本日もご訪問ありがとうございます。
また、本日は新年が明けて元日です。
明けましておめでとうございます。
が、所詮はただの平日です。
さて、記事のタイトルに冠しました「愛國心はあるか?」ということなのですが、別に八十八ヶ所巡礼さんに当てられたのではありません。
《愛國心》
それは、現代日本ではその言葉を聞いた途端に『右』と切り捨てられかねない言葉です。
しかし、「自國を大事に思うこと」であり、それがどうして揶揄されないといけないのか、と思ってしまう部分はどうしてもあります。
とは言え、この記事ではそれは置いておいて。
愛國心。
平べったく凡庸に解釈と説明をすれば、それは「自分が生まれ育った國を大切に思ったり、誇りに思うこと」などでしょう。
脳を切り替えて考えてみましょう。
愛國心。
この日本國でその言葉を言えば、即座に「右だ。極右だ」と言われかねません。
しかし、日本がほとんど属國としているアメリカという國では「当然」の意識なのでは無いか、とわたし個人は感じます。
考え方を変えましょう。
我々が生活している日本國から遠くにある國、フィンランドでは『偉大なフィンランド人』というアンケートが行われたそうです。
わたしはシモ・ヘイヘという軍人さんについて特集された動画よりそのアンケートの存在を知りました。
さて、日本という國に意識を戻して、『偉大な日本人』というアンケートはあったのでしょうか。
おそらくは有ったのだろうと思いますが、わたしにはあったように感じません。
話を変えましょう。
西洋では、建築物などを立て直すことをせずに古いまま居住するのが主流だと言います。
それの理由は、景觀とか、文化保存などのそういったものとか。
日本はどうでしょうか。
一部の建築物を除いて、居住する建物は、基本的に新しく建て直します。
建築物等については、日本と西洋とで建築資材が違います。
石造りの建築と木造建築となので、そもそもの耐久度なども関係して建て直すなどの決断となったりもするのでしょう。
果たして、本当にそうなのか、という疑惑もありますけれどね。
以上に記した、違い。
『偉大な自國民のアンケート』や、『建築などの文化的な背景を持つものを一民間人レベルで保存しているか』など。
これらの理由などを以ってして、愛國心というものが培われたりするのではないでしょうか。
日本では京都府が「景観を損なわないため」にコンビニエンスストアの看板を茶色にしているそうですね。
わたしとしましては、京都の方は『京都という場所』に強い誇りを持っているように思います。
そして、日本は明治時代の文明開化まで藩政が敷かれていて、各藩は國と同然だったそうです。
文明開化。
教科書などには善いもののように書かれていますが、本当に、全面的に、善いものなのでしょうか。
まぁ、廃藩置県が善かったのか否かという話よりも、敗戰でどう変わったのか、の方が重要というか、意識に入れないといけない部分なのだろうと感じます。
わたし個人としては、『自分は中道の意識や意見を持って発言しているつもり』ですが、人によっては「ふざけんなよてめーは極右だよ」と思われることもあるのでしょう。
そうやって思うことは問題ありません。というか、【どう思うか】なんてのはその人の自由であり、わたしという一個人が介入する権利は一切ないので、どう思おうと、感じようと、知ったこっちゃありません。
わたしの左腕は対面した他人から見れば右側にあるものなのですし。
重要かな、と思うのは『【慣れ親しんだ感覺】には意図が隠されていないか、を疑うこと』ですね。
愛國心を個々に持て。
ありがとうございました( ¨̮ )