている輪廻のようです。

 

反面教師のナイス材料です。実った稲穂にならねばいけませんね。

 

何でもすぐ答えを求めるというその姿勢が宗教を生むのですよ。

 

「時」という自然物を管理しようとして作った概念が「時間」だと考えています。

 

自然物に対して、ヒトがかろうじて理解できる理論を当てはめた価値観が時間というものです。

 

その構図は現代の科學と同じですね。

 

おそらくは「管理できないのもは恐ろしいから、無理やりヒトの手中に置いて管理しよう」という魂胆でしょう。管理などできませんのですけれどね。

 

あと、管理していると思わせておいた方が御ししやすいので自然という宇宙は懐が広いですね。

 

八十八ヶ所巡礼のベースボーカルはマーガレット廣井さんという方です。

 

ならばなぜ「時間」などという概念を先人が作ったのかとお思いのことでしょう。

 

それこそ管理しやすいからでしょう。

 

時間という概念があった方が仕事などのスケジュール管理もしやすいですし、何かの作業においてのリーダーは下の人材を動かすことも可能です。

 

「ここからここまでやっておいてね」よりも「いつからいつまでの時間をやっておいてね」と言う方が指示をされた側は作業を遂行しやすく、且つやる気なども生まれやすいのではないしょうか。

 

人によるのでしょうけどね。

 

八十八ヶ所巡礼のギターはKatzuya Shimizuさんという方です。

 

ピラミッドの建造にコカの葉を給料にしていた、なんて説があるそうですが、神秘薬物を給料にする代わりに際限のない奴隷のような働きをさせるより、時間を決めて塩を給料にする方が雇用されている側としては不満がないでしょうからね。

 

八十八ヶ所巡礼のドラムはKenzooooooさんという方です。鼻筋がとても綺麗です。

 

あともう古くなった説かもしれません。記憶違いかも。

 

それでこれが時間という概念を作った1番の理由なんじゃねえのかなと思いますが、時間っつーものを浸透させたら時間に自ら縛られて生きていく人が誕生するからでしょうね。

 

この構図はお金と一緒。

 

あと3S政策ですな。

 

お金も、「お金を稼ぐために生きる」という方が一定層いる現世です。

 

よく考えて。金なんていくら抱えていたって死にゃ地球だぜ。

 

金が紙でしかなく、それに価値があると思い込んでいる(洗脳?No!染脳!)けど、印刷物だぜ。

 

資本主義の世だと神の如き所業を行えはするが、その神が邪神ならばどうだろう?

 

Imagine.

 

金は大切ですけどね。

 

こう見ると時間に縛られているのとお金に縛られているのと科學に縛られているのが同じものに思えます。

 

誰が縛っているのでしょうか?

 

自分自身だとわたしは思いますが、答えはご自身で掘ってください。

 

「自分で自分を縛っている」というのは、『ゲイだと思われるから男性は化粧してはいけない』や『男はペニスが大きい個体が優秀』といったようなカルト的信仰にも似た呪いのようなものを感じますね。

 

「ほとんど阿呆らしいもの」と思いますが、三次元の世に浸かっている人間は目に見えるものしか目に見えませんからね。

 

結局なにが言いたかったかというと、時間という概念は人間が作った虚無な煩悩ということです。

 

hey セルフSMな諸君

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

またお会いできれば。