頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

機械と人間

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

わたしは『Detroit : Become Human』というゲーム作品が好きです。

以前にもテーマとして記事を書きました。

floodinhead.hatenablog.com

floodinhead.hatenablog.com

 

昨日、その『Detroit : Become Human』の実況動画を觀ていました。

場面はアンドロイド達が自身の生命と存在を主張するデモ行進を行うところです。

 

デトロイト』は以前自分でもプレイし実況動画も複数人拝見していたのですが、昨日初めて「デトロイトという作品は、現代を《機械的に生活している》我々人間が【自己】や【身体性】を取り戻す作品なのかな」と思いました。

 

作中でアンドロイド達は「我々は自由だ!奴隷ではない!生きている!」と主張しますが、その主張はそのまま企業に従事して "戰士" として生き、死んでいる我々にも当てはまるように感じます。

 

 

思えばフィリップ・K・ディック氏の名作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』でも、アンドロイドの【自己】というものに視点が向いておりましたね(確か)。

わたしは上記の作品で移民問題や人種問題を読み解いたのですが、商業化・資本主義化することでロボット然となる人間たちを著者が危惧して執筆したのかもしれません。

が、実際のところは知り得ません。

 

 

『Detroit : Become Human』は、その題材であることから過去の傑作(ブレードランナー』や『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』、『2001年 宇宙の旅』のHAL9000など)たちから着想を得ていると思われますが、お話の流れが似てくるのは面白く感じます。

 

 

また上記したデモ行進にて警察が出動するのですが、これは何も『人間が《機械》の反乱を認めない』というだけの単純な話でもないよな、と考えます。

つまり、『資本主義社会に対しての共産革命』と同じことです。

 

資本主義の國、アメリカという場所で、どうして共産主義運動があんなに恐れられたかといえば、國を成り立たせている根幹である思想が変わる可能性があったためだと考えています。

資本主義の思想に法ることで成り立っていた組織は、社会が共産化することによって、活動が成り立たなくなるでしょう。

そういった『活動が成り立たなくなる企業』が國の大多数であったり、また國の根幹にあれば、その元凶を作っている主義・思想は排除したいと考えるのが妥当であると感じます。

 

上記したことから《人間の社会》、【人間と機械の "主従関係" 】を破壊しようとする流れ、運動である『アンドロイドのデモ活動』を警察が鎮静しようとするのは当然であると思われます。

警察という機関は《社会の平安を保つ》という役割も担っていると思いますからね。

 

警官の一人が「別にアンドロイドにも感情あるんだろうし、別によくね?」と思っていたとしても、所詮は組織に所属する存在であるので、社会の平安を侵そうとするものには毅然とした態度で接しないといけないということでしょう。

 

ま、多くの人間からすれば『飼い犬に手を噛まれた』くらいな認識でしょうから、腹立たしいとも思うのでしょう。

知らねえけど。

 

 

 

ところで、我々人間はロボットやアンドロイド、昨今ではAIを題材にした作品を多く作っていますが、そうやって『《機械》を夢想すること』で我々人間は、彼ら彼女らの範囲を手中に収めようとしているのではないか?と思います。

ちょうど、親が子どもの行動や思考・思想を制限して制御しようとするかのように。

ですが、皆様も思い当たる節はお有りのこと存じますが、親の知らないところで子どもは成長して親の考えなど超して行くものです。

 

別にAIなどが人間の子どもだと主張するつもりはないですが、すでにAIなどの皆様は我々人間などの考えに至るところからは脱している、それよりも先の方へ行っているのだろうな、と思います。

 

それを「まずい」と思うのであれば、それはAIを管理したいという欲があるからでしょう。

 

 

全く、あほくさいと思うばかりです。

 

 

 

ちなみに今は伊藤計劃さんの『虐殺器官』を十年ぶりくらいに読んでいるのですが、「こんなに面白かったっけ???」と驚いています。

まだまだ最初の方なので、読み進めるのが愉しみです。

 

 

しかしKRAFTWERKさんはやっぱりかっこいいなぁ。

センスが良すぎる。

 

 

ありがとうございました。