本日もご訪問ありがとうございます。
わたしは本が好きです。
去るは五年ほど前、その当時の上司に「何を読んでいるんだい」と聞かれたので、「『犬神家の一族』を読んでいます」と返答をすると、「古ー!!」と叫び、笑って口腔から裏返しになりました。
わたしはその上司のことを好ましく思っていなかったので、「ええ、、まぁ。。。」と返答して、裏返しになっている様を横目に読書の旅へ再入いたしました。
わたしは古典と呼ばれているものも読んだりします。
今読んでいるのは江戸川乱歩さんの『怪人二十面相』で、積ん読は平野啓一郎さんの『本心』です。
『良いものは、たとえ古かろうが良い』ということを知っているからです。
ですが、一定数【古い】ことに対して嘲り混じった嗤いを差し向ける者もいます。
わたしにはこれがわからない。
いえ、当然人間なぞ他人なので、わかるはずもないのですが、だとしても【古い】が嘲笑の対象になる理由が不明なのです。
上記した五年前より現在まで、古典を挙げたらば「古ー!!」と叫んで笑いで肉体が裏返す反応を示す者へはモヤモヤを常に感じています。
逆に?考えてみて、【古い】に価値を置いていないということは、【新しい】にこそ価値を置いているということになります。
【新しい】とは《流行》なども含まれるでしょう。
また【新しい】を言い換えれば《若い》にもなると感じます。
これは偏見ですが、【新しい】を価値基準の軸に据えている人は《若い》を信奉している方が多いようにも感じる。
確かに、この世の中は《若い》人間ほど取り沙汰されて扱われているように思います。
その反面、「自分はもうこの年齢だから」という理由で何かをしないという選択をしている人も多いよう。
果たして、『《若い》や【新しい】=良い』で、『【古い】・《老いている》は悪い』のでしょうか。
一つの提言ですが、『《若い》や【新しい】=良い』という心理構造で生きるということは、『《若い》や【新しい】にしか価値がない』ということに言い換えることができます。
つまり、「自分自身には価値なんてないけど、今の自分は《若い》から価値があるのだ」と思っているということです。
それは、本当に真実でしょうか。
自分自身というものには価値がないとでも?
莫迦を言っちゃあいけません。
あ、でも自分のことは価値なし人間と思いたい人はご自由にしてください。
人の生き方を、所詮よそ者のわたしが変える資格はない。
別の例えにいらしていただきましょう。
【古い】を言い換えると『伝統』という言葉になります。
この日本國という場所にも伝統や、民自身に伝統の意識はあるでしょう。
しかし、主流となっている価値観は『《若い》や【新しい】=良い』というものです。
そうでなければ、こんなに毎日いろんな "消費" が紹介されることがない。
ありえないはずですよ。
さてこの『伝統意識』と『新興意識』ですが、これは民個々人が持つ國に対しての思想にも作用するのではないか?と思ったのがこの記事を書くきっかけです。
『伝統』とは「昔から伝わって来た有形・無形に関わらない風習や様式。またその精神的な面」という意味だそうです。
『伝統』を深く意識すれば、昔からの風習や様式を重んじる。
この心理は、のちに愛國心へと遷移するのではないのか、と感じます。
伝統を重んじるだけ、でです。
しかし、現代日本において『伝統』はなかなかに軽視がされがちで、『《若い》と【新しい】』が基調になったものがもてはやされているように思います。
ん? おや??
それとも資本主義という思想体系自体が『《若い》や【新しい】を信奉する形』になっているのか?
しかし資本主義大國のアメリカさんは愛國心とか言っていたよな。
今年の元日に『愛國心』についての記事を投稿いたしました。
その記事の中で「西洋は建物を建て直すのではなく古いまま使う。その理由は景觀を損なわないためであるとか、文化の保存だとか」と書きました。
おや、いかがでしょうか。
西洋は『伝統』を重んじているようです。
西洋に反して日本は『《若い》と【新しい】』が基調になった即物的なものを有難がって、「若くないものは駄目」や「古いはダサい」という価値基準で生活をしています。
その結果の、日本の愛國心です。
と、こんな記事を見つけました。
この記事では日本の愛國心は七位なのだそう。
思ってたよりもだいぶ高いなぁ、と感じました(日本語で展開されているのだから、そりゃあ入っているか。あと結局自分で調べたのではないので、全面的に信用できるかについては不明)。
ということは、日本人は潜在的・無意識的には日本國に対して愛國心を持っているけど、それを外に出していないということなのでしょうか?
或いは日本人特有の謙遜文化で表面化していないだけ??
ありえるな。
日本人の謙遜によって、愛國心が資本主義的な価値観に隠れているということなのですかね。
だって資本主義的なものは派手ですからね。
売らないといけないから。
まぁとはいえ、『《若い》や【新しい】こそが価値』というのは危険な考えだとは思います。
どちらにせよ、自らの精神を侵しかねないと感じるからです。
『若い』とかっていうソフト的なインスタントではなく、経年での経験という年代物みたいなもの、《それを経験した自分》というハード的な部分こそが価値になり得るんじゃないのかよ、とわたしは考えます。
とは言っても、『年を取っているから偉い』のでは全くないですけどね。
特にこの現代、のうのうと生きているだけで年取れるような社会ではなおさらです。
年を喰った程度でレベルアップなんかできるかよ。阿保。
あと、わたし思うのですが、『愛國心=政党支持』ではないと思いますよ。
政党や政治というのはあくまでも《國を運用するための装置》であって、國というものの実態ではないと感じます。
國とは、その土地が持っている文化や風習のことだと考えます。
ところで日本語はよいですね( `◟ 、)
ありがとうございました( `◟ 、)