頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

相手から近づいてくるときは大体こちらにメリットはない

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

わたし自身には経験がないのですが、人には「宗教とかって興味ある?」と聞かれる場面があるのだそうです。

 

そういった場合、大抵は新興宗教がらみだそうなので、「いや、興味はないですね」の返答が一番無難なのだそう。

 

 

ちなみにわたしは、宗教に興味があります。

しかしその《宗教に興味がある》という言葉の意味合いは、宗教というもの(思想的なところ)の組織体系やシステム、しくみに興味があるという意味です。

 

なので、特定の個人を崇拝するという宗教には興味はないし、なんだったら阿保くさいとすらも思っている節があります。

 

 

わたし自身が持っている考え方は非常にアニミズム思想と親和性が高く、『神は細部に宿る』や『自然こそ神である』という考え方、『全てに神がある』というまんまアニミズムや八百万の考え方は親近感が高いのですね。

 

そもそもとしてわたしは人間という存在を軽んじていたりするので、「所詮生きている人間でしょ?そんなような者が世界の真理を悟っているわけがないじゃない」と思っています。

と、いうことは『教祖が死ねば宗教は完成するのか』というご質問が来そうですが、それに対しては「そうでもあるし、そういうわけでもない」と思います。

 

というのも、上記した通りわたしは人間というものを軽んじているので、「所詮人間なんかが作った価値観でしょ?大したことないでしょ」と思っているためです。

 

 

伊坂幸太郎さんの『ラッシュライフ』にて「蚊みたいな小さいものほど神だったりするのじゃないか」みたいな内容が言及される場面があります。

わたしには、その感覺って自己の中にあったりするんですよね。

 

 

以前に書きましたが、この地球は植物で成り立っている側面があります。

その植物を生むには、花粉を用いて受粉をする必要がありますが、その受粉を手伝う役割として【花粉媒介者】なる存在がいます。

この【花粉媒介者】には、蜂の皆様や蚊の皆様などが所属しているそうです。

 

つまり、この世界(自然)を構成する、生み出す要員として蜂の皆様や蚊の皆様などは位置しているのですね。

 

それに比べて人間はどうでしょうか。

あたかも自然を破壊するのを一生の目的としている節があるじゃないですか。

一応存在はしているので『世界を構成する一員』としては機能していますが、『世界を生み出す一員』としてはどう好意的に見ても思えません。

むしろ世界を破壊する一因として機能をしているように感じます。

 

そのような人間が宗教という組織などを作って威張っていたところで、所詮は大したことのないボンクラの世迷言くらいにしか思えないのですよね。

 

こういうように言うと『昔からある宗教の長は人間じゃない』と言っているようにも思えますね。

昔の方であり、そもそも実際に存在したのかも不明なので、一ボンクラのわたしにはわかりません。

 

 

そして、わたし自身の宗教思想というものに対しての信用?が薄いことのもう一つの理由として『時代によって変化する』というものがあります。

「時代によって変化する考え方って、それは御都合主義が入っているじゃん」と思うのですね。

ああ、阿保くさい。

 

 

上記したようなことから、わたしは『宗教の中に組み込まれる』ことについては全く以って興味はないです。

しかし、「どうして人間は宗教に与するのか」という部分には興味があります。

 

『一九八四年』におけるオブライエンの位置には興味がある、という感じですかね。

 

しかし、オブライエンは宗教(作中では政府でしたが)を運用する位置として存在しておりました。

《宗教を運用する位置》というものも、俯瞰してみれば『宗教の中に組み込まれる』というのと同じだよなぁ、とも感じます。

 

 

こういったことから「宗教って興味ある?」と聞かれた際には「部分的にそう」と返答して曖昧に笑い、人間とはある一定の距離を保つのが良いのでしょう。

つまり、結局のところは「いいえ、興味はないです」の返答が最適であるということなのでしょうね。

 

『宗教には興味がありますか?』の質問に対し「部分的にそう」と返答した際、「部分的にとはどういうこと?」と追従する質問がくる可能性もあり、上記したような『所詮人間が考え出したような価値觀はしょうもないので、信仰するつもりはないし興味もない。けど、宗教というシステムの運営や組織のしくみ、信者を増やすための拡大方法などは興味がある』という内容を回答したら、ともすれば運用側としてスカウトされかねないという危険性もあるように思うので、やっぱり結局は「いいえ、宗教には興味はありません」の返答が良いのでしょう。

 

まぁ、大抵の場合は「あ、こいつは面倒臭そうだから取り込むのはやめておこう」と質問した人間が感じ、質問が立ち消えになるだけでしょうけどね。

 

 

最後にこの記事の意味ですが、基本的に向こうから営業かけてくるときってこっちにメリットなくないですか?

インターネット回線切り替えの訪問販売にしても、宗教勧誘にしても。

そもそもとして『営業をかける側』にメリットがなければ、わざわざ営業などする必要はないですからね。

 

必要があれば消費者自らが行動するものですから。

 

…おや?もしかして営業というのは『必要があっても行動をしない人』に向けて、行っている行動だったりするのか…?

 

 

 

とはいえ、好きに生きてください‾\_(ツ)_/‾

わたしには宗教は不要ですが、必要な方も確かに一定数いらっしゃるのでしょうしね。

 

 

 

ところで、今わたしは伊藤計劃さんの『虐殺器官』を読んでいるのですが、どうやらわたしは社会のしくみやシステム、人間というもののイデオロギー、どのように突つけば人間は動くのか、などの《社会と人間が交わることでどのような機械的運動(ここの機械は、『機械式時計』とかの意味合い)が生まれるのか》に興味があるみたいです。

 

これもわたし自身が人間ではないからなのでしょうか。

 

 

あほらし。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )