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本日は八月十五日です。
この日は、祝日ではありません。
日本人は『戰爭に負けたということ』を忘れてはいけないと思っております。
「八月十五日が〈記念日〉だ」という価値観を持ってきたのは、どこの國なのか。
聞いたところによると(つまり自分で調べたわけではない。というよりもインターネットで調べても情報が出てこなかった)、アメリカでは『戰爭に勝ったことで多くのアメリカ國民が帰國し、それによって生まれた世代』のことを《アトミック世代》や《アトミックベビー》と呼ばれるそうです(だからアメリカの方としては原爆投下のことは正当化するしかないということらしいです)。
日本という國で生まれて、育って、生きてきた人間であるならば、八月十五日は『祝日』や、『記念日』とは思ってはいけないと、思います。
忘れるな。
さて、ここから本題です。
わたしは全くYouTubeというものに支配されている人間なのですが、少し前に興味深い内容の動画を拝見いたしました。
その内容は『同じ人でも話す言語によって印象が変わる』というもの。
「どの言語を話すとどんな印象になるか」などの詳しいことは失念してしまいましたが、『ドイツ語を話していると怒っているような印象を受ける』ということははっきりと覺えております( "確か" の話になりますが、イタリア語は陽氣な印象。アメリカ英語はフレンドリーな印象、イギリス英語はお堅い印象など)。
日本語にも同様に、『奥ゆかしさ』や『礼儀正しい』などの印象を受けるそう。
また、《話す言語》によって、話しているその人の『性格』すらも変わるらしいです。
実際、"日本國外で生まれ育ったけど日本で生活して日本語を話している方" なども、日本語を習得することで謙虚さや相手を尊重する接し方になっているように思え、それは性格が変化したということになるのではないか?と、わたしは思います。
実際のところ、その昔、多言語の國を植民地化した際には自國語を公用語に矯正していたのだとか。
事実、1945年、昭和二十年に日本が無条件降伏を行なった後、GHQが日本語を失くそうと画策したことがありました(しかし、その当時の識字率は驚異の97.2%を誇っていたため、『日本の公用語をアメリカ英語にするぜ計画』は頓挫したらしいですね)。
ちなみに、日本人の胆力をどうしても下げたいと思っていた当時のGHQ職員の方は、悪あがきの末に、どこの國でも使っていない『アルファベット』というものを "教育" に組み込みましたとさ。
以前にも言及いたしましたが、最近では色々な日本語が英語の言葉に置き換わっておりますね。
なんとも。
ありがとうございました( ¨̮ )