みさなまこんちには。
本日も閲覧ありがとうございます。
こちらの画像は「とんかつ フリー素材」で検索したものです。
本記事内容とは一切関係がございません。
皆様はゲームがお好きでしょうか。
ゲームと一口に言っても、トランプなどのカードゲームもあればビデオゲームもあり、ここ数年ではboard gameなども大変人氣で盛り上がりを見せています。
今回お話したいのはビデオゲームについてです。
わたし自身も昔はそれに興じていましたが、もともと他人がプレイしているものを見る方が好きなことや、自身がプレイしている内にダレてしまうなどといったことがあり、今ではもっぱらゲーム実況を見る方が好きになっています。
しかし、ゲームに興じる人に対して苦手を感じることがあったりもします。
その理由は「どこか心が壊れている感じがするから」
これは偏見でしかありませんが、そういった印象を感じる人を見たときはどうにも( ´・ω・`)という氣持ちになります。
ゲームという娯楽から見えるもの
そんな思いを抱えながら過ごしている時にアップロードされたこちらの動画。
精神科医の名越康文さんという方が、知らないプレイヤーの作ったアバターを見て、その製作者自身を分析するというもの。
アバターというのは、『サイバー上での架空の自分』というキャラクターで、最近では目の形・大きさ・顔の位置などを、ある程度の範囲内で決定してプレイヤー好みの顔に作ることも可能となっています。
この名越康文さんを初めて知ったのが、『Detroit: Become Human』というゲームを解説したこちらの動画。
ここで名越さんが用いているのは『コールドリーディング』という「顔つき(表情や緊張)・所作や機微・着ている服」などから、その人の性格や生い立ちを読み取る手法です。
コールドリーディングは占い師の方や心理カウンセラー、メンタリストと呼ばれる方がよく用いていらっしゃいます。
この動画を見て、「すごい。おもしろい!」と思い、他の動画なども見る様になりました。
そうしていると、名越さんは『体癖論』という人類分類論を學ばれていて、それを元にした書籍も多数出版されていることを知ります。
『体癖論』は、明治に活躍された整体師の野口晴哉さんという方が見つけた体系で、「腰椎の五個がそれぞれ別の臓器機関と密接にリンクしており、それが理由で体格や性格も違う」というものです。
各腰椎に対応した臓器機関があり、一つの腰椎から生まれる性格も陽極(エネルギーを発散させるタイプ)と陰極(エネルギーを集中蓄積させるタイプ)があります。
その五個の腰椎かける二種類(5×2)の10種類があり(11と12もあるそうですが難しいらしい)、腰椎それぞれに対応した機関由来の区分もあり『上下1種』や『ねじれの8種』と分析します。
アバターは分身
その体癖論やコールドリーディングを用いてアバターを分析しようというのが、上記の動画です。
なので、『どうぶつの森は3種的』というのは、「ゲームを作った人が3種強めの人だから出力された世界観も3種的になって、選択肢も3種寄りになる」という意味合いになります。
そんな中、とても興味深かったのがこちらのアバター。
『サイバーパンク2077』という物騒目なゲームのアバターだそうです。
このアバターを見た名越さんの分析内容は動画の通りなのですが、ざっくりいうと以下です。
- 父親という存在が大きいものでそれがプレッシャーだった。
- そのプレッシャーを跳ね除けるためにピアスやタトゥーという痛みを受け入れた。
- 『身体的痛み』を受け入れることで、自分が男だということを証明しようとした。
このアバターの製作者さんが名越さんの分析を聞いた感想を話しますが、分析がなかなかあっていました。
- 父親が社会的に成功している人であったこと。
- その父があるため、なにかにつけて人からなにか言われること。
精神分析の妙を垣間見た感じです。
ゲームをプレイするという治療
そして名越さんは自身で持っているチャンネルでもゲームの解説されています。
そこで『DEATH STRANDING』を解説している動画を見ました。
この動画内で名越さんは主人公の口元を見て、「この人は過酷な運命にあって、自分自身を表現することを抑圧されていた人ではないか」と分析します。
「口の閉じ方に緊張感があって、あまり口の周りの筋肉を使わずに生きてきた空氣感がある。過去、特に幼少期に何かあったのかなと感じる。目が非常に知性的で、自分の感情的な抑圧を知性でリカバーしてきた人ではないか」と続けます。
その分析を聞いてわたしは「あぁ、これはわたしだな」と思いました。
それと同時に、社会にはこの主人公と同じ過去を経験した人が多くいて、その過去を忘れてはいるが解消されずに大きなしこりとなっている。
別の言い方をしたら、『インナーチャイルドが癒えていない』という状態です。
そのしこりを知らぬまま抱えながら生きているから、同じ様な題材や人物が出てくる作品に惹かれる。
これはゲームだけではなく、映画にも当てはまります。
しかし、ゲームは自分でプレイすることで成立します。
「自分を同じ境遇を体験した人がいると"認知しただけ"で心が軽くなる」というカウンセリング方式があります(アメリカ映画によく描写されるグループカウンセリングとか)。
また、とても甲斐甲斐しく他者のお世話をするのが好きな人は、決して『お世話自体が好き』なだけではなくて『あまり構ってもらえなかったから、他者のお世話をすることで、過去の自分をケアして癒している』という場合もあるそうです。
自分がゲームをプレイしキャラクターを動かすことで、その『ケア』を自分自身にしてあげている。
そういった『ケアが必要な状態でもある』から、ゲームに興じる人に対してわたしは「どこか心が壊れている感じ」がしたのではないかと思いました。
そんなわたしがなぜゲームにハマらなかったかというと、おそらく音樂の方が自分に合っていたからだと思います。
音樂は作品ごとにその作者が作った世界にトリップすることができますし、ギターを弾いている時は徹底的に自己と向き合うことができます。
それを感じて、タイトルになりました。
みんな等しく何かしらを抱えていて何かしらで何かしらを癒している。
その人が無理のないように自身を癒して、救って、自信をつけられたらいいのだと思います。
名越さんは同時に『THE LAST OF US PART Ⅱ』という別のゲームを解説されていて、そこでは「アメリカという、最盛期には世界の警察とも言われた國の衰退を描いている」と分析していて、『DEATH STRANDING』では「過去の戰爭で分断されたアメリカの再建」を描いていました。
ここでわたしが面白いなと感じたのが、「アメリカで作られたTHE LAST OF US」がアメリカの衰退を描いており、「日本で作られたDEATH STRANDING」がアメリカの再建を描いているということです。
非常に興味深くて面白いですね( ¨̮ )
ありがうとざごまいした( ¨̮ )