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『にんべん』
わたしは小説を読むのが好きなのですが、最近は遠藤周作さんの『海と毒薬』を読んでいます。
その作中に『倖せ』という字がよく登場します。
これは今現在よく使われている『幸せ』と同じ読みをした漢字で、意味合いも似ているのですが、決定的に違う部分があります。
それは『自分だけのしあわせ』か、『人と繋がることで生まれるしあわせ』か、ということです。
幸には『自分一人のしあわせ』という意味、倖は『人と繋がることで生まれるしあわせ』という意味だそうです。
「にんべん」が付いていますからね。
さて、昨今では「倖」の字はなかなか目にすることはなく、「幸」の方が常用漢字になっています。
これは「慾」の字から心が失くなって「欲」の方を常用漢字としたのと同じ意図を感じます。
「慾」と「欲」の違いを調べたところ、全く違う漢字らしいです。
ですが、意味合いは同じなのだそう。
やはりちゃんと調べるのは必要ですね。
GHQの介入
『GHQが漢字を廢止しようとした』というのは有名な話ですが、その思惑は願わず(日本人全体の識字率調査の結果が97.2%であったため)、戰前まで使っていた漢字を改変(氣を気にしたり、學を学にしたりと)することで、漢字そのものが持っている意味や力を失くしたと言われています。
そして、日本が敗戰したタイミングでGHQが占領統治し、色々と内部改革を行いました。詳しいことは『3R・5D・3S政策』で調べてみてくださいね( ¨̮ )
そのGHQが介入したことで日本は高度経済成長を遂げた、という側面がありますが、また別な側面もあります。
それは、個人主義の増加です。
個人主義思想
実際にその時代に生きていたわけではないですが、1960年代、'70年代に生活していた人は、まだ集団の調和を重要視する人が多かった印象があります。
ですが、バブル経済になった 1980年代後半くらいからぐんと個人主義的思想が増えていったように思え、その頃から今までのおよそ40年間は、個人主義思想がメインストリームになっていると思われます。
これは、1945年に日本へGHQが介入し1952年までの七年間で作った『新しい国民思想』が骨の髄まで浸透しきったのが、バブル時期だったのだろうと考えています。
1970年代までは、まだ軍國主義的な思想が残っていた(良い部分も良くない部分も)けど、 GHQ式の『新しい国民思想』が浸透してきた頃に生まれた人が、成長して自由に個人活動をできるようになった時期が1980年代なのだろうと考えています。
個人主義思想と、和
こちらの動画で「あなたの心はどこにありますか?と質問して、頭を指した人は西洋人に多く、その多くが個人主義的思考を持っていた。逆に胸を指した人はアジア人に多く、コミュニティの調和を大事にする人が多かった」と話していることからもわかります。
とはいえ、わたしは実際に実験をしたわけではないですし、話している方も論文を読んだだけなので、全面的・盲目的に信用するのは危険ですね( ¨̮ )
そして、その『個人主義思想』は、個人・自分だけの利益を考えるので『幸せ』に該当します。
決して『倖せ』ではないですよね。何故ならば『倖せ』は「人と繋がることで得られる氣持ち」なのですから。
どうでしょうか。
「慾」が「欲」に、「倖せ」が「幸せ」になって、両方とも後者のみが常用漢字になっているという現代ですが、意図と意思があるようには感じませんでしょうか?
どちらも昔からあった漢字なのだとは思いますが、問題なのは、危険なのは、「片方だけしか知らない。教えらえていない」というところです。
余談。英語の勉強法
ちなみに余談なのですが、GHQが日本へ来た時にまず行おうとしたのが「日本の公用語を英語にする」ということだったらしいのですが、当時の日本人はちょっと教えられただけで、すぐに英語を話せるようになったそうです。
他にも、アメリカではまだ大多数ができなかった暗算を、当時見下していた娼婦のほとんどができていたらしいです。
そして、識字率の話も考慮し、「このまま日本人の公用語を英語にすれば、日本人がアメリカへ進出して我が祖國が脅かされるやもしれん」と恐れたアメリカ人、GHQ職員が、今現在まで続く『英文法勉強法』を作ったのです。
その結果、今の日本人はほとんどが英語を話せませんよね( ¨̮ )
言語なんて話せないと意味ありませんからね。
文法だけが完璧だとして、英語圏に旅行に行った際に全て筆談でコミュニケーションするのでしょうか。現実的ではないですよね。
つまり、GHQの思惑通り、ということです( ¨̮ )
つまらない歴史のお話でした\(´-`)/
日本は戰爭に負けたってことを忘れてんじゃねえぞ。
ありがとうございました\(´-`)/